2020年10月26日月曜日

アンというドリーム

 「赤毛のアン」は3巻、「アンの愛情」の途中で唐突に飽きた。
 はじめの「赤毛のアン」で、僕はなにに感動したかといえば、二次元ドリーム文庫に匹敵するほどの、物語の開始直後からただただ主人公がうなぎのぼりにいい思いをしてゆくだけ、という部分だったわけで、はじめ孤児だったアンが、(アクシデントは伴ったにせよ)養子としてグリーンゲイブルズに引き取られ、愛され、友達ができ、優秀であることが判って周囲から一目置かれるようになり、さらにはコンプレックスまみれだった容姿も成長に伴い褒められるようになって、本当にアンはどんどん高みに上っていった。それは夢のような話で、まあ実際に夢物語であり、でもだからこそ、読んでいるとしあわせな気持ちになれた。しかししあわせはそう長く続かない。「しあわせは長く続かない」というと、まるでその先に不幸が待ち受けていたかのようだが、アンに関しては決してそんなことはない。アンは3巻で大学に通い、青春を謳歌し、やはり順風満帆に暮している。しかしそれはここまでの流れからすれば当然のことで、そこに望外の喜びや僥倖はない。予定調和の、健全な心地よさである。それはいわば安定飛行であり、ずっと高みにはあるのだが、しかしこれまで以上に高度が上がることはない。そして高度が上がらないので、読者としてはどうしても飽きてしまう。
 まったく読者というのは勝手な生き物だと思う。でも実際その通りなのだから仕方ない。安定したしあわせほど退屈な読み物はない。これを打開するためには、これが「赤毛のアン」でなければ、主人公をいちど不幸にさせたのちに再びしあわせにする、という方法も考えられるけれど、アンを不幸にさせるわけにはいかないので、だとすればさらに上っていくより他ない。しかし孤児からスタートして、養子になって大学に通い、誰もが絶賛する好男子に告られ、懸賞小説で賞を獲り、さらには多額の遺産を相続したアンに与えられるこれ以上のしあわせとはなんだろう。二次元ドリーム文庫でも、女学園にひとりだけの男子生徒である主人公が、生徒全員から求められセックスするようになってしまったら、そこから先はもうない。もとい、はじめ、クラスメイトである委員長やスポーツ少女、そしてギャルなど、メインキャラをひとりずつ篭絡していったときの感動は、数の上ではその時代をはるかに凌駕していても、名もなき全校生徒女子が股を開く情景では、かなわない。飛行機はやっぱり離陸の瞬間、浮上しはじめるその瞬間に、いちばん価値がある。いまのアンはまさにそんな状態で、アンはもうアボンリーのほとんどの住人から股を開かれているといっていいが、しかしそれははじめの、マリラやマシューやダイアナと心を通わせるようになるときの喜びからしたら、あまりにも弱いのだ。
 しかしアンの物語はこれ以降も続き、全部で10巻ほどもある(すべてがアンが主人公というわけではないようだが)。ちょっとあまりにも飽きたので読書は中断するが、いつかは続きを読んでみたいと思う。これはアンの物語であると同時に、抱きたい女をすべて抱けるようになった二次元ドリーム文庫の主人公は、そこから先どうなるのか、という疑問の答えの物語だ。