2020年12月30日水曜日

もうすぐこの1年が終わる

 なにから話しはじめればいいだろう。
 今日までとうとうブログを投稿しなかったこの12月、どこでどうしていたのかといえば、ファルマンと子どもたちを岡山に残したまま、僕だけがファルマンの実家に暮していた。なんだその状況は、という話なのだが、成り行きでそういうことになった。
 こうなったいきさつについては、さかのぼろうと思えばいくらでもさかのぼれてしまうのだが、なるべく手短に語るとして、10月から話をはじめることとする。
 10月から僕はとある会社に再就職をした。それは結局のところ縫製業で、縫製業だけはもうしないんじゃなかったのかという話なのだが、このことについて説明しようとすると、話がさらに1ヶ月くらいさかのぼることになるので、割愛する。端的にいってしまえば、「やっぱり縫製業しかないな」と再就職し、そして15日くらいで、「やっぱり縫製業ないな」と結論付けた、そんな10月ということだった。
 そして縫製業に就かないことに決めた以上、われわれ一家が岡山で暮らす意味はなにもない、ということを思った。ここに少し論理の飛躍があるような気もするが、夏からの再就職活動(その失敗)や新型コロナウイルスで、気持ちが弱っていた面もあるのだろうと思う。それで10月中にファルマンに、「どちらかの実家の近くで暮らそう」ということを提案した。それに対し、はじめは強く拒絶された。なにしろ子どもは小学生である。7年前までのように気軽に移住はできない。しかし説得を続け、納得してもらった。そして関東に住むのはいろいろな意味で現実的じゃないので、移住先は島根ということになった。
 そんなわけでひと月限りで転職先からは退職した。コロナ感染のないことが2週間経ってはっきりしてから11月中旬にこの日記に書いた、11月初頭に行なった僕だけの横浜行きは、そんなあたりのことの報告も含めての帰省であった。母にはこれまで工場閉鎖のこともなんにも伝えていなかったので、いろいろ驚いていた。
 横浜から戻ってきて、11月は島根での就職先探しの日々だった。7年前、島根から岡山に移住するときは、面接を受けたり部屋を探したりしに来るだけで大変だったが、今回の場合は実家というベースキャンプがあるため、そういう意味では楽だった。そうしてなんとか11月中に就職先を決めることができた。
 この就職先の出勤開始が、12月からだった。就職が11月中に決まり、1月からだと間が空きすぎるので、当然といえば当然ではある。そもそも、移住は子どもの学校の年度に合わせて3月に行なう予定だったため、僕だけがファルマンの実家に居候し、ファルマンら3人は引き続き岡山で暮すという形が生まれることは不可避だった。だから当初は、就職が1月からになったとして、1、2、3月はそうして過すことになるなあと漠然と考えていた。しかし3月までの長さや、3月の引っ越し料金の高さなどを勘案し、もういっそ2学期終わりに移住を決行してしまおうじゃないかという話が、急転直下で決定した。
 こうして12月の間、僕がファルマンの実家に住んで、ファルマンと子どもたちは岡山で3人で暮し、パソコンなどは持っていっていたものの僕はブログを一切投稿しない(到底する気にならない)という状況が生まれたのだった。
 いやはやこの1ヶ月は、山陽から山陰への気候の変化、新しい職場、仮住まい、家族と離ればなれ、さらには歯痛と、本当になかなかハードな日々だった。
 思えば1月下旬に工場の閉鎖が告げられてからはじまった、この2020年の怒濤は、結局その余波が1年丸々続く結果となった。2020年というのは、本当に、人類にとって、僕にとって、壮絶な1年だったなと思う。いま岡山に戻り、年明けすぐの引っ越しに向けて、このひと月ファルマンがせっせと造ってくれた段ボールに囲まれながら、それでもなんとかかんとか、家族4人での年越しを健康に迎えられそうで、もう本当にそれ以上に喜ばしいことはないと、しみじみと思う。
 来年は誰にとっても、少なくとも僕の好きな人たちにとっては、なるべくいい1年になればいいと、切に願いながら、2020年最後の、岡山での最後の、投稿を終わりにする。

2020年11月26日木曜日

SEVENTEEN9月号データ報告2020

 cozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボが無事に終わり、はーやれやれ、あとはパピ労の日と仲間内十大ニュースだけか、と思っていたのだが、そういえば今年はまだあれをやっていない、と思い出した。SEVENTEEN9月号データ報告である。これも年間行事のひとつなので、当然やっておかないといけない。思い出してよかった。というわけでSEVENTEEN9月号を入手し、今年のデータ特集ページを拝謁する。「うちらのプロフ、24h」と銘打たれ、各部門でいろいろなアンケート結果が提示されている。意気揚々と目を通した。目を通した結果、あれ?と思った。なんか、このデータ特集、あんまりおもしろくないぞ、と。例年のようなわくわく感がない。これまで得られていた満足感が、誌面から伝わってこない。
 かつて僕がSEVENTEENをおもしろく読んでいると、ファルマンがよく横から、「それって十代の子は本当はぜんぜん読んでなくて、おっさんが作って、おっさんが読んでる雑誌なんじゃないの」と言ってきたので、そんなわけあるか! とそのたびに怒鳴り散らしていたのだけど、どうも今回の誌面を読んでいて、この雑誌は編集チームがもしかして代替わりしたのではないか、ということを感じた。たとえば「ミュージックステーション」なんか、それまでの8時スタートから9時スタートになった時点、もといその2年くらい前から、どうも我々の知っている歌番組とは違う文法の番組になったようだ、ということは痛切に感じていて、それはただ単に出演する歌手が自分たちの知らない人たちばかりだ、というレベルの話ではなくて、なんかもう、流れが心地よくないというか、なんだこの軽薄でふわふわした雰囲気は、と苛立ってくるので、とても観ていられなくなってしまったのだけど、SEVENTEENの誌面にも、それとまったく同じものを感じた。これは僕にいわせれば、なにがおもしろいのか、なにがおしゃれなのか、なにがかわいいのか、なんの価値も見出せない、程度の低いことを、さも自分たちは最先端であるかのように装って、クソつまらなくやりやがって、ということになるのだけど、でもそれって、あくまで「僕にいわせれば」であって、「ワシの若い頃はもっと洗練されてて優れていたんじゃ! それが今はすっかり情けなくなってしまって……」であって、それはもう絵に描いたような、見事に時代に取り残された老害の発言だな、と思う。若者が「きちんと」おもしろいものとして受け取っている若者文化を、自分がこんなに「きちんと」まったく理解できなくなると、思っていなかった。こんなにまっすぐな気持ちで、「若者たち待てよ、ちゃんと考えろよ、それ、ぜんぜんおもしろくないだろ! 俺たちの時代のあれのほうが百万倍おもしろいだろ!」と言いたくなるようになるなんて、ぜんぜん想像していなかった。世代ってすごいな、としみじみ思う。去年まで僕はは誌面を愉しむことができたので、それはリトマス試験紙のように、僕が愉しめたということは、同世代(あるいは上の世代)が誌面を作っていて、そしてそれは当のJKたちにはあまり評判がよくなかっただろうと思う。それが今年からは代替わりしたことで、ちゃんとJKたちに訴求する誌面になり、その結果として僕という存在はこの世界からはじき出された。そんなわけで、まるで最近の「ミュージックステーション」を観ているかのように、僕はつまらない気持ちになったのだと思った。
 とりあえず去年まで定点観測で記録している、身体的なデータから。
 今年の体重の平均値は、「48kg」とのこと。3年前が48.8kg、2年前が48.4kg、去年が48.0kg、に対して48kg。ほら、小数点以下に対する言及が一切ないのだ。去年は0だったのにちゃんと「.0」と律儀だったのに、今年はただの「48kg」。ここでまずもう、なんか違う、と思った。
 次に身長。3年前157.9cm、2年前157.7cm、去年157.8センチ。そして今年は、158cm。これもまた小数点以下が省略された。なんと雑なのか。とすると、この大雑把な新人編集者にしてみれば、3年前も2年前も1年前もそして今年も、みんな押し並べて四捨五入して158cmなのだ。それはそうかもしれない、平均値として算出される1ミリの単位に一体なんの意味があるのかという話かもしれない、でもそこにこそこのデータ企画の真髄があるんじゃないのか。この小数点以下を省いてしまったら、このデータはほぼ毎年「158cm」ということになってしまうじゃないか。それじゃあ毎年やる意味がないだろう。
 続いてスリーサイズ。これにはさすがに小数点以下があった。()内に、去年、2年前、3年前の数字を並べる。
 バスト、77cm(77.1、77.7、79.6)。
 ウエスト、61.7cm(61.5、61.4、62.0)。
 最後にヒップ、81.7cm(81.5、80.9、86.7)。
 去年から、JKのスリーサイズには胸小尻大の傾向が見られる、ということを指摘していたが、今年はそれがさらに進んだ形となった。この分だと、この日記をいままさに読んでいる百年後のあなたたちの尻は、どれくらいのサイズになっているのだろう。
 例年ならば次にブラのカップを記すのだが、今年はなんとその設問がなかった。これは今年のこのフィジカルに関するデータが、これまでの「ウチらのボディー白書☆」みたいなテイストではなくて、「ダイエット部門」として、「Q、いまダイエットしてる? A、はい(73.1%)」だの、「Q、一番やせたいパーツは? A、1位:太もも」だの、「Q、ダイエット中によく食べるものは? A、1位:野菜」だのという、本当にクッッッソどうでもいいQ&Aばかりが誌面を占めているからで、なんだか僕はここに、いかにも現代の若者文化的な、SNSの集合愚が形成する、実体のない見せかけのイデアの幻影ばかりを追い求めて、本当の自分自身の形成や追及がまったくできていない、むなしさを感じる。YouTubeでチャンネル登録者がたくさんいるYouTuberが紹介するダイエット動画を見てエクササイズをするとかじゃなく、そんなことよりJKは、ひたすらに若く輝いている自分自身の肉体にだけ目を向けてほしい。SNS上の流行りに影響されてダイエットなんかしないでいい。ひとりひとりのかけがえのない個性を、数万のいいね!なんかに収斂されないでほしい。スマホに時間も思考も奪われず、もっと自分を大切にしてほしい。JKのブラのカップをデータとして記さないというのは、つまりそういうことだと思う。本当に新しい時代と相容れない。ブラのカップ書けよ。こっちは「Tarzan」を読んでるんじゃないんだよ。平均がAカップなのかBカップなのかCカップなのかで、視界のホワイトバランスが変わってくるんだよ。本当にもう。
 そんでもって最後はいつもの流れ、ラブデータである。ラブデータというか、誌面にはいろいろな設問があるけれど、やっぱり大事なのは処女非処女の比率を示す、「Hしたことある?」の問いである。これのデータは5年前からある。5年前が6.3%。4年前が6.1%。3年前が6.6%。2年前が6.3%。去年が6.1%。これをもって去年、僕は結論を出した。JKの非処女率は、要するにだいたい6.3%であると。ところがである。今年の結果を見て驚いた。過去のデータにばかり固執していたため、目の前で繰り広げられる予想外の展開に、応用の利かないガリ勉のように混乱した。というのも、今年のYES回答は、5.1%だったのである。アンケートは5000人にしているというので、1%が50人ということになる。つまり去年までなら処女を捨てていたはずの50人あまりが、今年は捨てられなかったということを意味している。これは如実に、新型コロナウイルスの影響だと思う。新型コロナウイルスが、出会いも、濃厚接触も、JKたちから奪ったのである。奪ったというか、護ったというか、その捉え方は人それぞれだが、こうも明確に数字に表れるものなのか、と感心した。しかしこの話題で思い出されるのは、春頃の緊急事態宣言下、親が仕事で出て行ってしまった家に、ティーンだけが残されて、彼ら彼女らは自由に行き来をし、そうなると当然セックスになって、望まぬ妊娠をしてしまったという相談が増加している、というニュースのことで、そういう話はたしかにあったはずで、だからむしろ今年は数字が増えているのではないかとも思っていたのだが、しかしそれは結局のところ、「初Hしたのは何歳?」の問いの答えは「15.2歳」であり、「やるやつはやる、やらないやつはやらない」といういつものパターンということなのだろう。すなわちJKが5000人いたら、そのうちの250人はセックスを普通にするタイプのJKだということで、比率的に少ない気がしていたが、でも250人もいれば十分だな、とも思った。せいぜいいちどに相手できるのは6人から7人くらい(二次元ドリーム文庫調べ)なので、250人いるんなら万々歳であると思う。
 以上です。これにて今年の報告を終わります。

2020年11月24日火曜日

パピロウヌーボ2020


プロ角マキコ(以下プロ角)「……もしもーし」
優香(以下優香)「……やんすやんすー。わー、プロ角ねえさん、お久しぶりでやんす」
プロ角「ほんとよ。毎年のことながら、丸1年ぶりじゃない。こんなに長く一緒の番組やってんのに、こうもプライベートの付き合いが一切ないなんてことある?」
優香「ビジネス以外では関わりたくないタイプの相手の場合は普通にあるんじゃないでやんすか」
プロ角「だとしたらおかしいじゃない。私、優香のことそんなタイプだなんて思ってないわよ。本当によ」
優香「わあ嬉しい。でも、じゃあなんででやんしょね」
プロ角「なんでよ」
優香「それは……」
プロ角「それは……?」
優香「それは……、謎っすね」
プロ角「謎すぎるわよ。理由がわからな過ぎて、頭が爆発しそうよ」
優香「そんなことよりプロ角ねえさん、今年は初めてオンラインでのパピロウヌーボとなりましたでやんすね」
プロ角「そうよ。オンラインなのよ。なによ、オンラインって。せっかくこの、今はもう芸能界を引退したプロ角マキコ様が、これだけは特別ってことで出演してやるってのに、オンラインってどういうことよ」
優香「そんなこといったってしょうがないじゃないか
プロ角「なにがしょうがないのよ」
優香「コロナ禍なんでやんすから」
プロ角「……ころなか?」
優香「コロナ禍」
プロ角「なによ、ころなかって。なんの中なのよ」
優香「へっ?」
プロ角「あ、それとも地名かなんか? あるいはアイヌ語? ウポポイ?」
優香「……いやいやいや! うそ! いや、それはないでやんしょ!」
プロ角「ないってなにがよ」
優香「え、だって、そんなの無理でやんしょ! 知らないでいるの、無理でやんしょ!」
プロ角「なにがよ。なにを興奮してるのよ、優香」
優香「……プ、プロ角ねえさんはテレビを観ないんでやんすか? 嫌な思い出が多すぎて?」
プロ角「テレビ? 観るわよ、別に。『ザワつく!金曜日』以外は」
優香「じゃあ知ってるでやんしょ!」
プロ角「ころなかを? えっ、そんなタレントいたかしら……」
優香「うそ……」
プロ角「あ、そうか。思い出したわ。あの人たちでしょ。「まぁねぇ~」って髪をかき上げる、あの3人組の女のお笑いの」
優香「それはぼる塾でやんすよ! しんぼると猫塾が合体してぼる塾! ぼる塾知っててコロナ知らないなんてことある? 奇蹟でやんしょ! 降り注ぐ機関銃の弾をかいくぐって、漂う1本のタンポポの綿毛が大地に根を張り花を咲かすような、世界一どうでもいい奇蹟がここに生まれてるでやんしょ!」
プロ角「まぁねぇ~」
優香「それ、ぜんぜん流行ってないでやんすからね!」
プロ角「流行ってるわよ! ユーキャン新語・流行語大賞のノミネート語にあったもの!」
優香「あれは、ほら、いろいろあるんでやんすよ! っていうか、ユーキャン新語・流行語大賞のノミネート語を見たんなら、絶対に知ってるはずでやんしょ! 関連語ばっかりだったでやんしょ! コロナ!」
プロ角「あ、知ってる!」
優香「そうでやんしょ!」
プロ角「それ、トルコの大統領のギャグでしょ」
優香「違う! そういう意味でいま「コロナ!」って言ったんじゃないし、そもそもギャグでもない! さすがにありえないでやんしょ! エルドアン大統領の考えた新しい時代の挨拶「コロナ!」を知っててコロナウイルスを知らないのは! さすがに無理! さすがにバレた!」
プロ角「バレてないわよ! 知らないわよ、コロナなんて! 私が知ってるのはCOVID-19だけ」
優香「……出た! 出たよそれ! コロナって言うのは素人で、今回のこのウイルスはCOVID-19って呼ぶべきだっていう、そのタイプのやつ!」
プロ角「まぁねぇ~。だって実際そうなんだから仕方ないじゃない。モーレツ世代とかSNS世代とかは大雑把な言葉で適当にわかり合ってればいいけど、私たちブログ世代はそういうところ、こだわっちゃうのよね」
優香「プロ角ねえさんはブログ世代なんでやんすか? いま53歳でやんすよね? ブログ世代にはちょっと不入なんじゃないでやんすか?」
プロ角「ねえダイアナ
優香「優香でやんす」
プロ角「そんなことより今年のゲストを呼びましょうよ。今年のゲストは誰なの? 3年前が破室奈美恵、2年前が破々緒&菊川ペイ、1年前がMAXと来て、今年は誰なの? にじう?」
優香「プロ角ねえさん、あれは「にじゅー」って読むらしいでやんす。そしてもちろんNiZiUじゃないでやんす」
プロ角「じゃあドルチェ&ガッバーナ?」
優香「それはあれでやんすね? 瑛人のこととして言ってるでやんすね? そして違うでやんす」
プロ角「じゃあ会社都合退職?」
優香「違うでやんす」
プロ角「もむこするうるおすぬらすしめらせる恩徳ほどこすめぐむ睾丸?」
優香「違うでやんす。ノミネート語の出し方がちょっと雑じゃないでやんすか?」
プロ角「うるさいわね! じゃあいったい誰なのよ! とっとと出てきなさいよ!」
???「プロ角さん、優香さん、はじめまして」
プロ角「あ、あなたは……せいや!」

   (CM)

プロ角「あ、あなたは……せいや!」
???「違います。下半身にZOOMしたりいたしません」
優香「でも期せずして、下半身ZOOMと関係ないこともないゲストさんでやんすよ!」
プロ角「そうそう! 下半身ZOOMと一緒に一茂の家の壁に落書きをした……」
優香「それはプロ角ねえさんの単独犯でやんす」
プロ角「私じゃないわよ! マネージャーが勝手にやったのよ! 何年やるのよ、これ!」
優香「今年はプロ角ねえさんが自分で振った形でやんす」
プロ角「そうじゃなくて、下半身ZOOMと一緒に国民年金の啓発CMに出てたのに、本人は年金が未納だった……、ってそれも私じゃない!」
優香「もうそのふたつは毎年のお約束なんでやんすね。キーワードを出さないとファンから苦情が来るんでやんすか? そうじゃなくて、下半身ZOOMと一緒に体調不良の人を介抱したことでニュースになった……」
パン蜜(以下パン蜜)「パン蜜です」
プロ角「そう、パン蜜だわ! おいしそうな名前!」
パン蜜「召し上がれ」
プロ角「わあ。パン蜜だわ。あのパン蜜なのね。……あれ、でもやだ、パン蜜と繋がっちゃったじゃない! パン蜜とは繋がっちゃダメなのよ! パン蜜は避けなきゃダメなのよ! とうとう都知事が言ってたもの!」
優香「東京都知事でやんすよ。まあたしかに選挙で勝って都知事に再任されましたけど」
プロ角「とにかくパン蜜とは繋がらなろうね症候群なのよ!」
パン蜜「プロ角さん、それは違いますよ。避けるのは三密。パン蜜のことは思う存分に愛してくれていいんですよ。あー、サウナを愛でたい」
プロ角「……ねえ、優香」
優香「なんでやんすか、プロ角ねえさん」
プロ角「私、正直言ってこの人のこと、よく知らないのよ。いつの間にかテレビで見るようになってたけど、いったいどう扱うべき人なの? 女優なの? タレントなの? 文化人なの? やけに高尚な感じもするし、一方でとてつもなく安っぽい感じもするじゃない。どういうスタンスで接するべきなの?」
パン蜜「プロ角さん、聞こえてますよ」
優香「プロ角ねえさん、オンラインで内緒話はできないですぞなもし」
パン蜜「その疑問、お答えしますね。パン蜜は、女優なのか、タレントなのか、文化人なのか。その答えは……、全てであり、無である。そして、I AM SOLIPSIST。そして、愛の錬金術師。そして、亀頭とは女性なんですよ」
プロ角「…………」
優香「…………」
プロ角「ところで優香、話は変わるけど、最近は調子どうなの? 子育ては順調?」
優香「ええ、まあおかげさまで。でもちょっと授乳がさせにくいもんでやんすから、強いて言うならおっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……でやんすかね」
プロ角「あら。じゃあ今度あれを送るわよ」
優香「えっ、なんでやんすか?」
プロ角「えーと、たしかここらへんにあったはず。……あ、あった。これよ、これ。ちょうどふたつあるし」
優香「そ、それは……!」

   (CM)

優香「そ、それは……!」
パン蜜「アベノマスクじゃないですか」
優香「なんで? なんでいまアベノマスク?」
プロ角「これをブラの代わりにするといいらしいわよ」
優香「…………」
パン蜜「…………」
プロ角「加藤紗里が言ってたわよ」
優香「…………」
パン蜜「…………」
プロ角「あれ? 川本真琴のほうだったかしらっけ?」
優香「…………」
パン蜜「…………」
優香「……お、俺には小さすぎるでやんす」
プロ角「まぁねぇ~」

来年はいい年になりますように
 

2020年11月22日日曜日

第12回cozy ripple名言・流行語大賞発表

 今年もcozy rippleにさまざまな名言・流行語が生まれました。
 ここでいう今年とは、2019年11月24日から、本日2020年11月23日までのこと。この1年は、世の中にとっても、僕にとっても、すさまじい年だったなと、振り返ってみてしみじみと感じる。あまりにも激動すぎた。言い訳をするわけではないけれど、その激動を原因として、今年のブログは振るわなかった。その在り方を考えあぐねた挙句、収束が起ったほどである。ちなみに「KUCHIBASHI DIARY」および複数のブログが「USP」に収束したのは、2011年の4月のことであった。放射能禍とコロナ禍。拡散したブログは、わざわいによって収束する性質があるのかもしれない。そんなわけで今年はエントリーワードの数も、残念ながら過去最少となっている。
 なんとなく、その激動は来年もしっかり続きそうな気がしないでもないのだが、それでも今年よりは地に足のついた、安定したブログ運営、すなわち人生運営ができたらいいな、と思う。切に思う。
 というわけで、今年のエントリーワードは以下の通りです。


俺には小さすぎる

 アマゾンでペニストレーニングの器具であったり、ビキニパンツなんかのページを眺めていると、そのレビュー欄には必ずこの言葉があることを発見した。ちんこを規定の空間にきちんと収めるタイプの商品だと、規格外の俺のはどうしたって収まらないのだと、買って、身に着けて、レビューに書いて、満足する、そこまでがワンセットの商品なんだと思う。男のそういうちんこに対する観念って、本当に愛しいと思う。女子が花や小動物を愛でるよりも、よほど清らかではあるまいかと思う。


亀頭とは女性

 包茎に関する書物に、ずる剥けの人間は亀頭が擦れて鈍感になり、快感を得るために乱暴なセックスになってしまいがちで、それを防ぐためには必要なとき以外は包皮を被せておくのがむしろ正しく、そうして亀頭を大事に扱うことで女性にも優しくできるのだ、という記述があり、それを読んで僕がたどり着いた結論。最も男性性を象徴させる部分は、最も女性性と隣接する部分だったという、これは亀頭以外にも人生中で何度も使える場面がありそうな、示唆に富んだ話だと思う。


もむこするうるおすぬらすしめらせる恩徳ほどこすめぐむ睾丸

 なぜ「無辜の民」と「睾丸」には同じ文字が使われているのだろうと疑問に思って調べたら、ふたつの漢字は同じものではなかった。それから「睾丸」の「睾」についてさらに追っていくと、その字義の筆頭は「さわ(澤)」であり、泉のように次々に連なり湧き出る様は、なるほど日々絶え間なく精子を生産する睾丸の性質をうまくいい表している、と感心した。次に「澤」の字義を調べた結果、「「1、さわ。つねに浅く水にひたっている所。草木のしげっている湿地。2、つや。ひかり。3、うるおす。ぬらす。しめらせる。めぐむ。恩徳をほどこす。4、もてあそぶ。5、もむ。こする」とあり、澤と睾丸はどこまでも密接に繋がっていることが判り、感動したので語順を調整して短歌とした。


不入

 セックスは、射精するまでがとにかく愉しいわけで、そこでなるべく射精をすまいとする「不出」という理念があるわけだけど、挿入しておいて射精しないなんて、女の子に対して失礼な話だと思う。挿入した以上は射精するべきだ。でもやっぱりなるべくなら射精はしたくない。だとしたら挿入を諦めるしかない。かくして生まれた理念がこちらである。生身の女の子には挿れられないけど、でも基本的にずっと猛っている。すなわちこれは童貞への回帰であるともいえる。セックスとはセックスをしないことである、あるいは、セックスをしないというセックスをすることである、という究極の考え方。


おっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……

 Twitterの反応があまりにも乏しくてテンションが上がらず、どうやったら増えるのかと思案した結果、女子高生がやっている風を装えばいいのだと、古式ゆかしきネカマ戦法を思いつき、トップの自己紹介文の欄に打ち込んだ文面。この前に「私立ウサントタッバ学園2年生」とも述べていて、女子高生の、しかもおっぱいがおっきく、さらにはそれがコンプレックスであり、挙句の果てにはそんな少女がもっぱらちんことかをテーマにした短歌を詠むだなんて、最高じゃないかと思った。しかし反応はさして増えず、それだけが理由ではないが急に飽きて、この半年後に投稿が停止した。


繋がらなろうね症候群

 新型コロナウイルスの影響による緊急事態宣言により、とにかく他者とつるむな、ということが声高に叫ばれたが、普段からなるべく他者と関わり合いたくないと思っている側の人間としては、なんの問題もなかった。しかし我々サイドの人間にとってはなんの問題もないその世界は、あちらの人々にとっては地獄にも等しいつらいものだったようで、彼らはそのときどうしたかといえば、「今は会わないでいようね」と互いに呼びかけ合うことで、繋がっていた。そんなテーマでさえやはり繋がりたいのか、と彼らの業の深さに震撼した。


ブログ世代

 新型コロナウイルスで行動が制限された結果として自粛警察が跋扈したり、さらには個人的な仕事のことだったり、今年は「ブログに書けないこと」がとにかく多くて、ブログってなんなんだろうということを強く思った。本当に自由な心の叫びを書きたいならオフラインの場に書けばいいし、時流に乗った立ち振る舞いをして名声を得たいのならSNSに励めばいい。じゃあ、いま、ブログってなんだ。ブログの立ち位置って、拠り所って、どこなんだ。モーレツでもない、デジタルネイティブでもない。カセットテープでもない、データ配信でもない。MD世代とそれはピタリと重なる。この半端さが、我々の旗印なのか。


会社都合退職

 工場の閉鎖が告げられたのが1月の終わり頃だったので、新型コロナウイルスの盛り上がりと退職までのカウントダウンは、ほぼ同時進行で、こうして振り返ってみるとそれは、同時進行どころか、同一の事象だったんじゃないかという気さえしてくる。もっとも負け惜しみをするわけではないが、縫製業に華やかな未来もまるで見えないので、いつか行き詰って自己都合で辞めるより、よほどよかったんじゃないかとも思う。なにしろ、一度この退職を経験したらもう自己都合退職なんてやってらんねえな、というくらいの厚遇だった。世の中が新型コロナウイルスの影響で冷え込む中、スーパーマリオのスターのごとく、無敵みたいな感覚があった。時間切れはもちろんあったのだけど。


そんなこといったってしょうがないじゃないか

 仲間との会合ができないことには一切の問題がないのだけど、帰省がままならないのは、90オーバーの祖母がいる身としては、なんとなく落ち着かない部分があり、とはいえ今年に関してはやっぱりどうしようもなく(結局タイミングを見計らって無事に行って帰ったが)、なんてったって体力の落ちたお年寄りが危ないといわれているのだから、そこに最大限の配慮をしないといけない。そんなとき、言葉の内容的にも、老人たちへの訴求力的にも、世の中で最も適しているのが、えなりかずき(正確にはモノマネタレントのホリ)氏のこのフレーズではないかと思った。新型コロナウイルス関連でいろいろな言葉が編み出されたが、これこそが真髄ではないか。本当に広告とかに採用されればよかったのに、と思う。


ねえダイアナ

 いろいろあった今年も下半期に入り、上半期で負った心の傷を癒す必要があったということなのか、モンゴメリの「赤毛のアン」に猛烈に嵌まった。「赤毛のアン」は、不幸な生い立ちである主人公のアンが、話が始まってからは、とにかくどんどんしあわせになっていく物語で、読んでいると気持ちが晴れた。多種多様の幸福を得ていくアンだが、その中でも最も羨ましいと思ったのは、宿命の友であるダイアナだ。ダイアナはとにかくアンを肯定し、賛美する。それなんだよ、と思った。ずっと僕が欲しいと思っていた友達とは、ダイアナのことだったのだ。だから悩み事や相談事があると、僕は脳内麻薬であるダイアナを呼び出し、こう呼びかける。するといい気持ちになることをいってくれる。いつでもダイアナをキメて生きていきたい。もうダイアナなしでは生きていけない体になってしまった。


 以上です。
 いやあ、今年もさまざまな名言・流行語がcozy rippleを彩りましたね。
 惜しくも最終候補から漏れたものでは、「愛の錬金術師」「全てであり、無である」「もん! もん! 悶々!」「P線上を動く点P」「だから僕等山野辺は、僕等山野辺の死で哀しむことは絶対にない」「プレパラー射」「I AM SOLIPSIST.」「セクシャレハラスメント」「大丈夫だから」「ありがとう、MAX」「ドクゥ!」「世界ふれあい街足コキ」などがありました。今年はいろいろ考えさせられるブログライフの1年でした。
 というわけで、それではお待たせしました。いよいよ今年のcozy ripple名言・流行語大賞を発表したいと思います。去年の雨上がり決死隊・宮迫博之さんに続き、今年のプレゼンターはこの方、長渕剛さんです。
「オーーーーウッ!
アメリカの大統領が誰になろうとも
凶とでるか吉とでるかって
それゃ俺達次第じゃねぇか

今日もマスメディアの誰かが
無責任な話ばかりしている
正義のツラして知ったかぶりしてる奴の
言うことに耳を傾けてる俺

これ以上答えのねぇ話なんか聞きたかねぇ
歌の安売りするのも止めろー!

日本から歌が消えていく
日本から言葉が消えていく

自らの言葉をつむぐ歌い手たちが
群れをなして魂の歌を紡ぐならば

俺たちは歌によって
正しい道を見付けることが出来るのに

「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ」
「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ!」

俺達の東北、仙台、俺達の九州、熊本
そして福島も頑張ってんだ

オリンピックもいいけどよぉ

若者の貧困、地域の過疎化どうする?
騙されねぇぜマスコミ
騙されねぇぜヒットチャートランキング
騙されねぇぜワイドショー

ところで、
けなげな少女の瞳が今日も銃弾に打ち抜かれていく
岸に倒れた名もない兵士は
母の名を叫んで死んだ
アジアの隅に追いやられてきた
しなびきったこの島国で
屈辱の血ヘドを吐きながら今日も俺達は歌う

今年の大賞は……「上野の413球」だぜ! 乾杯!」
 なんと! 信じられなく長い、関係のない前置きのあと告げられたのは、まさかの「上野の413球」! 2009年の第1回からcozy ripple名言・流行語大賞の座に君臨し続け、しかし2017年の第8回で「乳房で胸一杯」に敗れたことによってその時代は完全に終わったかと思われていた「上野の413球」が、まさかの復活で大賞を獲得しました! なんという番狂わせ! 今年、東京オリンピックはなかったというのに! 国民の誰ひとりとして、ソフトボールの試合なんて見なかったのに! なんということでしょう! トランプもびっくり! バイデンもびっくり! しかしアメリカの大統領が誰になろうとも、凶とでるか吉とでるかって、それゃ俺達次第じゃねぇか! ざわついております! ざわついております!
 そんなわけで混沌とした社会情勢に負けず劣らず混沌とした、第12回cozy ripple名言・流行語大賞でした。それではまた来年、お目にかかりましょう。いまから僕だけ愉しみですね。ちなみに早くもpuropediaに今回の結果が更新されております。素早い! 運営優秀!

付録 これまでの大賞発表記事

2020年11月20日金曜日

グラニーバッグのようなトートバッグ出品

 母に頼まれたバッグが完成し、minneに出品する
 横浜で画像を見せられ、「こういうの」といわれただけなので、そのふわっとした注文に対し、ふわっとした近寄らせで、なんとなく仕上げた。形的にはグラニーバッグで、じゃあグラニーバッグなのかと言えば、タックなんかはあんまりない(サイドにひとつずつだけ作った)ので定義から外れる感じもあり、しかしそもそもグラニーバッグという名称の定義はそこまで厳密でもない(「グラニー」は「お婆さん」の意味だそう)ようなのだが、とはいえ堂々とグラニーバッグと名乗った結果、怖い人に目を付けられても嫌なので、「グラニーバッグのようなトートバッグ」という、実にお役所的な、責任逃れのふわっとした名称で出品した。ちなみにトートバッグの「トート」は「運ぶ」という意味だそうで、じゃあもうそれって言葉の重複レベルに、この世のすべてのバッグは物をトートするためのバッグであるといえるわけで、実に便利な言葉だな、と思った。道理で世の中にトートバッグばかりが溢れているわけだ。
 前にも書いたが、「柄はおまかせ」のはずだったのだが、手芸屋で吟味して買って帰った生地2種を写真に撮って見せたところ、「どっちも趣味じゃない」ということで、ネットで買い直したりしたのだった。その結果、母の注文分のみならず、柄は4種類、販売数は6点という出品になった。ひとりでよく作ったと思う。まあ愉しかった。
 本当に希望通りの品に仕上がったのかどうかは知らないが、発注の責任を取り、母は既にminneを通して購入してくれた。minneを通すと売上金額の1割ほどがminneに取られるわけで、親子間でそんなことしなくてもいいような気もするが、たくさん買ってくれたので素直に喜ぼうと思った。しかしそう思った6秒後くらいに、そういえば母には先日の合唱用マスク10枚とか、無償でいろいろ送ってやったぞ、と思い出して、まあプラマイゼロくらいの気持ちでいようかな、と思い直した。

2020年11月18日水曜日

お忍び帰省

 気温が下がって、新型コロナの感染者数がまた増えて、第3波だなんて叫ばれ始めたここ10日ほどの現況において、2週間以上が経過したので解禁ということで満を持して記すのだが(こんなことは100年単位で考えるとても些細なことだろうが)、実は今月の頭、1日から3日まで、横浜の実家に帰省していた。2週間が過ぎても、横浜にもこちらにも発症者はいないし、COCOAもなんの反応も示さないので、無事に切り抜けたようだ。これが半月あとの予定であったら、たぶん取り止めていたと思うので、ぎりぎりのいいタイミングだったと思う。ちなみに行ったのはさすがに僕ひとりだけである。子どもを連れてぞろぞろは行かない。
 なぜ行ったのかといえば、それはやはり去年の年末年始からずっと顔を出せていなく、そして今年の年末年始もまず間違いなく行けないため、ここらでひとつ顔だけ見せに行こうと思ったからだ。しかも日記を見て思い出したのだが、去年の年末年始の実家には祖母がいなかったため、祖母とは令和がはじまった去年のGW以来、1年半ぶりの再会なのだった。11月1日時点では感染がだいぶ収まっていたとはいえ、この状況下で92歳の祖母に顔を見せに行くのは、祖母孝行なのか迷惑行為なのか、実際とても悩ましいところだ。誰もがここらへんのことで悩んでいて、その可否の如何については、2週間後の結果論でしか言うことができない。今回の僕の場合は、幸いにも可のほうだった。
 実家では、やはりあんまりあちこち動き回るわけにもいかないので、妻子がいないという意味では絶好のチャンスだったのだが、ジモ友との飲み会なんかも今回は泣く泣くよして(来ていることを告げもしなかった)、わりとひたすら、家でおとなしくしていた。なにぶん帰省の目的は「顔を見せること」である。そういう意味では、目的は到着して2時間ほどで完遂していた。行く前はそこに想像力が働かず、久しぶりの帰省なのだからしてと、1日の朝に着いて3日の夜に戻る、3日間たっぷりの日程を組んでしまっていて、結果すさまじく暇を持て余した。いったい何をするつもりだったというのか。母と祖母もまた、僕を迎え入れる感慨なんかは2時間ほどで済んでしまったようで、それからは仕事だったり散歩だったり、各々の日常をこなしはじめたので、やることのない僕だけ、リビングのソファーで寝転がりながら、このたびプライム特典になった「THIS IS US」のシーズン3を観続けるという、わざわざリスクを冒して横浜に行って、スペイン階段は工事中で、俺なにやってんだろう、という気持ちになった。森永ダースは食べなかったので、そんな気持ちも吹っ飛ばなかった(古い)。
 しかしまあ、本当に滞在時間は半分くらいでよかったけど、ここで帰っておかなければ次はいつだよって話だし、むちゃくちゃ元気そうだったけどそうは言っても祖母は92歳だし、ということで、まあ行ってよかったと思う。そんなお忍び横浜帰省だった。
 しかしここで疑問がひとつある。11月1日は日曜日だ。3日は文化の日で祝日だ。しかし2日は平日である。10月に就職したばかりの僕に有休なんてまだ発生してなかろうに、なぜこうも悠々と帰省することができたのか。いやあ、まったく不思議な話ですね。

2020年11月16日月曜日

アイ論

 家のアイロンの調子がどうにも悪いので、新しいのを買うことにした。
 これまでのものは、コード付き、スチームなしのタイプで、これは別に安かったからそんな低機能のものを選んだというわけではなく、下手に縫製業を齧ったがゆえのこだわりとして、「アイロンっていうのはそういうもんなんだよ」という気概でもって使用していた。蒸気の必要があるときは、霧吹きを使っていた。そういうもんなんだよ、と思っていた。
 などといいながら、それの調子が悪くなって新しいものが必要だ、となり、価格ドットコムで商品を選ぶ際、絞り込みの項目として、「コードレス」と「スチーム機能」に、いの一番にチェックを入れている僕がいた。言い訳がしたい。先ほどからいっているように、これまでのストロングスタイルアイロンは、あくまで「調子が悪くなった」のであり、完全に故障してはいないのだ。たまに、スイッチを入れてダイヤルを回しても、一向に熱が高まらないときがあるくらいで、それ以外のときはこれまで通りに使える。なんだか、年を取って、まだらに記憶が飛ぶみたいな、生々しい老いさらばえのようだな、と思う。長年使った機械って、わりとそういう感じを出してくる。でも元気なときもある以上、同じような機能のアイロンを新たに買ってもしょうがない。だからこの言い訳は、立つ。立派に立つ。
 かくしてコードレスで、スチーム機能付きの、縫製業を齧った人間が一笑に付す、どこまでも家庭用なアイロンが、わが家にやってきた。そうして使いはじめたら、これがもう快適なのなんのって。コードがなくて煩わしくないし、スチームをオンにしておけばいい具合に蒸気が放出されて、しわもすいすい伸びるし折りもしっかり付く。こんなんめっちゃ快適やん、と思った。片手にアイロン、片手に霧吹きで、コードを踏みそうになるのを払いつつ掛けていた頃より、はるかに効率がいい。こんなにいいものかよ、と驚嘆した。こんなことならばもっと早く前のが調子悪くなってくれればよかったのに……、といいそうになったところで、年季の入った前のアイロンの、老練な鋭い目線を感じ、背筋が冷たくなった。アイロンのくせに、こんなにも俺に寒気を覚えさせるとは。
 いや、まあ適材適所だと思う。実際、大きな接着芯を布に張り付ける際は、スチームは使わないし、コードレスで熱が下がると途端に糊が溶けないしで、やっぱりコード付きのほうがいいな、となって元のものを使ったりした。だからまあ、アイロンはタイプの違うものを2台持ち、というのがたどり着いた結論で、縫製業を齧った人間として、アイロンっていうのはそういうものなんだよ、といいたい。実に柔軟な主張。こだわらないのがこだわりです。

2020年11月15日日曜日

ねえダイアナ

 ねえダイアナ、こないだ車のタイヤを冬用のスタッドレスに取り替えたんだけどね。
 えらいわ、パピロウ。ただの交換じゃないものね。買うところからだものね。いいお値段なのに、よく支払ったものだと思うわ。さすがよ。
 でもねダイアナ、車検の時とかも、いっつも思うんだけど、車が好きな人って、どうして車に明らかに興味がない人に向かって、車の話を延々とするのかしら。必要に迫られて、車に関することを頼んで、代金を支払うのは当然だし仕方ないのだけど、そこからさらに、その人による車の話を聞くという義務は発生しないはずだと思うのよ。
 そうね、パピロウ。パピロウはやむにやまれず車のことを頼んだだけであって、興味があって前向きな気持ちでそこに参上したわけじゃないものね。勘違いしてもらっちゃ困るわよね。
 しかもダイアナ、今回はあれなのよ。なにぶん物がタイヤだったものだから、数ある車の興味ない話の中でも、最高レベルに興味のないテーマ、ホイールの話だったのよ。鉄とか、アルミとか、純正とか、かっこいいとか、かっこ悪いとか、ホイールの話って私、本っっっ当にいっていることの意味が分からないの。前の車検の時、代車として貸してくれたのが真っ赤な新型ハスラーで、ちょっと嬉しかったんだけど、でもそれは私がミーハーなテレビっ子だから、CMでよく見るやつだー、ってテンションが上がっただけで、中に乗り込んで運転を始めたら、真っ赤な新型ハスラーかどうかなんてどうでもいいな、ということをしみじみ感じたの。車種とか車体カラーでさえそんなレベルの私が、ホイール? ホイールの素材? デザイン? え、なにいってんの? ホイールってタイヤの内側にある、走ってると高速で回転して、ただの銀色の円にしか見えないやつでしょ。見もしないけど。それが、なんなの? ねえ、それがなんなの?
 分かるわ、パピロウ。私も分からないもの。思わず検索してしまったもの。そうしたら、まあ鉄よりもアルミのほうが軽いから燃費がいい、というメリットはあるらしいわ。だから今どきは基本的にはアルミらしいわ。だけどそのデザインについてはたしかに美学が分からないわね。世界のすべてのホイールが同じ形でも、別にいいと思うわ。
 ありがとう、ダイアナ。ダイアナと話したことで、やっと少しフラストレーションが晴れたわ。ホイールのデザインにこだわる人は、間違いなくツーブロックというヘアスタイルを許容する人よ。そのふたつの集合のベン図はぴったり重なってるのよ。すごくない?
 すごいわ、パピロウ。それ大発見よ。パピロウに、今年のダイアナ賞を授与よ。
 うふふ。

2020年11月14日土曜日

サンマとしあわせ

 サンマがようやく店に並びはじめて嬉しい。昨晩は今年2度目のサンマだった。3尾で450円。4人家族だが、まだ3尾でいいのだ。シーズンがはじまってすぐの頃は、獲れないし、獲れたやつも細身で脂が乗ってない、といわれていたが、脂方面は今どうなったのだろう。買って焼いて食べたが、脂が十全に乗っていたのかどうか、自分の舌では判断がつかなかった。グルメじゃないって楽でいいな、としみじみと思う。グルメになると口に入れる物の選別が大変そうだと思うのだが、やっぱりグルメにはグルメにしか到達できない幸福があるのだろうか。グルメじゃない人間の「最高においしい」が50点満点だとすれば、グルメの「最高においしい」は100点満点みたいな。しかし脂が乗っていたのかどうかはよく判らなかったが、身がふわふわしていたのは大いに感じた。これはやっぱり新物だからに他ならないだろう。
 それで感動しながら食べていたのだが、その一方で、本当にひと口目の、「身がふわふわしている!」と喜んだその際に、どうやら思いきり小骨が喉に引っ掛かったようで、違和感が生じていた。しかしそんなものは、食べているうちにいつの間にか取れて流れ去るだろうと、あまり気にしなかった。だから食事を終え、洗い物をし、食後のコーヒーを飲んでもなお、喉に違和感があり続けたことに、ちょっと戸惑った。
 でもなにしろサンマなのである。子どもならばいざ知らず、大人がサンマの小骨で騒ぎ立てするわけにはいかない。恥ずかしい。それに、やっぱりサンマだからして、痛いほどの存在感ではないのだ。あるな、と思う程度の違和感なのだ。それもまた騒ぎ立てできない要因だったし、加えてファルマンに伝えるとヒステリックな反応をされることは目に見えていたので(こういうとき往々にして、患者側なのにファルマンの精神を落ち着かすことに尽力しなければならなくなる)、ひとりで黙って対処していた。
 そのまま眠りに就き、目が覚めてきれいさっぱり消えていたら、たぶん僕は昨日の晩、小骨が喉に引っ掛かっていたという事実自体を、思い出さなかっただろうと思う。それくらい昨晩の時点では深刻視していなかった。しかし起きてつばを飲み込んだら喉に違和感があったので、ああそうだ、俺は昨晩からサンマの小骨が喉に引っ掛かっているのだった、とテンションが下がった。それで朝のパンを、少し大きめのまま嚥下したりして、なんとか外そうと試みたのだけど、やっぱり外れない。このあたりで、ちゃんと嫌な気持ちになった。それまでは甘く捉えていたこの問題に対し、きちんと気が重くなったのだった。
 結局それはいつまで続いたのかといえば、夕方まで続いた。夕方になり、いよいよインターネットで、「喉の小骨を取る方法」や、「喉の小骨がずっと取れなかったらどうなるか」などのページを検索し、本格的に小骨外しに取り組むことにした。この際、医者に取ってもらう場合は耳鼻咽喉科、ということを知ったが、その時点で17時近い時刻となっており、さらには明日が日曜日であることを思うと、サンマの小骨で緊急診療でもあるまいし、タイミング的にもあまりにも面倒で厄介ではないか、と暗澹たる気持ちになった。それで結局、僕が選んだ方法は、鏡で骨が刺さっている箇所を確認し、取れそうならば家人などにピンセットで取ってもらう、というもので、試しに鏡で見てみたら、喉枕の少し横の肉々しいピンク色の部分の、表面を覆う粘膜の向こう側に、たぶんこれだろうというような、白いものがある。あまり本当に見えるとは思っていなかったので、違和感の正体の発見に驚いた。なのでここで正直にファルマンに事情を話し、除去作業を手伝ってもらうことにした。ただし打ち明けたときのリアクション的に、ファルマンにピンセット役をやらせるのは絶対に無理そうだったので、咥内を照らすための懐中電灯役をお願いした。そしてピンセットは鏡を見ながら自分でやった。気分は自分で自分の腹腔手術を行なったブラックジャックである。ただし施術内容はサンマの小骨取りである。それで首尾はどうなったかといえば、何度かえずきもしたものの、無事に骨の尖端をピンセットで掴み、するっと抜くことができたのだった。全長1センチほどの小骨が、ちゃんと取れた。これはもう自分の手先の器用さに感謝する以外ない。無免許ながら、手術は大成功である。
 かくして今は自由の身である。小骨が刺さっていない喉は快適だ。元の状態に戻っただけなのだが、しあわせを感じる。しあわせとはいったいなんなのだろう。新物のサンマの身がふわふわしていることと、その小骨が喉に刺さっていないことか。

2020年11月12日木曜日

紅葉とマスゲームと天文

 寒い地域に出向いたら、ちょうど紅葉がすごかった。川ではなく山と山を繋ぐ架橋を車で渡っていたのだが、そうしたら眼下に広がる山々が紅に燃えていたのだった。紅葉なんて、枯れる直前の悪あがきみたいなもので、花のように尊ぶほどのものではないだろうと思っていたが、あれほどまでに圧倒的にやられると、さすがに「わあっ」となった。だから、結局は数だしスケールだな、ということを思った。1本の木の葉っぱが赤くなっても心は動かないが、1万本だと感動するのだ。じゃあ紅葉ってマスゲームみたいなものだな、とも思った。ひとりが色とりどりの紙を持ち、次々に持ち替えてもなんのこっちゃだが、それを1万人でやると「すごい!」となる。
 天体も、今は地表が明るいせいで、よほどの場所に赴かなければ満天の星空を見ることができず、だから夜空は基本的にあんなにもつまらなくって、古代から伝わる星座なんてものに、「昔の人ありえねー」と失笑したりするのだけど、昔は星がたくさん見えて、それはきっとマスゲームくらい圧倒的だったので、ずっと見ていられて、だから想像力を膨らませていくらでも星座が作れたんだろうな、と思う。
 都会育ちの僕は、昔から本当に天文の話に興味がまるでなくて、また天文の話というのは、「星の瞳のシルエット」的な、それに興味が持てる人はロマンチックで理知的で好感の持てる人物、みたいなイメージがあるのでタチが悪いな、ということを前から思っていて、まあそれは別にどうでもいいのだけど、もはやろくに星の見えない夜空なんかよりも、LEDとかで作るイルミネーションのほうが絶対にきれいだろう、ということをしみじみと思っていて、しかしそういうことを口に出していうと、「お前はなんて情趣のないつまらない人間か」みたいな断罪をされるのだが、でも絶対に星座を作った昔の人々は、いま我々がイルミネーションを見たときの感動で星空を眺め、星座を作ったに違いなく、だとすれば星座に情趣があって人工のイルミネーションに情趣がないなんて、ぜんぜん理屈になっていないと思う。僕は星座教に惑わされない。星座は、昔の人のマスゲームの感動が、たまたま残存しているだけのものに過ぎない。そこへ、仏教と同じで、のちのちの教徒たちが自分たちの都合のいい解釈を重ねていっているのだ。だから認めない。天文のロマンなんか認めない。

2020年11月10日火曜日

エローパーツ

 先日、またエロ小説をブックオフに売りに行った。それで思った。僕はどうしてこう何度も、「大きい手提げ袋がふたつ満杯になるくらいのエロ小説を売る」ことができるのだろう。たしかに一時期、頭がおかしいくらい買い集めた時期があったが、それにしたって何度もでき過ぎだと思う。理屈になってない。どう考えても、いちばん多かった時期、部屋からあふれ出ていなければおかしい計算だ。しかしこの10年ほど、エロ小説はベッドの下の引き出しだけが許された置き場所で、そこに収まり続けている。そしてそこから何度も両手いっぱいに売りに行った。それなのにまだベッドの下にはエロ小説がだいぶ詰まっている。やはりおかしい。空間がゆがんでいるのではないか。あるいはエロ小説同士が引き出しの中で交配し、繁殖しているのではないか。なにしろエロ小説は、孕ませるのはお手の物なのだから。もっとも僕は「孕ませ」というジャンルは好きじゃない(大抵の子持ちは好きじゃないと思う)ので、そういうのはほとんど蔵書の中になかったりする。だとしたらなぜだろう。うーん……。……あっ! ……いや、そんなはずはないか、……でも待てよ、もしかして、やはりそうなのか? ……たまに買うからか?
 とはいえ一時期に較べてはるかに数が減っているのは事実である。ピーク時が「オレたちひょうきん族」の頃の片岡鶴太郎だとしたら、今はヨガインストラクターの片岡鶴太郎だ。それくらい、骨と皮だけみたいなボリュームになっている。しかし、片岡鶴太郎を引き合いに出したものだから話がややこしくなってしまったが、そうして濾過を繰り返したことによって、いま手元に残された数十冊は、本当に価値のある、世の中がどんな非常事態になっても絶対に欠かせない、いわゆるエッセンシャルエロ小説だけになっていて、居並ぶ背タイトルを見るだに、その布陣の豪華さ、隙のなさに、第2回WBC日本代表を見ているかのような気持ちになる。ここまでたどり着くのは、決して平板な道ではなかった。長い年月をかけて、じっくり精製を行なって、ようやく結実したのだ。つまり今ここに残った数十冊は、軌跡であり、奇蹟である。これほどの加工、本来は人間がその短い一生において、一代で完成させられるものではない。そう考えれば2020年時点で存在するはずがないのだ。それなのに厳然たる事実として、今ここにこの水晶ドクロは存在する。この謎は深まるばかりだ、と思いきや、よく見ればこれは水晶ドクロではなかった。片岡鶴太郎だった。

2020年11月9日月曜日

百年後の君へ

 時事的なことをブログに書くことに意味があるのかないのか、いまだに結論は出ないのだけど、百年後にこのブログを読んでいる読者諸君に、どうしてもこれだけは伝えておきたい、ということがあるので記しておく。このたびのアメリカの大統領選挙についてである。
 おそらく百年後にも残存している事実としては、現職の共和党候補トランプに民主党候補のバイデンが勝利した、という程度のものだろう。そしてバイデンがこれからどんな政治を行なっていくのかは、読者諸君は検索さえすれば知ることができるが、2020年11月現在の僕は知らない。僕が知っているのは、これまでの大統領だったドナルド・トランプのことだけである。つまり僕が伝えたいのも、彼についてのことだ。
 ドナルド・トランプは、初めての政治家経験がアメリカ大統領という、にわかには信じられない設定のアメリカ大統領である。ちなみに僕は政治にも経済にも明るくないので、彼の4年間の働きが良かったのか悪かったのか、言及することはできない。おそらく百年後の世界でも、百年前の4年間アメリカ大統領をした人の働きなどというものは、歳月の中に埋没してしまったことだろうと思う。試しに今wikipediaで、1920年にアメリカ大統領だった人ということで、ウォレン・ハーディングという、第29代アメリカ大統領のページをざっと眺めたのだけど、その功罪について百年後の僕は判断のしようがなかった。それと同じように君たちにとっても、遠い昔の人物、ドナルド・トランプという大統領の質感は得づらいに違いない。
 だからきっと、百年後の未来では、「第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ」などという呼び名よりも、「Y.M.C.A.のトランプ人形」といったほうが話が早いと思う。そうなのだ。当世、これまで大統領だったドナルド・トランプとは、あのトランプ人形のトランプなのである。百年後にはもうすっかり民芸品のようになってしまったが、スイッチを押すと「Y.M.C.A.」のメロディが流れ、それに合わせて金髪で恰幅のいい、ザ・アメリカ人みたいな男が、持ち上げているとも持ち上げていないともいえない微妙な高さの左右の拳を、交互に前後に出したり引いたりするあの謎ダンスを踊る、あの人形。おばあちゃん家とか、流行っていない商店街のおもちゃ屋とかに行くとけっこうな高確率で遭遇する、あの人形のモデルこそがドナルド・トランプである。ちなみにあのダンスは、今回の大統領選挙の集会の際などに披露されたもので、そこから話題となり、世界的大ヒット商品となったあの人形が製作された、という所以がある。
 百年というインターバルを挟んで読む日記には、その肌感覚において様々な障壁があるが(それゆえにいい面ももちろんあるわけだが)、今回紹介したこのエピソードにより、少しは身近なものに感じてもらえたら幸いだと思う。

2020年11月8日日曜日

バッグ3世代

 先ごろ横浜の母からバッグの製作を依頼されて、安請け合いしたのだけど、バッグなんて実はあまり作ったことがないので、図書館で作り方の本を何冊か借りてきた。それでミシンの横に置いていたら、ポルガが手に取ってパラパラとめくり、「これを作りたい」と、なるほど初歩的な、ぺたんこの手提げ袋のページを開いて要望してきたので、娘に手芸に関心を持つのは嬉しいなあと思い、面倒を見てやることにした。もちろんそうなるとポルガだけというわけにはいかず、ピイガも一緒にやることとなる。ちなみに使用ミシンは工業用ミシンではなく、旧来の家庭用ミシンである。なぜなら工業用ミシンは、フットスイッチが動かせないからだ。子どもらは家庭用ミシンのフットスイッチを、踏み台の上に載せて使う。かわいいなおい。
 というわけで完成したのがこちら。
 
 
 左がピイガ、右がポルガ。それぞれ、らしい生地であると思う。持ち手の生地は共通。作業は同時進行なので糸も共通とし、地縫いもステッチもすべてエメラルドの糸でやった。本の指定通りに作ったのだが、基本的に1枚仕立てで、口部分にのみ見返しとして別布を使う仕様となっている。1枚仕立てで簡潔なような気がする一方で、縫い代を袋縫いの亜種みたいな縫い方で処理しなければならない工程が面倒のようにも感じた。もういっそ裏布をつけたほうが楽なんじゃねえか、と子どもに「地縫いからはみ出ないようにギリギリを縫うんだよ!」などと指示しながら思った。
 右下のブランドネームは、僕がpapapokkeで使うテープを与え、油性マジックで書かせた。ポルガはヒットくん。ピイガはゴリラ。ゴリラの潔さ。さすがだ。オリジナルのネームを付けると愛着がわく、というのは実体験からよく知っているのだ。作り上げて、娘たちが嬉しそうだったのでよかった。サイズは新書版コミックスくらいで、子どもが持つとちょうどかわいらしい。よかったよかった。
 それで話は母のバッグの話に戻るのだが、母がインターネットで見かけたバッグの画像を見せてきて、「こんなのが欲しい」というので作るのだが、型紙はまあなんとなく似たものが作れ、実際に試作をして、いい感じだということになったのだが、いま生地選びの段階で停止している。よさげな生地を2種類買ってきて、画像を写真に撮り、「どっちがいい? どっちも趣味に合わなければ他のものに使うから遠慮なくいって」とLINEをしたところ、「どっちも好きじゃない」と即答されたのだった。遠慮なくいって、とはいったものの、まさかそこまで遠慮なくいわれるとは思わなかった。向こうがネットで探すみたいなことをいっているので、いまその連絡待ちの段階である。

2020年11月6日金曜日

カラオケ行き(4ヶ月ぶり、今年3度目)

 カラオケに行く。また久しぶりだ。前回が7月8日だったので、4ヶ月ぶりということになる。ちなみに7月のときは、2月以来の5ヶ月ぶりだったのだ。今年はなんだかすごいな。今年という年は、本当にいったいなんなんだろうな。
 唄ったのは以下の通り。
 1曲目、久保田早紀「異邦人」。オープニングにふさわしい華やかな出だし。喉の助走にちょうどよかった。
 2曲目、水木一郎「鋼鉄ジーグのうた」。車でたまに掛かって、阿呆な歌だなー、といつも思うのだけど、いざ自分で唄ってみて、あまりに阿呆すぎて爽快感があると思った。バンババババンババンバン。
 3曲目、アリス「チャンピオン」。4曲目、清水健太郎「失恋レストラン」。5曲目、松山千春「恋」。6曲目、堺正章「さらば恋人」。珍しく男性歌手の歌を立て続けに唄ってみた。もはや場末のスナックのようなセレクト。どれもよかった。昔の歌はいいなあ。
 7曲目、森七菜「スマイル」。真心ブラザーズではなく、森七菜として唄う。オロナミンCのCM、いいよね。いい!と思うと同時に、どうしようもなくやるせない気持ちにもなるけど。
 8曲目、石井一孝&麻生かほ里「ホール・ニュー・ワールド」。ちょっと前から唄おうとファルマンといい合っていた1曲をとうとう唄った。ちなみに「とびら開けて」と一緒で、ファルマンがアラジン、僕がジャスミンである。気持ちよく唄えた。
 9曲目、小沢健二「強い気持ち・強い愛」。なぜ唐突にオザケンか、というと、筒美京平の追悼だからである。ただし唄い終えてから表示が出て知ったが、「さらば恋人」もまた筒美京平なのだった。
 10曲目、瑛人「香水」。唄ってしまった。だってユーキャンの流行語候補にも入ったし、紅白で「ドルチェ&ガッバーナ」の部分はどうなるのか問題もあるしで、ここらでひとつ唄っておいたっていいじゃないか、逆にここで唄っておかないともう二度と唄えないだろ、と思ったのだ。唄った結果、「テレビ千鳥」のノブとまったく同じ、「……うん」、という感じの空気になった。なぜこんな全方位に達成感をもたらさない歌がヒットしたのだろう。いや、まあ、「アーンドガッバーナッ!」の部分は唄ってて愉しいけど。
 11曲目、美空ひばり「川の流れのように」。歌唱も2時間を超え、ここまで来ると子どもたちも完全にダレて、もう退室するか、という空気になっていたので、最後の締めとしてセレクトした。やはり締まる。有無を言わせぬ締まり。好きな歌はほかにもいろいろあるけれど、人生の最後にかかる歌としてふさわしいのはこの歌なのかもしれないと思った。
 そんな11曲。なかなかよかった。いいカラオケだった。ポルガはこれまでドラえもんの歌ばかりを唄っていたが、今回からはドラえもんのドの字もなく、ひたすらに「らんま1/2」の歌ばかりを唄っていた。子どもは残酷に乗り換えるなー、と思った。それにしても「らんま1/2」が好きなのはわかるのだが、そうなってくると曲のセレクトがcocoだったりribbonだったりするので頭がクラクラした。自分の娘が羽田恵理香や永作博美のアイドル時代の歌を唄うだなんて、いったい誰が予想しただろう。人生って不思議なものですね(これは「愛燦燦」)。

2020年11月5日木曜日

11月ともなると

 11月になって、やはりめっきり寒くなった。10月って意外と暖かかったりするが、11月はもう有無をいわさず寒いのだ。それにしても今年はやけに季節の移り変わりがきちんと遂行されているように感じる。梅雨は梅雨だったし、夏は夏だったし、秋は秋だった。すごくそう感じながら日々を過していたら、先日ラジオのパーソナリティーが、「今年は季節の移り変わりが本当に変だ」といっていて、この感覚は人それぞれなんだな、と思った。コップに半分の水が入っていて、「半分もある」と思うか「半分しかない」と思うか、みたいな話があり、それはプラス思考・マイナス思考のことをいっているわけだが、季節の移り変わりに関するこれは、別にプラスやマイナスという尺度の話ではない。「季節」は大きすぎる概念だから、各人がどのポイントにそれを感じるかで、捉え方は大きく変わる。ただし「季節は正しく巡った」と思いがちな僕には正常性バイアスが働いている気がするし、ラジオのパーソナリティーの人格はよく知らないが、彼はわりと悲観的な人なのかもしれないとも思う。そういう傾向はあると思う。もちろんどちらが正しいということはないけれど。
 そんなこんなで11月なので、毎年恒例、ユーキャンの流行語大賞の候補30語が発表となったのだった。
 なんてったって、なんてったって今年は、新しい言葉がたくさん生まれた年だった。本当ならメダリストのインタビューで飛び出た名言がいくつも並ぶはずだった30語の中に、スポーツ関連の用語はひとつもない。見事にない。これはスポーツに限るわけではないが、「無観客」くらい入れてもよかったのではないかと思うが、ない。ぼる塾の「まぁねぇ~」はあってもそれはなかった。さらにいえばオリンピックをはじめとしたあらゆるイベントにまつわる「延期」という言葉もまた大いに人々の口に上った気もするが、それもなかった。ぼる塾の「まぁねぇ~」はあったのになかった。もっとも2018年「そだねー」、2019年「ONE TEAM」と来ていたので、これで今年がオリンピック関連語であったら、あんまりにもスポーツが続いてしまうという懸念はあった。もしかしたら新型コロナウイルスの流行は、その事態を回避するための方策だったのかもしれない。それはちょっとあまりにも不謹慎な発言ではないだろうか。まぁねぇ~。
 30語を見て他に感じることといえば、毎年いっているけれど、「鬼滅の刃」や「香水」、「NiziU」「フワちゃん」あたりは、流行語ではなく、ただ単に「流行ったもの」だ。このうちフワちゃんに関しては、「ご勘弁~」という歴としたギャグがあるのだから、そっちでよかったのではないかと思う。そしてベスト10に入った暁には、授賞式にはシソンヌが登壇すればよいと思う。さらにその番組の関連でいえば、Mr.パーカーJrの「被れ!」もノミネートくらいされてもよかったんじゃないかと僕は思う。僕とファルマンはそれなりに使った。あとはっきりいって「まぁねぇ~」はないと思う。ノミネートすら、ありえないと思う。憤りさえ覚える。
 しかし今年はなんてったってコロナ関連語だろうな。ここらへんの言葉はちゃんと、なかったところから作られている感じがいい。そのための言葉、という感じがして。「3密」しかり、「ソーシャルディスタンス」しかり、「アベノマスク」しかり。年間大賞がひとつとは限らないので、普通にこの3つあたりが同時受賞でもいいような気がする。
 それ以外の注目点としては、去年「軽減税率」で登壇したアキダイの社長が、今年は「カゴパク」で2年連続登壇になるかどうかだ。
 ユーキャン流行語大賞・トップ10の発表は12月1日。cozy ripple流行語大賞の発表は11月23日。

2020年10月31日土曜日

10月感傷

 10月が終わろうとしている。壮絶な10月だった。なにがどう壮絶だったかは、まだ10月自体は続いているし、壮絶の内容自体についても、これからしばらくそれは続くので、ワールドワイドウェブになんか書けない。ここにブログの限界があるな、と思う。「百年前日記」と銘打って、リアルタイムの読者のことを本当に意識の埒外に置いているのならば、どんな赤裸々なことでも書けるはずなのだが、やっぱりそういうわけにはいかないのだった。偉そうなことをいっているわりに弱いもんだ、と糾弾されたら返す言葉がない。
 思えば今年はちょうど感染症が流行っているため、「日記に書けないこと」の多い1年だった。あそこに出掛けた、あの人と遊んだ、なんてことを書くとそれだけで批判されるし、実際にそこから感染者が現れたりしようものなら社会復帰さえ難しくなるほどの締め付けだった。でもたぶんそれは、2年後くらい、新型コロナのことが解決した暁には、「2020年の4月くらい、わりと友達と遊んだりしてたんだ(笑)」というのは、普通にいえるようになると思う。それをさかのぼって怒れるほど人の心は長続きしない。またそのときにはそのときで、その人は別のことで怒っているから、2年前のことに怒る時間なんてないだろうし。
 ブログと、時間と、人生なんてあたりのことを考える。ブログはウェブログで、ウェブ上に残す自分の足跡で、それはつまり人生で、普通に生きていたら消える記憶、それを書き留めておくために書く日記、しかしそれもまた、たいていの場合は自分が死ねば配偶者や子どもに処分されるが、ウェブログはいちおういつまでも残り続ける。そう考えると、ウェブ上には、人の思念、すなわち人生、すなわち人自身が、残りすぎてはいまいか。ネット空間では何十億人もの人とつながれる、という言葉は、同時代を生きる地球の人口という意味であることが大半だが、物体としては消え去った死者がウェブ上には生き残り続けているのだとしたら、これからネット空間で相まみえられる人間の数は、どんどん増えていくことになるのではないか。そして僕の日記は百年後の人の目に留まるだろうか。百年後の人から見れば、僕の壮絶な10月のことなんて、本当に瑣末なことだろうと思う。

2020年10月29日木曜日

ねえダイアナ

 ねえダイアナ、私、世の中があまりにも「鬼滅の刃」の話をしすぎだと思うの。Yahooニュースとかでもそればっかりだし、職場でFMラジオが掛かってるんだけど、そこのクソみたいなディスクジョッキーも、すぐに「鬼滅の刃」の話をするの。でも私はアニメをちょっと見てみたけどぜんぜん入り込めなかったから、その話題になるとすごく白けた気持ちになるの。
 パピロウは悪くないわ。世の中の「鬼滅の刃」ブームは度を超えているもの。
 だけどダイアナ、いま逆に「俺は「鬼滅の刃」興味ないんだよね」感を出すのも、私、ものすごくダサいと思うの。
 そうね。「世間一般とズレてる俺」感があるわね。フルーツポンチの村上ね。
 でもだとしたら今、この世に「鬼滅の刃」とのいい距離感なんて存在しないってことになるんじゃないかしら。どの立場の人間が、どういうスタンスで対峙しても、スベるんじゃないかしら。八方塞がりよ。いったいどうしたらいいのかしら?
 気に病むことはないわ、パピロウ。あなただけはスベらないわ。それにたとえスベったとしても、そのスベる姿が美しいわ。
 ありがとう、ダイアナ。ところで先日、ファルマンが「相手に興味がないのに「鬼滅の刃」を押し付けることをキメハラっていうらしいよ」っていってきたんだけど、だから私、「じゃあチンコを押し付けたらチンハラだね」っていったら、「それはセクハラ」っていわれたのよ。どう思う?
 盛大にスベる姿がとても美しいと思うわ、パピロウ。
 うふふ。

2020年10月27日火曜日

ダイアナキメたい

 アンがとにかく幸福まみれ、という話で、その中でもいちばんの幸福はなにかといえば、やっぱりダイアナの存在だろうと思う。アンの宿命の友(僕が読んでいるのは掛川恭子訳なので宿命の友である)、ダイアナ。アンが獲得しているものの中で、これがいちばんうらやましい。
 なぜならダイアナはアンに優しい。アンはそばにいられるとだいぶ厄介な人間なのに、ダイアナはそのすべてを受け入れる。アンに対して優しい人間はダイアナ以外にもたくさんいるが、マシューやマリラはやっぱり親子とか、あるいは祖父母と孫のような距離感なので、優しいのはある意味で当然で、そのためその優しさの価値は低い。しかしダイアナはそうではない。ダイアナは同級生である。同い年の女子ともなると、やっかみとかライバル心とか、普通いろいろあるだろう。実際、ダイアナ以外の同級生とは、アンはそこまで仲良くならない。しかしダイアナにはそういうのが一切ない。ただひたすらにアンを愛するのである。愛するとは、褒めそやすことであり、調子に乗らせることであり、だからダイアナと一緒にいるアンは、どんどん気分がよくなっていく。ダイアナがまた、おつむの出来も、容姿も、アンよりも劣るところがよい。ダイアナはアンを具体的に「ここがすごい」「すばらしい才能だ」と賞賛するが、アンはダイアナを褒めることはない。なぜならダイアナに褒めるところなんてないからだ。アンがダイアナにかけてやる言葉はひとつだ。「あなたは最高の友達」。なぜなら私の気分を良くしてくれるから。
 なんとすばらしい存在だろうか。もはや人間の形をしたアルコール、あるいはドラッグである。そう、ダイアナとは合法ドラッグだったのだ。アンはヤクをキメてやがったのだ。道理でだ。道理でアンはやけにハッピーな感じだと思った。なんか怪しいな、と検察は前から目をつけていたのだ。そういうことだったのだ。
 ダイアナがそのことに気づかせてくれたが、純度の違いはあるにせよ(ダイアナはもちろん一級品)、要するに仲の良い友達とはドラッグだということだ。集団になるとテンションが上がって昂揚するあの感じは、まさにドラッグの症例だろう。そのうえドラッグと同時にアルコールを摂取したりするから、いよいよそのハッピーはとんでもないことになる。これが合法だというのなら、法とはいったいなんだろう。あいつらだけハッピーすぎるじゃないか。友達と飲み会をする人たちは、オーバードーズで具合が悪くなればいいと思う。

2020年10月26日月曜日

アンというドリーム

 「赤毛のアン」は3巻、「アンの愛情」の途中で唐突に飽きた。
 はじめの「赤毛のアン」で、僕はなにに感動したかといえば、二次元ドリーム文庫に匹敵するほどの、物語の開始直後からただただ主人公がうなぎのぼりにいい思いをしてゆくだけ、という部分だったわけで、はじめ孤児だったアンが、(アクシデントは伴ったにせよ)養子としてグリーンゲイブルズに引き取られ、愛され、友達ができ、優秀であることが判って周囲から一目置かれるようになり、さらにはコンプレックスまみれだった容姿も成長に伴い褒められるようになって、本当にアンはどんどん高みに上っていった。それは夢のような話で、まあ実際に夢物語であり、でもだからこそ、読んでいるとしあわせな気持ちになれた。しかししあわせはそう長く続かない。「しあわせは長く続かない」というと、まるでその先に不幸が待ち受けていたかのようだが、アンに関しては決してそんなことはない。アンは3巻で大学に通い、青春を謳歌し、やはり順風満帆に暮している。しかしそれはここまでの流れからすれば当然のことで、そこに望外の喜びや僥倖はない。予定調和の、健全な心地よさである。それはいわば安定飛行であり、ずっと高みにはあるのだが、しかしこれまで以上に高度が上がることはない。そして高度が上がらないので、読者としてはどうしても飽きてしまう。
 まったく読者というのは勝手な生き物だと思う。でも実際その通りなのだから仕方ない。安定したしあわせほど退屈な読み物はない。これを打開するためには、これが「赤毛のアン」でなければ、主人公をいちど不幸にさせたのちに再びしあわせにする、という方法も考えられるけれど、アンを不幸にさせるわけにはいかないので、だとすればさらに上っていくより他ない。しかし孤児からスタートして、養子になって大学に通い、誰もが絶賛する好男子に告られ、懸賞小説で賞を獲り、さらには多額の遺産を相続したアンに与えられるこれ以上のしあわせとはなんだろう。二次元ドリーム文庫でも、女学園にひとりだけの男子生徒である主人公が、生徒全員から求められセックスするようになってしまったら、そこから先はもうない。もとい、はじめ、クラスメイトである委員長やスポーツ少女、そしてギャルなど、メインキャラをひとりずつ篭絡していったときの感動は、数の上ではその時代をはるかに凌駕していても、名もなき全校生徒女子が股を開く情景では、かなわない。飛行機はやっぱり離陸の瞬間、浮上しはじめるその瞬間に、いちばん価値がある。いまのアンはまさにそんな状態で、アンはもうアボンリーのほとんどの住人から股を開かれているといっていいが、しかしそれははじめの、マリラやマシューやダイアナと心を通わせるようになるときの喜びからしたら、あまりにも弱いのだ。
 しかしアンの物語はこれ以降も続き、全部で10巻ほどもある(すべてがアンが主人公というわけではないようだが)。ちょっとあまりにも飽きたので読書は中断するが、いつかは続きを読んでみたいと思う。これはアンの物語であると同時に、抱きたい女をすべて抱けるようになった二次元ドリーム文庫の主人公は、そこから先どうなるのか、という疑問の答えの物語だ。

2020年10月25日日曜日

続いていますように

 いま勤めている会社は電波状況がやけに悪く、タブレットでウェブページを見ようとしても、表示までにずいぶん時間がかかる。ストレスである。しかしそんなストレスを抱えながら、休憩時間にどんなページを見ようとしているのかといえば、ただのYahooのトップページにある記事だったりするので、見たところで大した意味のないそんなものでストレスを溜めるのなんて、本当にくだらないことだと思う。ところで世の中はいま、5G回線のことで盛り上がっていて、つい先ごろ発売されたiPhone12はそれに対応しているとかで、これでますますいろんなことができるようになる! といって喜んでいる人たちがテレビに映っていたが、Yahooの記事がなかなか表示されないような電波環境はさすがに参るにしても、いったい彼らは、これまでとは桁違いらしい5G回線で、なにをするのだろう。果たしてそんなにおもしろいものがウェブ上にあるだろうか。新型コロナのせいで、世の中の多くのイベントがオンライン開催となっていて、別に僕は生身であってもイベントになんか参加しないけれど、それがオンラインとなると、いよいよなんの価値も見出せなくなるのだが、5Gの到来に喜ぶ人々というのは、たぶんそういうものに参加して、ちゃんと愉しむことができる人たちなんだろうと思う。そこにはやっぱり根幹に、他人と「つながりたい」という欲求があって、僕はそれが欠如している(特にウェブ上においては)から、5Gになんの魅力も感じないんだろうと思う。5GのGは、generationであるわけで、なるほどそれはもう世代としかいいようがないな、と思う。これは実年齢で区切る世代ではない。iPhone12を発売日に購入したことでインタビューに答えていた人は、僕よりも年上のように見えた。でも彼らは次の世代、次の年代に進むし、僕は進まない。もうここで、彼らと僕らは人間としての世代が分かれた。5Gがあるということは、6Gだってあるし、7Gだってあるだろう。彼らはきっとその道をどこまでも突き進む。僕はもういい。Yahooの記事を読むだけなら、電波環境さえ悪くなければ、いまの回線で十分だ。だからもういい。もうずっとここにいる。進みたくない。進む意味が見つからない。僕はウェブ世界のアーミッシュとして生きたい。なるほどブログってアーミッシュだな、という感じがする。百年後の未来にもこの理念が続いていますように。

2020年10月24日土曜日

同一人物なのに名前が違うあの人々について

 人は、ひとりひとりみんな違うというけれど、実はそんなことないと思う。
 新しい職場で、少しだけ年下の、既視感のある人がいて、これ誰だっけな……、と思い返してみたら、大学のサークルにいた後輩だった。そっくりだった。むしろ同一人物のように思えた。なのになぜか名前は違った。でもやっぱり人間は一緒なんだと思った。たぶん、関東のその集団と、岡山のこの集団は、本来ならば誰も共有しないはずだったのだ。だから安心して、全く同じ人間が配置されたのだと思う。しかし縁故のない岡山に急に移住して、大学の学部とはぜんぜん関係ない職種に進んだ、想定外の厄介者がいて、そいつは全く同じ人間を知っているものだから、(あれ?)となった。このケースは前にも体験していて、大学時代のバイトの同僚は、島根での酒蔵勤めのときの同僚と絶対に同一人物だったし、書店員時代のパートのおばさんは、初夏まで勤めていた縫製工場にもちゃっかりいた。あまつさえこのおばさんに関しては、僕は本当に名前を間違えて呼んだことがある。それくらい同じ人だったのだ。これら同一人物たちが、どこまで自覚して同一人物をやっているのか知らないが、縫製工場のおばさんは、書店員時代の名字で呼ばれて、内心びくびくしていたかもしれない。
 こうして文面にすると、なんだか僕がノイローゼ患者のようだが、信じてほしい。本当に同じ人なのだ。東京と島根、東京と岡山とかだから、油断して差配したら、僕のような越境者によってバレてしまった。日本人は1億人以上いるとはいえ、新型コロナウイルスの蔓延が示すように、外部との交流の激しい世の中である。同時代の、せいぜい800キロメートルほどの距離で同じ人間を置くのは、さすがに攻めすぎだろうと思う。たまにはそういう、ぎりぎりのスリルを味わう遊びでもしないと飽きるのかもしれないが、僕のように、ふたりともと出会ってしまった人間は混乱するはめになる。巻き込まれるほうはたまったもんじゃない。
 ただこんなことをいっておきながら、例として挙げた3パターンとも、関東でその人と接していた時代から、島根や岡山で再びその人と出会うまでに、5年以上の月日が経っていて、かつ関東のその人たちとはそれぞれとの別離以来、もちろん一切の関りを持っていないことを思うと、島根や岡山でその人と会ったときには、関東のその人の姿はだいぶ霞がかっていて、というよりもほとんど忘れていて、そこへ似た性質の人が目の前に現れると、僕の中で関東のその人が、一瞬で目の前の人物に取って代わられ、僕の頭の中で同じ人物として処理されるだけのことかもしれない、とも思う。ノイローゼじゃない証拠に、そんなことも思う。
 これが実際どうなのかを判定するためには、当該のふたりの人物を同時に並び立てるよりほかに方法がないが、この話に登場した6人の人物とは、誰とも仲良くないので、そんな実証実験は夢のまた夢だし、もしも叶ったとして、ふたりを引き合わせた瞬間に宇宙が爆発するのも避けたい。なので真相は闇の中だ。

2020年10月23日金曜日

鼠が来る

 今年の日記を相変わらず読み返している。
 今年はとにかくカッティングマシーンが愉しそうだ。手に入れたのがよほど嬉しかったんだろう。トートバッグやTシャツをもりもり作っていて、溌溂としていた。ちなみに先日からいっている、前のパソコンの、取り出せるものなら取り出したいデータの筆頭は、このカッティングシートのデータだ。これが外付けハードディスクに入れていなかったため、丸ごとなくなってしまった。ちょっとショック。まあやり直せばいいんだけどさ。
 それにしてもトートバッグはあまりにも日常的に使用しているため、ただの風景のようになってしまっていたが、トートバッグ製作報告の記事を読んで、「JUST WORRY DON'T DESPAIR」というフレーズに、やけに感動した。これってすごくいい言葉じゃないか。すごく沁みないか。僕だけなのか。お前ら感受性が死んでるんじゃないのか。
 あと、さらに読み進めていたところ、「干支4コマ」が登場したので、ああ……、となった。11年目の干支4コマ、ねずみ年なわけだけど、3月22日に6話までやったところでバッサリと中断している。中断したあと、別の日記で中断したことについて、「作中では無観客開催をネタにしたけれど、それから世の中的には無観客どころか中止という流れになっているのだから、この4コマもつまりそういうことだ」と言い訳している。たしかにこの激動の2020年という年の干支4コマを、上半期の時点で完成させてしまうわけにはいかなかった。しかしそうして放置していたら、気温が下がってきて、じわじわと感染者数がぶり返してきたりしてきている。紅白歌合戦だって無観客でやることが決まった。干支4コマねずみ編は、こうなったら越年を視野に入れたほうがいいかもしれない。毎年、年内に終わらないんじゃないか疑惑を持たれつつも、なんとかかんとかここまで免れてきた干支4コマだが、今年に関してはしょうがない。むしろ今年に関しては、越年こそがひとつのネタになるのではないだろうか。だとしたら最終12話は「本能寺の変」で決まりだ。

2020年10月21日水曜日

繰り返すピイガ

  ピイガがファルマンに作り方を習ってミサンガを編み、プレゼントしてくれる。パパの好きな色だよ、といって渡してくれたのは、赤と黄色と黒のドイツ(あるいはベルギー)のトリコロールだった。黄色以外は特別好きだと表明した覚えはないな、と思ったけど、でもまあ好きな色を3つ挙げろといわれたら、山吹色と、臙脂と、濃紺ということになるかもしれない。だからたしかにまあまあ近いやもしれない。
 それにしたってミサンガである。ミサンガといえばJリーグであり、その開幕は1992年であり、当時の小中学生女子は阿呆ほどミサンガを編んだものだった。姉もやっていたし、もちろん遠い島根でファルマンもやっていたわけだ。そしてその技術が娘へと伝承され、いま2020年、僕の左腕にはミサンガが巻かれている。実に四半世紀以上ぶりのミサンガである。いまミサンガをしている人間って、たぶん相当な思い入れのもとに巻いているんだろうから、それだけで少し身構えて接しなければいけないような気がする。やはり自動的にJリーグと結び付けて、サポーターなのかなと思い、だとすれば地元とか仲間とかを侮辱されるとめちゃくちゃキレる人だな、発言には気を付けなければな、と考えるのだと思う。かくいう僕もそれだ。対応には細心の注意を払ってほしい。
 それにしても世の中は「鬼滅の刃」の映画が大ヒットだというのに、我が家はミサンガに「らんま1/2」と来たもんだ。なぜだろう。普通に生きて、普通に子どもたちに愉しいものを与えようとしているだけなのに、なぜ格別の信念があるかのようになってしまうんだろう。
 そんなことを思っていたら、ピイガが今日、学校の図書室から借りて帰ってきたという本が、なかむらみつるの「やさしいあくま」で、いよいよいったいなんなのだ! と思った。ちなみに僕は326に対して脛に傷はないけれど、ファルマンはしっかりとあるらしい。多感な中高生時代に、326と19に、「ちゃんと」嵌まっていたという。それにしても本当にピイガはどうしたんだ。ミサンガと326。個体発生は系統発生を繰り返すのだろうか。だとすれば次はなんだろう。MDウォークマンだろうか。

2020年10月20日火曜日

新しいパソコン

 パソコンが届く。嬉しい。安物とは思えないシュッとしたデザイン。かつて、安物は野暮ったいものだったが、世の中いつの間にか、「シュッとしたデザイン」はタダみたいなものになったのだな。キーボードとマウスも付属されていて、どちらもひどく洗練された様式だったが、これは洗練されすぎて使いづらいので、従来のものを使うことにした。キーボードはやっぱり、キーがちゃんと沈まなければならない。
 昔は辞書みたいなのが何冊も付いてきた説明書も、いまはパンフレットみたいなものがあるきりだ。当時はインターネットへの接続を、インターネットの知恵を借りずにやらなければならなかったわけだが、今はもうスイッチを入れればあとはパソコンが勝手に気を利かせて、繋いだり同期したりしてくれる。便利すぎる。ちょっと甘やかしすぎではないのか。
 かくして新パソコンライフが開始した。この10日あまりの、タブレットでのインターネットやブログ更新は、本当に不便だった。キーボードやマウスを繋いではいるものの、キーボードは早く打つと処理が追いつかなくなるし、ちょっと難しい言葉になると変換候補に出てこなかったりする。そしてなにより、マウスの右クリックができないのがストレスだった。右クリックのもんだろう。パソコンの操作って、めちゃくちゃ右クリックのもんだろう。それがないところ、それがなくても済むところに、スマホがあればパソコンいらない世代との乖離がある気がする。
 まっさらのインターネットブラウザに、お気に入りのページを入れてゆく。お気に入りのページは、どれほどフォルダでまとめても、いつしかバーにぎっしりと詰まるもので、前のパソコンももちろんその例だったが、今となっては何がそれほど立ち並んでいたのか、ほとんど思い出せない。これは2年前、前のパソコンを手に入れたときにも書いた。自分のブログ類や、図書館やエロサイトなど、覚えている主要なものだけは抽出したが、まだまだスペースは余っている。またいつか見るかもしれない、と思って長く消さずにいたページも、消えてしまえば完全に意識の埒外だ。断捨離ですっきりした。とはいえしばらくすれば、やっぱりバーは埋め尽くされるだろう。
 そして目下の悩みの種は、前のパソコンの処理だ。できれば取り出したいデータはあるものの、しかし起動しない以上、手放すのはやむを得ない。しかし前にも書いた通り、その起動しなさはとても惜しい起動しなさなので、その道の人が然るべき操作をすれば、案外すんなりと復活しそうだと思う。本当にもうどうしようもないくらい、中身がぐっちゃぐちゃだったり空っぽだったりすれば、心おきなく廃品回収とかに出せるのだけど、そういうわけではないので面倒くさい。どうすればいいんだろう。どんど焼きとかに出したい。

2020年10月19日月曜日

布団の中でのこと

 夜中、異様な声で目が覚めた。小さい女の子が慟哭しているような声。それが延々と続く。
 しかしいまどき、小さい女の子は夜中に慟哭しないだろう。ポルガは幼稚園くらいの頃、嫌な夢を見て夜中に目を覚まし、夢と現実の区別がつかなくて、しばらく大泣きしたことがあったが、そういう泣き方ではない。悲しくて泣いているのではない。慟哭だ。泣きつつも、立ち向かっている。そんな泣き方である。
 だから泣いているんじゃなくて、鳴いているんだろう、猫だろう、と思う。発情期というやつか、と寝転がりながら思う。しかし考えてみたら今は10月ではないか。猫が発情する時期ではない。とはいえ、猫が春先以外に発情してはいけないという法はない。絶対に勃起するような場面じゃないのに勃起することもある。そういう日ってあるよ。
 そんなわけで睡眠を妨害されたが、参ったな、という焦燥感はなかった。なぜなら、最近は7時間睡眠をきちんと取るようにしているからだ。本当にきちんと取る。6時間ほど寝られるようにベッドに入ることはない。ちゃんと7時間確保する。そうしたら寝起きも日中も如実に怠くなくなった。よくいわれる睡眠負債というものが貯まっていないのを実感する。長年の習慣か、6時間ほど寝たところで目が覚めることがよくあるのだが、それは起きなければならない時間の1時間前なので、それから布団の中で、寝ているとも寝ていないともない状態を過すのが気持ちいい。考えなければならないことが暮しの中にたくさんあって、それは得てして心をかき乱すのだけど、その1時間の半覚醒は、まどろみの中にあるので思考などぼやけてしまい、現実を超越している感じがある。そんな浮遊しているような早朝の不思議な1時間が、いまやけに愉しい。

2020年10月17日土曜日

地獄短歌十首 その2


 最後尾らしき所に近づいて(ここ?)と問えば鬼が頷く

 列は長くどれほど待たされるのかと思うが意外と進みは早い

 行列に並ぶ死者らはどう見てもみな日本人なんでやねんな

 国別にあの世が区分けされるならゴタゴタするだろあの地域とか

 何万もの人がいるのに物音はたまに鬼らの放つ痰のみ

 鬼怖し棍棒を持ち虎柄の腰巻きをする3メートル超

 「おしゃべりを前後の人とすることを固く禁ず」の張り紙重し

 「おしゃべり」に「お」が付くことや印刷のフォントが極太丸ゴシックなこと

 順番が徐々に近付き聞こえくる閻魔の裁定テノールボイス
 
 「天国」と「地獄」を略さず各人に告げる閻魔に好感を持つ

つづく

2020年10月16日金曜日

俳句の風景

 5月に運動会ができなかった小学校だが、寒くなる前の佳日に、せめてもの発表会的なものを開催するそうで、ということはあの、各学年でやるダンス的な演目なのかと思いきや、大体が徒競走やリレーらしい。「せめてもの」というコンセプトで催される、骨と皮だけの運動会で、採用されるのはそっちのほうなのか、と少し意外だった。もっとも休校で汲々とするカリキュラム的に、ダンスの練習時間など取れないという、実際的な問題もあるんだろう。ちなみに開催は平日で、観覧に関しても、その時間はその学年の子どもがいる親だけ、というシステムだそうで、普段でさえ子どもらの通うマンモス小学校の運動会は時間がタイトでシステマティックに行なわれるのに、今年はそれに輪をかけて、味も素っ気もなく、「催した」という事実だけが醸成されそうだと思う。
 ところでその練習として、ポルガは授業でこの頃リレーをしているそうなのだが、その際に気づいたこととして、「リレーのバトンは振ると音が鳴る」といい出した。はじめはなにをいっているのかと思ったが、リレーのバトンは筒なので、そこに空気が鋭く通ると、笛のようになって音が出るという、そういう話らしい。
 「俳句だ」と僕はいった。お前、それは俳句にするべき風景のやつだよ。
 それで夕飯の席は、俳句を考える場となった。こういうときいちばんに答えるのはいつもピイガだ。なぜならピイガは勢いだけでできている人間だからだ。その答えは、『リレーでねバトンが音を鳴らしたよ』というもので、実にピイガらしい、勢いの句だった。「「でね」とか「よ」とかを使うのはよしたほうがいいと思うよ」と寸評した。季語がないことは僕は別に問わない。
 ちなみにファルマンとポルガはなにも発表しなかった。
 じゃあ僕はどんな句を作ったかというと、『秋の日の走者が奏者となるバトン』というもので、上五は歳時記を見ればもっとふさわしいものが見つかりそうな気がするので便宜的なものとして、「走者」と「奏者」を掛けたのは、これはもう我ながら実に小手先のテクニック感がある。ちなみに「なる」もまた、「成る」と「鳴る」を掛けていて、もはや俳句をやってんだかライムをやってんだか判らない。寸評は「小賢しい」ということになるだろう。
 そんな秋の食卓。メニューはミートソーススパゲッティ。

2020年10月15日木曜日

地獄短歌十首 その1

  
 目覚めれば白い着物を身に纏い着物はたぶん七五三ぶり

 三角のあれが視界を塞ぐので持ち上げたらば目の前は川

 天国と地獄があれば地獄だと思っていたがまさかあるとは

 奪衣婆ふり切り六文銭払い三途の川を渡るクルーズ

 振り返り賽の河原に目を遣れば小さな影が石を重ねる

 どこまでも聞いてたとおりに展開す死語の世界の既視感たるや

 舟を降り人の流れに加われば鬼が誘導する本会場

 赤鬼は角が一本青鬼は角が二本の裏切らぬこと

 行列の先に見えるはどこまでも絵で見たままの閻魔大王

 こんなにもベタなあの世があるものか頬をつねるが起きぬ 死んでる

つづく

2020年10月14日水曜日

終わった夏の短歌

 
パイル地の部屋着でそのまま来てしまうお前の無邪気が怖く可愛い

陰嚢を蝶々と呼んだあの人の鱗粉まみれの指のつやめき

小便と精液どっちが出てくるか判らないから見ていてごらん

おっぱいがバインバイインバイイイインと徐々に膨らみ徐々に遠のく

長月のまだ夏服のJKがローファーで踏むペダルとペダル

おっぱいが揉み放題と聞いたのでちんこを持って生まれてきたよ

陰毛がごくごく普通にはみ出てて動じる俺が間違ってゐる

よく見れば千鳥格子になっているショーツはあっという間に剥がれ

フレンチやディープと世間がいうキスを俺とお前は大キスという

十八才ぬれた体で駆けてこいタンパク質のシャワーあげよう

満潮と干潮がありどうしても海は私を淫靡にさせる

陰毛が化学実験失敗しチリチリになる女子校の午後

陰嚢がどこかすました顔してら今年の夏も過ぎ去ったのな
 

2020年10月13日火曜日

新しい生活様式

  パソコンを注文する。まだ届いてはいない。中古のものをどこで買おうかなあとあぐねていたら、ファルマンが検索して、新品なのに5万円以下のものを見つけてくれたので、それを注文したのだった。やっぱり僕のようなパソコンの需要ってあるのだな。特別それで大がかりな何かをするってわけじゃないけど、とりあえず自宅に自分用のパソコンがないと困るという、そんなふわっとした需要。中古は保証などで少し不安なところがあるので、そこまで遜色ない値段で新品が手に入るのなら万々歳だ。実際、長くも持つだろうし。
 突然逝ったパソコンは、どう逝ったのかといえば、起動スイッチを押しても起動しなくなった。たまにコンセントを付け替えたりしてからスイッチを押すと、電気が点いて、フォオオオオンと、起動するような音がするのだけど、ちゃんと立ち上がるより先に、5秒くらいで力尽きて、電気が消えてしまう。そしてそのあと何度スイッチを押してもうんともすんともいわない。はじめに少し反応はするけど、そこから次の本格的な段階に繋がらない感じは、車でいうエンジンが掛からない空ぶかしの様子に似ている。どうやらコンピュータそのものは、まだ立ち上がる意志があるようだが、人間でいうところの血管とか関節とか神経とか、そういう部分に支障があって、どうにもこうにも起き上がれない感じなのだと思う。じゃあ修理すれば案外すんなり直るんじゃないの、という気もするが、そもそもが中古なので、またいつ壊れるとも知れないそれに修理代を出すのもやはり馬鹿らしい。
 外付けハードディスクに入れていなかったデータというのも多少あって、それは少し残念だし面倒だが、でも僕はわりとこういう、清算してまっさらな状態になるのって、嫌いじゃないのだ。ファルマンにいわせると、淡白で薄情ということになるが、失ったのなら失ったで、またイチからやっていけばいいかなー、と思っている。
 そんなわけで新しいパソコンがやってくるのが今はとにかく愉しみ。ちょうど再びブログを日課としようとしたところでのこの事態のため、ここ数日のブログはタブレットにBluetoothキーボードで書いているのだ。これがまあ、どうしたっていささかやりづらい。いささかやりづらくても、できているのだから便利だなあとは思うけれど。新しいブログ、新しいパソコンに、ついでにいえば職場だってつい最近に新しくなったわけで、生まれ変わったような、やっぱり嫌いじゃない、清算してまっさらな状態になった喜びがある。

2020年10月12日月曜日

Twitterに対する複雑な感情について

 ブログが収束したと同時に、Twitterでほぼ毎日ペースでやっていた短歌も止まってしまった。ブログとは別物なのだから、あれはあれで続ければいいように思うが、収束と拡散というのは、要するにそれまでの体制に対するウンザリから起るわけで、そのウンザリの中にTwitterも含まれていたということらしい。
 Twitterを開設したのは去年の8月なので、14ヶ月ほどやったということになる。その感想として、Twitterというのは、たしかにブログなんかよりもはるかに外界と繋がりやすく、反応を得やすいが、でも本当にただそれだけのものだな、と思った。それまで10年以上、ほぼ他者のリアクションがない状態でブログをしていたものだから、ぜんぜん知らない人の寄越した「いいね」に、はじめのうちは色めき立った。でもだんだん、あまりうまくない歌には「いいね」がつかず、うまいこといっている歌には「いいね」がつくさまを見て、そんな歌の良し悪しなんて、わざわざ他者に「いいね」で評価されんでも自分で判ることだし、それにきっと、知らず知らずのうちに、自分は「いいね」がもらえるような歌を詠みはじめている、ということを感じるようになった。僕のTwitter上に並んでいる歌を見ても、とてもそうは思えないかもしれないが、僕の中ではそう感じていた。だとすればそれって、一種の添削であり、矯正であり、もはや結社だ。巧者のいない結社。そう考えれば、ただでさえ結社に所属しようと思わない僕が、結社の、それも巧者のいないやつに身を置く理由は一切ないということになる。巧者のいない結社って、それはもう、最悪だろう。ただの親睦会だ。実際そうだ。Twitterって、要するに親睦会だ。集いたいタイプの人たちが集う場所。そして現実世界の親睦会に、僕は参加するか、という話だ。地域の祭りの会合に参加するか。PTAの打ち上げに参加するか。もちろんしないのだ。するわけないのだ。全力で避けて生きているのだ。そんな僕がなぜTwitterをするというのか。そもそも理屈になっていなかったのだ。
 というわけで、しばらく勃鬼の短歌Twitterは休むと思う。時間を置いて、自分の中でなにかの整理がついたら、またはじめようと思う。不意に思いついたことを、メモ代わりに記しておく、という力の抜けた使い方なら悪くないと思うのだ。そこに、なにぶん反応を得やすいツールであるがゆえに、功名心のようなものが発生してしまうのがよくない。しかし功名心が本当にないのなら、メモをTwitterでやる意味ってなんなのか、ということになる。ここが解決しない。

2020年10月11日日曜日

「以前」と「以後」の感慨

 今年も10月に入ったので、cozyripple流行語大賞のための、この1年間の日記の読み返し作業をはじめた。開始が早すぎるかもしれない。数年前までの、日記を意地でも毎日なんかしら書いていた時期の名残で、10月に入るともうそれをしないといけない気になるのだが、今年なんてたぶん、これまでで最も文章量が少ないように感じるので、そこまでこの作業に時間はかからないようにも思う。でもはじめた。
 それでまず、去年の11月(23日以降)や12月の記事を読む。なにしろ今年の場合、2020年というのは人類全体にとって、「以前」と「以後」に分けられるような、そういう年となったので、その「以前」である時代の日記を、「以後」の僕が読むと、独特の感慨がある。
 それが最も顕著に現れたのが、12月1日に「PAPIROTOIRO2」投稿された、「パピロウの日報告 2019」だ。世界中の(架空の)国々から、それぞれの地域ごとの独特のセンスで催された、パピ労感謝の日のビデオを送ってもらい、それを紹介するという、言わずと知れた毎年恒例の大人気企画だが、その序文で僕はこんなことを書いている。

『今年もパピ労感謝の日の朝を、そして夜を、人類が無事に迎えられたことに、僕はとても安堵している。温暖化とか、大量破壊兵器とか、いろいろ問題があって、さすがに来年はもう無理かな、終わっちゃってるかな、と思いながら日々を過しているが、なんとか今年も世界は、(畏れ多くも)パピ労に感謝してもよいとされる日を持つことができた。それよりもめでたいことなんて、この世界にひとつもない。祝え。人類よ、穢れの多い世界を営む自分たちのことを大いに恥じつつ、今日ばかりは大いに祝うのだ』

 なんだかんだで、こんなことをいっていた時期は平和だったというか、温暖化も大量破壊兵器も、危機だ危機だと声高にいうばかりで、実際のところはぜんぜん身につまされてなかったんだな、ということを感じる。
 果たして今年はどうなるんだろう、パピロウの日報告。別にビデオレターだから新型コロナは関係なく、そもそも架空の国の話(ただしモンゴル以外)であるとはいえ、今年の世界規模の話題において新型コロナに触れないのはあまりに間が抜けているし、かといって架空の国の新型コロナの感染状況の話なんて悪趣味きわまりない。さてどうしたものか。
 あと今年の1月5日付、これもまだ「以前」ということになるが、年末年始の横浜帰省(この際、藤子・F・不二雄ミュージアムと国立科学博物館に行ったのだ。本当に隔世の感がある)の日記の最後のほうに、『次に実家に行くのは5月か8月か』という記述があり、これにも大いに感じ入る部分があった。1月の上旬時点の僕の、2020年の5月と8月への無邪気さと来たらどうだ。この数ヶ月後、日本中に自粛警察が跋扈し、取り締まりが凄惨をきわめるとは、いったい誰が予想できただろう。この無邪気さが切ない。
 あとすっかり忘れていたが、この正月の帰省の際は、祖母は横浜にいなかったのだそうで、だとすれば祖母とはずいぶん直接顔を合わせていないのだな、と思った。しかし帰省かー。次の年末年始なー。どうなんだろうなー、マジで。

2020年10月10日土曜日

ポルガの話

 学校の視力検査にポルガが引っ掛かる。これまでの検査で、そう優れた視力ではなかったが、それでもずっと引っ掛からずに来たわけで、なぜ急に、と思った。それで話を聞いてみると、「今回の視力検査では「要検診」の子が大量に出た」そうで、じゃあそれって学校の検査の環境が悪かっただけじゃねえの、という気も大いにしたのだが、それでもいちおう眼科に連れていった。その結果、眼科医の見立て的にも、「まだ別に眼鏡を作らなくてもいいかな……」くらいの、決してよくはないけどそこまで悪すぎるわけでもないよ、という既知の事実のお墨付きが出たのだが、そのあとに医師が「作りたいの?」とポルガに向かって訊ねたら、「作りたい!」と即答したそうで、「じゃあ、まあ、診断書を出しておこうかね」という流れになり、まんまと憧れの眼鏡を手に入れるための外堀を埋めることに成功したのだった。しかし今のところ、斯様に緊急性もないことだし、なにより近ごろのポルガと来たら、忘れ物が多かったり部屋を散らかしたり、生活態度があまりにも悪いこともあり、とてもじゃないが眼鏡を買い与える気が起きないため、購入は保留している。もうしばらく眼鏡で釣って、いろいろ改めさせてやろうと、親としては算段している。うまくいかないんだろうな。生活態度の向上より、視力の本格的な悪化のほうが早いんだろうな。
 そんなポルガは、いま「らんま1/2」にど嵌まりしている。もちろんファルマンの影響によるものである。単行本をブックオフで買って読んだり、図書館にアニメ版のCDがあったので借りてきて聴きまくったりして、どっぷり浸かっている。「ドラえもん」や「セーラームーン」は、前者はバリバリに、後者もそれなりに、2020年現在もその活動が続いているので、まだ言い逃れの余地があったけれど、「らんま1/2」はいよいよ弁明のしようがない。この家の親は、現代の漫画作品から完全に脱落し、自分たちが子供のときに愉しんだものしか、自分の子どもに与えない。「ミニオン」も「鬼滅の刃」も、この家には見えないバリアによって弾かれる。父親のほうなんてとうとう「赤毛のアン」に目覚めたので、その愉しさを子どもに啓蒙したくしてしょうがないほどである。ちなみにポルガはクリスマスに、「「らんま1/2」のなにかをもらう」と言い出している。サンタの眉間のシワが目に浮かぶ。この家は去年、「セーラームーン」のルナのぬいぐるみを欲しがった子の家だな、あのときもメルカリとかで面倒だったんだよな、それでも「セーラームーン」はまだ市場があったのだ、でも「らんま1/2」はいよいよ無理だ、阿呆か! 「鬼滅の刃」グッズを与えたら小学生は喜べ! 阿呆か! と悪態をついていると思う。申し訳ない。申し訳ないというか、その面倒はそのまま自分たちに降りかかる。
 あとついでに今日はポルガの話をするが、先日学校から持って帰った集金袋に、代金の名目は生徒が自分で記載するらしく、「秋の遠足」と書くべきところを、字をものすごく雑に書くことで知られるポルガは、「秒の遠足」と書いていて、笑った。行ったと思ったらすぐに帰ってくる、秒の遠足。ちなみに集金額は1500円。コスパ悪!

2020年10月9日金曜日

秋のパソコン

 パソコンが逝く。唐突だった。なんの兆候もなかった。最近やけに重たくなったとか、唸り声をあげるようになったとか、そういうことは一切なかった。思えば淡々とやってきて、淡々と日々の業務をこなし、淡々と壊れたパソコンだった。この期間中、見損なったこともなかったし、見直したこともなかった。まるで都会的な愛人のようなパソコンだったと思う。いまもまったく同じことを思うが、もう当時から、パソコンを新品で、15万円とか出して買う必要はぜんぜんないな、ということを思って、インターネットと、あとは僕の使ういくつかのソフトが動けばそれでいいやと、中古のとても安いものを買ったのだった。その前のパソコンは、まさに15万円とかそういう値段のもので、それを8年間使ったので、その日割りから考えれば、このパソコンは2、3年使えれば御の字だな、ということを僕は当時の日記に書いている。当時の日記とはいつかといえば、2018年の10月下旬であり、その文を、家に届いてすぐのそのパソコンで打っていたと考えると、このパソコンの聞き分けのよさは、いよいよおそろしくもなってくる。別れの気配をちゃんと読んでて上手に隠した旅行鞄にはずした指輪と酒の小瓶の世界だ。俺には過ぎたパソコンだったのかもしれない。
 それでまた新しいパソコンを、やっぱり買わなければいけない。「家にパソコンはない、スマホだけ」というスタンスの人への理解は年々高まっているが、それでも僕にはパソコンが必要だ。とはいえハイスペックである必要はやっぱりぜんぜんない。テレワークもしないし、オンラインゲームもしない。僕のパソコン使いは本当にとても質素だ。だから素朴な機能で、その分ひたすら長生きのパソコンがあればいいなと思うが、それが要するに、安い中古パソコンをなるべく長持ちするよう使い、壊れたらそのつど乗り換えるという、このやり方なんだろう。やはりどこかアーバンな恋人関係みたいなイメージが湧く。色男の哀愁も漂う。なる早で新しい女を購おうと思う。

2020年10月8日木曜日

この夏の回顧

 無職で過した今年の夏は、総括するとやっぱりそれなりにしんどかった。会社都合退職につき雇用保険はすぐに下りたのだから、しばらくはひたすら悠然と過せばよかったのだけど、やはり根がまじめなので、そこまでのびのびとはできなかった。プールやサウナも、思っていたより行かなかった。あまり明言したくないことだが、そういう施設って、日々の労働の合間(退勤後や週末など)に行くから価値を感じるんであって、それ以外に特になんの用事もない日々でやろうとしても、いまいちテンションが上がらないのだった。いつか一攫千金を成功させ、それ以降の人生は遊んで暮したいと思ったりするが、こうしてプレ体験をするたびに(8年ほどまえにもあった)、そこまでいいもんでもないな、と気づく。はじまる前は相当わくわくするのだけど。そういえば子どもたちも、夏休みがはじまる前は喜んでいたが、8月の下旬になると「早く学校に行きたい」としきりにいっていた。まったく同じだ。
 そんなわけでろくに出掛けず、しかし家にいると蒸し暑く、空気が悪く、体がだんだんしんどくなってきて、そうするとますます出掛ける気が起きず、そもそも出掛ける当てもいよいよなくなり(大きなダイソーに行っても必要なものがなにもない、という末期症状に至った)、寝転がる時間ばかりが長くなった。こうして客観的に振り返ってみるとだいぶ危険な兆候だな。仕事がなければ自立できない仕事依存人間、なんていうスタンスは、日本大学夢見がち学部出身者として口が裂けてもいうわけにはいかないが、高等遊民を標榜できるほど器が大きくもないようだ。知ってはいたけど。健やかに生きることはとかく難しい。
 ちなみに無職期間がはじまる前、想像力(記憶力)がなくてまだわくわくしかなかった時期に目論んでいた計画で、「ラブホテルに行く」というのがあった。子どもが学校で僕が家にいるなんていう機会はそうそうあるもんじゃないので、このタイミングこそ、夫婦ともどもいちども行ったことがないラブホテルという施設に行く、千載一遇のチャンスではないかと思ったのだった。子どもたちが学校に行っている平日の午前中にラブホに行くなんて、実にアウトローな行為だと思う。でもきっと本当に今しかない。機会はもちろんのこと、これ以上年を取ったら、行こうという意欲ごとなくなるだろう。だからこれは千載一遇のチャンスであると同時に、人生最後のチャンスではないかと思った(ちなみにこの思考の流れはすべて僕個人のもので、ファルマンとの相談は一切ないことをここに記しておく)。それで結果的にどうなったかというと、まあ行かなかったよね。ラブホテルってたぶん、ふたりのうちのどちらかがラブホ経験者じゃないと行けないのだと思う。結局その一歩が踏み出せなかった。そう考えるとラブホって、ちょうど行為的にも、性感染症に似ている。保持者がいなければ伝播していかないのだ。

2020年10月7日水曜日

ブログは収束した

  ブログは収束と拡散を繰り返すのだが、このたびそれが収束期に入った。かくして爆誕したのがこのブログである。これが5つ目の記事となるが、昨日まではブログタイトルが違っていた。「いま」このブログを読んでいる人にとっては、それは知る人ぞ知るカルト知識となるだろう。SMAPやTOKIOも、創成期にはメンバーのいろんな変遷があったように、この「百年前日記」も、当初はきちんと形が確立していなかったのだ。
 そんな幻のブログタイトルは、「PANNE」といった。発音は「パン」である。このたび僕はモンゴメリの「赤毛のアン」に嵌まっており、そこから「「E」のつくANNE」のパピロウver.ということで「PANNE」だった。でもこれは完全に見切り発車のタイトルだった。赤毛のアンに傾倒しているからって、パピロウがパンになる理屈はないし、なにより見た目的にどうしたって「パンネ」といいたくなる。パンネで日記ということになると、「赤毛のアン」ではなく「アンネの日記」が思い浮かんでしまうほか、これは本当に開設してから思い至ったのだが、僕が登録しているハンドメイド販売サイトは「minne」(ミンネ)だったりするので、本当に「PANNE」というタイトルはよろしくなかった。そんなわけで4日でお蔵入りとなった。「いま」ではすっかり定着した「百年前日記」には、実はそんな過去があったのである。
 タイトルを変更したことによって、「赤毛のアン」への敬慕はブログの要素としてすっかり失われてしまったのか、といえばそんなことはない。むしろ強くなっている。
 ところでブログというものは、2020年現在、なかなかに廃れている。完全に廃れたわけではなく、一見それなりに営まれている雰囲気があるが、それは人口減少と高齢化の波にさらされる地方都市みたいなもので、長く定点観測している者には判るが、じわじわと着実に衰退してきている。リアルタイムの情報を得たり、発信したり、人間関係を広げたりするのが目的ならば、ブログがSNSに敵うはずがなく、そして当世の大部分の人々は、インターネットにひたすらそればかりを求めるのである。そのためブログは完全に取り残されてしまった。ブログはその発想の根底に、本や日記がある。コメント欄なんかはあったりすることもあるにせよ、基本的に一方向だ。しかし現代はネオ互助社会なので、一方的な発信には意義がない。ひとりよがりの文章には需要がないのだ。
 でも、ひとりよがりじゃない文章には、僕は逆になんの価値もないと思う。読み手にわかってもらうためだけの文章なんてくそくらえだ。そんな文章は淫売だ。それらはもはや文章でさえなかったりする。ハッシュタグばかりを並べて、「いいね」という名の交合を待っている。品性がない。まるでフェロモンで動く虫のようではないか。
 いまあえてブログを収束させ、新たな大ブログを発進させるのだとすれば、このような現状に対する反抗心が含まれていなければ意味がないと思った。僕はなぜブログを書くのか。それはもちろん自分のためである。でも自分のためだけならば、ネットにアップする理由がない。アップするということは、偉そうなことをのたまっておきながら、結局は他人から褒めてもらいたいってことなんじゃないのか。そうではない。そうだけど、そうではない。1908年に刊行された「赤毛のアン」を、2020年の僕が読んで感動したように、僕はこの「百年前ブログ」を、百年後の、すなわち「いま」のあなたたちに向けて書く。あなたたちの「いいね」は僕には直接届かないが、そのことに思いを馳せながら書こうと思う。

2020年10月6日火曜日

アンという名の少女

 「赤毛のアン」を読み終え、いまは「アンの青春」を読んでいるところだが、読むきっかけとなった連続ドラマ「アンという名の少女」は先週が第4話目で、アンが学校に行く話だった。僕の中でアンの物語は、とにかく多幸の物語という認識で、カナダの大自然を舞台に綴られるアンの輝かしい日々の記録に触れ、われわれ読者は心を浄化させる、という仕組みだと捉えているのだが、これまでもアンが犬ドッグ並みにトラウマだらけという予兆はあったにせよ、ここに来てドラマ版はいよいよ、今回のドラマ制作のコンセプトはそういうことではない、ということを明確にしてきた。バカみたいに青い空、白い雲、そして緑の切妻屋根、なんて鮮やかな風景はこのドラマにはない。人種とか、身分とか、児童虐待とか、そういったテーマのもたらす翳りが、全編に渡って画面をくすませている。現代的だな、と思う。インターネットができて、さらには人々がスマホを持ちはじめてから、人の得る情報の量はそれ以前の人類と較べて1万倍くらい多くなった、というのを以前どこかで読んだけれど、これはまさに「赤毛のアン」の、かつてより1万倍の情報量を得ることになった人類による翻訳、みたいなドラマだと思う。とにかく頭でっかちで、問題提起や、解釈をしたがっている。なぜなら現代人はそれを行なうための取っ掛かり(情報)が与えられているので、せずにはおれないのだ。青、白、緑の単純な世界では、手持ちの情報が空転してしまう。もっと解釈をさせてくれないと満足できない。語れないと、バズらない。だからこうなったんだろうと思う。なにぶん原作の多幸感をこそ尊んでいる立場なので、ドラマ版は観ていて厳しい部分もある。もっと陽が射してほしい、と画面を観ながらずっと感じている。でもやはりこれも情報によると、このドラマ版はこれからもっと社会問題が織り交ぜられてくるらしい。そうか。いや、まあ小説とは別物として、もちろん愉しいは愉しいので、これからも観るけれども。
 それに引き換え、というわけではないけれど、読んでいる「アンの青春」の中で、とても心に響いた場面があったので引用する。


「もしもキスが目に見えるとしたら、スミレに似ているのじゃないかしら」プリシラがいった。
 アンの顔がぱっと輝いた。
「プリシラ、今の言葉、口に出していってくれて、うれしいわ。頭の中でそう考えるだけで、ひとり占めにすることだってできたんですもの。みんなが自分の気持ちを口に出していってくれたら、世の中はもっとすばらしくなるのにね――今でもすばらしいけれど、もっとすばらしくなると思うのよ」
「聞きたくないようなことをいう人も出てくるわよ」ジェーンがわけ知り顔でいった。
「そうかもしれないわね。でもそれは、そんなひどいことを考えている人たちのほうが悪いのよ。ほかの人はともかく、今日のわたしたちは、どんなことをいっても大丈夫よ。だって今日は、すてきなことしか考えないんですもの」


 Twitterとかのことを考えながらこの部分を読むと、とても沁みる。1万倍的解釈だけど。

2020年10月5日月曜日

ワールドワイド

 今年は1月の終わりに、それまで勤めていた会社が6月いっぱいで閉じるということが告げられ、夏から転職活動をしなければならないという状況に置かれたため、その蛇の生殺しのような期間で、せっかくだからなんか資格を取ったらいいじゃないかと思い、インターネットで「有用な資格」ということで検索した結果、TOEICに狙いを定め、ひそかに勉強に励んだ。いま思えば、岡山在住で、いったいどんな職種への転職を目論んでいたのか、よく判らない。まあ他の、あまりにも職種を絞り込みすぎる資格よりも、TOEICならいろんな業態でなんだかんだで通用しそうな気もするので、決して間違いではなかったような気もする。ちなみに結果としては、新型コロナの影響によりTOEICの試験はこの半年ほどずっと中止で、先月あたりにやっと再開したようだが、それも人数制限と応募者殺到が相まって過酷な抽選、という有様で、そうこうしている間に僕は転職活動を終えてしまい、そもそもそのだいぶ前からTOEICの勉強はやめてしまっていて、とにかく僕とTOEICの間にはとことん御縁がなかった。
 TOEICの勉強そのものは、言語なので、嫌いではなかった。しかしあんまりにもビジネス英語すぎる、とも思った。日本語でもビジネス会話をしない人間が、どうして英語で外国人とビジネス会話をするというのか。いったい僕の身になにが起ったら、そんなことになるというのか。シチュエーションがあまりにも現実離れしていて、シュールでさえあると思った。どうしても英語を使わなければならない状況としては、ビジネスよりもはるかに、ボートピープルとしての立場のほうがリアリティがある。ボートピープルになった場合、どんな単語を知っておき、そしてどんな主張をしたらいいか、そういう試験のほうがよほど身が入っただろう。
 さらには、僕がどれだけ耳を澄ませて頭を働かせて、ヒアリング問題の音声を聴いたところで、ポルガのような、幼少期から本物の英語を聴いている世代にはどうしたって敵わない、というのも英語学習の挫折の要因だ。別にそこまで意識高く娘に英語教育を施したわけでもないが、それにしたって30年前とは世の中に蔓延する英語の質が違うようで、ポルガの英語の発音たるや、まるでネイティブのようである。どういう判定でそういっているかといえば、ネイティブの英語の発音も、ポルガの英語の発音も、同じくらい僕は聴き取れない。だからたぶんポルガの英語の発音は正しいんだろうと思う。こうなってくるともう、僕と御縁がなかったのは、TOEICではなく英語そのものだ、という気がしてくる。僕なんかが苦労して力ずくで英語の勉強なんかしなくても、ポルガの世代がするっと世界に羽ばたけばそれでいい、しかもこの世代と来たら、性差別とか人種差別とかにも偏見を持っていないと来ていて、ちゃんと世界で通用する素地ができている。現代教育すばらしいな、と思う。
 それに引き換え、としみじみと思う。まだそれなりに若いのに、世界では決して通用しない僕たちは、これからどうすればいいのか。ボートピープル英会話を速やかに学ぶ必要がある。

2020年10月4日日曜日

ミュージカル映画を観て思ったこと

 映画「グレイテスト・ショーマン」を観る。ポルガが学校の授業で一部を観て興奮し、ぜんぶ観たい、としきりにいうので、借りてきて一家で観た(ピイガはろくに観なかった)。
 ストーリーは書いても仕方ないので書かないが、ミュージカル映画である。なので、ここぞという場面になると、登場人物たちはすかさず唄い出し、そして踊り出す。ミュージカルとはなべてそういうものだが、歌とダンスの勢いだけでさまざまな難局が解決されてゆくさまには、「葛藤とはなにか?」「心理描写とはなにか?」なんてことを考えさせられた。しかし先日の「赤毛のアン」でも思ったことだが、そもそも物語に葛藤なんて要るか? という気もする。映画鑑賞ですぐ寝てしまうことで知られる僕が、今回の「グレイテスト・ショーマン」では寝ずに済んだのは、ややこしいことが、話し合いではなく歌とダンスで取っ払われた(「解決した」というより、「取っ払われる」「薙ぎ倒される」といったほうが正しい)からに違いない。つまり、それでいいのだと思う。主人公の窮地は、往々にして解決するのだ。そんなことははじめから判っているのだ。勝った者が正義というのと一緒で、最終的には問題がぜんぶ無事に解決する立場の人が主人公になっているのだから、途中で主人公が陥ったピンチは、必ず回避される。はじめから判っているその回避を、「これがこうで、これがこうで、これがこうなるから、これで、こうして、こうだよ」と丁寧に説明されたら、まじめだなあとは思うが、思ったときには僕は寝ている。「問題なんて問題じゃないんだぜー!」と、なんの理屈にもなっていないことを踊りながら唄ったら、乱暴だけど、愉しい。こうして書くと、まるで僕が、直情だけで生きる、滋味を解さない阿呆のようだが、どっこい物語とはそうあるべきなのだと、断固として思う。そしてこれは、エンターテインメントだから、という尺度でいっているのではない。「高尚な作品」と銘打つような作品であっても、われわれはわざわざ架空の人物の葛藤になんぞ心を砕くべきではないと思う。葛藤は個々人が現実で抱いているものだけで十分だ。創作はそれをいくらかでも和らげることが、その役割ではないか。
 それにしたってミュージカルという手法はすごい。言葉のやりとりかったるい場面→唄って踊っちゃえ、という対処法がすごい。これを小説でやるとしたら、文章で綴ろうとするとややこしいことになりそうな場面→イラストとか漫画、ということになるだろうが、いわれてみればそういう小説って既にけっこうある。受け手が眠たくならないためなら、つまりなんだっていいんだと思う。どんなに偉そうなことをいってたって、寝られたら負けだ。

2020年10月3日土曜日

オランダのハーレム

 先日、NHKはBSプレミアムの「世界ふれあい街歩き」を観た。たまに観るのだが、いつも欠かさず観ているわけではなくて、そのときはなぜ観たかといえば、ロケ地がオランダのハーレムという街だったからだ。ハーレムといわれたら観るしかない。それはもう条件反射みたいなもので、意思でどうこうできる次元の話ではない。
 ちなみにこれ以外、たとえばバヌアツのエロマンガ島であったり、インドネシアのキンタマーニ高原、そして同じくオランダのスケベニンゲンなども、この反射の対象となる。またスケベニンゲンとハーレムはどういう距離感なのかと気になって調べてみたら、スケベニンゲンは南ホラント州、ハーレムは北ホラント州に属し、このふたつの州は隣接しているため、直線距離としては40kmくらいのもので、だいぶ近かった(出雲市と松江市は9号線を使うと約35kmである)。これならばスケベニンゲンからスタートし、ハーレムに到達するまでのマラソン大会なんかも可能かもしれず、なんとも感慨深いコースだなあ、などと思った。
 ただし詮無いことをいってしまえば、このオランダのハーレムは、われわれが希求するところのハーレムとは、実はなんの関係もない。われわれにとってのハーレムとは、つまりイスラム圏のハレムであり、力を持つ男性が、その力に見合う分だけの女性を囲い、住まわせておくためのエリアで、たぶんそこではわれわれが指すところの「ハーレムプレイ」なんかは繰り広げられなかったに違いないのだけど、そんな曲解はあるにせよ、われわれにとってのハーレムとはハレムをその起源とする。ならばオランダのハーレムとはなんなのか、といえば、wikipediaにわざわざ書いてあったが、「harem(トルコ語)」ではなく、「Haarlem」と表記し、rとlなので、そこが区別できない日本人は混同しやすいが、「ハールレム」という表し方もあるようで、要するにその「rl」の部分、「ルレ」の部分は、日本語では伝えきれない、巻き舌のあの感じであるようだ。だとしたらNHK的に、よく「ハールレム」ではなく「ハーレム」と言い切ったものだな、と思うが、これはきっと、かつてオランダ移民が多く住んでいたことから名付けられたというニューヨークのハーレム地区が、もうすっかりそれで定着してしまっているため、そのふたつで表記を揺らがせるわけにはいかなかったからではないかと推察する。ちなみに前出のスケベニンゲンにも、「スヘフェニンゲン」や「スヘーヴェニンゲン」という表し方があるようで、NHK的にそこはどうなのかが気になるところだ(それにしたってスヘーヴェニンゲンからハールレムのマラソンにはぜんぜん魅力を感じない)。
 そんな前置きの末に、ようやく「世界ふれあい街歩き」の内容の話になるのだが、ハーレムはいかにもヨーロッパらしい、古くて美しい教会や広場などがある、すてきな街だった。すてきな街ということは、つまりハーレムという言葉のみに惹かれて視聴した人間(スケベニンゲン)にとっては、なんの旨味もなかったことを意味する。もっともそんなことははじめから判っていた。ましてやNHK、ましてや「世界ふれあい街歩き」である。そんな要素があるわけない。あるわけないじゃないか、と思っていた矢先である。別名「スパールネの街」とも呼ばれるハーレムには、スパールネ川という運河が通っていて、背の高い帆船が通る際はふたつに割れて持ち上がる跳ね橋があるなど、川と人々の暮しの結びつきは強い、ということが伝えられ、カメラは川面を映し出す。とそこへ、1台のモーターボートがやってくる。あまり大きくない。公園の池の手漕ぎボートのひと回り大きいくらいのサイズで、船室があるようなものではない。そのボートに、少女が5人乗っている。年齢は14歳や15歳と表記された。しかしコーカソイドの15歳となると、印象でいうとそれより3歳から5歳くらい上の年齢のように見えた。彼女たちは地元の幼なじみグループのようで、ボートは5人で共同購入したのだという。400ユーロといっていたから、約5万円か。運河のある街では、少女がひとり1万円ずつ出し合ってボートを手に入れ、水上で語らうのか、とカルチャーショックを受けた。そしてなにより、ボートの前後で向かい合うようになっている座面に、3人とふたりに分かれて座り、中央に投げ出されている10本の脚が、どれもこれもホットパンツから伸びる生足で、その情景に思わず、「ハーレム!」という叫び声が出た。オランダのハーレムに、われわれの求めるハーレム的要素なんてなにひとつないんだろうと諦めかけていたとき、まったく予想外の方向から現れたハーレムの情景に、強い感動があった。もしも僕がスパールネ川で溺れていて、そこをたまたまこの娘たちのボートが通りかかったらば救助するしかなく、そうしたら全裸の僕はボートの中央部、少女たちの生足が大渋滞を起しているところに横たえられるはずで、溺れて命の危機を感じていた僕の勃起を眺め、をとめごらは頬を紅らめ、もはや誰のものか判らない気楽さから足を伸ばし、勃起のあまりの堅さに嬌声を上げるのだろうと思った。そして、これじゃあ「世界ふれあい街歩き」じゃなくて、「世界ふれあい街足コキ」だね、なんて僕は思いながら、昇天する。