2021年1月11日月曜日

山陰洗礼

 引っ越しが済んだ。引っ越しそのものはこの3連休ではなく、正月休みの終わりごろ、引っ越し業者のおそらく仕事始めくらいのタイミングで行なった。だからもうこちらに来て、1週間ほどが経っている。それでようやくこうしてブログを書くことができるようになった。そのくらいバタバタしていた。それはそうだ。
 日本海側は、年末年始に寒波が来て、この週末にも寒波が来ていた。わが家の引っ越しはちょうどその隙間を縫うような、幸運なタイミングで行なわれた。いざとなれば実家に泊まれるというのはあるにせよ、数日前には高速道路が閉鎖になっていたので、そう考えればかなり綱渡りだった。まさかよりにもよって今年、こんな寒波がやってくるとは思わなかった。岡山ではついぞまみえなかった、すなわち子どもたちは生まれてこのかた未体験で、そして強く切望していた雪遊びというものが、こちらに来てたった数日で実現してしまった。子どもたちは実家にあった、ファルマンたちが子どもの頃に使ったというスキーウェアを着込み、雪で思う存分に遊んだのだった。通勤をしなければならない僕や、寒さが嫌いなファルマンは、降り止まぬ雪を見ても「洗礼……!」としか思わなかったけれど、まあ子どもたちの夢がかなったことはよかった。
 それにしたって別世界である。そのことは知っていたし、島根にだって過去実際に1年半住み、冬も2回経験していたわけだが、岡山で暮していた7年間、冬場はこちらに近付かなかった(スタッドレスタイヤを持っていないので近付けなかった)ため、すっかり忘れていた。夏はどちらも同じく暑いのだが、冬はそうだ、山陽と山陰では、こんなにも違うのだ。一面の雪景色の中、氷の上をビクビクしながら運転し、寒波はいつ去るのかとラジオを聴けば、「中国地方」と一括りにされた気象情報では、山陰地方の積雪や低温の注意報ののち、岡山南部の乾燥注意報が告げられ、岡山南部って本当にバカだなと思った。そういえば岡山に来てすぐの頃、まだ島根県の感覚が残っていた頃は、岡山だけ気候があまりにも贔屓されているじゃないかと、不条理を感じていた。そしてそれがいつしか当たり前になっていた。しかし再びこちら側の人間になったことで、岡山南部マジあいつ、と憤りが湧いている。この鬱屈した思いを蓄積させて、僕はだんだん山陰人になっていくのだと思う。
 とはいえ新しい住居そのものは、岡山時代よりも築年数が浅く、そして部屋数も多いため、とても快適である。部屋探しの際、築年数になんてそれほど重きを置いていなかったけど、新しい所ってこんなにも細かい部分の設備とかがよくなっているのか、と感動している。
 もっともとても快適だといいつつ、荷解きはまだ完全には終わっていない。3連休で大いにはかどり、引っ越し社の箱はだいたい壊せたのだけど、まだ荷物が床に無造作に積まれている部分がある。どんな部分かといえば、これが主に僕のハンドメイド関連で、12月にファルマンが荷造り作業をしていた際、「あなたの布が多い」「手芸用品が多い」とさんざん文句をいってきて、大袈裟だろう、憎らしさから目につくのだろう、と受け流していたが、こちらに来て全容を眺めてみたら、なるほどとんでもない。これまでの暮しで歳月をかけて集め、家じゅうのいろいろな場所に散らせていたので把握できていなかったが、一ヶ所に集めたらこんなことになるのか、というくらいにあった。それで急遽ラックを新たに買うことにして、それが配送されるまでに何日間かかかるので、それまでは完璧には整わないのだった。しかしラックさえ届けば、持っている資材が一目瞭然になり、とても創作がしやすい環境が作れそうで、わくわくしている。
 現在の状況はそんな感じで、この日々の中でもちろんもっといろいろ感じたこと、考えたことはあるのだけど、そこまで書く余力はない。余力がないまま、そういったことは綴られることなく、流れていくのだろうと思う。そういったことを、なるべく書き残したいとも思うし、書き残すことに人生の時間を使うことの意義を考えたりもする。
 とりあえず島根生活が無事に始まりました。