2022年3月15日火曜日

百年前日記 22

 化学工場は異様な場所だった。面接では事務所しか見なかったため、初出勤で工場内部を案内され、そのこれまで自分の生きてきた世界とはあまりにもかけ離れた世界に、ただひたすらに衝撃を受けた。工場は広く、古く、入り組んでいて、好きな人にとってはたまらなく好きな世界なのだろうと思った。僕はただ戸惑っていた。
 結果を先に言ってしまえば、僕はこの工場を2週間で辞めた。
 なにか決定的に嫌な出来事があったわけではなかったが、とにかく違和感がすさまじかった。全身淡い緑色の制服を着た理系の青年たち(平均年齢はたぶん僕の年齢よりも低かった)が、pHだの塩分濃度だの次亜塩素水だのという話をする空間は、あんまりにも僕の居場所ではなかった。そんなことは応募前にもう少し想像力を働かせれば分かったはずである。だからこれは一方的に僕が悪い。退職を申し出ると、特殊な職場なので辞める人はすぐに辞めるのだ、と向こうは慣れた反応だった。
 辞めたあとには、耐油性の長靴と、汚れた制服を持って帰る目的で購入した防臭機能付きの袋と、そして入社3日目あたりに購入した1ヶ月分の定期券が残された。定期は、岡山駅乗り換えで2路線を利用するため、けっこうな値段がした。それはそもそも会社規定の交通費の上限を超える額だったのだが、少し足が出ても電車通勤がいいと思ったし、なにより岡山駅を利用できるなら十分に使いでがあるだろうと目論んで購入したのだった。実際には、勤めていた2週間の中で改札外に出て岡山の街に繰り出したりしなかったのはもちろん(精神的にも肉体的にもそんな余裕はなかった)、そこからの再びの無職期間中もまるで使わなかった。岡山の街に行くということはすなわち商業施設に行くということなので、無職ではなかなかそんな気も起らないのだった。
 しかし転職はあまりのミスマッチで失敗だったが、2週間と素早く判断したことにより、傷は浅く済んだと言えた。履歴書に書く経歴にもならないので、今回の就職は、「なかったこと」にすることができた。後日、離職票が届いたのでハローワークに行って手続きをしたところ、僕はまだ自己都合退職者ではなく、会社都合退職の効能が残っている身分であると伝えられた。どういうことかといえば、会社都合退職によりもらえるはずだった180日分の雇用保険を、僕は55日分くらいもらって再就職し、それは全体の3分の2以上を残しての終了であったため、残りの125日間でもらえるはずだった雇用保険の、70%の金額が一気にもらえたのだけど、だとすればあと30%は原資として残っていることとなる。この30%分を、これからまた無職期間中は、日々受給できるのだそうで、だとすれば僕はこれ、もちろんそんな意図はなかったのだけど、本当は180日間かけて受け取る金額を、ちょっとワープして短期間で受け取れるという、そんな裏技を使った形になるんじゃないかと思った。
 かくして僕はふたたび無職になった。