2021年1月26日火曜日

夢の中で

 転入生になる夢を見た。つまり夢の中の僕は学生だった。とはいえさすがに中高生になるまでは想像の翼がはためかなかったようで、私服だったし、たぶん設定としては大学生だったのだと思う。大学生だとしたら実際は転入生もなにもないが、そこは夢なので、ご都合主義なのだった。
 転入したクラスのメイトたちはみな明るく、いい人たちで、現実では、僕なしの状態で既に明るく成り立っていた空間なんて、もうそれだけで拒否感が湧くのだけど、夢の中の僕はそのあたりに寛容で、素直に「みな明るく、いい人たちだなあ」と受け入れていた。あるいはやっぱり僕プロデュースの夢なので、その集団は絶妙に僕好みの明るさ度合、貞節度合、謙虚度合、上品度合に仕立てられていたのかもしれない。
 そのクラスにはマドンナ的な女もいて、なるほどかわいく、しかも初対面だというのにスキンシップが濃厚だった。こいつ俺に気があるんじゃないか、とすかさず思った。
 そのあと男子グループとだべっていたところ、その中のひとり、どうやらみんなから一目置かれている、学級委員とかじゃないけどクラスでの発言力はそれ以上、みたいな男と、やけに気が合うのを感じた。向こうも僕に対してそう思っているに違いないという確信も抱いた。ああ俺はみんなから一目置かれているこいつと、対等な感じの親友になるな、と思った。
 やがて他の男子はいなくなり、僕と彼がふたりで盛り上がっていたら、そこへマドンナがやってくる。マドンナはすぐに親友のようになった僕たちを見て、眩しそうにする。そしてさすがはマドンナらしく、自然な感じでわれわれの会話に入ってくるのだった。
 みんなから一目置かれているやつと、マドンナと、そして俺という3人で、これから輝かしい日々が始まるのだな、と胸が躍ったところで目が覚めたのだった。
 夢だったか、夢だったわな、と一抹の寂寥を抱きながらも僕は冷静だった。なんだか気分のいい夢だったなあ、と改めて噛みしめたところで、しかしこう思い至った。
 たぶんクラスで一目置かれているあいつと、マドンナ、付き合ってる。
 そう考えたら、最初のマドンナによるスキンシップも、一目置かれているあいつとの共鳴も、すべてがあの完全無敵なカップルのプレイであるように思えてきて、俺はただあのカップルの遊びに利用されただけなんじゃないかと思った。
 夢の中の登場人物は、本人の頭が作り出したものであり、本当には存在しない、ということは理屈としてもちろん分かっているのだけど、その一方で、僕の人生の中に登場人物として登場した以上、完全に存在しないとも言い切れないだろう、ということも思う。形而下の、物体としてあるものだけが「存在する」ということではなくて、その定義でいえば存在することになるけれど僕の人生には登場しなかった人と、実在はしないけれど夢の中に登場した人とでは、どちらが僕の人生の中でより存在していたか、という話になってくる。
 インターネットがつまらなくなった、ということがよくいわれ、それは僕自身もまた大いに感じ入るところなのだけど、どうしてつまらなくなったのかといえば、インターネットの世界はかつて、夢の世界だったからだと思う。夢の中の登場人物は、現実には存在しないので、相手にどう思われようと別によくて、自由気ままに振る舞うことができる。僕は当時のインターネット世界でそこまではっちゃけていたわけではないけれど、かつてのインターネットにはそういう雰囲気があったように思う。みんなで一緒の夢を見ていて、だからそこで繰り広げられることは、現実に戻ってしまえばなんの後腐れもない、そういう空間だった。ハンドルネームだったこともあり、実在の人物とははっきりと乖離していたのだ。
 それが昨今のSNSの台頭により、夢の世界が現実世界にすっかり侵略されてしまい、意味がなくなってしまった。夢が現実になってしまった。夢が現実になるって、幸運な出来事が起きたときに使う表現だけど、夢が現実にすり替わってしまうなんて、なんとつまらないことだろう。夢は夢のままがよかった。