2020年11月14日土曜日

サンマとしあわせ

 サンマがようやく店に並びはじめて嬉しい。昨晩は今年2度目のサンマだった。3尾で450円。4人家族だが、まだ3尾でいいのだ。シーズンがはじまってすぐの頃は、獲れないし、獲れたやつも細身で脂が乗ってない、といわれていたが、脂方面は今どうなったのだろう。買って焼いて食べたが、脂が十全に乗っていたのかどうか、自分の舌では判断がつかなかった。グルメじゃないって楽でいいな、としみじみと思う。グルメになると口に入れる物の選別が大変そうだと思うのだが、やっぱりグルメにはグルメにしか到達できない幸福があるのだろうか。グルメじゃない人間の「最高においしい」が50点満点だとすれば、グルメの「最高においしい」は100点満点みたいな。しかし脂が乗っていたのかどうかはよく判らなかったが、身がふわふわしていたのは大いに感じた。これはやっぱり新物だからに他ならないだろう。
 それで感動しながら食べていたのだが、その一方で、本当にひと口目の、「身がふわふわしている!」と喜んだその際に、どうやら思いきり小骨が喉に引っ掛かったようで、違和感が生じていた。しかしそんなものは、食べているうちにいつの間にか取れて流れ去るだろうと、あまり気にしなかった。だから食事を終え、洗い物をし、食後のコーヒーを飲んでもなお、喉に違和感があり続けたことに、ちょっと戸惑った。
 でもなにしろサンマなのである。子どもならばいざ知らず、大人がサンマの小骨で騒ぎ立てするわけにはいかない。恥ずかしい。それに、やっぱりサンマだからして、痛いほどの存在感ではないのだ。あるな、と思う程度の違和感なのだ。それもまた騒ぎ立てできない要因だったし、加えてファルマンに伝えるとヒステリックな反応をされることは目に見えていたので(こういうとき往々にして、患者側なのにファルマンの精神を落ち着かすことに尽力しなければならなくなる)、ひとりで黙って対処していた。
 そのまま眠りに就き、目が覚めてきれいさっぱり消えていたら、たぶん僕は昨日の晩、小骨が喉に引っ掛かっていたという事実自体を、思い出さなかっただろうと思う。それくらい昨晩の時点では深刻視していなかった。しかし起きてつばを飲み込んだら喉に違和感があったので、ああそうだ、俺は昨晩からサンマの小骨が喉に引っ掛かっているのだった、とテンションが下がった。それで朝のパンを、少し大きめのまま嚥下したりして、なんとか外そうと試みたのだけど、やっぱり外れない。このあたりで、ちゃんと嫌な気持ちになった。それまでは甘く捉えていたこの問題に対し、きちんと気が重くなったのだった。
 結局それはいつまで続いたのかといえば、夕方まで続いた。夕方になり、いよいよインターネットで、「喉の小骨を取る方法」や、「喉の小骨がずっと取れなかったらどうなるか」などのページを検索し、本格的に小骨外しに取り組むことにした。この際、医者に取ってもらう場合は耳鼻咽喉科、ということを知ったが、その時点で17時近い時刻となっており、さらには明日が日曜日であることを思うと、サンマの小骨で緊急診療でもあるまいし、タイミング的にもあまりにも面倒で厄介ではないか、と暗澹たる気持ちになった。それで結局、僕が選んだ方法は、鏡で骨が刺さっている箇所を確認し、取れそうならば家人などにピンセットで取ってもらう、というもので、試しに鏡で見てみたら、喉枕の少し横の肉々しいピンク色の部分の、表面を覆う粘膜の向こう側に、たぶんこれだろうというような、白いものがある。あまり本当に見えるとは思っていなかったので、違和感の正体の発見に驚いた。なのでここで正直にファルマンに事情を話し、除去作業を手伝ってもらうことにした。ただし打ち明けたときのリアクション的に、ファルマンにピンセット役をやらせるのは絶対に無理そうだったので、咥内を照らすための懐中電灯役をお願いした。そしてピンセットは鏡を見ながら自分でやった。気分は自分で自分の腹腔手術を行なったブラックジャックである。ただし施術内容はサンマの小骨取りである。それで首尾はどうなったかといえば、何度かえずきもしたものの、無事に骨の尖端をピンセットで掴み、するっと抜くことができたのだった。全長1センチほどの小骨が、ちゃんと取れた。これはもう自分の手先の器用さに感謝する以外ない。無免許ながら、手術は大成功である。
 かくして今は自由の身である。小骨が刺さっていない喉は快適だ。元の状態に戻っただけなのだが、しあわせを感じる。しあわせとはいったいなんなのだろう。新物のサンマの身がふわふわしていることと、その小骨が喉に刺さっていないことか。