TOEICの勉強そのものは、言語なので、嫌いではなかった。しかしあんまりにもビジネス英語すぎる、とも思った。日本語でもビジネス会話をしない人間が、どうして英語で外国人とビジネス会話をするというのか。いったい僕の身になにが起ったら、そんなことになるというのか。シチュエーションがあまりにも現実離れしていて、シュールでさえあると思った。どうしても英語を使わなければならない状況としては、ビジネスよりもはるかに、ボートピープルとしての立場のほうがリアリティがある。ボートピープルになった場合、どんな単語を知っておき、そしてどんな主張をしたらいいか、そういう試験のほうがよほど身が入っただろう。
さらには、僕がどれだけ耳を澄ませて頭を働かせて、ヒアリング問題の音声を聴いたところで、ポルガのような、幼少期から本物の英語を聴いている世代にはどうしたって敵わない、というのも英語学習の挫折の要因だ。別にそこまで意識高く娘に英語教育を施したわけでもないが、それにしたって30年前とは世の中に蔓延する英語の質が違うようで、ポルガの英語の発音たるや、まるでネイティブのようである。どういう判定でそういっているかといえば、ネイティブの英語の発音も、ポルガの英語の発音も、同じくらい僕は聴き取れない。だからたぶんポルガの英語の発音は正しいんだろうと思う。こうなってくるともう、僕と御縁がなかったのは、TOEICではなく英語そのものだ、という気がしてくる。僕なんかが苦労して力ずくで英語の勉強なんかしなくても、ポルガの世代がするっと世界に羽ばたけばそれでいい、しかもこの世代と来たら、性差別とか人種差別とかにも偏見を持っていないと来ていて、ちゃんと世界で通用する素地ができている。現代教育すばらしいな、と思う。
それに引き換え、としみじみと思う。まだそれなりに若いのに、世界では決して通用しない僕たちは、これからどうすればいいのか。ボートピープル英会話を速やかに学ぶ必要がある。