まだしなくてもぜんぜんよいはずだったが、前述のように、「俺は夏の間は一切の就活をしない!」と堂々と宣言できるほどの大胆さはなかったため、妻にやんわりと促されるままに応募をし、その結果「じゃあ面接に」ということになってしまったのだった。
受けたのは印刷の会社だった。もう縫製業はしないということは決めていて、じゃあなにをするかと考えたとき、やはりなんかしらの製造関係がいいと思い、印刷に目をつけた。印刷もまたどこまでも斜陽産業なんじゃないかという気もしたが、印刷といったって紙媒体とは限らず、商品パッケージなんかもあるようで、けっこう手堅いのではないかと思った。なにぶん、どうしてもすぐに再就職しなければならない切羽詰まった状況ではないため、まあ様子見でとりあえず受けてみるか、という感じで面接に向かった。
印刷会社で働くかもしれないとなって、僕にはひとつの感慨があった。
かつて岡山に来る前、我々一家は島根県の妻の実家で暮していたのだが、その際に僕はショッピングモール内の服のお直し所にパートで勤めていた。このあと岡山に移住して縫製業に就くことは、ここに入社する前から考えていて、そのための足掛かりだった。その店舗は、二十代男子の僕ひとりを除いては、他の全員が五十歳オーバーの女性というメンバー構成だったので、いろんな意味で修行の期間だったと思う。
それで無事に岡山への移住が決まったとき、「向こうではなにをするのか」と同僚のおばさんから訊ねられた僕は、ほとんどが元縫製工である彼女たちに対して、「縫製業だ」と正直に答えるのがなんとなく億劫で、「印刷会社に勤める」と噓をついたのだった。
それがもしかしたら真実になるかもしれないと思った。
結果としてはならなかった。面接後、自分から断りの電話を入れた。
この会社の印刷工の勤務体系は、「三日出勤、一日休み」をひたすら繰り返すのだそうで、それ自体はハローワークの募集要項に書いてあったので了解していた。曜日はもちろん、お盆も正月も関係なく、三勤一休。もっともそれはいま思えば、やっぱり実家が遠くにある家族持ちが長く勤められる形態ではなかったろうと思う。求人に応募するときは、なんとなく希望的観測になってしまいがちで、無理な条件も「大丈夫な気がする」と思ってしまいがちだ。この印刷会社に関しては事前に免れたが、僕はこれから何度もその過ちを、文字通り痛感することになる。
それでこの印刷会社の選考をどうして断ることにしたのかといえば、印刷所は三百六十五日、二十四時間稼働だというのに、シフトが朝番と夜番しかなかったからだ。その点については面接官からなんの説明もなく、そこに言い知れぬ恐怖を感じた。二十四時間という時間を、ふたつのシフトで繋ぐとすれば、ひとつのシフトが十二時間を担当することになる。
それはつまり、そういうことだろう。
ぞわ、とした。