2020年10月27日火曜日

ダイアナキメたい

 アンがとにかく幸福まみれ、という話で、その中でもいちばんの幸福はなにかといえば、やっぱりダイアナの存在だろうと思う。アンの宿命の友(僕が読んでいるのは掛川恭子訳なので宿命の友である)、ダイアナ。アンが獲得しているものの中で、これがいちばんうらやましい。
 なぜならダイアナはアンに優しい。アンはそばにいられるとだいぶ厄介な人間なのに、ダイアナはそのすべてを受け入れる。アンに対して優しい人間はダイアナ以外にもたくさんいるが、マシューやマリラはやっぱり親子とか、あるいは祖父母と孫のような距離感なので、優しいのはある意味で当然で、そのためその優しさの価値は低い。しかしダイアナはそうではない。ダイアナは同級生である。同い年の女子ともなると、やっかみとかライバル心とか、普通いろいろあるだろう。実際、ダイアナ以外の同級生とは、アンはそこまで仲良くならない。しかしダイアナにはそういうのが一切ない。ただひたすらにアンを愛するのである。愛するとは、褒めそやすことであり、調子に乗らせることであり、だからダイアナと一緒にいるアンは、どんどん気分がよくなっていく。ダイアナがまた、おつむの出来も、容姿も、アンよりも劣るところがよい。ダイアナはアンを具体的に「ここがすごい」「すばらしい才能だ」と賞賛するが、アンはダイアナを褒めることはない。なぜならダイアナに褒めるところなんてないからだ。アンがダイアナにかけてやる言葉はひとつだ。「あなたは最高の友達」。なぜなら私の気分を良くしてくれるから。
 なんとすばらしい存在だろうか。もはや人間の形をしたアルコール、あるいはドラッグである。そう、ダイアナとは合法ドラッグだったのだ。アンはヤクをキメてやがったのだ。道理でだ。道理でアンはやけにハッピーな感じだと思った。なんか怪しいな、と検察は前から目をつけていたのだ。そういうことだったのだ。
 ダイアナがそのことに気づかせてくれたが、純度の違いはあるにせよ(ダイアナはもちろん一級品)、要するに仲の良い友達とはドラッグだということだ。集団になるとテンションが上がって昂揚するあの感じは、まさにドラッグの症例だろう。そのうえドラッグと同時にアルコールを摂取したりするから、いよいよそのハッピーはとんでもないことになる。これが合法だというのなら、法とはいったいなんだろう。あいつらだけハッピーすぎるじゃないか。友達と飲み会をする人たちは、オーバードーズで具合が悪くなればいいと思う。