2020年10月31日土曜日

10月感傷

 10月が終わろうとしている。壮絶な10月だった。なにがどう壮絶だったかは、まだ10月自体は続いているし、壮絶の内容自体についても、これからしばらくそれは続くので、ワールドワイドウェブになんか書けない。ここにブログの限界があるな、と思う。「百年前日記」と銘打って、リアルタイムの読者のことを本当に意識の埒外に置いているのならば、どんな赤裸々なことでも書けるはずなのだが、やっぱりそういうわけにはいかないのだった。偉そうなことをいっているわりに弱いもんだ、と糾弾されたら返す言葉がない。
 思えば今年はちょうど感染症が流行っているため、「日記に書けないこと」の多い1年だった。あそこに出掛けた、あの人と遊んだ、なんてことを書くとそれだけで批判されるし、実際にそこから感染者が現れたりしようものなら社会復帰さえ難しくなるほどの締め付けだった。でもたぶんそれは、2年後くらい、新型コロナのことが解決した暁には、「2020年の4月くらい、わりと友達と遊んだりしてたんだ(笑)」というのは、普通にいえるようになると思う。それをさかのぼって怒れるほど人の心は長続きしない。またそのときにはそのときで、その人は別のことで怒っているから、2年前のことに怒る時間なんてないだろうし。
 ブログと、時間と、人生なんてあたりのことを考える。ブログはウェブログで、ウェブ上に残す自分の足跡で、それはつまり人生で、普通に生きていたら消える記憶、それを書き留めておくために書く日記、しかしそれもまた、たいていの場合は自分が死ねば配偶者や子どもに処分されるが、ウェブログはいちおういつまでも残り続ける。そう考えると、ウェブ上には、人の思念、すなわち人生、すなわち人自身が、残りすぎてはいまいか。ネット空間では何十億人もの人とつながれる、という言葉は、同時代を生きる地球の人口という意味であることが大半だが、物体としては消え去った死者がウェブ上には生き残り続けているのだとしたら、これからネット空間で相まみえられる人間の数は、どんどん増えていくことになるのではないか。そして僕の日記は百年後の人の目に留まるだろうか。百年後の人から見れば、僕の壮絶な10月のことなんて、本当に瑣末なことだろうと思う。

2020年10月29日木曜日

ねえダイアナ

 ねえダイアナ、私、世の中があまりにも「鬼滅の刃」の話をしすぎだと思うの。Yahooニュースとかでもそればっかりだし、職場でFMラジオが掛かってるんだけど、そこのクソみたいなディスクジョッキーも、すぐに「鬼滅の刃」の話をするの。でも私はアニメをちょっと見てみたけどぜんぜん入り込めなかったから、その話題になるとすごく白けた気持ちになるの。
 パピロウは悪くないわ。世の中の「鬼滅の刃」ブームは度を超えているもの。
 だけどダイアナ、いま逆に「俺は「鬼滅の刃」興味ないんだよね」感を出すのも、私、ものすごくダサいと思うの。
 そうね。「世間一般とズレてる俺」感があるわね。フルーツポンチの村上ね。
 でもだとしたら今、この世に「鬼滅の刃」とのいい距離感なんて存在しないってことになるんじゃないかしら。どの立場の人間が、どういうスタンスで対峙しても、スベるんじゃないかしら。八方塞がりよ。いったいどうしたらいいのかしら?
 気に病むことはないわ、パピロウ。あなただけはスベらないわ。それにたとえスベったとしても、そのスベる姿が美しいわ。
 ありがとう、ダイアナ。ところで先日、ファルマンが「相手に興味がないのに「鬼滅の刃」を押し付けることをキメハラっていうらしいよ」っていってきたんだけど、だから私、「じゃあチンコを押し付けたらチンハラだね」っていったら、「それはセクハラ」っていわれたのよ。どう思う?
 盛大にスベる姿がとても美しいと思うわ、パピロウ。
 うふふ。

2020年10月27日火曜日

ダイアナキメたい

 アンがとにかく幸福まみれ、という話で、その中でもいちばんの幸福はなにかといえば、やっぱりダイアナの存在だろうと思う。アンの宿命の友(僕が読んでいるのは掛川恭子訳なので宿命の友である)、ダイアナ。アンが獲得しているものの中で、これがいちばんうらやましい。
 なぜならダイアナはアンに優しい。アンはそばにいられるとだいぶ厄介な人間なのに、ダイアナはそのすべてを受け入れる。アンに対して優しい人間はダイアナ以外にもたくさんいるが、マシューやマリラはやっぱり親子とか、あるいは祖父母と孫のような距離感なので、優しいのはある意味で当然で、そのためその優しさの価値は低い。しかしダイアナはそうではない。ダイアナは同級生である。同い年の女子ともなると、やっかみとかライバル心とか、普通いろいろあるだろう。実際、ダイアナ以外の同級生とは、アンはそこまで仲良くならない。しかしダイアナにはそういうのが一切ない。ただひたすらにアンを愛するのである。愛するとは、褒めそやすことであり、調子に乗らせることであり、だからダイアナと一緒にいるアンは、どんどん気分がよくなっていく。ダイアナがまた、おつむの出来も、容姿も、アンよりも劣るところがよい。ダイアナはアンを具体的に「ここがすごい」「すばらしい才能だ」と賞賛するが、アンはダイアナを褒めることはない。なぜならダイアナに褒めるところなんてないからだ。アンがダイアナにかけてやる言葉はひとつだ。「あなたは最高の友達」。なぜなら私の気分を良くしてくれるから。
 なんとすばらしい存在だろうか。もはや人間の形をしたアルコール、あるいはドラッグである。そう、ダイアナとは合法ドラッグだったのだ。アンはヤクをキメてやがったのだ。道理でだ。道理でアンはやけにハッピーな感じだと思った。なんか怪しいな、と検察は前から目をつけていたのだ。そういうことだったのだ。
 ダイアナがそのことに気づかせてくれたが、純度の違いはあるにせよ(ダイアナはもちろん一級品)、要するに仲の良い友達とはドラッグだということだ。集団になるとテンションが上がって昂揚するあの感じは、まさにドラッグの症例だろう。そのうえドラッグと同時にアルコールを摂取したりするから、いよいよそのハッピーはとんでもないことになる。これが合法だというのなら、法とはいったいなんだろう。あいつらだけハッピーすぎるじゃないか。友達と飲み会をする人たちは、オーバードーズで具合が悪くなればいいと思う。

2020年10月26日月曜日

アンというドリーム

 「赤毛のアン」は3巻、「アンの愛情」の途中で唐突に飽きた。
 はじめの「赤毛のアン」で、僕はなにに感動したかといえば、二次元ドリーム文庫に匹敵するほどの、物語の開始直後からただただ主人公がうなぎのぼりにいい思いをしてゆくだけ、という部分だったわけで、はじめ孤児だったアンが、(アクシデントは伴ったにせよ)養子としてグリーンゲイブルズに引き取られ、愛され、友達ができ、優秀であることが判って周囲から一目置かれるようになり、さらにはコンプレックスまみれだった容姿も成長に伴い褒められるようになって、本当にアンはどんどん高みに上っていった。それは夢のような話で、まあ実際に夢物語であり、でもだからこそ、読んでいるとしあわせな気持ちになれた。しかししあわせはそう長く続かない。「しあわせは長く続かない」というと、まるでその先に不幸が待ち受けていたかのようだが、アンに関しては決してそんなことはない。アンは3巻で大学に通い、青春を謳歌し、やはり順風満帆に暮している。しかしそれはここまでの流れからすれば当然のことで、そこに望外の喜びや僥倖はない。予定調和の、健全な心地よさである。それはいわば安定飛行であり、ずっと高みにはあるのだが、しかしこれまで以上に高度が上がることはない。そして高度が上がらないので、読者としてはどうしても飽きてしまう。
 まったく読者というのは勝手な生き物だと思う。でも実際その通りなのだから仕方ない。安定したしあわせほど退屈な読み物はない。これを打開するためには、これが「赤毛のアン」でなければ、主人公をいちど不幸にさせたのちに再びしあわせにする、という方法も考えられるけれど、アンを不幸にさせるわけにはいかないので、だとすればさらに上っていくより他ない。しかし孤児からスタートして、養子になって大学に通い、誰もが絶賛する好男子に告られ、懸賞小説で賞を獲り、さらには多額の遺産を相続したアンに与えられるこれ以上のしあわせとはなんだろう。二次元ドリーム文庫でも、女学園にひとりだけの男子生徒である主人公が、生徒全員から求められセックスするようになってしまったら、そこから先はもうない。もとい、はじめ、クラスメイトである委員長やスポーツ少女、そしてギャルなど、メインキャラをひとりずつ篭絡していったときの感動は、数の上ではその時代をはるかに凌駕していても、名もなき全校生徒女子が股を開く情景では、かなわない。飛行機はやっぱり離陸の瞬間、浮上しはじめるその瞬間に、いちばん価値がある。いまのアンはまさにそんな状態で、アンはもうアボンリーのほとんどの住人から股を開かれているといっていいが、しかしそれははじめの、マリラやマシューやダイアナと心を通わせるようになるときの喜びからしたら、あまりにも弱いのだ。
 しかしアンの物語はこれ以降も続き、全部で10巻ほどもある(すべてがアンが主人公というわけではないようだが)。ちょっとあまりにも飽きたので読書は中断するが、いつかは続きを読んでみたいと思う。これはアンの物語であると同時に、抱きたい女をすべて抱けるようになった二次元ドリーム文庫の主人公は、そこから先どうなるのか、という疑問の答えの物語だ。

2020年10月25日日曜日

続いていますように

 いま勤めている会社は電波状況がやけに悪く、タブレットでウェブページを見ようとしても、表示までにずいぶん時間がかかる。ストレスである。しかしそんなストレスを抱えながら、休憩時間にどんなページを見ようとしているのかといえば、ただのYahooのトップページにある記事だったりするので、見たところで大した意味のないそんなものでストレスを溜めるのなんて、本当にくだらないことだと思う。ところで世の中はいま、5G回線のことで盛り上がっていて、つい先ごろ発売されたiPhone12はそれに対応しているとかで、これでますますいろんなことができるようになる! といって喜んでいる人たちがテレビに映っていたが、Yahooの記事がなかなか表示されないような電波環境はさすがに参るにしても、いったい彼らは、これまでとは桁違いらしい5G回線で、なにをするのだろう。果たしてそんなにおもしろいものがウェブ上にあるだろうか。新型コロナのせいで、世の中の多くのイベントがオンライン開催となっていて、別に僕は生身であってもイベントになんか参加しないけれど、それがオンラインとなると、いよいよなんの価値も見出せなくなるのだが、5Gの到来に喜ぶ人々というのは、たぶんそういうものに参加して、ちゃんと愉しむことができる人たちなんだろうと思う。そこにはやっぱり根幹に、他人と「つながりたい」という欲求があって、僕はそれが欠如している(特にウェブ上においては)から、5Gになんの魅力も感じないんだろうと思う。5GのGは、generationであるわけで、なるほどそれはもう世代としかいいようがないな、と思う。これは実年齢で区切る世代ではない。iPhone12を発売日に購入したことでインタビューに答えていた人は、僕よりも年上のように見えた。でも彼らは次の世代、次の年代に進むし、僕は進まない。もうここで、彼らと僕らは人間としての世代が分かれた。5Gがあるということは、6Gだってあるし、7Gだってあるだろう。彼らはきっとその道をどこまでも突き進む。僕はもういい。Yahooの記事を読むだけなら、電波環境さえ悪くなければ、いまの回線で十分だ。だからもういい。もうずっとここにいる。進みたくない。進む意味が見つからない。僕はウェブ世界のアーミッシュとして生きたい。なるほどブログってアーミッシュだな、という感じがする。百年後の未来にもこの理念が続いていますように。

2020年10月24日土曜日

同一人物なのに名前が違うあの人々について

 人は、ひとりひとりみんな違うというけれど、実はそんなことないと思う。
 新しい職場で、少しだけ年下の、既視感のある人がいて、これ誰だっけな……、と思い返してみたら、大学のサークルにいた後輩だった。そっくりだった。むしろ同一人物のように思えた。なのになぜか名前は違った。でもやっぱり人間は一緒なんだと思った。たぶん、関東のその集団と、岡山のこの集団は、本来ならば誰も共有しないはずだったのだ。だから安心して、全く同じ人間が配置されたのだと思う。しかし縁故のない岡山に急に移住して、大学の学部とはぜんぜん関係ない職種に進んだ、想定外の厄介者がいて、そいつは全く同じ人間を知っているものだから、(あれ?)となった。このケースは前にも体験していて、大学時代のバイトの同僚は、島根での酒蔵勤めのときの同僚と絶対に同一人物だったし、書店員時代のパートのおばさんは、初夏まで勤めていた縫製工場にもちゃっかりいた。あまつさえこのおばさんに関しては、僕は本当に名前を間違えて呼んだことがある。それくらい同じ人だったのだ。これら同一人物たちが、どこまで自覚して同一人物をやっているのか知らないが、縫製工場のおばさんは、書店員時代の名字で呼ばれて、内心びくびくしていたかもしれない。
 こうして文面にすると、なんだか僕がノイローゼ患者のようだが、信じてほしい。本当に同じ人なのだ。東京と島根、東京と岡山とかだから、油断して差配したら、僕のような越境者によってバレてしまった。日本人は1億人以上いるとはいえ、新型コロナウイルスの蔓延が示すように、外部との交流の激しい世の中である。同時代の、せいぜい800キロメートルほどの距離で同じ人間を置くのは、さすがに攻めすぎだろうと思う。たまにはそういう、ぎりぎりのスリルを味わう遊びでもしないと飽きるのかもしれないが、僕のように、ふたりともと出会ってしまった人間は混乱するはめになる。巻き込まれるほうはたまったもんじゃない。
 ただこんなことをいっておきながら、例として挙げた3パターンとも、関東でその人と接していた時代から、島根や岡山で再びその人と出会うまでに、5年以上の月日が経っていて、かつ関東のその人たちとはそれぞれとの別離以来、もちろん一切の関りを持っていないことを思うと、島根や岡山でその人と会ったときには、関東のその人の姿はだいぶ霞がかっていて、というよりもほとんど忘れていて、そこへ似た性質の人が目の前に現れると、僕の中で関東のその人が、一瞬で目の前の人物に取って代わられ、僕の頭の中で同じ人物として処理されるだけのことかもしれない、とも思う。ノイローゼじゃない証拠に、そんなことも思う。
 これが実際どうなのかを判定するためには、当該のふたりの人物を同時に並び立てるよりほかに方法がないが、この話に登場した6人の人物とは、誰とも仲良くないので、そんな実証実験は夢のまた夢だし、もしも叶ったとして、ふたりを引き合わせた瞬間に宇宙が爆発するのも避けたい。なので真相は闇の中だ。

2020年10月23日金曜日

鼠が来る

 今年の日記を相変わらず読み返している。
 今年はとにかくカッティングマシーンが愉しそうだ。手に入れたのがよほど嬉しかったんだろう。トートバッグやTシャツをもりもり作っていて、溌溂としていた。ちなみに先日からいっている、前のパソコンの、取り出せるものなら取り出したいデータの筆頭は、このカッティングシートのデータだ。これが外付けハードディスクに入れていなかったため、丸ごとなくなってしまった。ちょっとショック。まあやり直せばいいんだけどさ。
 それにしてもトートバッグはあまりにも日常的に使用しているため、ただの風景のようになってしまっていたが、トートバッグ製作報告の記事を読んで、「JUST WORRY DON'T DESPAIR」というフレーズに、やけに感動した。これってすごくいい言葉じゃないか。すごく沁みないか。僕だけなのか。お前ら感受性が死んでるんじゃないのか。
 あと、さらに読み進めていたところ、「干支4コマ」が登場したので、ああ……、となった。11年目の干支4コマ、ねずみ年なわけだけど、3月22日に6話までやったところでバッサリと中断している。中断したあと、別の日記で中断したことについて、「作中では無観客開催をネタにしたけれど、それから世の中的には無観客どころか中止という流れになっているのだから、この4コマもつまりそういうことだ」と言い訳している。たしかにこの激動の2020年という年の干支4コマを、上半期の時点で完成させてしまうわけにはいかなかった。しかしそうして放置していたら、気温が下がってきて、じわじわと感染者数がぶり返してきたりしてきている。紅白歌合戦だって無観客でやることが決まった。干支4コマねずみ編は、こうなったら越年を視野に入れたほうがいいかもしれない。毎年、年内に終わらないんじゃないか疑惑を持たれつつも、なんとかかんとかここまで免れてきた干支4コマだが、今年に関してはしょうがない。むしろ今年に関しては、越年こそがひとつのネタになるのではないだろうか。だとしたら最終12話は「本能寺の変」で決まりだ。

2020年10月21日水曜日

繰り返すピイガ

  ピイガがファルマンに作り方を習ってミサンガを編み、プレゼントしてくれる。パパの好きな色だよ、といって渡してくれたのは、赤と黄色と黒のドイツ(あるいはベルギー)のトリコロールだった。黄色以外は特別好きだと表明した覚えはないな、と思ったけど、でもまあ好きな色を3つ挙げろといわれたら、山吹色と、臙脂と、濃紺ということになるかもしれない。だからたしかにまあまあ近いやもしれない。
 それにしたってミサンガである。ミサンガといえばJリーグであり、その開幕は1992年であり、当時の小中学生女子は阿呆ほどミサンガを編んだものだった。姉もやっていたし、もちろん遠い島根でファルマンもやっていたわけだ。そしてその技術が娘へと伝承され、いま2020年、僕の左腕にはミサンガが巻かれている。実に四半世紀以上ぶりのミサンガである。いまミサンガをしている人間って、たぶん相当な思い入れのもとに巻いているんだろうから、それだけで少し身構えて接しなければいけないような気がする。やはり自動的にJリーグと結び付けて、サポーターなのかなと思い、だとすれば地元とか仲間とかを侮辱されるとめちゃくちゃキレる人だな、発言には気を付けなければな、と考えるのだと思う。かくいう僕もそれだ。対応には細心の注意を払ってほしい。
 それにしても世の中は「鬼滅の刃」の映画が大ヒットだというのに、我が家はミサンガに「らんま1/2」と来たもんだ。なぜだろう。普通に生きて、普通に子どもたちに愉しいものを与えようとしているだけなのに、なぜ格別の信念があるかのようになってしまうんだろう。
 そんなことを思っていたら、ピイガが今日、学校の図書室から借りて帰ってきたという本が、なかむらみつるの「やさしいあくま」で、いよいよいったいなんなのだ! と思った。ちなみに僕は326に対して脛に傷はないけれど、ファルマンはしっかりとあるらしい。多感な中高生時代に、326と19に、「ちゃんと」嵌まっていたという。それにしても本当にピイガはどうしたんだ。ミサンガと326。個体発生は系統発生を繰り返すのだろうか。だとすれば次はなんだろう。MDウォークマンだろうか。

2020年10月20日火曜日

新しいパソコン

 パソコンが届く。嬉しい。安物とは思えないシュッとしたデザイン。かつて、安物は野暮ったいものだったが、世の中いつの間にか、「シュッとしたデザイン」はタダみたいなものになったのだな。キーボードとマウスも付属されていて、どちらもひどく洗練された様式だったが、これは洗練されすぎて使いづらいので、従来のものを使うことにした。キーボードはやっぱり、キーがちゃんと沈まなければならない。
 昔は辞書みたいなのが何冊も付いてきた説明書も、いまはパンフレットみたいなものがあるきりだ。当時はインターネットへの接続を、インターネットの知恵を借りずにやらなければならなかったわけだが、今はもうスイッチを入れればあとはパソコンが勝手に気を利かせて、繋いだり同期したりしてくれる。便利すぎる。ちょっと甘やかしすぎではないのか。
 かくして新パソコンライフが開始した。この10日あまりの、タブレットでのインターネットやブログ更新は、本当に不便だった。キーボードやマウスを繋いではいるものの、キーボードは早く打つと処理が追いつかなくなるし、ちょっと難しい言葉になると変換候補に出てこなかったりする。そしてなにより、マウスの右クリックができないのがストレスだった。右クリックのもんだろう。パソコンの操作って、めちゃくちゃ右クリックのもんだろう。それがないところ、それがなくても済むところに、スマホがあればパソコンいらない世代との乖離がある気がする。
 まっさらのインターネットブラウザに、お気に入りのページを入れてゆく。お気に入りのページは、どれほどフォルダでまとめても、いつしかバーにぎっしりと詰まるもので、前のパソコンももちろんその例だったが、今となっては何がそれほど立ち並んでいたのか、ほとんど思い出せない。これは2年前、前のパソコンを手に入れたときにも書いた。自分のブログ類や、図書館やエロサイトなど、覚えている主要なものだけは抽出したが、まだまだスペースは余っている。またいつか見るかもしれない、と思って長く消さずにいたページも、消えてしまえば完全に意識の埒外だ。断捨離ですっきりした。とはいえしばらくすれば、やっぱりバーは埋め尽くされるだろう。
 そして目下の悩みの種は、前のパソコンの処理だ。できれば取り出したいデータはあるものの、しかし起動しない以上、手放すのはやむを得ない。しかし前にも書いた通り、その起動しなさはとても惜しい起動しなさなので、その道の人が然るべき操作をすれば、案外すんなりと復活しそうだと思う。本当にもうどうしようもないくらい、中身がぐっちゃぐちゃだったり空っぽだったりすれば、心おきなく廃品回収とかに出せるのだけど、そういうわけではないので面倒くさい。どうすればいいんだろう。どんど焼きとかに出したい。

2020年10月19日月曜日

布団の中でのこと

 夜中、異様な声で目が覚めた。小さい女の子が慟哭しているような声。それが延々と続く。
 しかしいまどき、小さい女の子は夜中に慟哭しないだろう。ポルガは幼稚園くらいの頃、嫌な夢を見て夜中に目を覚まし、夢と現実の区別がつかなくて、しばらく大泣きしたことがあったが、そういう泣き方ではない。悲しくて泣いているのではない。慟哭だ。泣きつつも、立ち向かっている。そんな泣き方である。
 だから泣いているんじゃなくて、鳴いているんだろう、猫だろう、と思う。発情期というやつか、と寝転がりながら思う。しかし考えてみたら今は10月ではないか。猫が発情する時期ではない。とはいえ、猫が春先以外に発情してはいけないという法はない。絶対に勃起するような場面じゃないのに勃起することもある。そういう日ってあるよ。
 そんなわけで睡眠を妨害されたが、参ったな、という焦燥感はなかった。なぜなら、最近は7時間睡眠をきちんと取るようにしているからだ。本当にきちんと取る。6時間ほど寝られるようにベッドに入ることはない。ちゃんと7時間確保する。そうしたら寝起きも日中も如実に怠くなくなった。よくいわれる睡眠負債というものが貯まっていないのを実感する。長年の習慣か、6時間ほど寝たところで目が覚めることがよくあるのだが、それは起きなければならない時間の1時間前なので、それから布団の中で、寝ているとも寝ていないともない状態を過すのが気持ちいい。考えなければならないことが暮しの中にたくさんあって、それは得てして心をかき乱すのだけど、その1時間の半覚醒は、まどろみの中にあるので思考などぼやけてしまい、現実を超越している感じがある。そんな浮遊しているような早朝の不思議な1時間が、いまやけに愉しい。

2020年10月17日土曜日

地獄短歌十首 その2


 最後尾らしき所に近づいて(ここ?)と問えば鬼が頷く

 列は長くどれほど待たされるのかと思うが意外と進みは早い

 行列に並ぶ死者らはどう見てもみな日本人なんでやねんな

 国別にあの世が区分けされるならゴタゴタするだろあの地域とか

 何万もの人がいるのに物音はたまに鬼らの放つ痰のみ

 鬼怖し棍棒を持ち虎柄の腰巻きをする3メートル超

 「おしゃべりを前後の人とすることを固く禁ず」の張り紙重し

 「おしゃべり」に「お」が付くことや印刷のフォントが極太丸ゴシックなこと

 順番が徐々に近付き聞こえくる閻魔の裁定テノールボイス
 
 「天国」と「地獄」を略さず各人に告げる閻魔に好感を持つ

つづく

2020年10月16日金曜日

俳句の風景

 5月に運動会ができなかった小学校だが、寒くなる前の佳日に、せめてもの発表会的なものを開催するそうで、ということはあの、各学年でやるダンス的な演目なのかと思いきや、大体が徒競走やリレーらしい。「せめてもの」というコンセプトで催される、骨と皮だけの運動会で、採用されるのはそっちのほうなのか、と少し意外だった。もっとも休校で汲々とするカリキュラム的に、ダンスの練習時間など取れないという、実際的な問題もあるんだろう。ちなみに開催は平日で、観覧に関しても、その時間はその学年の子どもがいる親だけ、というシステムだそうで、普段でさえ子どもらの通うマンモス小学校の運動会は時間がタイトでシステマティックに行なわれるのに、今年はそれに輪をかけて、味も素っ気もなく、「催した」という事実だけが醸成されそうだと思う。
 ところでその練習として、ポルガは授業でこの頃リレーをしているそうなのだが、その際に気づいたこととして、「リレーのバトンは振ると音が鳴る」といい出した。はじめはなにをいっているのかと思ったが、リレーのバトンは筒なので、そこに空気が鋭く通ると、笛のようになって音が出るという、そういう話らしい。
 「俳句だ」と僕はいった。お前、それは俳句にするべき風景のやつだよ。
 それで夕飯の席は、俳句を考える場となった。こういうときいちばんに答えるのはいつもピイガだ。なぜならピイガは勢いだけでできている人間だからだ。その答えは、『リレーでねバトンが音を鳴らしたよ』というもので、実にピイガらしい、勢いの句だった。「「でね」とか「よ」とかを使うのはよしたほうがいいと思うよ」と寸評した。季語がないことは僕は別に問わない。
 ちなみにファルマンとポルガはなにも発表しなかった。
 じゃあ僕はどんな句を作ったかというと、『秋の日の走者が奏者となるバトン』というもので、上五は歳時記を見ればもっとふさわしいものが見つかりそうな気がするので便宜的なものとして、「走者」と「奏者」を掛けたのは、これはもう我ながら実に小手先のテクニック感がある。ちなみに「なる」もまた、「成る」と「鳴る」を掛けていて、もはや俳句をやってんだかライムをやってんだか判らない。寸評は「小賢しい」ということになるだろう。
 そんな秋の食卓。メニューはミートソーススパゲッティ。

2020年10月15日木曜日

地獄短歌十首 その1

  
 目覚めれば白い着物を身に纏い着物はたぶん七五三ぶり

 三角のあれが視界を塞ぐので持ち上げたらば目の前は川

 天国と地獄があれば地獄だと思っていたがまさかあるとは

 奪衣婆ふり切り六文銭払い三途の川を渡るクルーズ

 振り返り賽の河原に目を遣れば小さな影が石を重ねる

 どこまでも聞いてたとおりに展開す死語の世界の既視感たるや

 舟を降り人の流れに加われば鬼が誘導する本会場

 赤鬼は角が一本青鬼は角が二本の裏切らぬこと

 行列の先に見えるはどこまでも絵で見たままの閻魔大王

 こんなにもベタなあの世があるものか頬をつねるが起きぬ 死んでる

つづく

2020年10月14日水曜日

終わった夏の短歌

 
パイル地の部屋着でそのまま来てしまうお前の無邪気が怖く可愛い

陰嚢を蝶々と呼んだあの人の鱗粉まみれの指のつやめき

小便と精液どっちが出てくるか判らないから見ていてごらん

おっぱいがバインバイインバイイイインと徐々に膨らみ徐々に遠のく

長月のまだ夏服のJKがローファーで踏むペダルとペダル

おっぱいが揉み放題と聞いたのでちんこを持って生まれてきたよ

陰毛がごくごく普通にはみ出てて動じる俺が間違ってゐる

よく見れば千鳥格子になっているショーツはあっという間に剥がれ

フレンチやディープと世間がいうキスを俺とお前は大キスという

十八才ぬれた体で駆けてこいタンパク質のシャワーあげよう

満潮と干潮がありどうしても海は私を淫靡にさせる

陰毛が化学実験失敗しチリチリになる女子校の午後

陰嚢がどこかすました顔してら今年の夏も過ぎ去ったのな
 

2020年10月13日火曜日

新しい生活様式

  パソコンを注文する。まだ届いてはいない。中古のものをどこで買おうかなあとあぐねていたら、ファルマンが検索して、新品なのに5万円以下のものを見つけてくれたので、それを注文したのだった。やっぱり僕のようなパソコンの需要ってあるのだな。特別それで大がかりな何かをするってわけじゃないけど、とりあえず自宅に自分用のパソコンがないと困るという、そんなふわっとした需要。中古は保証などで少し不安なところがあるので、そこまで遜色ない値段で新品が手に入るのなら万々歳だ。実際、長くも持つだろうし。
 突然逝ったパソコンは、どう逝ったのかといえば、起動スイッチを押しても起動しなくなった。たまにコンセントを付け替えたりしてからスイッチを押すと、電気が点いて、フォオオオオンと、起動するような音がするのだけど、ちゃんと立ち上がるより先に、5秒くらいで力尽きて、電気が消えてしまう。そしてそのあと何度スイッチを押してもうんともすんともいわない。はじめに少し反応はするけど、そこから次の本格的な段階に繋がらない感じは、車でいうエンジンが掛からない空ぶかしの様子に似ている。どうやらコンピュータそのものは、まだ立ち上がる意志があるようだが、人間でいうところの血管とか関節とか神経とか、そういう部分に支障があって、どうにもこうにも起き上がれない感じなのだと思う。じゃあ修理すれば案外すんなり直るんじゃないの、という気もするが、そもそもが中古なので、またいつ壊れるとも知れないそれに修理代を出すのもやはり馬鹿らしい。
 外付けハードディスクに入れていなかったデータというのも多少あって、それは少し残念だし面倒だが、でも僕はわりとこういう、清算してまっさらな状態になるのって、嫌いじゃないのだ。ファルマンにいわせると、淡白で薄情ということになるが、失ったのなら失ったで、またイチからやっていけばいいかなー、と思っている。
 そんなわけで新しいパソコンがやってくるのが今はとにかく愉しみ。ちょうど再びブログを日課としようとしたところでのこの事態のため、ここ数日のブログはタブレットにBluetoothキーボードで書いているのだ。これがまあ、どうしたっていささかやりづらい。いささかやりづらくても、できているのだから便利だなあとは思うけれど。新しいブログ、新しいパソコンに、ついでにいえば職場だってつい最近に新しくなったわけで、生まれ変わったような、やっぱり嫌いじゃない、清算してまっさらな状態になった喜びがある。

2020年10月12日月曜日

Twitterに対する複雑な感情について

 ブログが収束したと同時に、Twitterでほぼ毎日ペースでやっていた短歌も止まってしまった。ブログとは別物なのだから、あれはあれで続ければいいように思うが、収束と拡散というのは、要するにそれまでの体制に対するウンザリから起るわけで、そのウンザリの中にTwitterも含まれていたということらしい。
 Twitterを開設したのは去年の8月なので、14ヶ月ほどやったということになる。その感想として、Twitterというのは、たしかにブログなんかよりもはるかに外界と繋がりやすく、反応を得やすいが、でも本当にただそれだけのものだな、と思った。それまで10年以上、ほぼ他者のリアクションがない状態でブログをしていたものだから、ぜんぜん知らない人の寄越した「いいね」に、はじめのうちは色めき立った。でもだんだん、あまりうまくない歌には「いいね」がつかず、うまいこといっている歌には「いいね」がつくさまを見て、そんな歌の良し悪しなんて、わざわざ他者に「いいね」で評価されんでも自分で判ることだし、それにきっと、知らず知らずのうちに、自分は「いいね」がもらえるような歌を詠みはじめている、ということを感じるようになった。僕のTwitter上に並んでいる歌を見ても、とてもそうは思えないかもしれないが、僕の中ではそう感じていた。だとすればそれって、一種の添削であり、矯正であり、もはや結社だ。巧者のいない結社。そう考えれば、ただでさえ結社に所属しようと思わない僕が、結社の、それも巧者のいないやつに身を置く理由は一切ないということになる。巧者のいない結社って、それはもう、最悪だろう。ただの親睦会だ。実際そうだ。Twitterって、要するに親睦会だ。集いたいタイプの人たちが集う場所。そして現実世界の親睦会に、僕は参加するか、という話だ。地域の祭りの会合に参加するか。PTAの打ち上げに参加するか。もちろんしないのだ。するわけないのだ。全力で避けて生きているのだ。そんな僕がなぜTwitterをするというのか。そもそも理屈になっていなかったのだ。
 というわけで、しばらく勃鬼の短歌Twitterは休むと思う。時間を置いて、自分の中でなにかの整理がついたら、またはじめようと思う。不意に思いついたことを、メモ代わりに記しておく、という力の抜けた使い方なら悪くないと思うのだ。そこに、なにぶん反応を得やすいツールであるがゆえに、功名心のようなものが発生してしまうのがよくない。しかし功名心が本当にないのなら、メモをTwitterでやる意味ってなんなのか、ということになる。ここが解決しない。

2020年10月11日日曜日

「以前」と「以後」の感慨

 今年も10月に入ったので、cozyripple流行語大賞のための、この1年間の日記の読み返し作業をはじめた。開始が早すぎるかもしれない。数年前までの、日記を意地でも毎日なんかしら書いていた時期の名残で、10月に入るともうそれをしないといけない気になるのだが、今年なんてたぶん、これまでで最も文章量が少ないように感じるので、そこまでこの作業に時間はかからないようにも思う。でもはじめた。
 それでまず、去年の11月(23日以降)や12月の記事を読む。なにしろ今年の場合、2020年というのは人類全体にとって、「以前」と「以後」に分けられるような、そういう年となったので、その「以前」である時代の日記を、「以後」の僕が読むと、独特の感慨がある。
 それが最も顕著に現れたのが、12月1日に「PAPIROTOIRO2」投稿された、「パピロウの日報告 2019」だ。世界中の(架空の)国々から、それぞれの地域ごとの独特のセンスで催された、パピ労感謝の日のビデオを送ってもらい、それを紹介するという、言わずと知れた毎年恒例の大人気企画だが、その序文で僕はこんなことを書いている。

『今年もパピ労感謝の日の朝を、そして夜を、人類が無事に迎えられたことに、僕はとても安堵している。温暖化とか、大量破壊兵器とか、いろいろ問題があって、さすがに来年はもう無理かな、終わっちゃってるかな、と思いながら日々を過しているが、なんとか今年も世界は、(畏れ多くも)パピ労に感謝してもよいとされる日を持つことができた。それよりもめでたいことなんて、この世界にひとつもない。祝え。人類よ、穢れの多い世界を営む自分たちのことを大いに恥じつつ、今日ばかりは大いに祝うのだ』

 なんだかんだで、こんなことをいっていた時期は平和だったというか、温暖化も大量破壊兵器も、危機だ危機だと声高にいうばかりで、実際のところはぜんぜん身につまされてなかったんだな、ということを感じる。
 果たして今年はどうなるんだろう、パピロウの日報告。別にビデオレターだから新型コロナは関係なく、そもそも架空の国の話(ただしモンゴル以外)であるとはいえ、今年の世界規模の話題において新型コロナに触れないのはあまりに間が抜けているし、かといって架空の国の新型コロナの感染状況の話なんて悪趣味きわまりない。さてどうしたものか。
 あと今年の1月5日付、これもまだ「以前」ということになるが、年末年始の横浜帰省(この際、藤子・F・不二雄ミュージアムと国立科学博物館に行ったのだ。本当に隔世の感がある)の日記の最後のほうに、『次に実家に行くのは5月か8月か』という記述があり、これにも大いに感じ入る部分があった。1月の上旬時点の僕の、2020年の5月と8月への無邪気さと来たらどうだ。この数ヶ月後、日本中に自粛警察が跋扈し、取り締まりが凄惨をきわめるとは、いったい誰が予想できただろう。この無邪気さが切ない。
 あとすっかり忘れていたが、この正月の帰省の際は、祖母は横浜にいなかったのだそうで、だとすれば祖母とはずいぶん直接顔を合わせていないのだな、と思った。しかし帰省かー。次の年末年始なー。どうなんだろうなー、マジで。

2020年10月10日土曜日

ポルガの話

 学校の視力検査にポルガが引っ掛かる。これまでの検査で、そう優れた視力ではなかったが、それでもずっと引っ掛からずに来たわけで、なぜ急に、と思った。それで話を聞いてみると、「今回の視力検査では「要検診」の子が大量に出た」そうで、じゃあそれって学校の検査の環境が悪かっただけじゃねえの、という気も大いにしたのだが、それでもいちおう眼科に連れていった。その結果、眼科医の見立て的にも、「まだ別に眼鏡を作らなくてもいいかな……」くらいの、決してよくはないけどそこまで悪すぎるわけでもないよ、という既知の事実のお墨付きが出たのだが、そのあとに医師が「作りたいの?」とポルガに向かって訊ねたら、「作りたい!」と即答したそうで、「じゃあ、まあ、診断書を出しておこうかね」という流れになり、まんまと憧れの眼鏡を手に入れるための外堀を埋めることに成功したのだった。しかし今のところ、斯様に緊急性もないことだし、なにより近ごろのポルガと来たら、忘れ物が多かったり部屋を散らかしたり、生活態度があまりにも悪いこともあり、とてもじゃないが眼鏡を買い与える気が起きないため、購入は保留している。もうしばらく眼鏡で釣って、いろいろ改めさせてやろうと、親としては算段している。うまくいかないんだろうな。生活態度の向上より、視力の本格的な悪化のほうが早いんだろうな。
 そんなポルガは、いま「らんま1/2」にど嵌まりしている。もちろんファルマンの影響によるものである。単行本をブックオフで買って読んだり、図書館にアニメ版のCDがあったので借りてきて聴きまくったりして、どっぷり浸かっている。「ドラえもん」や「セーラームーン」は、前者はバリバリに、後者もそれなりに、2020年現在もその活動が続いているので、まだ言い逃れの余地があったけれど、「らんま1/2」はいよいよ弁明のしようがない。この家の親は、現代の漫画作品から完全に脱落し、自分たちが子供のときに愉しんだものしか、自分の子どもに与えない。「ミニオン」も「鬼滅の刃」も、この家には見えないバリアによって弾かれる。父親のほうなんてとうとう「赤毛のアン」に目覚めたので、その愉しさを子どもに啓蒙したくしてしょうがないほどである。ちなみにポルガはクリスマスに、「「らんま1/2」のなにかをもらう」と言い出している。サンタの眉間のシワが目に浮かぶ。この家は去年、「セーラームーン」のルナのぬいぐるみを欲しがった子の家だな、あのときもメルカリとかで面倒だったんだよな、それでも「セーラームーン」はまだ市場があったのだ、でも「らんま1/2」はいよいよ無理だ、阿呆か! 「鬼滅の刃」グッズを与えたら小学生は喜べ! 阿呆か! と悪態をついていると思う。申し訳ない。申し訳ないというか、その面倒はそのまま自分たちに降りかかる。
 あとついでに今日はポルガの話をするが、先日学校から持って帰った集金袋に、代金の名目は生徒が自分で記載するらしく、「秋の遠足」と書くべきところを、字をものすごく雑に書くことで知られるポルガは、「秒の遠足」と書いていて、笑った。行ったと思ったらすぐに帰ってくる、秒の遠足。ちなみに集金額は1500円。コスパ悪!

2020年10月9日金曜日

秋のパソコン

 パソコンが逝く。唐突だった。なんの兆候もなかった。最近やけに重たくなったとか、唸り声をあげるようになったとか、そういうことは一切なかった。思えば淡々とやってきて、淡々と日々の業務をこなし、淡々と壊れたパソコンだった。この期間中、見損なったこともなかったし、見直したこともなかった。まるで都会的な愛人のようなパソコンだったと思う。いまもまったく同じことを思うが、もう当時から、パソコンを新品で、15万円とか出して買う必要はぜんぜんないな、ということを思って、インターネットと、あとは僕の使ういくつかのソフトが動けばそれでいいやと、中古のとても安いものを買ったのだった。その前のパソコンは、まさに15万円とかそういう値段のもので、それを8年間使ったので、その日割りから考えれば、このパソコンは2、3年使えれば御の字だな、ということを僕は当時の日記に書いている。当時の日記とはいつかといえば、2018年の10月下旬であり、その文を、家に届いてすぐのそのパソコンで打っていたと考えると、このパソコンの聞き分けのよさは、いよいよおそろしくもなってくる。別れの気配をちゃんと読んでて上手に隠した旅行鞄にはずした指輪と酒の小瓶の世界だ。俺には過ぎたパソコンだったのかもしれない。
 それでまた新しいパソコンを、やっぱり買わなければいけない。「家にパソコンはない、スマホだけ」というスタンスの人への理解は年々高まっているが、それでも僕にはパソコンが必要だ。とはいえハイスペックである必要はやっぱりぜんぜんない。テレワークもしないし、オンラインゲームもしない。僕のパソコン使いは本当にとても質素だ。だから素朴な機能で、その分ひたすら長生きのパソコンがあればいいなと思うが、それが要するに、安い中古パソコンをなるべく長持ちするよう使い、壊れたらそのつど乗り換えるという、このやり方なんだろう。やはりどこかアーバンな恋人関係みたいなイメージが湧く。色男の哀愁も漂う。なる早で新しい女を購おうと思う。

2020年10月8日木曜日

この夏の回顧

 無職で過した今年の夏は、総括するとやっぱりそれなりにしんどかった。会社都合退職につき雇用保険はすぐに下りたのだから、しばらくはひたすら悠然と過せばよかったのだけど、やはり根がまじめなので、そこまでのびのびとはできなかった。プールやサウナも、思っていたより行かなかった。あまり明言したくないことだが、そういう施設って、日々の労働の合間(退勤後や週末など)に行くから価値を感じるんであって、それ以外に特になんの用事もない日々でやろうとしても、いまいちテンションが上がらないのだった。いつか一攫千金を成功させ、それ以降の人生は遊んで暮したいと思ったりするが、こうしてプレ体験をするたびに(8年ほどまえにもあった)、そこまでいいもんでもないな、と気づく。はじまる前は相当わくわくするのだけど。そういえば子どもたちも、夏休みがはじまる前は喜んでいたが、8月の下旬になると「早く学校に行きたい」としきりにいっていた。まったく同じだ。
 そんなわけでろくに出掛けず、しかし家にいると蒸し暑く、空気が悪く、体がだんだんしんどくなってきて、そうするとますます出掛ける気が起きず、そもそも出掛ける当てもいよいよなくなり(大きなダイソーに行っても必要なものがなにもない、という末期症状に至った)、寝転がる時間ばかりが長くなった。こうして客観的に振り返ってみるとだいぶ危険な兆候だな。仕事がなければ自立できない仕事依存人間、なんていうスタンスは、日本大学夢見がち学部出身者として口が裂けてもいうわけにはいかないが、高等遊民を標榜できるほど器が大きくもないようだ。知ってはいたけど。健やかに生きることはとかく難しい。
 ちなみに無職期間がはじまる前、想像力(記憶力)がなくてまだわくわくしかなかった時期に目論んでいた計画で、「ラブホテルに行く」というのがあった。子どもが学校で僕が家にいるなんていう機会はそうそうあるもんじゃないので、このタイミングこそ、夫婦ともどもいちども行ったことがないラブホテルという施設に行く、千載一遇のチャンスではないかと思ったのだった。子どもたちが学校に行っている平日の午前中にラブホに行くなんて、実にアウトローな行為だと思う。でもきっと本当に今しかない。機会はもちろんのこと、これ以上年を取ったら、行こうという意欲ごとなくなるだろう。だからこれは千載一遇のチャンスであると同時に、人生最後のチャンスではないかと思った(ちなみにこの思考の流れはすべて僕個人のもので、ファルマンとの相談は一切ないことをここに記しておく)。それで結果的にどうなったかというと、まあ行かなかったよね。ラブホテルってたぶん、ふたりのうちのどちらかがラブホ経験者じゃないと行けないのだと思う。結局その一歩が踏み出せなかった。そう考えるとラブホって、ちょうど行為的にも、性感染症に似ている。保持者がいなければ伝播していかないのだ。

2020年10月7日水曜日

ブログは収束した

  ブログは収束と拡散を繰り返すのだが、このたびそれが収束期に入った。かくして爆誕したのがこのブログである。これが5つ目の記事となるが、昨日まではブログタイトルが違っていた。「いま」このブログを読んでいる人にとっては、それは知る人ぞ知るカルト知識となるだろう。SMAPやTOKIOも、創成期にはメンバーのいろんな変遷があったように、この「百年前日記」も、当初はきちんと形が確立していなかったのだ。
 そんな幻のブログタイトルは、「PANNE」といった。発音は「パン」である。このたび僕はモンゴメリの「赤毛のアン」に嵌まっており、そこから「「E」のつくANNE」のパピロウver.ということで「PANNE」だった。でもこれは完全に見切り発車のタイトルだった。赤毛のアンに傾倒しているからって、パピロウがパンになる理屈はないし、なにより見た目的にどうしたって「パンネ」といいたくなる。パンネで日記ということになると、「赤毛のアン」ではなく「アンネの日記」が思い浮かんでしまうほか、これは本当に開設してから思い至ったのだが、僕が登録しているハンドメイド販売サイトは「minne」(ミンネ)だったりするので、本当に「PANNE」というタイトルはよろしくなかった。そんなわけで4日でお蔵入りとなった。「いま」ではすっかり定着した「百年前日記」には、実はそんな過去があったのである。
 タイトルを変更したことによって、「赤毛のアン」への敬慕はブログの要素としてすっかり失われてしまったのか、といえばそんなことはない。むしろ強くなっている。
 ところでブログというものは、2020年現在、なかなかに廃れている。完全に廃れたわけではなく、一見それなりに営まれている雰囲気があるが、それは人口減少と高齢化の波にさらされる地方都市みたいなもので、長く定点観測している者には判るが、じわじわと着実に衰退してきている。リアルタイムの情報を得たり、発信したり、人間関係を広げたりするのが目的ならば、ブログがSNSに敵うはずがなく、そして当世の大部分の人々は、インターネットにひたすらそればかりを求めるのである。そのためブログは完全に取り残されてしまった。ブログはその発想の根底に、本や日記がある。コメント欄なんかはあったりすることもあるにせよ、基本的に一方向だ。しかし現代はネオ互助社会なので、一方的な発信には意義がない。ひとりよがりの文章には需要がないのだ。
 でも、ひとりよがりじゃない文章には、僕は逆になんの価値もないと思う。読み手にわかってもらうためだけの文章なんてくそくらえだ。そんな文章は淫売だ。それらはもはや文章でさえなかったりする。ハッシュタグばかりを並べて、「いいね」という名の交合を待っている。品性がない。まるでフェロモンで動く虫のようではないか。
 いまあえてブログを収束させ、新たな大ブログを発進させるのだとすれば、このような現状に対する反抗心が含まれていなければ意味がないと思った。僕はなぜブログを書くのか。それはもちろん自分のためである。でも自分のためだけならば、ネットにアップする理由がない。アップするということは、偉そうなことをのたまっておきながら、結局は他人から褒めてもらいたいってことなんじゃないのか。そうではない。そうだけど、そうではない。1908年に刊行された「赤毛のアン」を、2020年の僕が読んで感動したように、僕はこの「百年前ブログ」を、百年後の、すなわち「いま」のあなたたちに向けて書く。あなたたちの「いいね」は僕には直接届かないが、そのことに思いを馳せながら書こうと思う。

2020年10月6日火曜日

アンという名の少女

 「赤毛のアン」を読み終え、いまは「アンの青春」を読んでいるところだが、読むきっかけとなった連続ドラマ「アンという名の少女」は先週が第4話目で、アンが学校に行く話だった。僕の中でアンの物語は、とにかく多幸の物語という認識で、カナダの大自然を舞台に綴られるアンの輝かしい日々の記録に触れ、われわれ読者は心を浄化させる、という仕組みだと捉えているのだが、これまでもアンが犬ドッグ並みにトラウマだらけという予兆はあったにせよ、ここに来てドラマ版はいよいよ、今回のドラマ制作のコンセプトはそういうことではない、ということを明確にしてきた。バカみたいに青い空、白い雲、そして緑の切妻屋根、なんて鮮やかな風景はこのドラマにはない。人種とか、身分とか、児童虐待とか、そういったテーマのもたらす翳りが、全編に渡って画面をくすませている。現代的だな、と思う。インターネットができて、さらには人々がスマホを持ちはじめてから、人の得る情報の量はそれ以前の人類と較べて1万倍くらい多くなった、というのを以前どこかで読んだけれど、これはまさに「赤毛のアン」の、かつてより1万倍の情報量を得ることになった人類による翻訳、みたいなドラマだと思う。とにかく頭でっかちで、問題提起や、解釈をしたがっている。なぜなら現代人はそれを行なうための取っ掛かり(情報)が与えられているので、せずにはおれないのだ。青、白、緑の単純な世界では、手持ちの情報が空転してしまう。もっと解釈をさせてくれないと満足できない。語れないと、バズらない。だからこうなったんだろうと思う。なにぶん原作の多幸感をこそ尊んでいる立場なので、ドラマ版は観ていて厳しい部分もある。もっと陽が射してほしい、と画面を観ながらずっと感じている。でもやはりこれも情報によると、このドラマ版はこれからもっと社会問題が織り交ぜられてくるらしい。そうか。いや、まあ小説とは別物として、もちろん愉しいは愉しいので、これからも観るけれども。
 それに引き換え、というわけではないけれど、読んでいる「アンの青春」の中で、とても心に響いた場面があったので引用する。


「もしもキスが目に見えるとしたら、スミレに似ているのじゃないかしら」プリシラがいった。
 アンの顔がぱっと輝いた。
「プリシラ、今の言葉、口に出していってくれて、うれしいわ。頭の中でそう考えるだけで、ひとり占めにすることだってできたんですもの。みんなが自分の気持ちを口に出していってくれたら、世の中はもっとすばらしくなるのにね――今でもすばらしいけれど、もっとすばらしくなると思うのよ」
「聞きたくないようなことをいう人も出てくるわよ」ジェーンがわけ知り顔でいった。
「そうかもしれないわね。でもそれは、そんなひどいことを考えている人たちのほうが悪いのよ。ほかの人はともかく、今日のわたしたちは、どんなことをいっても大丈夫よ。だって今日は、すてきなことしか考えないんですもの」


 Twitterとかのことを考えながらこの部分を読むと、とても沁みる。1万倍的解釈だけど。

2020年10月5日月曜日

ワールドワイド

 今年は1月の終わりに、それまで勤めていた会社が6月いっぱいで閉じるということが告げられ、夏から転職活動をしなければならないという状況に置かれたため、その蛇の生殺しのような期間で、せっかくだからなんか資格を取ったらいいじゃないかと思い、インターネットで「有用な資格」ということで検索した結果、TOEICに狙いを定め、ひそかに勉強に励んだ。いま思えば、岡山在住で、いったいどんな職種への転職を目論んでいたのか、よく判らない。まあ他の、あまりにも職種を絞り込みすぎる資格よりも、TOEICならいろんな業態でなんだかんだで通用しそうな気もするので、決して間違いではなかったような気もする。ちなみに結果としては、新型コロナの影響によりTOEICの試験はこの半年ほどずっと中止で、先月あたりにやっと再開したようだが、それも人数制限と応募者殺到が相まって過酷な抽選、という有様で、そうこうしている間に僕は転職活動を終えてしまい、そもそもそのだいぶ前からTOEICの勉強はやめてしまっていて、とにかく僕とTOEICの間にはとことん御縁がなかった。
 TOEICの勉強そのものは、言語なので、嫌いではなかった。しかしあんまりにもビジネス英語すぎる、とも思った。日本語でもビジネス会話をしない人間が、どうして英語で外国人とビジネス会話をするというのか。いったい僕の身になにが起ったら、そんなことになるというのか。シチュエーションがあまりにも現実離れしていて、シュールでさえあると思った。どうしても英語を使わなければならない状況としては、ビジネスよりもはるかに、ボートピープルとしての立場のほうがリアリティがある。ボートピープルになった場合、どんな単語を知っておき、そしてどんな主張をしたらいいか、そういう試験のほうがよほど身が入っただろう。
 さらには、僕がどれだけ耳を澄ませて頭を働かせて、ヒアリング問題の音声を聴いたところで、ポルガのような、幼少期から本物の英語を聴いている世代にはどうしたって敵わない、というのも英語学習の挫折の要因だ。別にそこまで意識高く娘に英語教育を施したわけでもないが、それにしたって30年前とは世の中に蔓延する英語の質が違うようで、ポルガの英語の発音たるや、まるでネイティブのようである。どういう判定でそういっているかといえば、ネイティブの英語の発音も、ポルガの英語の発音も、同じくらい僕は聴き取れない。だからたぶんポルガの英語の発音は正しいんだろうと思う。こうなってくるともう、僕と御縁がなかったのは、TOEICではなく英語そのものだ、という気がしてくる。僕なんかが苦労して力ずくで英語の勉強なんかしなくても、ポルガの世代がするっと世界に羽ばたけばそれでいい、しかもこの世代と来たら、性差別とか人種差別とかにも偏見を持っていないと来ていて、ちゃんと世界で通用する素地ができている。現代教育すばらしいな、と思う。
 それに引き換え、としみじみと思う。まだそれなりに若いのに、世界では決して通用しない僕たちは、これからどうすればいいのか。ボートピープル英会話を速やかに学ぶ必要がある。

2020年10月4日日曜日

ミュージカル映画を観て思ったこと

 映画「グレイテスト・ショーマン」を観る。ポルガが学校の授業で一部を観て興奮し、ぜんぶ観たい、としきりにいうので、借りてきて一家で観た(ピイガはろくに観なかった)。
 ストーリーは書いても仕方ないので書かないが、ミュージカル映画である。なので、ここぞという場面になると、登場人物たちはすかさず唄い出し、そして踊り出す。ミュージカルとはなべてそういうものだが、歌とダンスの勢いだけでさまざまな難局が解決されてゆくさまには、「葛藤とはなにか?」「心理描写とはなにか?」なんてことを考えさせられた。しかし先日の「赤毛のアン」でも思ったことだが、そもそも物語に葛藤なんて要るか? という気もする。映画鑑賞ですぐ寝てしまうことで知られる僕が、今回の「グレイテスト・ショーマン」では寝ずに済んだのは、ややこしいことが、話し合いではなく歌とダンスで取っ払われた(「解決した」というより、「取っ払われる」「薙ぎ倒される」といったほうが正しい)からに違いない。つまり、それでいいのだと思う。主人公の窮地は、往々にして解決するのだ。そんなことははじめから判っているのだ。勝った者が正義というのと一緒で、最終的には問題がぜんぶ無事に解決する立場の人が主人公になっているのだから、途中で主人公が陥ったピンチは、必ず回避される。はじめから判っているその回避を、「これがこうで、これがこうで、これがこうなるから、これで、こうして、こうだよ」と丁寧に説明されたら、まじめだなあとは思うが、思ったときには僕は寝ている。「問題なんて問題じゃないんだぜー!」と、なんの理屈にもなっていないことを踊りながら唄ったら、乱暴だけど、愉しい。こうして書くと、まるで僕が、直情だけで生きる、滋味を解さない阿呆のようだが、どっこい物語とはそうあるべきなのだと、断固として思う。そしてこれは、エンターテインメントだから、という尺度でいっているのではない。「高尚な作品」と銘打つような作品であっても、われわれはわざわざ架空の人物の葛藤になんぞ心を砕くべきではないと思う。葛藤は個々人が現実で抱いているものだけで十分だ。創作はそれをいくらかでも和らげることが、その役割ではないか。
 それにしたってミュージカルという手法はすごい。言葉のやりとりかったるい場面→唄って踊っちゃえ、という対処法がすごい。これを小説でやるとしたら、文章で綴ろうとするとややこしいことになりそうな場面→イラストとか漫画、ということになるだろうが、いわれてみればそういう小説って既にけっこうある。受け手が眠たくならないためなら、つまりなんだっていいんだと思う。どんなに偉そうなことをいってたって、寝られたら負けだ。

2020年10月3日土曜日

オランダのハーレム

 先日、NHKはBSプレミアムの「世界ふれあい街歩き」を観た。たまに観るのだが、いつも欠かさず観ているわけではなくて、そのときはなぜ観たかといえば、ロケ地がオランダのハーレムという街だったからだ。ハーレムといわれたら観るしかない。それはもう条件反射みたいなもので、意思でどうこうできる次元の話ではない。
 ちなみにこれ以外、たとえばバヌアツのエロマンガ島であったり、インドネシアのキンタマーニ高原、そして同じくオランダのスケベニンゲンなども、この反射の対象となる。またスケベニンゲンとハーレムはどういう距離感なのかと気になって調べてみたら、スケベニンゲンは南ホラント州、ハーレムは北ホラント州に属し、このふたつの州は隣接しているため、直線距離としては40kmくらいのもので、だいぶ近かった(出雲市と松江市は9号線を使うと約35kmである)。これならばスケベニンゲンからスタートし、ハーレムに到達するまでのマラソン大会なんかも可能かもしれず、なんとも感慨深いコースだなあ、などと思った。
 ただし詮無いことをいってしまえば、このオランダのハーレムは、われわれが希求するところのハーレムとは、実はなんの関係もない。われわれにとってのハーレムとは、つまりイスラム圏のハレムであり、力を持つ男性が、その力に見合う分だけの女性を囲い、住まわせておくためのエリアで、たぶんそこではわれわれが指すところの「ハーレムプレイ」なんかは繰り広げられなかったに違いないのだけど、そんな曲解はあるにせよ、われわれにとってのハーレムとはハレムをその起源とする。ならばオランダのハーレムとはなんなのか、といえば、wikipediaにわざわざ書いてあったが、「harem(トルコ語)」ではなく、「Haarlem」と表記し、rとlなので、そこが区別できない日本人は混同しやすいが、「ハールレム」という表し方もあるようで、要するにその「rl」の部分、「ルレ」の部分は、日本語では伝えきれない、巻き舌のあの感じであるようだ。だとしたらNHK的に、よく「ハールレム」ではなく「ハーレム」と言い切ったものだな、と思うが、これはきっと、かつてオランダ移民が多く住んでいたことから名付けられたというニューヨークのハーレム地区が、もうすっかりそれで定着してしまっているため、そのふたつで表記を揺らがせるわけにはいかなかったからではないかと推察する。ちなみに前出のスケベニンゲンにも、「スヘフェニンゲン」や「スヘーヴェニンゲン」という表し方があるようで、NHK的にそこはどうなのかが気になるところだ(それにしたってスヘーヴェニンゲンからハールレムのマラソンにはぜんぜん魅力を感じない)。
 そんな前置きの末に、ようやく「世界ふれあい街歩き」の内容の話になるのだが、ハーレムはいかにもヨーロッパらしい、古くて美しい教会や広場などがある、すてきな街だった。すてきな街ということは、つまりハーレムという言葉のみに惹かれて視聴した人間(スケベニンゲン)にとっては、なんの旨味もなかったことを意味する。もっともそんなことははじめから判っていた。ましてやNHK、ましてや「世界ふれあい街歩き」である。そんな要素があるわけない。あるわけないじゃないか、と思っていた矢先である。別名「スパールネの街」とも呼ばれるハーレムには、スパールネ川という運河が通っていて、背の高い帆船が通る際はふたつに割れて持ち上がる跳ね橋があるなど、川と人々の暮しの結びつきは強い、ということが伝えられ、カメラは川面を映し出す。とそこへ、1台のモーターボートがやってくる。あまり大きくない。公園の池の手漕ぎボートのひと回り大きいくらいのサイズで、船室があるようなものではない。そのボートに、少女が5人乗っている。年齢は14歳や15歳と表記された。しかしコーカソイドの15歳となると、印象でいうとそれより3歳から5歳くらい上の年齢のように見えた。彼女たちは地元の幼なじみグループのようで、ボートは5人で共同購入したのだという。400ユーロといっていたから、約5万円か。運河のある街では、少女がひとり1万円ずつ出し合ってボートを手に入れ、水上で語らうのか、とカルチャーショックを受けた。そしてなにより、ボートの前後で向かい合うようになっている座面に、3人とふたりに分かれて座り、中央に投げ出されている10本の脚が、どれもこれもホットパンツから伸びる生足で、その情景に思わず、「ハーレム!」という叫び声が出た。オランダのハーレムに、われわれの求めるハーレム的要素なんてなにひとつないんだろうと諦めかけていたとき、まったく予想外の方向から現れたハーレムの情景に、強い感動があった。もしも僕がスパールネ川で溺れていて、そこをたまたまこの娘たちのボートが通りかかったらば救助するしかなく、そうしたら全裸の僕はボートの中央部、少女たちの生足が大渋滞を起しているところに横たえられるはずで、溺れて命の危機を感じていた僕の勃起を眺め、をとめごらは頬を紅らめ、もはや誰のものか判らない気楽さから足を伸ばし、勃起のあまりの堅さに嬌声を上げるのだろうと思った。そして、これじゃあ「世界ふれあい街歩き」じゃなくて、「世界ふれあい街足コキ」だね、なんて僕は思いながら、昇天する。