2020年11月26日木曜日

SEVENTEEN9月号データ報告2020

 cozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボが無事に終わり、はーやれやれ、あとはパピ労の日と仲間内十大ニュースだけか、と思っていたのだが、そういえば今年はまだあれをやっていない、と思い出した。SEVENTEEN9月号データ報告である。これも年間行事のひとつなので、当然やっておかないといけない。思い出してよかった。というわけでSEVENTEEN9月号を入手し、今年のデータ特集ページを拝謁する。「うちらのプロフ、24h」と銘打たれ、各部門でいろいろなアンケート結果が提示されている。意気揚々と目を通した。目を通した結果、あれ?と思った。なんか、このデータ特集、あんまりおもしろくないぞ、と。例年のようなわくわく感がない。これまで得られていた満足感が、誌面から伝わってこない。
 かつて僕がSEVENTEENをおもしろく読んでいると、ファルマンがよく横から、「それって十代の子は本当はぜんぜん読んでなくて、おっさんが作って、おっさんが読んでる雑誌なんじゃないの」と言ってきたので、そんなわけあるか! とそのたびに怒鳴り散らしていたのだけど、どうも今回の誌面を読んでいて、この雑誌は編集チームがもしかして代替わりしたのではないか、ということを感じた。たとえば「ミュージックステーション」なんか、それまでの8時スタートから9時スタートになった時点、もといその2年くらい前から、どうも我々の知っている歌番組とは違う文法の番組になったようだ、ということは痛切に感じていて、それはただ単に出演する歌手が自分たちの知らない人たちばかりだ、というレベルの話ではなくて、なんかもう、流れが心地よくないというか、なんだこの軽薄でふわふわした雰囲気は、と苛立ってくるので、とても観ていられなくなってしまったのだけど、SEVENTEENの誌面にも、それとまったく同じものを感じた。これは僕にいわせれば、なにがおもしろいのか、なにがおしゃれなのか、なにがかわいいのか、なんの価値も見出せない、程度の低いことを、さも自分たちは最先端であるかのように装って、クソつまらなくやりやがって、ということになるのだけど、でもそれって、あくまで「僕にいわせれば」であって、「ワシの若い頃はもっと洗練されてて優れていたんじゃ! それが今はすっかり情けなくなってしまって……」であって、それはもう絵に描いたような、見事に時代に取り残された老害の発言だな、と思う。若者が「きちんと」おもしろいものとして受け取っている若者文化を、自分がこんなに「きちんと」まったく理解できなくなると、思っていなかった。こんなにまっすぐな気持ちで、「若者たち待てよ、ちゃんと考えろよ、それ、ぜんぜんおもしろくないだろ! 俺たちの時代のあれのほうが百万倍おもしろいだろ!」と言いたくなるようになるなんて、ぜんぜん想像していなかった。世代ってすごいな、としみじみ思う。去年まで僕はは誌面を愉しむことができたので、それはリトマス試験紙のように、僕が愉しめたということは、同世代(あるいは上の世代)が誌面を作っていて、そしてそれは当のJKたちにはあまり評判がよくなかっただろうと思う。それが今年からは代替わりしたことで、ちゃんとJKたちに訴求する誌面になり、その結果として僕という存在はこの世界からはじき出された。そんなわけで、まるで最近の「ミュージックステーション」を観ているかのように、僕はつまらない気持ちになったのだと思った。
 とりあえず去年まで定点観測で記録している、身体的なデータから。
 今年の体重の平均値は、「48kg」とのこと。3年前が48.8kg、2年前が48.4kg、去年が48.0kg、に対して48kg。ほら、小数点以下に対する言及が一切ないのだ。去年は0だったのにちゃんと「.0」と律儀だったのに、今年はただの「48kg」。ここでまずもう、なんか違う、と思った。
 次に身長。3年前157.9cm、2年前157.7cm、去年157.8センチ。そして今年は、158cm。これもまた小数点以下が省略された。なんと雑なのか。とすると、この大雑把な新人編集者にしてみれば、3年前も2年前も1年前もそして今年も、みんな押し並べて四捨五入して158cmなのだ。それはそうかもしれない、平均値として算出される1ミリの単位に一体なんの意味があるのかという話かもしれない、でもそこにこそこのデータ企画の真髄があるんじゃないのか。この小数点以下を省いてしまったら、このデータはほぼ毎年「158cm」ということになってしまうじゃないか。それじゃあ毎年やる意味がないだろう。
 続いてスリーサイズ。これにはさすがに小数点以下があった。()内に、去年、2年前、3年前の数字を並べる。
 バスト、77cm(77.1、77.7、79.6)。
 ウエスト、61.7cm(61.5、61.4、62.0)。
 最後にヒップ、81.7cm(81.5、80.9、86.7)。
 去年から、JKのスリーサイズには胸小尻大の傾向が見られる、ということを指摘していたが、今年はそれがさらに進んだ形となった。この分だと、この日記をいままさに読んでいる百年後のあなたたちの尻は、どれくらいのサイズになっているのだろう。
 例年ならば次にブラのカップを記すのだが、今年はなんとその設問がなかった。これは今年のこのフィジカルに関するデータが、これまでの「ウチらのボディー白書☆」みたいなテイストではなくて、「ダイエット部門」として、「Q、いまダイエットしてる? A、はい(73.1%)」だの、「Q、一番やせたいパーツは? A、1位:太もも」だの、「Q、ダイエット中によく食べるものは? A、1位:野菜」だのという、本当にクッッッソどうでもいいQ&Aばかりが誌面を占めているからで、なんだか僕はここに、いかにも現代の若者文化的な、SNSの集合愚が形成する、実体のない見せかけのイデアの幻影ばかりを追い求めて、本当の自分自身の形成や追及がまったくできていない、むなしさを感じる。YouTubeでチャンネル登録者がたくさんいるYouTuberが紹介するダイエット動画を見てエクササイズをするとかじゃなく、そんなことよりJKは、ひたすらに若く輝いている自分自身の肉体にだけ目を向けてほしい。SNS上の流行りに影響されてダイエットなんかしないでいい。ひとりひとりのかけがえのない個性を、数万のいいね!なんかに収斂されないでほしい。スマホに時間も思考も奪われず、もっと自分を大切にしてほしい。JKのブラのカップをデータとして記さないというのは、つまりそういうことだと思う。本当に新しい時代と相容れない。ブラのカップ書けよ。こっちは「Tarzan」を読んでるんじゃないんだよ。平均がAカップなのかBカップなのかCカップなのかで、視界のホワイトバランスが変わってくるんだよ。本当にもう。
 そんでもって最後はいつもの流れ、ラブデータである。ラブデータというか、誌面にはいろいろな設問があるけれど、やっぱり大事なのは処女非処女の比率を示す、「Hしたことある?」の問いである。これのデータは5年前からある。5年前が6.3%。4年前が6.1%。3年前が6.6%。2年前が6.3%。去年が6.1%。これをもって去年、僕は結論を出した。JKの非処女率は、要するにだいたい6.3%であると。ところがである。今年の結果を見て驚いた。過去のデータにばかり固執していたため、目の前で繰り広げられる予想外の展開に、応用の利かないガリ勉のように混乱した。というのも、今年のYES回答は、5.1%だったのである。アンケートは5000人にしているというので、1%が50人ということになる。つまり去年までなら処女を捨てていたはずの50人あまりが、今年は捨てられなかったということを意味している。これは如実に、新型コロナウイルスの影響だと思う。新型コロナウイルスが、出会いも、濃厚接触も、JKたちから奪ったのである。奪ったというか、護ったというか、その捉え方は人それぞれだが、こうも明確に数字に表れるものなのか、と感心した。しかしこの話題で思い出されるのは、春頃の緊急事態宣言下、親が仕事で出て行ってしまった家に、ティーンだけが残されて、彼ら彼女らは自由に行き来をし、そうなると当然セックスになって、望まぬ妊娠をしてしまったという相談が増加している、というニュースのことで、そういう話はたしかにあったはずで、だからむしろ今年は数字が増えているのではないかとも思っていたのだが、しかしそれは結局のところ、「初Hしたのは何歳?」の問いの答えは「15.2歳」であり、「やるやつはやる、やらないやつはやらない」といういつものパターンということなのだろう。すなわちJKが5000人いたら、そのうちの250人はセックスを普通にするタイプのJKだということで、比率的に少ない気がしていたが、でも250人もいれば十分だな、とも思った。せいぜいいちどに相手できるのは6人から7人くらい(二次元ドリーム文庫調べ)なので、250人いるんなら万々歳であると思う。
 以上です。これにて今年の報告を終わります。

2020年11月24日火曜日

パピロウヌーボ2020


プロ角マキコ(以下プロ角)「……もしもーし」
優香(以下優香)「……やんすやんすー。わー、プロ角ねえさん、お久しぶりでやんす」
プロ角「ほんとよ。毎年のことながら、丸1年ぶりじゃない。こんなに長く一緒の番組やってんのに、こうもプライベートの付き合いが一切ないなんてことある?」
優香「ビジネス以外では関わりたくないタイプの相手の場合は普通にあるんじゃないでやんすか」
プロ角「だとしたらおかしいじゃない。私、優香のことそんなタイプだなんて思ってないわよ。本当によ」
優香「わあ嬉しい。でも、じゃあなんででやんしょね」
プロ角「なんでよ」
優香「それは……」
プロ角「それは……?」
優香「それは……、謎っすね」
プロ角「謎すぎるわよ。理由がわからな過ぎて、頭が爆発しそうよ」
優香「そんなことよりプロ角ねえさん、今年は初めてオンラインでのパピロウヌーボとなりましたでやんすね」
プロ角「そうよ。オンラインなのよ。なによ、オンラインって。せっかくこの、今はもう芸能界を引退したプロ角マキコ様が、これだけは特別ってことで出演してやるってのに、オンラインってどういうことよ」
優香「そんなこといったってしょうがないじゃないか
プロ角「なにがしょうがないのよ」
優香「コロナ禍なんでやんすから」
プロ角「……ころなか?」
優香「コロナ禍」
プロ角「なによ、ころなかって。なんの中なのよ」
優香「へっ?」
プロ角「あ、それとも地名かなんか? あるいはアイヌ語? ウポポイ?」
優香「……いやいやいや! うそ! いや、それはないでやんしょ!」
プロ角「ないってなにがよ」
優香「え、だって、そんなの無理でやんしょ! 知らないでいるの、無理でやんしょ!」
プロ角「なにがよ。なにを興奮してるのよ、優香」
優香「……プ、プロ角ねえさんはテレビを観ないんでやんすか? 嫌な思い出が多すぎて?」
プロ角「テレビ? 観るわよ、別に。『ザワつく!金曜日』以外は」
優香「じゃあ知ってるでやんしょ!」
プロ角「ころなかを? えっ、そんなタレントいたかしら……」
優香「うそ……」
プロ角「あ、そうか。思い出したわ。あの人たちでしょ。「まぁねぇ~」って髪をかき上げる、あの3人組の女のお笑いの」
優香「それはぼる塾でやんすよ! しんぼると猫塾が合体してぼる塾! ぼる塾知っててコロナ知らないなんてことある? 奇蹟でやんしょ! 降り注ぐ機関銃の弾をかいくぐって、漂う1本のタンポポの綿毛が大地に根を張り花を咲かすような、世界一どうでもいい奇蹟がここに生まれてるでやんしょ!」
プロ角「まぁねぇ~」
優香「それ、ぜんぜん流行ってないでやんすからね!」
プロ角「流行ってるわよ! ユーキャン新語・流行語大賞のノミネート語にあったもの!」
優香「あれは、ほら、いろいろあるんでやんすよ! っていうか、ユーキャン新語・流行語大賞のノミネート語を見たんなら、絶対に知ってるはずでやんしょ! 関連語ばっかりだったでやんしょ! コロナ!」
プロ角「あ、知ってる!」
優香「そうでやんしょ!」
プロ角「それ、トルコの大統領のギャグでしょ」
優香「違う! そういう意味でいま「コロナ!」って言ったんじゃないし、そもそもギャグでもない! さすがにありえないでやんしょ! エルドアン大統領の考えた新しい時代の挨拶「コロナ!」を知っててコロナウイルスを知らないのは! さすがに無理! さすがにバレた!」
プロ角「バレてないわよ! 知らないわよ、コロナなんて! 私が知ってるのはCOVID-19だけ」
優香「……出た! 出たよそれ! コロナって言うのは素人で、今回のこのウイルスはCOVID-19って呼ぶべきだっていう、そのタイプのやつ!」
プロ角「まぁねぇ~。だって実際そうなんだから仕方ないじゃない。モーレツ世代とかSNS世代とかは大雑把な言葉で適当にわかり合ってればいいけど、私たちブログ世代はそういうところ、こだわっちゃうのよね」
優香「プロ角ねえさんはブログ世代なんでやんすか? いま53歳でやんすよね? ブログ世代にはちょっと不入なんじゃないでやんすか?」
プロ角「ねえダイアナ
優香「優香でやんす」
プロ角「そんなことより今年のゲストを呼びましょうよ。今年のゲストは誰なの? 3年前が破室奈美恵、2年前が破々緒&菊川ペイ、1年前がMAXと来て、今年は誰なの? にじう?」
優香「プロ角ねえさん、あれは「にじゅー」って読むらしいでやんす。そしてもちろんNiZiUじゃないでやんす」
プロ角「じゃあドルチェ&ガッバーナ?」
優香「それはあれでやんすね? 瑛人のこととして言ってるでやんすね? そして違うでやんす」
プロ角「じゃあ会社都合退職?」
優香「違うでやんす」
プロ角「もむこするうるおすぬらすしめらせる恩徳ほどこすめぐむ睾丸?」
優香「違うでやんす。ノミネート語の出し方がちょっと雑じゃないでやんすか?」
プロ角「うるさいわね! じゃあいったい誰なのよ! とっとと出てきなさいよ!」
???「プロ角さん、優香さん、はじめまして」
プロ角「あ、あなたは……せいや!」

   (CM)

プロ角「あ、あなたは……せいや!」
???「違います。下半身にZOOMしたりいたしません」
優香「でも期せずして、下半身ZOOMと関係ないこともないゲストさんでやんすよ!」
プロ角「そうそう! 下半身ZOOMと一緒に一茂の家の壁に落書きをした……」
優香「それはプロ角ねえさんの単独犯でやんす」
プロ角「私じゃないわよ! マネージャーが勝手にやったのよ! 何年やるのよ、これ!」
優香「今年はプロ角ねえさんが自分で振った形でやんす」
プロ角「そうじゃなくて、下半身ZOOMと一緒に国民年金の啓発CMに出てたのに、本人は年金が未納だった……、ってそれも私じゃない!」
優香「もうそのふたつは毎年のお約束なんでやんすね。キーワードを出さないとファンから苦情が来るんでやんすか? そうじゃなくて、下半身ZOOMと一緒に体調不良の人を介抱したことでニュースになった……」
パン蜜(以下パン蜜)「パン蜜です」
プロ角「そう、パン蜜だわ! おいしそうな名前!」
パン蜜「召し上がれ」
プロ角「わあ。パン蜜だわ。あのパン蜜なのね。……あれ、でもやだ、パン蜜と繋がっちゃったじゃない! パン蜜とは繋がっちゃダメなのよ! パン蜜は避けなきゃダメなのよ! とうとう都知事が言ってたもの!」
優香「東京都知事でやんすよ。まあたしかに選挙で勝って都知事に再任されましたけど」
プロ角「とにかくパン蜜とは繋がらなろうね症候群なのよ!」
パン蜜「プロ角さん、それは違いますよ。避けるのは三密。パン蜜のことは思う存分に愛してくれていいんですよ。あー、サウナを愛でたい」
プロ角「……ねえ、優香」
優香「なんでやんすか、プロ角ねえさん」
プロ角「私、正直言ってこの人のこと、よく知らないのよ。いつの間にかテレビで見るようになってたけど、いったいどう扱うべき人なの? 女優なの? タレントなの? 文化人なの? やけに高尚な感じもするし、一方でとてつもなく安っぽい感じもするじゃない。どういうスタンスで接するべきなの?」
パン蜜「プロ角さん、聞こえてますよ」
優香「プロ角ねえさん、オンラインで内緒話はできないですぞなもし」
パン蜜「その疑問、お答えしますね。パン蜜は、女優なのか、タレントなのか、文化人なのか。その答えは……、全てであり、無である。そして、I AM SOLIPSIST。そして、愛の錬金術師。そして、亀頭とは女性なんですよ」
プロ角「…………」
優香「…………」
プロ角「ところで優香、話は変わるけど、最近は調子どうなの? 子育ては順調?」
優香「ええ、まあおかげさまで。でもちょっと授乳がさせにくいもんでやんすから、強いて言うならおっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……でやんすかね」
プロ角「あら。じゃあ今度あれを送るわよ」
優香「えっ、なんでやんすか?」
プロ角「えーと、たしかここらへんにあったはず。……あ、あった。これよ、これ。ちょうどふたつあるし」
優香「そ、それは……!」

   (CM)

優香「そ、それは……!」
パン蜜「アベノマスクじゃないですか」
優香「なんで? なんでいまアベノマスク?」
プロ角「これをブラの代わりにするといいらしいわよ」
優香「…………」
パン蜜「…………」
プロ角「加藤紗里が言ってたわよ」
優香「…………」
パン蜜「…………」
プロ角「あれ? 川本真琴のほうだったかしらっけ?」
優香「…………」
パン蜜「…………」
優香「……お、俺には小さすぎるでやんす」
プロ角「まぁねぇ~」

来年はいい年になりますように
 

2020年11月22日日曜日

第12回cozy ripple名言・流行語大賞発表

 今年もcozy rippleにさまざまな名言・流行語が生まれました。
 ここでいう今年とは、2019年11月24日から、本日2020年11月23日までのこと。この1年は、世の中にとっても、僕にとっても、すさまじい年だったなと、振り返ってみてしみじみと感じる。あまりにも激動すぎた。言い訳をするわけではないけれど、その激動を原因として、今年のブログは振るわなかった。その在り方を考えあぐねた挙句、収束が起ったほどである。ちなみに「KUCHIBASHI DIARY」および複数のブログが「USP」に収束したのは、2011年の4月のことであった。放射能禍とコロナ禍。拡散したブログは、わざわいによって収束する性質があるのかもしれない。そんなわけで今年はエントリーワードの数も、残念ながら過去最少となっている。
 なんとなく、その激動は来年もしっかり続きそうな気がしないでもないのだが、それでも今年よりは地に足のついた、安定したブログ運営、すなわち人生運営ができたらいいな、と思う。切に思う。
 というわけで、今年のエントリーワードは以下の通りです。


俺には小さすぎる

 アマゾンでペニストレーニングの器具であったり、ビキニパンツなんかのページを眺めていると、そのレビュー欄には必ずこの言葉があることを発見した。ちんこを規定の空間にきちんと収めるタイプの商品だと、規格外の俺のはどうしたって収まらないのだと、買って、身に着けて、レビューに書いて、満足する、そこまでがワンセットの商品なんだと思う。男のそういうちんこに対する観念って、本当に愛しいと思う。女子が花や小動物を愛でるよりも、よほど清らかではあるまいかと思う。


亀頭とは女性

 包茎に関する書物に、ずる剥けの人間は亀頭が擦れて鈍感になり、快感を得るために乱暴なセックスになってしまいがちで、それを防ぐためには必要なとき以外は包皮を被せておくのがむしろ正しく、そうして亀頭を大事に扱うことで女性にも優しくできるのだ、という記述があり、それを読んで僕がたどり着いた結論。最も男性性を象徴させる部分は、最も女性性と隣接する部分だったという、これは亀頭以外にも人生中で何度も使える場面がありそうな、示唆に富んだ話だと思う。


もむこするうるおすぬらすしめらせる恩徳ほどこすめぐむ睾丸

 なぜ「無辜の民」と「睾丸」には同じ文字が使われているのだろうと疑問に思って調べたら、ふたつの漢字は同じものではなかった。それから「睾丸」の「睾」についてさらに追っていくと、その字義の筆頭は「さわ(澤)」であり、泉のように次々に連なり湧き出る様は、なるほど日々絶え間なく精子を生産する睾丸の性質をうまくいい表している、と感心した。次に「澤」の字義を調べた結果、「「1、さわ。つねに浅く水にひたっている所。草木のしげっている湿地。2、つや。ひかり。3、うるおす。ぬらす。しめらせる。めぐむ。恩徳をほどこす。4、もてあそぶ。5、もむ。こする」とあり、澤と睾丸はどこまでも密接に繋がっていることが判り、感動したので語順を調整して短歌とした。


不入

 セックスは、射精するまでがとにかく愉しいわけで、そこでなるべく射精をすまいとする「不出」という理念があるわけだけど、挿入しておいて射精しないなんて、女の子に対して失礼な話だと思う。挿入した以上は射精するべきだ。でもやっぱりなるべくなら射精はしたくない。だとしたら挿入を諦めるしかない。かくして生まれた理念がこちらである。生身の女の子には挿れられないけど、でも基本的にずっと猛っている。すなわちこれは童貞への回帰であるともいえる。セックスとはセックスをしないことである、あるいは、セックスをしないというセックスをすることである、という究極の考え方。


おっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……

 Twitterの反応があまりにも乏しくてテンションが上がらず、どうやったら増えるのかと思案した結果、女子高生がやっている風を装えばいいのだと、古式ゆかしきネカマ戦法を思いつき、トップの自己紹介文の欄に打ち込んだ文面。この前に「私立ウサントタッバ学園2年生」とも述べていて、女子高生の、しかもおっぱいがおっきく、さらにはそれがコンプレックスであり、挙句の果てにはそんな少女がもっぱらちんことかをテーマにした短歌を詠むだなんて、最高じゃないかと思った。しかし反応はさして増えず、それだけが理由ではないが急に飽きて、この半年後に投稿が停止した。


繋がらなろうね症候群

 新型コロナウイルスの影響による緊急事態宣言により、とにかく他者とつるむな、ということが声高に叫ばれたが、普段からなるべく他者と関わり合いたくないと思っている側の人間としては、なんの問題もなかった。しかし我々サイドの人間にとってはなんの問題もないその世界は、あちらの人々にとっては地獄にも等しいつらいものだったようで、彼らはそのときどうしたかといえば、「今は会わないでいようね」と互いに呼びかけ合うことで、繋がっていた。そんなテーマでさえやはり繋がりたいのか、と彼らの業の深さに震撼した。


ブログ世代

 新型コロナウイルスで行動が制限された結果として自粛警察が跋扈したり、さらには個人的な仕事のことだったり、今年は「ブログに書けないこと」がとにかく多くて、ブログってなんなんだろうということを強く思った。本当に自由な心の叫びを書きたいならオフラインの場に書けばいいし、時流に乗った立ち振る舞いをして名声を得たいのならSNSに励めばいい。じゃあ、いま、ブログってなんだ。ブログの立ち位置って、拠り所って、どこなんだ。モーレツでもない、デジタルネイティブでもない。カセットテープでもない、データ配信でもない。MD世代とそれはピタリと重なる。この半端さが、我々の旗印なのか。


会社都合退職

 工場の閉鎖が告げられたのが1月の終わり頃だったので、新型コロナウイルスの盛り上がりと退職までのカウントダウンは、ほぼ同時進行で、こうして振り返ってみるとそれは、同時進行どころか、同一の事象だったんじゃないかという気さえしてくる。もっとも負け惜しみをするわけではないが、縫製業に華やかな未来もまるで見えないので、いつか行き詰って自己都合で辞めるより、よほどよかったんじゃないかとも思う。なにしろ、一度この退職を経験したらもう自己都合退職なんてやってらんねえな、というくらいの厚遇だった。世の中が新型コロナウイルスの影響で冷え込む中、スーパーマリオのスターのごとく、無敵みたいな感覚があった。時間切れはもちろんあったのだけど。


そんなこといったってしょうがないじゃないか

 仲間との会合ができないことには一切の問題がないのだけど、帰省がままならないのは、90オーバーの祖母がいる身としては、なんとなく落ち着かない部分があり、とはいえ今年に関してはやっぱりどうしようもなく(結局タイミングを見計らって無事に行って帰ったが)、なんてったって体力の落ちたお年寄りが危ないといわれているのだから、そこに最大限の配慮をしないといけない。そんなとき、言葉の内容的にも、老人たちへの訴求力的にも、世の中で最も適しているのが、えなりかずき(正確にはモノマネタレントのホリ)氏のこのフレーズではないかと思った。新型コロナウイルス関連でいろいろな言葉が編み出されたが、これこそが真髄ではないか。本当に広告とかに採用されればよかったのに、と思う。


ねえダイアナ

 いろいろあった今年も下半期に入り、上半期で負った心の傷を癒す必要があったということなのか、モンゴメリの「赤毛のアン」に猛烈に嵌まった。「赤毛のアン」は、不幸な生い立ちである主人公のアンが、話が始まってからは、とにかくどんどんしあわせになっていく物語で、読んでいると気持ちが晴れた。多種多様の幸福を得ていくアンだが、その中でも最も羨ましいと思ったのは、宿命の友であるダイアナだ。ダイアナはとにかくアンを肯定し、賛美する。それなんだよ、と思った。ずっと僕が欲しいと思っていた友達とは、ダイアナのことだったのだ。だから悩み事や相談事があると、僕は脳内麻薬であるダイアナを呼び出し、こう呼びかける。するといい気持ちになることをいってくれる。いつでもダイアナをキメて生きていきたい。もうダイアナなしでは生きていけない体になってしまった。


 以上です。
 いやあ、今年もさまざまな名言・流行語がcozy rippleを彩りましたね。
 惜しくも最終候補から漏れたものでは、「愛の錬金術師」「全てであり、無である」「もん! もん! 悶々!」「P線上を動く点P」「だから僕等山野辺は、僕等山野辺の死で哀しむことは絶対にない」「プレパラー射」「I AM SOLIPSIST.」「セクシャレハラスメント」「大丈夫だから」「ありがとう、MAX」「ドクゥ!」「世界ふれあい街足コキ」などがありました。今年はいろいろ考えさせられるブログライフの1年でした。
 というわけで、それではお待たせしました。いよいよ今年のcozy ripple名言・流行語大賞を発表したいと思います。去年の雨上がり決死隊・宮迫博之さんに続き、今年のプレゼンターはこの方、長渕剛さんです。
「オーーーーウッ!
アメリカの大統領が誰になろうとも
凶とでるか吉とでるかって
それゃ俺達次第じゃねぇか

今日もマスメディアの誰かが
無責任な話ばかりしている
正義のツラして知ったかぶりしてる奴の
言うことに耳を傾けてる俺

これ以上答えのねぇ話なんか聞きたかねぇ
歌の安売りするのも止めろー!

日本から歌が消えていく
日本から言葉が消えていく

自らの言葉をつむぐ歌い手たちが
群れをなして魂の歌を紡ぐならば

俺たちは歌によって
正しい道を見付けることが出来るのに

「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ」
「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ!」

俺達の東北、仙台、俺達の九州、熊本
そして福島も頑張ってんだ

オリンピックもいいけどよぉ

若者の貧困、地域の過疎化どうする?
騙されねぇぜマスコミ
騙されねぇぜヒットチャートランキング
騙されねぇぜワイドショー

ところで、
けなげな少女の瞳が今日も銃弾に打ち抜かれていく
岸に倒れた名もない兵士は
母の名を叫んで死んだ
アジアの隅に追いやられてきた
しなびきったこの島国で
屈辱の血ヘドを吐きながら今日も俺達は歌う

今年の大賞は……「上野の413球」だぜ! 乾杯!」
 なんと! 信じられなく長い、関係のない前置きのあと告げられたのは、まさかの「上野の413球」! 2009年の第1回からcozy ripple名言・流行語大賞の座に君臨し続け、しかし2017年の第8回で「乳房で胸一杯」に敗れたことによってその時代は完全に終わったかと思われていた「上野の413球」が、まさかの復活で大賞を獲得しました! なんという番狂わせ! 今年、東京オリンピックはなかったというのに! 国民の誰ひとりとして、ソフトボールの試合なんて見なかったのに! なんということでしょう! トランプもびっくり! バイデンもびっくり! しかしアメリカの大統領が誰になろうとも、凶とでるか吉とでるかって、それゃ俺達次第じゃねぇか! ざわついております! ざわついております!
 そんなわけで混沌とした社会情勢に負けず劣らず混沌とした、第12回cozy ripple名言・流行語大賞でした。それではまた来年、お目にかかりましょう。いまから僕だけ愉しみですね。ちなみに早くもpuropediaに今回の結果が更新されております。素早い! 運営優秀!

付録 これまでの大賞発表記事

2020年11月20日金曜日

グラニーバッグのようなトートバッグ出品

 母に頼まれたバッグが完成し、minneに出品する
 横浜で画像を見せられ、「こういうの」といわれただけなので、そのふわっとした注文に対し、ふわっとした近寄らせで、なんとなく仕上げた。形的にはグラニーバッグで、じゃあグラニーバッグなのかと言えば、タックなんかはあんまりない(サイドにひとつずつだけ作った)ので定義から外れる感じもあり、しかしそもそもグラニーバッグという名称の定義はそこまで厳密でもない(「グラニー」は「お婆さん」の意味だそう)ようなのだが、とはいえ堂々とグラニーバッグと名乗った結果、怖い人に目を付けられても嫌なので、「グラニーバッグのようなトートバッグ」という、実にお役所的な、責任逃れのふわっとした名称で出品した。ちなみにトートバッグの「トート」は「運ぶ」という意味だそうで、じゃあもうそれって言葉の重複レベルに、この世のすべてのバッグは物をトートするためのバッグであるといえるわけで、実に便利な言葉だな、と思った。道理で世の中にトートバッグばかりが溢れているわけだ。
 前にも書いたが、「柄はおまかせ」のはずだったのだが、手芸屋で吟味して買って帰った生地2種を写真に撮って見せたところ、「どっちも趣味じゃない」ということで、ネットで買い直したりしたのだった。その結果、母の注文分のみならず、柄は4種類、販売数は6点という出品になった。ひとりでよく作ったと思う。まあ愉しかった。
 本当に希望通りの品に仕上がったのかどうかは知らないが、発注の責任を取り、母は既にminneを通して購入してくれた。minneを通すと売上金額の1割ほどがminneに取られるわけで、親子間でそんなことしなくてもいいような気もするが、たくさん買ってくれたので素直に喜ぼうと思った。しかしそう思った6秒後くらいに、そういえば母には先日の合唱用マスク10枚とか、無償でいろいろ送ってやったぞ、と思い出して、まあプラマイゼロくらいの気持ちでいようかな、と思い直した。

2020年11月18日水曜日

お忍び帰省

 気温が下がって、新型コロナの感染者数がまた増えて、第3波だなんて叫ばれ始めたここ10日ほどの現況において、2週間以上が経過したので解禁ということで満を持して記すのだが(こんなことは100年単位で考えるとても些細なことだろうが)、実は今月の頭、1日から3日まで、横浜の実家に帰省していた。2週間が過ぎても、横浜にもこちらにも発症者はいないし、COCOAもなんの反応も示さないので、無事に切り抜けたようだ。これが半月あとの予定であったら、たぶん取り止めていたと思うので、ぎりぎりのいいタイミングだったと思う。ちなみに行ったのはさすがに僕ひとりだけである。子どもを連れてぞろぞろは行かない。
 なぜ行ったのかといえば、それはやはり去年の年末年始からずっと顔を出せていなく、そして今年の年末年始もまず間違いなく行けないため、ここらでひとつ顔だけ見せに行こうと思ったからだ。しかも日記を見て思い出したのだが、去年の年末年始の実家には祖母がいなかったため、祖母とは令和がはじまった去年のGW以来、1年半ぶりの再会なのだった。11月1日時点では感染がだいぶ収まっていたとはいえ、この状況下で92歳の祖母に顔を見せに行くのは、祖母孝行なのか迷惑行為なのか、実際とても悩ましいところだ。誰もがここらへんのことで悩んでいて、その可否の如何については、2週間後の結果論でしか言うことができない。今回の僕の場合は、幸いにも可のほうだった。
 実家では、やはりあんまりあちこち動き回るわけにもいかないので、妻子がいないという意味では絶好のチャンスだったのだが、ジモ友との飲み会なんかも今回は泣く泣くよして(来ていることを告げもしなかった)、わりとひたすら、家でおとなしくしていた。なにぶん帰省の目的は「顔を見せること」である。そういう意味では、目的は到着して2時間ほどで完遂していた。行く前はそこに想像力が働かず、久しぶりの帰省なのだからしてと、1日の朝に着いて3日の夜に戻る、3日間たっぷりの日程を組んでしまっていて、結果すさまじく暇を持て余した。いったい何をするつもりだったというのか。母と祖母もまた、僕を迎え入れる感慨なんかは2時間ほどで済んでしまったようで、それからは仕事だったり散歩だったり、各々の日常をこなしはじめたので、やることのない僕だけ、リビングのソファーで寝転がりながら、このたびプライム特典になった「THIS IS US」のシーズン3を観続けるという、わざわざリスクを冒して横浜に行って、スペイン階段は工事中で、俺なにやってんだろう、という気持ちになった。森永ダースは食べなかったので、そんな気持ちも吹っ飛ばなかった(古い)。
 しかしまあ、本当に滞在時間は半分くらいでよかったけど、ここで帰っておかなければ次はいつだよって話だし、むちゃくちゃ元気そうだったけどそうは言っても祖母は92歳だし、ということで、まあ行ってよかったと思う。そんなお忍び横浜帰省だった。
 しかしここで疑問がひとつある。11月1日は日曜日だ。3日は文化の日で祝日だ。しかし2日は平日である。10月に就職したばかりの僕に有休なんてまだ発生してなかろうに、なぜこうも悠々と帰省することができたのか。いやあ、まったく不思議な話ですね。

2020年11月16日月曜日

アイ論

 家のアイロンの調子がどうにも悪いので、新しいのを買うことにした。
 これまでのものは、コード付き、スチームなしのタイプで、これは別に安かったからそんな低機能のものを選んだというわけではなく、下手に縫製業を齧ったがゆえのこだわりとして、「アイロンっていうのはそういうもんなんだよ」という気概でもって使用していた。蒸気の必要があるときは、霧吹きを使っていた。そういうもんなんだよ、と思っていた。
 などといいながら、それの調子が悪くなって新しいものが必要だ、となり、価格ドットコムで商品を選ぶ際、絞り込みの項目として、「コードレス」と「スチーム機能」に、いの一番にチェックを入れている僕がいた。言い訳がしたい。先ほどからいっているように、これまでのストロングスタイルアイロンは、あくまで「調子が悪くなった」のであり、完全に故障してはいないのだ。たまに、スイッチを入れてダイヤルを回しても、一向に熱が高まらないときがあるくらいで、それ以外のときはこれまで通りに使える。なんだか、年を取って、まだらに記憶が飛ぶみたいな、生々しい老いさらばえのようだな、と思う。長年使った機械って、わりとそういう感じを出してくる。でも元気なときもある以上、同じような機能のアイロンを新たに買ってもしょうがない。だからこの言い訳は、立つ。立派に立つ。
 かくしてコードレスで、スチーム機能付きの、縫製業を齧った人間が一笑に付す、どこまでも家庭用なアイロンが、わが家にやってきた。そうして使いはじめたら、これがもう快適なのなんのって。コードがなくて煩わしくないし、スチームをオンにしておけばいい具合に蒸気が放出されて、しわもすいすい伸びるし折りもしっかり付く。こんなんめっちゃ快適やん、と思った。片手にアイロン、片手に霧吹きで、コードを踏みそうになるのを払いつつ掛けていた頃より、はるかに効率がいい。こんなにいいものかよ、と驚嘆した。こんなことならばもっと早く前のが調子悪くなってくれればよかったのに……、といいそうになったところで、年季の入った前のアイロンの、老練な鋭い目線を感じ、背筋が冷たくなった。アイロンのくせに、こんなにも俺に寒気を覚えさせるとは。
 いや、まあ適材適所だと思う。実際、大きな接着芯を布に張り付ける際は、スチームは使わないし、コードレスで熱が下がると途端に糊が溶けないしで、やっぱりコード付きのほうがいいな、となって元のものを使ったりした。だからまあ、アイロンはタイプの違うものを2台持ち、というのがたどり着いた結論で、縫製業を齧った人間として、アイロンっていうのはそういうものなんだよ、といいたい。実に柔軟な主張。こだわらないのがこだわりです。

2020年11月15日日曜日

ねえダイアナ

 ねえダイアナ、こないだ車のタイヤを冬用のスタッドレスに取り替えたんだけどね。
 えらいわ、パピロウ。ただの交換じゃないものね。買うところからだものね。いいお値段なのに、よく支払ったものだと思うわ。さすがよ。
 でもねダイアナ、車検の時とかも、いっつも思うんだけど、車が好きな人って、どうして車に明らかに興味がない人に向かって、車の話を延々とするのかしら。必要に迫られて、車に関することを頼んで、代金を支払うのは当然だし仕方ないのだけど、そこからさらに、その人による車の話を聞くという義務は発生しないはずだと思うのよ。
 そうね、パピロウ。パピロウはやむにやまれず車のことを頼んだだけであって、興味があって前向きな気持ちでそこに参上したわけじゃないものね。勘違いしてもらっちゃ困るわよね。
 しかもダイアナ、今回はあれなのよ。なにぶん物がタイヤだったものだから、数ある車の興味ない話の中でも、最高レベルに興味のないテーマ、ホイールの話だったのよ。鉄とか、アルミとか、純正とか、かっこいいとか、かっこ悪いとか、ホイールの話って私、本っっっ当にいっていることの意味が分からないの。前の車検の時、代車として貸してくれたのが真っ赤な新型ハスラーで、ちょっと嬉しかったんだけど、でもそれは私がミーハーなテレビっ子だから、CMでよく見るやつだー、ってテンションが上がっただけで、中に乗り込んで運転を始めたら、真っ赤な新型ハスラーかどうかなんてどうでもいいな、ということをしみじみ感じたの。車種とか車体カラーでさえそんなレベルの私が、ホイール? ホイールの素材? デザイン? え、なにいってんの? ホイールってタイヤの内側にある、走ってると高速で回転して、ただの銀色の円にしか見えないやつでしょ。見もしないけど。それが、なんなの? ねえ、それがなんなの?
 分かるわ、パピロウ。私も分からないもの。思わず検索してしまったもの。そうしたら、まあ鉄よりもアルミのほうが軽いから燃費がいい、というメリットはあるらしいわ。だから今どきは基本的にはアルミらしいわ。だけどそのデザインについてはたしかに美学が分からないわね。世界のすべてのホイールが同じ形でも、別にいいと思うわ。
 ありがとう、ダイアナ。ダイアナと話したことで、やっと少しフラストレーションが晴れたわ。ホイールのデザインにこだわる人は、間違いなくツーブロックというヘアスタイルを許容する人よ。そのふたつの集合のベン図はぴったり重なってるのよ。すごくない?
 すごいわ、パピロウ。それ大発見よ。パピロウに、今年のダイアナ賞を授与よ。
 うふふ。

2020年11月14日土曜日

サンマとしあわせ

 サンマがようやく店に並びはじめて嬉しい。昨晩は今年2度目のサンマだった。3尾で450円。4人家族だが、まだ3尾でいいのだ。シーズンがはじまってすぐの頃は、獲れないし、獲れたやつも細身で脂が乗ってない、といわれていたが、脂方面は今どうなったのだろう。買って焼いて食べたが、脂が十全に乗っていたのかどうか、自分の舌では判断がつかなかった。グルメじゃないって楽でいいな、としみじみと思う。グルメになると口に入れる物の選別が大変そうだと思うのだが、やっぱりグルメにはグルメにしか到達できない幸福があるのだろうか。グルメじゃない人間の「最高においしい」が50点満点だとすれば、グルメの「最高においしい」は100点満点みたいな。しかし脂が乗っていたのかどうかはよく判らなかったが、身がふわふわしていたのは大いに感じた。これはやっぱり新物だからに他ならないだろう。
 それで感動しながら食べていたのだが、その一方で、本当にひと口目の、「身がふわふわしている!」と喜んだその際に、どうやら思いきり小骨が喉に引っ掛かったようで、違和感が生じていた。しかしそんなものは、食べているうちにいつの間にか取れて流れ去るだろうと、あまり気にしなかった。だから食事を終え、洗い物をし、食後のコーヒーを飲んでもなお、喉に違和感があり続けたことに、ちょっと戸惑った。
 でもなにしろサンマなのである。子どもならばいざ知らず、大人がサンマの小骨で騒ぎ立てするわけにはいかない。恥ずかしい。それに、やっぱりサンマだからして、痛いほどの存在感ではないのだ。あるな、と思う程度の違和感なのだ。それもまた騒ぎ立てできない要因だったし、加えてファルマンに伝えるとヒステリックな反応をされることは目に見えていたので(こういうとき往々にして、患者側なのにファルマンの精神を落ち着かすことに尽力しなければならなくなる)、ひとりで黙って対処していた。
 そのまま眠りに就き、目が覚めてきれいさっぱり消えていたら、たぶん僕は昨日の晩、小骨が喉に引っ掛かっていたという事実自体を、思い出さなかっただろうと思う。それくらい昨晩の時点では深刻視していなかった。しかし起きてつばを飲み込んだら喉に違和感があったので、ああそうだ、俺は昨晩からサンマの小骨が喉に引っ掛かっているのだった、とテンションが下がった。それで朝のパンを、少し大きめのまま嚥下したりして、なんとか外そうと試みたのだけど、やっぱり外れない。このあたりで、ちゃんと嫌な気持ちになった。それまでは甘く捉えていたこの問題に対し、きちんと気が重くなったのだった。
 結局それはいつまで続いたのかといえば、夕方まで続いた。夕方になり、いよいよインターネットで、「喉の小骨を取る方法」や、「喉の小骨がずっと取れなかったらどうなるか」などのページを検索し、本格的に小骨外しに取り組むことにした。この際、医者に取ってもらう場合は耳鼻咽喉科、ということを知ったが、その時点で17時近い時刻となっており、さらには明日が日曜日であることを思うと、サンマの小骨で緊急診療でもあるまいし、タイミング的にもあまりにも面倒で厄介ではないか、と暗澹たる気持ちになった。それで結局、僕が選んだ方法は、鏡で骨が刺さっている箇所を確認し、取れそうならば家人などにピンセットで取ってもらう、というもので、試しに鏡で見てみたら、喉枕の少し横の肉々しいピンク色の部分の、表面を覆う粘膜の向こう側に、たぶんこれだろうというような、白いものがある。あまり本当に見えるとは思っていなかったので、違和感の正体の発見に驚いた。なのでここで正直にファルマンに事情を話し、除去作業を手伝ってもらうことにした。ただし打ち明けたときのリアクション的に、ファルマンにピンセット役をやらせるのは絶対に無理そうだったので、咥内を照らすための懐中電灯役をお願いした。そしてピンセットは鏡を見ながら自分でやった。気分は自分で自分の腹腔手術を行なったブラックジャックである。ただし施術内容はサンマの小骨取りである。それで首尾はどうなったかといえば、何度かえずきもしたものの、無事に骨の尖端をピンセットで掴み、するっと抜くことができたのだった。全長1センチほどの小骨が、ちゃんと取れた。これはもう自分の手先の器用さに感謝する以外ない。無免許ながら、手術は大成功である。
 かくして今は自由の身である。小骨が刺さっていない喉は快適だ。元の状態に戻っただけなのだが、しあわせを感じる。しあわせとはいったいなんなのだろう。新物のサンマの身がふわふわしていることと、その小骨が喉に刺さっていないことか。

2020年11月12日木曜日

紅葉とマスゲームと天文

 寒い地域に出向いたら、ちょうど紅葉がすごかった。川ではなく山と山を繋ぐ架橋を車で渡っていたのだが、そうしたら眼下に広がる山々が紅に燃えていたのだった。紅葉なんて、枯れる直前の悪あがきみたいなもので、花のように尊ぶほどのものではないだろうと思っていたが、あれほどまでに圧倒的にやられると、さすがに「わあっ」となった。だから、結局は数だしスケールだな、ということを思った。1本の木の葉っぱが赤くなっても心は動かないが、1万本だと感動するのだ。じゃあ紅葉ってマスゲームみたいなものだな、とも思った。ひとりが色とりどりの紙を持ち、次々に持ち替えてもなんのこっちゃだが、それを1万人でやると「すごい!」となる。
 天体も、今は地表が明るいせいで、よほどの場所に赴かなければ満天の星空を見ることができず、だから夜空は基本的にあんなにもつまらなくって、古代から伝わる星座なんてものに、「昔の人ありえねー」と失笑したりするのだけど、昔は星がたくさん見えて、それはきっとマスゲームくらい圧倒的だったので、ずっと見ていられて、だから想像力を膨らませていくらでも星座が作れたんだろうな、と思う。
 都会育ちの僕は、昔から本当に天文の話に興味がまるでなくて、また天文の話というのは、「星の瞳のシルエット」的な、それに興味が持てる人はロマンチックで理知的で好感の持てる人物、みたいなイメージがあるのでタチが悪いな、ということを前から思っていて、まあそれは別にどうでもいいのだけど、もはやろくに星の見えない夜空なんかよりも、LEDとかで作るイルミネーションのほうが絶対にきれいだろう、ということをしみじみと思っていて、しかしそういうことを口に出していうと、「お前はなんて情趣のないつまらない人間か」みたいな断罪をされるのだが、でも絶対に星座を作った昔の人々は、いま我々がイルミネーションを見たときの感動で星空を眺め、星座を作ったに違いなく、だとすれば星座に情趣があって人工のイルミネーションに情趣がないなんて、ぜんぜん理屈になっていないと思う。僕は星座教に惑わされない。星座は、昔の人のマスゲームの感動が、たまたま残存しているだけのものに過ぎない。そこへ、仏教と同じで、のちのちの教徒たちが自分たちの都合のいい解釈を重ねていっているのだ。だから認めない。天文のロマンなんか認めない。

2020年11月10日火曜日

エローパーツ

 先日、またエロ小説をブックオフに売りに行った。それで思った。僕はどうしてこう何度も、「大きい手提げ袋がふたつ満杯になるくらいのエロ小説を売る」ことができるのだろう。たしかに一時期、頭がおかしいくらい買い集めた時期があったが、それにしたって何度もでき過ぎだと思う。理屈になってない。どう考えても、いちばん多かった時期、部屋からあふれ出ていなければおかしい計算だ。しかしこの10年ほど、エロ小説はベッドの下の引き出しだけが許された置き場所で、そこに収まり続けている。そしてそこから何度も両手いっぱいに売りに行った。それなのにまだベッドの下にはエロ小説がだいぶ詰まっている。やはりおかしい。空間がゆがんでいるのではないか。あるいはエロ小説同士が引き出しの中で交配し、繁殖しているのではないか。なにしろエロ小説は、孕ませるのはお手の物なのだから。もっとも僕は「孕ませ」というジャンルは好きじゃない(大抵の子持ちは好きじゃないと思う)ので、そういうのはほとんど蔵書の中になかったりする。だとしたらなぜだろう。うーん……。……あっ! ……いや、そんなはずはないか、……でも待てよ、もしかして、やはりそうなのか? ……たまに買うからか?
 とはいえ一時期に較べてはるかに数が減っているのは事実である。ピーク時が「オレたちひょうきん族」の頃の片岡鶴太郎だとしたら、今はヨガインストラクターの片岡鶴太郎だ。それくらい、骨と皮だけみたいなボリュームになっている。しかし、片岡鶴太郎を引き合いに出したものだから話がややこしくなってしまったが、そうして濾過を繰り返したことによって、いま手元に残された数十冊は、本当に価値のある、世の中がどんな非常事態になっても絶対に欠かせない、いわゆるエッセンシャルエロ小説だけになっていて、居並ぶ背タイトルを見るだに、その布陣の豪華さ、隙のなさに、第2回WBC日本代表を見ているかのような気持ちになる。ここまでたどり着くのは、決して平板な道ではなかった。長い年月をかけて、じっくり精製を行なって、ようやく結実したのだ。つまり今ここに残った数十冊は、軌跡であり、奇蹟である。これほどの加工、本来は人間がその短い一生において、一代で完成させられるものではない。そう考えれば2020年時点で存在するはずがないのだ。それなのに厳然たる事実として、今ここにこの水晶ドクロは存在する。この謎は深まるばかりだ、と思いきや、よく見ればこれは水晶ドクロではなかった。片岡鶴太郎だった。

2020年11月9日月曜日

百年後の君へ

 時事的なことをブログに書くことに意味があるのかないのか、いまだに結論は出ないのだけど、百年後にこのブログを読んでいる読者諸君に、どうしてもこれだけは伝えておきたい、ということがあるので記しておく。このたびのアメリカの大統領選挙についてである。
 おそらく百年後にも残存している事実としては、現職の共和党候補トランプに民主党候補のバイデンが勝利した、という程度のものだろう。そしてバイデンがこれからどんな政治を行なっていくのかは、読者諸君は検索さえすれば知ることができるが、2020年11月現在の僕は知らない。僕が知っているのは、これまでの大統領だったドナルド・トランプのことだけである。つまり僕が伝えたいのも、彼についてのことだ。
 ドナルド・トランプは、初めての政治家経験がアメリカ大統領という、にわかには信じられない設定のアメリカ大統領である。ちなみに僕は政治にも経済にも明るくないので、彼の4年間の働きが良かったのか悪かったのか、言及することはできない。おそらく百年後の世界でも、百年前の4年間アメリカ大統領をした人の働きなどというものは、歳月の中に埋没してしまったことだろうと思う。試しに今wikipediaで、1920年にアメリカ大統領だった人ということで、ウォレン・ハーディングという、第29代アメリカ大統領のページをざっと眺めたのだけど、その功罪について百年後の僕は判断のしようがなかった。それと同じように君たちにとっても、遠い昔の人物、ドナルド・トランプという大統領の質感は得づらいに違いない。
 だからきっと、百年後の未来では、「第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ」などという呼び名よりも、「Y.M.C.A.のトランプ人形」といったほうが話が早いと思う。そうなのだ。当世、これまで大統領だったドナルド・トランプとは、あのトランプ人形のトランプなのである。百年後にはもうすっかり民芸品のようになってしまったが、スイッチを押すと「Y.M.C.A.」のメロディが流れ、それに合わせて金髪で恰幅のいい、ザ・アメリカ人みたいな男が、持ち上げているとも持ち上げていないともいえない微妙な高さの左右の拳を、交互に前後に出したり引いたりするあの謎ダンスを踊る、あの人形。おばあちゃん家とか、流行っていない商店街のおもちゃ屋とかに行くとけっこうな高確率で遭遇する、あの人形のモデルこそがドナルド・トランプである。ちなみにあのダンスは、今回の大統領選挙の集会の際などに披露されたもので、そこから話題となり、世界的大ヒット商品となったあの人形が製作された、という所以がある。
 百年というインターバルを挟んで読む日記には、その肌感覚において様々な障壁があるが(それゆえにいい面ももちろんあるわけだが)、今回紹介したこのエピソードにより、少しは身近なものに感じてもらえたら幸いだと思う。

2020年11月8日日曜日

バッグ3世代

 先ごろ横浜の母からバッグの製作を依頼されて、安請け合いしたのだけど、バッグなんて実はあまり作ったことがないので、図書館で作り方の本を何冊か借りてきた。それでミシンの横に置いていたら、ポルガが手に取ってパラパラとめくり、「これを作りたい」と、なるほど初歩的な、ぺたんこの手提げ袋のページを開いて要望してきたので、娘に手芸に関心を持つのは嬉しいなあと思い、面倒を見てやることにした。もちろんそうなるとポルガだけというわけにはいかず、ピイガも一緒にやることとなる。ちなみに使用ミシンは工業用ミシンではなく、旧来の家庭用ミシンである。なぜなら工業用ミシンは、フットスイッチが動かせないからだ。子どもらは家庭用ミシンのフットスイッチを、踏み台の上に載せて使う。かわいいなおい。
 というわけで完成したのがこちら。
 
 
 左がピイガ、右がポルガ。それぞれ、らしい生地であると思う。持ち手の生地は共通。作業は同時進行なので糸も共通とし、地縫いもステッチもすべてエメラルドの糸でやった。本の指定通りに作ったのだが、基本的に1枚仕立てで、口部分にのみ見返しとして別布を使う仕様となっている。1枚仕立てで簡潔なような気がする一方で、縫い代を袋縫いの亜種みたいな縫い方で処理しなければならない工程が面倒のようにも感じた。もういっそ裏布をつけたほうが楽なんじゃねえか、と子どもに「地縫いからはみ出ないようにギリギリを縫うんだよ!」などと指示しながら思った。
 右下のブランドネームは、僕がpapapokkeで使うテープを与え、油性マジックで書かせた。ポルガはヒットくん。ピイガはゴリラ。ゴリラの潔さ。さすがだ。オリジナルのネームを付けると愛着がわく、というのは実体験からよく知っているのだ。作り上げて、娘たちが嬉しそうだったのでよかった。サイズは新書版コミックスくらいで、子どもが持つとちょうどかわいらしい。よかったよかった。
 それで話は母のバッグの話に戻るのだが、母がインターネットで見かけたバッグの画像を見せてきて、「こんなのが欲しい」というので作るのだが、型紙はまあなんとなく似たものが作れ、実際に試作をして、いい感じだということになったのだが、いま生地選びの段階で停止している。よさげな生地を2種類買ってきて、画像を写真に撮り、「どっちがいい? どっちも趣味に合わなければ他のものに使うから遠慮なくいって」とLINEをしたところ、「どっちも好きじゃない」と即答されたのだった。遠慮なくいって、とはいったものの、まさかそこまで遠慮なくいわれるとは思わなかった。向こうがネットで探すみたいなことをいっているので、いまその連絡待ちの段階である。

2020年11月6日金曜日

カラオケ行き(4ヶ月ぶり、今年3度目)

 カラオケに行く。また久しぶりだ。前回が7月8日だったので、4ヶ月ぶりということになる。ちなみに7月のときは、2月以来の5ヶ月ぶりだったのだ。今年はなんだかすごいな。今年という年は、本当にいったいなんなんだろうな。
 唄ったのは以下の通り。
 1曲目、久保田早紀「異邦人」。オープニングにふさわしい華やかな出だし。喉の助走にちょうどよかった。
 2曲目、水木一郎「鋼鉄ジーグのうた」。車でたまに掛かって、阿呆な歌だなー、といつも思うのだけど、いざ自分で唄ってみて、あまりに阿呆すぎて爽快感があると思った。バンババババンババンバン。
 3曲目、アリス「チャンピオン」。4曲目、清水健太郎「失恋レストラン」。5曲目、松山千春「恋」。6曲目、堺正章「さらば恋人」。珍しく男性歌手の歌を立て続けに唄ってみた。もはや場末のスナックのようなセレクト。どれもよかった。昔の歌はいいなあ。
 7曲目、森七菜「スマイル」。真心ブラザーズではなく、森七菜として唄う。オロナミンCのCM、いいよね。いい!と思うと同時に、どうしようもなくやるせない気持ちにもなるけど。
 8曲目、石井一孝&麻生かほ里「ホール・ニュー・ワールド」。ちょっと前から唄おうとファルマンといい合っていた1曲をとうとう唄った。ちなみに「とびら開けて」と一緒で、ファルマンがアラジン、僕がジャスミンである。気持ちよく唄えた。
 9曲目、小沢健二「強い気持ち・強い愛」。なぜ唐突にオザケンか、というと、筒美京平の追悼だからである。ただし唄い終えてから表示が出て知ったが、「さらば恋人」もまた筒美京平なのだった。
 10曲目、瑛人「香水」。唄ってしまった。だってユーキャンの流行語候補にも入ったし、紅白で「ドルチェ&ガッバーナ」の部分はどうなるのか問題もあるしで、ここらでひとつ唄っておいたっていいじゃないか、逆にここで唄っておかないともう二度と唄えないだろ、と思ったのだ。唄った結果、「テレビ千鳥」のノブとまったく同じ、「……うん」、という感じの空気になった。なぜこんな全方位に達成感をもたらさない歌がヒットしたのだろう。いや、まあ、「アーンドガッバーナッ!」の部分は唄ってて愉しいけど。
 11曲目、美空ひばり「川の流れのように」。歌唱も2時間を超え、ここまで来ると子どもたちも完全にダレて、もう退室するか、という空気になっていたので、最後の締めとしてセレクトした。やはり締まる。有無を言わせぬ締まり。好きな歌はほかにもいろいろあるけれど、人生の最後にかかる歌としてふさわしいのはこの歌なのかもしれないと思った。
 そんな11曲。なかなかよかった。いいカラオケだった。ポルガはこれまでドラえもんの歌ばかりを唄っていたが、今回からはドラえもんのドの字もなく、ひたすらに「らんま1/2」の歌ばかりを唄っていた。子どもは残酷に乗り換えるなー、と思った。それにしても「らんま1/2」が好きなのはわかるのだが、そうなってくると曲のセレクトがcocoだったりribbonだったりするので頭がクラクラした。自分の娘が羽田恵理香や永作博美のアイドル時代の歌を唄うだなんて、いったい誰が予想しただろう。人生って不思議なものですね(これは「愛燦燦」)。

2020年11月5日木曜日

11月ともなると

 11月になって、やはりめっきり寒くなった。10月って意外と暖かかったりするが、11月はもう有無をいわさず寒いのだ。それにしても今年はやけに季節の移り変わりがきちんと遂行されているように感じる。梅雨は梅雨だったし、夏は夏だったし、秋は秋だった。すごくそう感じながら日々を過していたら、先日ラジオのパーソナリティーが、「今年は季節の移り変わりが本当に変だ」といっていて、この感覚は人それぞれなんだな、と思った。コップに半分の水が入っていて、「半分もある」と思うか「半分しかない」と思うか、みたいな話があり、それはプラス思考・マイナス思考のことをいっているわけだが、季節の移り変わりに関するこれは、別にプラスやマイナスという尺度の話ではない。「季節」は大きすぎる概念だから、各人がどのポイントにそれを感じるかで、捉え方は大きく変わる。ただし「季節は正しく巡った」と思いがちな僕には正常性バイアスが働いている気がするし、ラジオのパーソナリティーの人格はよく知らないが、彼はわりと悲観的な人なのかもしれないとも思う。そういう傾向はあると思う。もちろんどちらが正しいということはないけれど。
 そんなこんなで11月なので、毎年恒例、ユーキャンの流行語大賞の候補30語が発表となったのだった。
 なんてったって、なんてったって今年は、新しい言葉がたくさん生まれた年だった。本当ならメダリストのインタビューで飛び出た名言がいくつも並ぶはずだった30語の中に、スポーツ関連の用語はひとつもない。見事にない。これはスポーツに限るわけではないが、「無観客」くらい入れてもよかったのではないかと思うが、ない。ぼる塾の「まぁねぇ~」はあってもそれはなかった。さらにいえばオリンピックをはじめとしたあらゆるイベントにまつわる「延期」という言葉もまた大いに人々の口に上った気もするが、それもなかった。ぼる塾の「まぁねぇ~」はあったのになかった。もっとも2018年「そだねー」、2019年「ONE TEAM」と来ていたので、これで今年がオリンピック関連語であったら、あんまりにもスポーツが続いてしまうという懸念はあった。もしかしたら新型コロナウイルスの流行は、その事態を回避するための方策だったのかもしれない。それはちょっとあまりにも不謹慎な発言ではないだろうか。まぁねぇ~。
 30語を見て他に感じることといえば、毎年いっているけれど、「鬼滅の刃」や「香水」、「NiziU」「フワちゃん」あたりは、流行語ではなく、ただ単に「流行ったもの」だ。このうちフワちゃんに関しては、「ご勘弁~」という歴としたギャグがあるのだから、そっちでよかったのではないかと思う。そしてベスト10に入った暁には、授賞式にはシソンヌが登壇すればよいと思う。さらにその番組の関連でいえば、Mr.パーカーJrの「被れ!」もノミネートくらいされてもよかったんじゃないかと僕は思う。僕とファルマンはそれなりに使った。あとはっきりいって「まぁねぇ~」はないと思う。ノミネートすら、ありえないと思う。憤りさえ覚える。
 しかし今年はなんてったってコロナ関連語だろうな。ここらへんの言葉はちゃんと、なかったところから作られている感じがいい。そのための言葉、という感じがして。「3密」しかり、「ソーシャルディスタンス」しかり、「アベノマスク」しかり。年間大賞がひとつとは限らないので、普通にこの3つあたりが同時受賞でもいいような気がする。
 それ以外の注目点としては、去年「軽減税率」で登壇したアキダイの社長が、今年は「カゴパク」で2年連続登壇になるかどうかだ。
 ユーキャン流行語大賞・トップ10の発表は12月1日。cozy ripple流行語大賞の発表は11月23日。