2020年10月3日土曜日

オランダのハーレム

 先日、NHKはBSプレミアムの「世界ふれあい街歩き」を観た。たまに観るのだが、いつも欠かさず観ているわけではなくて、そのときはなぜ観たかといえば、ロケ地がオランダのハーレムという街だったからだ。ハーレムといわれたら観るしかない。それはもう条件反射みたいなもので、意思でどうこうできる次元の話ではない。
 ちなみにこれ以外、たとえばバヌアツのエロマンガ島であったり、インドネシアのキンタマーニ高原、そして同じくオランダのスケベニンゲンなども、この反射の対象となる。またスケベニンゲンとハーレムはどういう距離感なのかと気になって調べてみたら、スケベニンゲンは南ホラント州、ハーレムは北ホラント州に属し、このふたつの州は隣接しているため、直線距離としては40kmくらいのもので、だいぶ近かった(出雲市と松江市は9号線を使うと約35kmである)。これならばスケベニンゲンからスタートし、ハーレムに到達するまでのマラソン大会なんかも可能かもしれず、なんとも感慨深いコースだなあ、などと思った。
 ただし詮無いことをいってしまえば、このオランダのハーレムは、われわれが希求するところのハーレムとは、実はなんの関係もない。われわれにとってのハーレムとは、つまりイスラム圏のハレムであり、力を持つ男性が、その力に見合う分だけの女性を囲い、住まわせておくためのエリアで、たぶんそこではわれわれが指すところの「ハーレムプレイ」なんかは繰り広げられなかったに違いないのだけど、そんな曲解はあるにせよ、われわれにとってのハーレムとはハレムをその起源とする。ならばオランダのハーレムとはなんなのか、といえば、wikipediaにわざわざ書いてあったが、「harem(トルコ語)」ではなく、「Haarlem」と表記し、rとlなので、そこが区別できない日本人は混同しやすいが、「ハールレム」という表し方もあるようで、要するにその「rl」の部分、「ルレ」の部分は、日本語では伝えきれない、巻き舌のあの感じであるようだ。だとしたらNHK的に、よく「ハールレム」ではなく「ハーレム」と言い切ったものだな、と思うが、これはきっと、かつてオランダ移民が多く住んでいたことから名付けられたというニューヨークのハーレム地区が、もうすっかりそれで定着してしまっているため、そのふたつで表記を揺らがせるわけにはいかなかったからではないかと推察する。ちなみに前出のスケベニンゲンにも、「スヘフェニンゲン」や「スヘーヴェニンゲン」という表し方があるようで、NHK的にそこはどうなのかが気になるところだ(それにしたってスヘーヴェニンゲンからハールレムのマラソンにはぜんぜん魅力を感じない)。
 そんな前置きの末に、ようやく「世界ふれあい街歩き」の内容の話になるのだが、ハーレムはいかにもヨーロッパらしい、古くて美しい教会や広場などがある、すてきな街だった。すてきな街ということは、つまりハーレムという言葉のみに惹かれて視聴した人間(スケベニンゲン)にとっては、なんの旨味もなかったことを意味する。もっともそんなことははじめから判っていた。ましてやNHK、ましてや「世界ふれあい街歩き」である。そんな要素があるわけない。あるわけないじゃないか、と思っていた矢先である。別名「スパールネの街」とも呼ばれるハーレムには、スパールネ川という運河が通っていて、背の高い帆船が通る際はふたつに割れて持ち上がる跳ね橋があるなど、川と人々の暮しの結びつきは強い、ということが伝えられ、カメラは川面を映し出す。とそこへ、1台のモーターボートがやってくる。あまり大きくない。公園の池の手漕ぎボートのひと回り大きいくらいのサイズで、船室があるようなものではない。そのボートに、少女が5人乗っている。年齢は14歳や15歳と表記された。しかしコーカソイドの15歳となると、印象でいうとそれより3歳から5歳くらい上の年齢のように見えた。彼女たちは地元の幼なじみグループのようで、ボートは5人で共同購入したのだという。400ユーロといっていたから、約5万円か。運河のある街では、少女がひとり1万円ずつ出し合ってボートを手に入れ、水上で語らうのか、とカルチャーショックを受けた。そしてなにより、ボートの前後で向かい合うようになっている座面に、3人とふたりに分かれて座り、中央に投げ出されている10本の脚が、どれもこれもホットパンツから伸びる生足で、その情景に思わず、「ハーレム!」という叫び声が出た。オランダのハーレムに、われわれの求めるハーレム的要素なんてなにひとつないんだろうと諦めかけていたとき、まったく予想外の方向から現れたハーレムの情景に、強い感動があった。もしも僕がスパールネ川で溺れていて、そこをたまたまこの娘たちのボートが通りかかったらば救助するしかなく、そうしたら全裸の僕はボートの中央部、少女たちの生足が大渋滞を起しているところに横たえられるはずで、溺れて命の危機を感じていた僕の勃起を眺め、をとめごらは頬を紅らめ、もはや誰のものか判らない気楽さから足を伸ばし、勃起のあまりの堅さに嬌声を上げるのだろうと思った。そして、これじゃあ「世界ふれあい街歩き」じゃなくて、「世界ふれあい街足コキ」だね、なんて僕は思いながら、昇天する。