2021年9月5日日曜日

百年前日記 19


  なにもしようと思わなければ、茹だるような暑さもあって、どこまでもなにもしないで過せてしまうので、そうなってしまわないよう、プールには何度か行った。倉敷市には五十メートルのプールがいくつかあり、特に夏季限定の児島や水島のそれは気持ちがよかった。しかし平日の午前中からプールに来ているのは、老人か、あるいは未就学児を連れた母親たちなどで、なんとなく居心地が悪かった。
 八月に入り、また会社の面接に行った。今度の会社は化学工場だった。営業みたいなことはどう考えてもできないので、どうしたって勤め先は工場ということになる。そして大掛かりな装置で、基礎的なものを作っている工場ならば、もうやることは決まっていて、仕事中は機械のように淡々と業務をこなし、労働に対して賃金以外のなにも追い求めず、ただ平穏に生きていけるのではないかと思った。
 ちなみにひとつ前の話題に水島という地名が登場したが、面接に行った会社は工業地帯で名高い水島ではなく、岡山市内にあった。そのため家からは少し距離があったが、化学工場のわりに最寄りの駅からなかなか近く、電車通勤をすることも可能そうだった。
 これもまた、あまりに唐突な化学工場などという業種を選んだ理由のひとつだ。
 せっかく転職をするならば、今度は電車通勤できる仕事がいいと僕は考えていた。これまでの縫製工場は、車で片道三〇分あまりかかった。これがおそらくはじめからそうであれば、なんの疑いも持たず、そういうものだと割り切れたに違いないが、高校生から二十代後半まで電車で通勤していた身からすると、移動するための運転を自分でしなければならない車通勤というものに、大いなる無駄を感じるのだった。運転手がいる公共の乗り物を使って乗客として移動できるならば、その時間は本を読んだり仮眠したり、自分のために使える。これまで毎日、往復で一時間超、運転に時間を費やしていた。運転中は、当然だが運転のことしかできない。できるのはせいぜい音楽やラジオを聴くくらいだ。それだって別に聴きたくて聴いているわけじゃない。運転には神経も使うし、睡眠不足にもなれない。なるべくなら車で通勤なんかしたくない、と常々思っていた。

(その車って、たぶんあれですよね。ガソリンとかいう、石油で走るやつ。かつて車はガソリンを燃やしてエンジンを回していたんですよね。とんでもない時代ですね)