2021年1月29日金曜日

神経痛ブログ

  この1週間、毎食後せっせと帯状疱疹の薬を服み、腹から脇まで帯状に伸びた疱疹は、それ以上は伸びることなく、無事に枯れた。いまはかさぶたのようになっている。痕が残らないか不安だ。たぶん、ほとんどは消えるけれど、完全に消えるということはないのだろうと思う。若い人は傷の治りが早い、というのは誰もが知っている有名な事実だけど、若い人は傷の治り方の完璧度が高い、という事実も、それより有名ではないけれど確実にある。最近になって、体がそこまできれいな復元を追い求めなくなってきたような気がする。追い求めなくなってきたというより、られなくなってきたのかもしれない。ほかに(そもそも原資が減少気味の)生命エネルギーを注ぐべき部分はごまんとあるので、これからなにをする体でもなし、別にいいじゃないか、ということか。シビアだな。そろそろ俺もグラビアアイドル活動は潮時か。
 シビアといえば、帯状疱疹を発症したあとに発生しがちだという帯状疱疹後神経痛が、まんまと発生していて、この痛みというのが、なんともシビアな、大人の痛みだ。成長期の骨が伸びてきしむ痛みとはぜんぜん別種の、きしむ痛み。このふたつの「きしむ」は、同じ音でも別の漢字を当てたほうがいいと思う。たとえば嬉志夢と危肢無みたいに。「イタタタタ!」という陽の痛みではなく、「……ッンンン」という陰の痛み。そもそも神経痛という言葉が嫌だ。温泉の効能に必ず書かれていて、しかしこれまでピンと来ていなかったワード、神経痛。得てみて初めて、なるほど、手術とか、薬とか、そういうんじゃなくて、鉱物をたくさん含んだぬるめの温泉にじっくり浸かる以外にこれは対策の打ちようがないな、と得心がいった。
 先週の土曜日に医者にかかり、誕生日パーティーをしらふで過すはめになったまま、なにぶん服薬中のため、もうかれこれ1週間も飲酒をしていない。これまで奴隷のようにこき使われいてた肝臓が、急に自由の身になってしまって、逆に戸惑っているのではないかと危惧さえ抱く。それにしても、神経痛の疼痛で気持ちが落ち込み気味なのに、それをアルコールで癒すことができないとなってしまっては、いったい心はどういう手段で浮上していけばいいのか。さらにいえば激しい運動もよくないので、筋トレもできない。なので本当に粛々と過している。山陰の冬の薄暗さ、つらさもあって、もういっそ冬眠できてしまえばいいのに、と思う。桜の花びらを鼻先に差し出してくれれば、その香りで目を覚ますから、それまでそっとしておいてほしい。