そんなわけでろくに出掛けず、しかし家にいると蒸し暑く、空気が悪く、体がだんだんしんどくなってきて、そうするとますます出掛ける気が起きず、そもそも出掛ける当てもいよいよなくなり(大きなダイソーに行っても必要なものがなにもない、という末期症状に至った)、寝転がる時間ばかりが長くなった。こうして客観的に振り返ってみるとだいぶ危険な兆候だな。仕事がなければ自立できない仕事依存人間、なんていうスタンスは、日本大学夢見がち学部出身者として口が裂けてもいうわけにはいかないが、高等遊民を標榜できるほど器が大きくもないようだ。知ってはいたけど。健やかに生きることはとかく難しい。
ちなみに無職期間がはじまる前、想像力(記憶力)がなくてまだわくわくしかなかった時期に目論んでいた計画で、「ラブホテルに行く」というのがあった。子どもが学校で僕が家にいるなんていう機会はそうそうあるもんじゃないので、このタイミングこそ、夫婦ともどもいちども行ったことがないラブホテルという施設に行く、千載一遇のチャンスではないかと思ったのだった。子どもたちが学校に行っている平日の午前中にラブホに行くなんて、実にアウトローな行為だと思う。でもきっと本当に今しかない。機会はもちろんのこと、これ以上年を取ったら、行こうという意欲ごとなくなるだろう。だからこれは千載一遇のチャンスであると同時に、人生最後のチャンスではないかと思った(ちなみにこの思考の流れはすべて僕個人のもので、ファルマンとの相談は一切ないことをここに記しておく)。それで結果的にどうなったかというと、まあ行かなかったよね。ラブホテルってたぶん、ふたりのうちのどちらかがラブホ経験者じゃないと行けないのだと思う。結局その一歩が踏み出せなかった。そう考えるとラブホって、ちょうど行為的にも、性感染症に似ている。保持者がいなければ伝播していかないのだ。