2021年1月25日月曜日

春はまだかよ

 あまりブログを書かない。ブログはゆとりのバロメーター、とは一概には言えなくて、ゆとりがあっても書かないときはある。ただし、ゆとりがないのにブログを書けるという状況はほとんどなくて、今は普通にその状態にある。新しい暮らしは、いまだなかなか落ち着かない。山陰の冬の、寒さや日照時間の短さというのも、当然この低調さの大きな要因だ。山陰の冬とは、そういうものだ。でもそれが大きな要因なのだとしたら、その根はわりと浅いということである。あと2ヶ月、いや期待を込めて1ヶ月半くらいで春が来れば、僕はそれはもう満ち足りた気持ちになり、抱えきれないほどの幸福感を得ることだろうな、と思う。それほど春が恋しい。山陽時代に較べ、その度合は桁が4つくらい違う。
 1週間ほど前より、腹に筋肉痛のようなピリピリとした感覚があり、思い当たる節がなかったので不思議に思っていたら、風呂に入るときその部分に湿疹が出ているのを見つけ、ファルマンに見せたところ、「それ帯状疱疹じゃないの?」といわれ、なに言ってんだ帯状疱疹って更年期の女性がなるやつだろ、と一笑に付していたら、数日して湿疹が脇腹のほうに伸びて、「帯状やん!」となり、慌てて皮膚科に行った。それで還暦くらいの女医に腹を見せたら、「あらー」と軽く感嘆されたのち、「これはもう、自分でなんていう病気か分かってるんじゃないの?」とほぼ半笑いでけしかけられ、「帯状ほうし……」と答えたら喰い気味で「正解!」と褒められるという、意味不明のやりとりをした。それくらい帯状疱疹、あるいはこの症例にまだ名前が付いていなくても、あまりにも帯状に疱疹が出ているので、結果的には帯状疱疹という病名になる、というくらいに帯状疱疹なのだった。そのくらい見事な帯状疱疹になった。女医がいうには、「この時期は年末年始の疲れが出やすいから患者が増える」ということだったが、こちとらただの年末年始じゃない。あまりにもひっちゃかめっちゃかな年末年始だったわけで、基本的には健康な体で、なにより精神が気丈であるため、たとえばファルマンのように、すぐにつらさをフルオープンにするということをしないのだけど、そんなけなげな肉体が、とうとう帯状疱疹という形で音を上げたのだと考えると、切なくて愛しくなる。12月から島根暮しが始まったため、去年はとうとう「パピ労感謝の日」の記事が書けなかったのだけど、書けなかった今シーズンほど、ねぎらわれたい年はなかった。ねぎらって、いたわって、いつくしみたい。もし僕が春の神様だったらば、僕にだけ3週間くらい先行して春を与えてやる。そうあるべきだ。
 これが先週の土曜日の話で、その夜に22日が誕生日であるポルガの誕生日祝いをした。ちなみに4日に誕生日を迎えたピイガの祝いは、4日というのは今年の場合、岡山から荷物を搬出し、われわれ一家は車で島根に移動し、その晩は実家に泊まらせてもらい、明日の午前には引っ越しのトラックが搬入にやってくる、という、そういう日であり、そんな晩に誕生日祝いなどできようはずもなかったが、実家の人がケーキを買っておいてくれたので、なんとなくお祝いをしたような、あまりしていないような、そんな感じで済まされていた。なので今回のケーキ(手作り)のロウソクは、「10」と「7」の二本立て(「10」は「1」と「0」なので正確には三本立て)ということにした。食事のメニューは手巻き寿司とたこ焼き。実家の面々(義父、義母、三女)も招待したので、盛りだくさんのパーティーメニューである。ただし僕は午前中の皮膚科で、抗ウイルス的な、マジな感じの薬を処方されて服んでいたため、酒が飲めなかった。手巻き寿司とたこ焼きなのに! 昼過ぎからせっせと準備したのに! 僕だけが酒を飲めなかったのだ! たこ焼きでビール! 手巻きずしで日本酒! もう悔しいついでに、実家の面々の車の送迎も買って出てやって(「どうしようかって話してたんだ」とお喜びの様子だった)、さらにはもうこんなのマゾヒズムの領域だが、ファルマンや義母や三女のために缶チューハイも買っておいてやった(三人とも、あれば飲むけど自分で用意するほどの熱意はない、というスタンス)。そうして僕ばかりが徳を積み、そして肝臓を回復させた。
 僕のもとには今年、いい春が来るに違いないと、しみじみと思う。そうでなければ理屈に合わない。理屈に合わないことが横行する世の中だけど、それでも僕は希望を捨てない。そんなところも好きだ。ああ、好きだなあ、俺、俺。