2023年2月24日金曜日

百年前日記 24

 最初に面接を申し込んだ会社は、これまで勤めていたところよりもひと回り規模の大きそうな縫製工場だった。岡山県南部には児島という、国産デニムという分野において名の知れた地域があり、大小合わせるとかなりの数の縫製会社が集まっている。受けたのはそのうちのひとつだ。そもそも6年前にわれわれが島根から岡山に移住したのも、岡山は縫製業が盛ん、というイメージがあったからに他ならない。そうなのだ、先月は謎の寄り道をしてしまったけれど、岡山に住んで縫製以外の仕事をする道理が、僕にはまるでないのだった。
 訪問すると、会社はかなり古びていたが、通された社屋の応接間はこぎれいだった。事務系の女性がおっとりした雰囲気の人で、僕のペンケースを見て、「あら、それ手作り?」と語りかけてきた。僕は祖母の作ったペンケースを、そこまで気に入っているわけでもないが、なんとなく何年も使い続けていた。
 やがてふたりの男性が現れて、それが社長と専務だった。最初の対面でいきなり社長と専務が現れるのだから、前の会社よりも規模が大きいと言ったって程度が知れているだろう。創業者ではないようで、ふたりともそこまで高齢ではなかった。
 話してみると、感じは悪くなかった。しかし募集要項には縫製工場にまつわる各種の仕事がとりあえずといったふうに列記されていたのだが、どうも話によると、僕が採用ということになった場合、デニムにワッシャー加工を施す部署に配属されるようで、その作業というのは、縫製会社が行なう作業の一工程という意味では縫製業と言えるのかもしれなかったが、少なくとも僕のイメージするそれではなかった。やっぱりどうせならミシンが踏みたかった。しかしミシンオペレーターという役割は、前の会社でもそうであったように、基本的には女性の仕事なのだった。男はそれを管理したり、あるいは裁断やプレスなどの加工をする、というのがよくあるパターンで、この会社もつまりそのパターンらしかった。
 そのため面接の途中ですっかり心の中は冷えていたが、このあとに社長の口から出た言葉で、それは決定的なものとなった。
「そういえばT縫製と言えば、O君も来てるよ」
 T縫製とは僕がもともといた会社で、Oはそのプレス場にいた、少し年上の男の名前だった。特別仲がよかったわけでもないが、同じ日本酒党として、飲み会の際には隣り合うことも少なくなかった。工場閉鎖後、彼はここに流れ着いていたのだった。同じエリアの同じ業界なのだから、こんなことは十分にあり得ることに違いなかったが、なぜかそれを聞いた瞬間、僕はやけにショックを受けてしまった。Oは高卒でそのままT縫製に入ったのか、年はそれほど僕と離れていないのに、会社ではかなりのベテランだった。そんな彼の、新しく入った会社での姿を見たくはなかった。彼はそこまで要領のいいタイプの人間ではなかった。それでも長年ひとつの会社にいたことで、なんとかポジションを確保していたのだと思う。それがない状況で居心地悪そうにしている彼を見たくなかった。彼も見られたくないだろうと思った。
 それになにより、僕は彼も含めた男性社員の集いで、工場閉鎖後の身の振り方について雑談をしていた際、堂々と宣言してしまったのだ。「もう縫製業はやらない」と。
 面接から数日後、電話がかかってきて、採用が告げられたが、僕は丁重に断った。