2021年10月29日金曜日

百年前日記 20


 面接を受けるにあたり、いちおう化学の勉強をした。化学なんて、高校では一切やらなかったと思うので、実に中学以来だった。化学式だのモル比だの、まさか自分が就職のためにこんな知識を学ぶだなんて、と自分の人生の奇怪さを笑いたくなった。
 その勉強のかいもあって、というわけでも――別に筆記試験があったわけでもないので――ぜんぜんないが、面接の結果、採用ということになった。採用の知らせを受けたのが八月の十日頃で、それからお盆休みなども挟むため、出勤は九月一日からと決まった。
 これにより、なんとなくそうなればいいなと思っていた通り、無職期間はちょうど二ヶ月間ということになったわけである。そしてこれは、半年間という雇用保険の受給期間の三分の一であり、実際にもらいはじめたのは七月に入ってからなので、三分の二以上の受給期間を残しての再就職決定ということとなり、それというのは早期の再就職決定手当をもらう条件でもあった。これによりあと百二十日ほどかけてもらえるはずだった七十万円あまりが、五十万円程度に目減りはするものの、いちどにもらえる運びとなった。就職してから初めての給与が出るまではひと月半くらい掛かるはずだし、そもそも試用期間などという名目で額面が低いことを思えば、これはとても心強かった。
 だからこの手続きをするために行ったハローワークは、これまでと同じ場所と思えないほどに、明るい場所のように思えた。気持ちによって世界はぜんぜん違って見えるのだな、ということをしみじみと感じた。
 かくして心穏やかな日々がやってきた。雇用保険の受給期間中とはいえ、やはり先の見通しが立たない暮しは心が落ち着かなかった。それが解消されたことで、僕は堂々と働かない八月の後半を堪能することができるようになった。とはいえ八月は暑く、夏休みで家にいる子どもはうるさく、コロナに対する警戒の呼びかけはかまびすしく、そこまですべての憂いが取り払われて健やかだったかといえば、そんなこともなかった。しかしこれはもうどうしようもなかった。大人という生きものは、そういうものなのだと思う。そこから完全に解放されるためには、宗教を持ったり、それ相応の薬を使ったりする必要がある。とりあえず僕はまだそれらに頼らずに生きようと思っているので、たまにストロング系チューハイを飲む程度でなんとか日々をこなす。そのあたりが大人として求められる最大限の健やかさなのだろうと思う。

(これもまた時代には関係なく、いつまでも変わらない現実ですね。なにも知らないでいる幸福と不幸、なにかを知ることの幸福と不幸、どのスタンスのどの度合が正しいのかは、永遠に答えが出ないことでしょう)