2020年10月9日金曜日

秋のパソコン

 パソコンが逝く。唐突だった。なんの兆候もなかった。最近やけに重たくなったとか、唸り声をあげるようになったとか、そういうことは一切なかった。思えば淡々とやってきて、淡々と日々の業務をこなし、淡々と壊れたパソコンだった。この期間中、見損なったこともなかったし、見直したこともなかった。まるで都会的な愛人のようなパソコンだったと思う。いまもまったく同じことを思うが、もう当時から、パソコンを新品で、15万円とか出して買う必要はぜんぜんないな、ということを思って、インターネットと、あとは僕の使ういくつかのソフトが動けばそれでいいやと、中古のとても安いものを買ったのだった。その前のパソコンは、まさに15万円とかそういう値段のもので、それを8年間使ったので、その日割りから考えれば、このパソコンは2、3年使えれば御の字だな、ということを僕は当時の日記に書いている。当時の日記とはいつかといえば、2018年の10月下旬であり、その文を、家に届いてすぐのそのパソコンで打っていたと考えると、このパソコンの聞き分けのよさは、いよいよおそろしくもなってくる。別れの気配をちゃんと読んでて上手に隠した旅行鞄にはずした指輪と酒の小瓶の世界だ。俺には過ぎたパソコンだったのかもしれない。
 それでまた新しいパソコンを、やっぱり買わなければいけない。「家にパソコンはない、スマホだけ」というスタンスの人への理解は年々高まっているが、それでも僕にはパソコンが必要だ。とはいえハイスペックである必要はやっぱりぜんぜんない。テレワークもしないし、オンラインゲームもしない。僕のパソコン使いは本当にとても質素だ。だから素朴な機能で、その分ひたすら長生きのパソコンがあればいいなと思うが、それが要するに、安い中古パソコンをなるべく長持ちするよう使い、壊れたらそのつど乗り換えるという、このやり方なんだろう。やはりどこかアーバンな恋人関係みたいなイメージが湧く。色男の哀愁も漂う。なる早で新しい女を購おうと思う。