2021年2月26日金曜日

春先雑談

 2月が終わる。2月というのはやっぱり物理的にも精神的にも短いのだが、それでも今年の僕の2月はなかなかに密度が濃かった。
 2月といえばバレンタインデー、ということで、妻子らからチョコレートをもらう。3人の中で最も(あるいは唯一)女子力の高いピイガは、ケーキなのか、あるいは溶かして固めるだけなのか、なんかしらの手作りのものを作りたかったようだが、今年は毅然とした態度で断った。そして「既製品の、既製品といってもショッピングセンターのバレンタインフェアとかで売っている箱だけ豪華なやつではない、ガーナの、安い店で販売価格160~180円くらいの、冬季限定のおいしいやつ、あれを俺の好きなように1000円分くらい買わせてくれたらそれでいい、それが本当にいちばん嬉しい」と主張した。バレンタインはこれからもずっと続くので、子どもたちが多感な時期になる前に、ここらで主張を通しておくべきだと判断した。20歳で付き合い始めた初めてのバレンタインで手作りキットのトリュフチョコを僕にプレゼントし、「泥団子みたいだ」といわれたことを、いまだ毎年いいつらむファルマンと、バレンタインデーなどという行事が意識に入っていなかったポルガは、すんなり「あそう」と受け入れ、ピイガは少し「えー」といったが、少しだった。かくしてバレンタイン以降は、ガーナのおいしいチョコレートが充実していて、嬉しい。ガーナのおいしいタイプのチョコレートが、僕は世界中のチョコレートをすでにいちどぜんぶ食べたけど、結局いちばんおいしい。
 スマホユーザーになった、ということは前の記事に書いて、これまではファーウェイのタブレットだったが、それを持ち始めたあたりから、やけにファーウェイが攻撃されるようになり、別にユーザーには関係ないといえば関係ないのだが、なんとなく居心地の悪さを感じていたため、今回はメーカーを替えた。そうしたらやっぱり微妙に操作性が違い、はじめは戸惑った。もっとも同じファーウェイのタブレットでも僕のとファルマンのでは操作が違ったし、そもそもタブレットとスマホなのだから、そういう意味でも違いがあるのは当然かもしれない。いまはまあまあ慣れた。なにぶんそんな高度なことをするわけでもないし、スマホというのは基本的に、慣れさえすれば誰にでも使いやすいようにできているのだ。ただしLINEの文字入力、あれは慣れない。慣れないというより、物理的にキーが小さすぎる。画面が小さい分、キーが小さくなり、どうやったらあんな、ひとつのアルファベットの領分が1平方センチメートル以下のキーを、正確に押せるというのか、と思う。そんなわけで、まだ基本的にファルマンとしかLINEのやりとりは発生していないのだけど、誰かとちゃんとなにか文面をやりとりするときは、どうしたってキーボードを接続することになるだろうな、と思う。タブレットで使っていたキーボードやマウスは、新しいスマホでもすぐさまBluetoothのベアリングを行なった。ファルマンに「スマホでもそれするんだ!?」と驚愕されたのだけど、いや、スマホで画面が小さくなったからこそ、逆にキーボードという話なのだ、と思った。だからやっぱり重ねて主張するのだけど、僕のこのスマホは、世間一般のスマホとは一線を画す(13年の歴史がそれを担保する)、ちょうどスマホの形をした簡易パソコンなのだ。
 僕の生活と直接は関係ないことだが、島根県知事がかっこいい。めちゃくちゃかっこいいじゃないか。まだ島根県民になって2ヶ月のペーペーだけど、あの知事が知事になった選挙にも関係してないけど、でも誇らしい。ヤフーの記事のコメント欄を見ると、みんな島根県知事のことを大絶賛していて、「島根県民が羨ましい」などといっている人もいて、鼻高々である。そうです、あたすが島根県民です。ただ、たぶん関東からまったく外に出たことがない人なんだろうけど、「島根県はこんな立派な知事がいるから感染を低く抑えられているのだ。それに較べて東京は……」ということをいっている人がいて、さすがにそれに関しては、「いや、そこは、単純に人口密度……」と思った。
 そろそろ3月ということで、数日前に、あれ、もうこのまま春になっちゃうんじゃないの、と思うくらい暖かい日もあった。でもそのあとしっかり寒波もやってきて、毎年のことながら(もっとも山陽時代よりも寒波の度合が激しいので感じ方が強い)、繰り返しだな、と思う。最近は日々のそれに一喜一憂し、そんなことばかり話しているため、ファルマンの口癖がすっかり「三寒四温」になってしまった。「もうだいぶあったかくなったね」「三寒四温やで!」、「やっぱり寒さもぶり返すんだね」「三寒四温やで!」、と、もはや持ちギャグのようになってきている。持ちギャグなので、こっちもフリたくなってきて、「なんかこうして、寒さとあったかさがさ……」「三寒四温やで!」、「春ってなかなかさ……」「三寒四温やで!」、などと、どれだけ短い文面でファルマンから三寒四温を引き出せるかという競技のようになってきている。
 そうして春先ということで、毎年の、あっち方面の報告なのだけど、今年はいろいろあり、環境も変わり、1月には帯状疱疹なども出て、いよいよ危ういのではないか、年齢的にも限界が近いのではないか、とうとう連続記録が途切れるのではないかと危惧されたけれど、どっこい、なんのことはない、きちんと芽吹きました。いやむしろ、冬がつらかった分だけ跳ねる力も大きくなるのではないか、これはその結果ではないかと自己分析しているところです。春は本当にちんこが愉しくなりますね。ちんこ愉しき春がいよいよやってきます。

2021年2月22日月曜日

スマホへ

 スマホの人になった。「さんざ遠回りしたが、もうこの次はさすがにスマホだろう」と、ついこないだに伏線を張っておいたけれど、結局のところ機運が高まっていたということだろう、そのあとわりとすぐに実行したのだった。
 インターネットで、SIMフリーの、安くてそれなりに評判のいいスマホを検索し、まあこんなところだろうというものを選んで注文したら、その翌々日には家に届き、そしてこれまでのタブレットからそちらへSIMカードを取り替えたら、あっけなく僕はスマホの人になった。いざやってみたら、本当にあっけなかった。
 iPhoneが日本に登場したのは2008年だというので、25歳のときか。それから僕は13年間、スマホに抵抗し続けたことになる。果たしてこの13年間に渡る抵抗に、意味はあったのだろうか。他人から見れば、たぶんまるでないということになるだろう。しかし本人からすれば、それはやっぱり必要だからそうしていたわけで、意味はあったのである。僕という人生を生きている僕にとって、守らなければならないなにかが、その13年間によって守られたのだと思う。
 もっとも「スマホの人になった」といいつつ、その前にすでにタブレットの人ではあったわけで、SIMカードを入れ替えただけで容易に乗り換えられたことが示すように、タブレットとスマホは地続きの、同じ経済圏、なんなら行き来にパスポートの提示も必要ないような、そんな関係性にあるのではないか、つまり僕はタブレットを持った時点(ちなみにこれも「ガラケーとタブレットの2台持ち期」と「タブレットに電話機能も集約させたタブレットだけ期」のふたつの時期があるので話がややこしい)で、すでに講和条約のテーブルに就いていたのではないか、という気もする。
 しかしながら、もはやなにを守りたいのか、亡びゆく国の最後の兵のごとく、自分たちがなんのために戦っているのか、そもそもの信条を見失っている感はあるのだけど、それでも主張しておきたいこととして、僕はタブレットを、ノートパソコン的な流れで持っていたのだ。スマホの流れではなく、それは僕にとってあくまでパソコンの代替であって、であればこそ、タブレットとガラケーの2台持ちという状態も生まれた。逆にその状態の時期があったことが、僕がタブレットをスマホの文脈で持っていなかったことのゆるぎない証左であるともいえる。
 そうしてノートパソコンと携帯電話を同時に持っていたのだけど、どうやらこのご時世、携帯電話の機能はノートパソコンに集約できるらしいぞ、ということになり、そうした。そうか、そう考えればタブレットだけ期もまた、やはり僕はぜんぜんスマホの軍門に降っていなかったということになる。だって僕はノートパソコンで電話をしていただけだったのだから。これはスマホとはぜんぜん意味合いが違う。見た目が似ていても、イモリ(両生類)とヤモリ(爬虫類)くらい違う。
 さらにいえば、そのノートパソコン文脈のタブレットが、大きすぎてちょっと不便だということでスマホに乗り換えることにしたわけだけど、こういう経緯を経てスマホへと辿り着いた僕においては、スマホもまたスマホではないということになるのではないか。僕にとってこれは、「気軽に持ち歩けるようにしたノートパソコンの、画面が手のひらサイズになったやつ」だ。世間から見ればそれはスマホなのだけど、僕にとっては違う。なぜなら、経たからだ。然るべき工程を経たので、僕はそう主張することができる。あなたがたとは違う。ガラケーからスマホへ、理念なくホイホイ乗り換えたあなたがたとは違う。
 そうか、それを言えるようにするための13年間だったのか。じゃあやっぱり必要だったな。
 タブレットからスマホになって大きく変わったところは、電話のとき、スピーカーではなく顔に機械を当てて話すスタイルになったという点だ。そうだそうだ、ガラケーを手放して久しいので忘れていたけれど、電話って、だいたいこんなふうに耳から口までのサイズで、受話器みたいになっているものなんだよな。スマホでの電話の演習ということでファルマンと会話をし、「俺いま機械を耳に当てているんだよ」と伝えたら、「はあ? なにそれ?」と旧時代の人に不思議がられた。ちなみにファルマンは当座のところ、タブレットを替える予定はないため、まだしばらくはスピーカーでの通話を続ける(外出しないのでまったく問題がないのである)。とはいえこれが旧時代なのかどうか、もはや判らない。固定電話の受話器の流れを汲んでいないのだから、むしろ新時代のような気もする。われわれはわれわれ固有の時代を切り拓いて生きていこうと思います。

2021年2月16日火曜日

出雲大社へ

 遅ればせながら、出雲大社に参った。1月は混んでいただろうし、そもそも生活のほうがそれどころじゃなかったので、気づけばこんな時期になってしまった。もっとも後者の理由は単なる言い訳で、結局は近いと意外と行かない、というよくある話だ。実家に住む三女もまた、「出雲大社に行きたいんだけどなー」ということを1月から言っていて、そして未だ行っていなかったので、我が家が行くついでに誘ったら、義母とともに現れた。本当に、そういうきっかけがないとなかなか踏ん切りがつかないんだよな。
 出雲大社は2月でもなかなかの人出だった。もっともその「なかなかの人出」は、普段あまりにも人出のない世界で暮している人間の感想であり、正確に言うならば「閑散としていない」くらいの度合だろうと思う。
 ちなみに我が家としては、これは初詣ではない。まだ倉敷にいた三が日に、近所の稲荷神社に参った。そしてこのときに引いたおみくじが、これから島根での新生活が始まる期待感を一気に萎ませるほど、あまりよくない文面だったので(即刻境内に巻き付けたのでもはや内容は覚えていないけれども)、そのリベンジとして今回改めておみくじを引いた。地方裁判所で有罪だったから控訴して最高裁判所で再審議、みたいな感じだ。
 その結果、控訴するものだ、一転とてもいい内容だったのでホッとした。いい内容だったので持ち帰り、手元にあるので引用する。「運勢」の欄には、「本年は、運気開発の時期であり、これより好縁に結ばれる運に進む。進退共に障害なく、百事を進んで行うことは吉である。一層に信心しなさい。」とあり、これこれ、新生活にあたってこういうのが欲しかったんだよ、と思った。さらに「訓」の欄には、「人に交はるには、和譲・恭敬・忠恕を旨とすべし。仮にも驕慢の態をなすべからず。」とあり、この言葉には大いに思い当たる部分があり、胸に突き刺さった。神様はどうやら俺のことを見ているな、などと思った。今年の目標は、驕慢の態をなさないこと。そして和譲、恭敬、忠恕を旨とすること。そういう人間になっていこうと思う。人と交はるために。なるほど誰も僕に手取り足取り教えてくれなかったけど、これこそが人と交はるコツっぽいな、と腑に落ちた。
 そしてこの文面を見て思い出したのだが、先日ノート類の整理をしていたら、1ページに「業は着々と生成発展の域に進む」と自分の字で繰り返し書かれているノートがあり、「ひゃあ」と恐怖を抱いたのだけど、このフレーズもまた、出雲大社のおみくじだった。2017年のこと。振り返ってみて、2017年が業の生成発展の域に進んだ年だったかどうかは定かではないけれど、どうやら僕は出雲大社のおみくじに感化されやすいらしい。なんでだろう、言い回しが漢文っぽいからかな。
 そんなわけでいい出雲大社参拝だった。賽銭を入れるポイントが多すぎて、財布の小銭という小銭が駆逐されたけど、それに見合うパワーを頂戴した感がある。今後もちょいちょいご挨拶に伺おうと思う。せっかく地元なのだから、出雲大社を妄信して生きていこう。

2021年2月15日月曜日

干支4コマ2020完走報告

 というわけで、なんとか「干支4コマ2020」を完結させることができたのだった。
 後半スタートの7話目に書いたが、去年の3月に投稿した前半部から、数えたら270日が経過していたのだった。その270日、コロナ関連はもちろんのこと、私生活においてもあまりにもたくさんのことがあり、そういう意味でねずみ編は非常に感慨深い干支4コマになった。
 270日前の前半部を読み返すと、4コマ漫画の宿命だけど、時事ネタが現在もうすでに古くなっているのを感じる。「宮迫がいない」というのは3月初旬に行なわれた「Rー1ぐらんぷり」の司会について言っているのだが、宮迫がいないテレビはすっかり日常になってしまい、もはやピンと来ない。「東京事へ……」というのは、新型コロナが流行し、ありとあらゆるイベントが中止になるなか、ライブを決行して物議を醸した東京事変のことなのだが、みんなあれだけ怒ったわりに、年末には紅白歌合戦に堂々と東京事変として出場していて、ああありとあらゆることは、渦中にあるときは大ごとだけど、100日くらい過ぎたらどうでもよくなるんだな、としみじみと思った。この「東京事へ……」というフレーズは後半にも引き継がれ、東京オリンピックについて語る際に避けて通れない椎名林檎のことへと話を展開させた。それにしても「しいなりんご」がアナグラムで「ごりんしない」というのは、30年後くらいに都市伝説みたいになってそうなエピソードだな、と思う。後半は終わったばかりの「麒麟がくる」をモチーフにし、これもまた実に瞬間風速的な時事ネタだな、と思う。最後の「三年後――」ももちろん「麒麟がくる」のオマージュである。「干支4コマ2020」なのに越年してしまった今年のグダグダを逆手に取り、もういっそ2024年(辰年)まで時代を進めてしまった。凱旋門とエッフェル塔の写真はフリー素材のものを使用させてもらった。大オチに瀬戸大也を持ってきたのもよかったと思う。我ながら、この混沌とした年の4コマをうまく着地させたと思う。そしてなにより、今年の干支4コマはタイトルデザインがよかった。もうタイトルデザインだけで成功は約束されていた。オリンピックを、これほどゲスな目で見る人間は、僕を除けばあとはトーマス・バッハくらいのものだろう。
 あとそうだ、どうしてもこれだけは言っておかねばならないのだった。12話に収まらなかったので泣く泣くカットしたのだけど、今回の主人公のねずみは、なぜベストみたいなものを着ていたのかと言えば、これはもちろん「ねずみくんのチョッキ」から来ていて、(ねずみだからチョッキを着ているんだな)と読者は自然と受け入れたに違いないが、それについて「え? これですか?」「ねずみだからチョッキを着ているんだろう、って?」「ちがいます」「ジレです」という4コマの構想があった。そのためにねずみはあの恰好をしていたのだ。カジュアルウエアにおける長めのジレって、なんともダサくて、またそのそこはかとない見た目のダサさと、「ジレ」という言葉の間抜けさが、すごくツボなので、「ジレです(笑)」というのは僕の中でかなり満を持したネタだった。しかしながらファルマンに、「あれは実はジレなんだよ」と話したら、「ジレって何?」という答えが返ってきたこともあり、ジレのことを滅法おもしろがっているのは俺だけなのか、と思って途中で止めることにした。これはいい判断だったと思う。なのであれは、ねずみだからチョッキを着ている、という単純な小ネタとして受け入れてくれて構わない。
 「麒麟がくる」が終わり、「青天を衝け」が始まり、僕の干支4コマもようやくねずみから牛へと移行する。とはいえもちろんすぐには始まらない。今年も間違いなく時事はいろいろ混沌とするので、この時点で始められるはずがない。ただし越年はしないつもりだ。ちなみに今年の牛編をもって、トラから始まった干支4コマは、ひと回りということになる。ひと回り! 「ひとりトラしてべっぴんさん」という思いつきから始まったこの企画も、コツコツと続け、12年ということだ。感慨深い。完成したら私家版として1冊にまとめて製本しようと思う。

2021年2月6日土曜日

暮し遠回り

 新しい住まいが本当に快適で、移住をするとなると土地柄とか利便性とか、生活にはいろいろ考慮しなければならない要素があるけれど、とはいえやっぱりいちばん大きいのは住まいだろう。その点、ここは本当にいい。日々そのことを噛みしめながら暮している。広いリビング、カウンターキッチン、天井の高さ、いいデザインの浴槽、どれもがよい。ファルマンの実家との距離は2キロほどで、車だと7、8分だし、自転車はもちろんのこと、徒歩でも往来可能だ。これも実にいい距離感だと思う。子どもたちがもう少し大きくなれば、そのうち勝手に向こうへ遊びに行くこともできるようになるだろう。とてもいいと思う。ぜひやればいいと思う。
 今はまだ子どもたちを実家にやるとなると、車で送迎してやらなければならない。今日はファルマンの仕事が立て込むというので義母に依頼し、日中あちらに託させてもらった。今回の移住の目的がそもそもそういうことだったわけだけど、実際にやってみて、実家の近くでの子育てというのはこんなに助かるものかと感動した。休日に子どもから解放される時間というものが、岡山暮しの間は本当に皆無だった。それはいま思えばずいぶんと過酷な状況ではなかったか。道理でみな、実家の近くに住むわけだ。やけに遠回りをして、われわれ夫婦はその真理に到達した。
 遠回りをするといえば、スマホ全盛の世の中においてガラケーに固執し続け、ガラケーとタブレットの2台持ちを経由し、タブレットに電話機能を集約させ(現在ここ)、そしてようやく僕は、「次はスマホだな、小さくて持ち運びしやすいだろうから」ということを決意しているのだが、これもまたあまりにもひどい遠回りだな、と我ながら思う。人生が自分にだけ800年くらい用意されているとでも思っているのだろうか。
 人生が800年、ということで思い出したが、2月6日はcozy rippleの開設日であり、僕の母の誕生日である。cozy rippleは17周年、母は67歳(たぶん)である。母の誕生日ということで、母の年齢を思い出そうとしたとき、はじめに「76歳だっけ?」と思ったのち、「いやさすがにまだそんなになってないか」と気づいて、「67歳か」と、たしか自分と30歳違い、という覚え方から導き出したのだけど、最初の76歳からすれば67歳はだいぶ若い印象になるが、そうはいってもあと3年もすれば母も70代になるのだなあと思い、そしてこの「あと〇年すればもう〇代」という言い方は、母が僕の誕生日に送ってくるメッセージそのものだなあと思い至り、結局のところわれわれ親子は、互いの年齢に対して「いい歳だなー」ということをひたすらに思い、そしてそう思う以上の感情は基本的に一切ないのだな、と思った。とりあえずおめでとうのメッセージだけ送っておいた。
 昼は子どもがいなかったので、夫婦で昨日の晩ごはんの残りで昼ごはんにした。そのときの会話で、ファルマンは島根に来たからには今後やはり免許が必要になってくるだろうということを痛切に感じ、生活がきちんと落ち着いたら運転免許取得に本腰を入れようかと漠然と考えているのだが、それに対して実家の面々、すなわち島根生活(それも子育て)において運転免許は必ずあったほうがいいということを身をもって実感している人々が、「やめておけ」「向いてないからよせ」ということを口を揃えていい、その筆頭はやはり娘の性格をいちばんよく知り、そしていちばんよく安全を願う義母なのだが、先日ファルマンが銀行などに用事があり、義母に車を出してくれるよう頼んで連れて行ってもらった時の車中でもその話になり、「絶対に事故を起すからやめたほうがいい」とやはり唱える義母の運転が、それはもう感情的でひっちゃかめっちゃかなもので、ファルマンは助手席でハラハラし通しだったそうで、僕はこの話を聞いて、こちらに引っ越してくるにあたり、夫婦でこれまで使っていたダブルベッドを処分することにし、こちらでは布団で寝るようになっていて、板の間に布団で果たしてどうだろうと不安だったのだが、厚みのあるいいマットレスを買ったらぜんぜん問題なく快適に寝られており、それはよかったのだけど、この変化において唯一存在する問題として、これまでベッド下の引き出しに詰め込んでいたエロ小説をどうするかというものがあり、結果的にどうしたかというと、ミシンテーブルの下に文庫本用の本棚を置いて、そこに並べて、棚はもちろん椅子に対して正面に向いているわけではなく、テーブルの左端に、右を向いて置かれているため、わざわざ回り込まなくてはどんなものが並んでいるのか分からないので、これでいいや、これはよかった、エロ小説が並んでいる様は本当に充足感があるなあ、ベッドの下に眠らせておくよりもよほどよくなったなあと満足していたら、多感なファルマンはそれでも許せなかったようで、ある日ずらりと並んだ背タイトルが、その前に本を置くことで目隠しされていて、その本がどういう本だったかといえば、『精子の〇〇』とか、『性の技法』とか、『エロジョーク集』といった、直截的なエロ小説ではないけれど、かといって大手を振って晒すのもいかがなものか、みたいな本たちで、ちょいエロ学術本でエロ小説を隠すって、「血で血を洗う」ではないけれど、なんか極限状態だなという感じがあり、でもちょうどいい喩えが見つからないなあと思っていたのだけど、ファルマンに免許を取らせるのが恐ろしいから義母の恐ろしい運転で用を済まさせてもらうというのが、まさに僕のこのエロ本棚の状態と一緒なんじゃないかと思った。妻と義母の関係性を、エロ小説とエロ学術本に喩えて、いったい僕になんのメリットがあるのか。
 夕方に子どもたちを回収し、晩ごはんは餃子を作る。こちらに来て初めての餃子。義母が知り合いからもらったという白菜が、ひと玉まるごとわが家にやってきたので、それで作った。親世代というのはお歳暮やお中元に代表されるように、物品のやりとりを実によくすることだな、と思う。そのおこぼれがやってくることも、実家の近くで暮すメリットに他ならない。餃子は相変わらずおいしかった。