2021年2月22日月曜日

スマホへ

 スマホの人になった。「さんざ遠回りしたが、もうこの次はさすがにスマホだろう」と、ついこないだに伏線を張っておいたけれど、結局のところ機運が高まっていたということだろう、そのあとわりとすぐに実行したのだった。
 インターネットで、SIMフリーの、安くてそれなりに評判のいいスマホを検索し、まあこんなところだろうというものを選んで注文したら、その翌々日には家に届き、そしてこれまでのタブレットからそちらへSIMカードを取り替えたら、あっけなく僕はスマホの人になった。いざやってみたら、本当にあっけなかった。
 iPhoneが日本に登場したのは2008年だというので、25歳のときか。それから僕は13年間、スマホに抵抗し続けたことになる。果たしてこの13年間に渡る抵抗に、意味はあったのだろうか。他人から見れば、たぶんまるでないということになるだろう。しかし本人からすれば、それはやっぱり必要だからそうしていたわけで、意味はあったのである。僕という人生を生きている僕にとって、守らなければならないなにかが、その13年間によって守られたのだと思う。
 もっとも「スマホの人になった」といいつつ、その前にすでにタブレットの人ではあったわけで、SIMカードを入れ替えただけで容易に乗り換えられたことが示すように、タブレットとスマホは地続きの、同じ経済圏、なんなら行き来にパスポートの提示も必要ないような、そんな関係性にあるのではないか、つまり僕はタブレットを持った時点(ちなみにこれも「ガラケーとタブレットの2台持ち期」と「タブレットに電話機能も集約させたタブレットだけ期」のふたつの時期があるので話がややこしい)で、すでに講和条約のテーブルに就いていたのではないか、という気もする。
 しかしながら、もはやなにを守りたいのか、亡びゆく国の最後の兵のごとく、自分たちがなんのために戦っているのか、そもそもの信条を見失っている感はあるのだけど、それでも主張しておきたいこととして、僕はタブレットを、ノートパソコン的な流れで持っていたのだ。スマホの流れではなく、それは僕にとってあくまでパソコンの代替であって、であればこそ、タブレットとガラケーの2台持ちという状態も生まれた。逆にその状態の時期があったことが、僕がタブレットをスマホの文脈で持っていなかったことのゆるぎない証左であるともいえる。
 そうしてノートパソコンと携帯電話を同時に持っていたのだけど、どうやらこのご時世、携帯電話の機能はノートパソコンに集約できるらしいぞ、ということになり、そうした。そうか、そう考えればタブレットだけ期もまた、やはり僕はぜんぜんスマホの軍門に降っていなかったということになる。だって僕はノートパソコンで電話をしていただけだったのだから。これはスマホとはぜんぜん意味合いが違う。見た目が似ていても、イモリ(両生類)とヤモリ(爬虫類)くらい違う。
 さらにいえば、そのノートパソコン文脈のタブレットが、大きすぎてちょっと不便だということでスマホに乗り換えることにしたわけだけど、こういう経緯を経てスマホへと辿り着いた僕においては、スマホもまたスマホではないということになるのではないか。僕にとってこれは、「気軽に持ち歩けるようにしたノートパソコンの、画面が手のひらサイズになったやつ」だ。世間から見ればそれはスマホなのだけど、僕にとっては違う。なぜなら、経たからだ。然るべき工程を経たので、僕はそう主張することができる。あなたがたとは違う。ガラケーからスマホへ、理念なくホイホイ乗り換えたあなたがたとは違う。
 そうか、それを言えるようにするための13年間だったのか。じゃあやっぱり必要だったな。
 タブレットからスマホになって大きく変わったところは、電話のとき、スピーカーではなく顔に機械を当てて話すスタイルになったという点だ。そうだそうだ、ガラケーを手放して久しいので忘れていたけれど、電話って、だいたいこんなふうに耳から口までのサイズで、受話器みたいになっているものなんだよな。スマホでの電話の演習ということでファルマンと会話をし、「俺いま機械を耳に当てているんだよ」と伝えたら、「はあ? なにそれ?」と旧時代の人に不思議がられた。ちなみにファルマンは当座のところ、タブレットを替える予定はないため、まだしばらくはスピーカーでの通話を続ける(外出しないのでまったく問題がないのである)。とはいえこれが旧時代なのかどうか、もはや判らない。固定電話の受話器の流れを汲んでいないのだから、むしろ新時代のような気もする。われわれはわれわれ固有の時代を切り拓いて生きていこうと思います。