2020年10月11日日曜日

「以前」と「以後」の感慨

 今年も10月に入ったので、cozyripple流行語大賞のための、この1年間の日記の読み返し作業をはじめた。開始が早すぎるかもしれない。数年前までの、日記を意地でも毎日なんかしら書いていた時期の名残で、10月に入るともうそれをしないといけない気になるのだが、今年なんてたぶん、これまでで最も文章量が少ないように感じるので、そこまでこの作業に時間はかからないようにも思う。でもはじめた。
 それでまず、去年の11月(23日以降)や12月の記事を読む。なにしろ今年の場合、2020年というのは人類全体にとって、「以前」と「以後」に分けられるような、そういう年となったので、その「以前」である時代の日記を、「以後」の僕が読むと、独特の感慨がある。
 それが最も顕著に現れたのが、12月1日に「PAPIROTOIRO2」投稿された、「パピロウの日報告 2019」だ。世界中の(架空の)国々から、それぞれの地域ごとの独特のセンスで催された、パピ労感謝の日のビデオを送ってもらい、それを紹介するという、言わずと知れた毎年恒例の大人気企画だが、その序文で僕はこんなことを書いている。

『今年もパピ労感謝の日の朝を、そして夜を、人類が無事に迎えられたことに、僕はとても安堵している。温暖化とか、大量破壊兵器とか、いろいろ問題があって、さすがに来年はもう無理かな、終わっちゃってるかな、と思いながら日々を過しているが、なんとか今年も世界は、(畏れ多くも)パピ労に感謝してもよいとされる日を持つことができた。それよりもめでたいことなんて、この世界にひとつもない。祝え。人類よ、穢れの多い世界を営む自分たちのことを大いに恥じつつ、今日ばかりは大いに祝うのだ』

 なんだかんだで、こんなことをいっていた時期は平和だったというか、温暖化も大量破壊兵器も、危機だ危機だと声高にいうばかりで、実際のところはぜんぜん身につまされてなかったんだな、ということを感じる。
 果たして今年はどうなるんだろう、パピロウの日報告。別にビデオレターだから新型コロナは関係なく、そもそも架空の国の話(ただしモンゴル以外)であるとはいえ、今年の世界規模の話題において新型コロナに触れないのはあまりに間が抜けているし、かといって架空の国の新型コロナの感染状況の話なんて悪趣味きわまりない。さてどうしたものか。
 あと今年の1月5日付、これもまだ「以前」ということになるが、年末年始の横浜帰省(この際、藤子・F・不二雄ミュージアムと国立科学博物館に行ったのだ。本当に隔世の感がある)の日記の最後のほうに、『次に実家に行くのは5月か8月か』という記述があり、これにも大いに感じ入る部分があった。1月の上旬時点の僕の、2020年の5月と8月への無邪気さと来たらどうだ。この数ヶ月後、日本中に自粛警察が跋扈し、取り締まりが凄惨をきわめるとは、いったい誰が予想できただろう。この無邪気さが切ない。
 あとすっかり忘れていたが、この正月の帰省の際は、祖母は横浜にいなかったのだそうで、だとすれば祖母とはずいぶん直接顔を合わせていないのだな、と思った。しかし帰省かー。次の年末年始なー。どうなんだろうなー、マジで。