2021年5月15日土曜日

百年前日記 14

 僕はその足で倉敷市のハローワークに立ち寄った。そこまで急いで申請に行く必要はない、どうせ長期戦になるんだ、と言っていた人も会社にはいたが、やはりなるべく早く雇用保険をもらいたいと思い、退職日翌日の申請となった。会社にハローワークの職員が来ての説明で一応の予備知識はあったが、やはり自己都合退職と会社都合退職では、ハローワークの待遇がまるで違った。そうか、失いたくないのに職を失ってしまった者こそが、雇用安定所たるハローワークにとっての正規の客なのだな、と理解した。
「コロナの影響ですか」
 書類を提出すると窓口の人にこう訊ねられたので、「ちがいます」と僕は答えた。
 タイミング的にはあまりにも新型コロナウイルスの影響を感じさせるが、工場の閉鎖が告げられた一月末には、新型コロナウイルスがここまでのことになるとは誰も予想していなかった。本社が決定を下した工場の閉鎖に、新型コロナウイルスという要素は考慮されていないはずだった。
 申請が終わると、本来は受給に関する説明会のようなものがあるはずだったが、これもまた新型コロナウイルスの影響により取り止めだという。そうしてどこまでもスムーズに、ある意味で恵まれた境遇で、七日後からだという雇用保険の受給が決まった。一八〇日というその期間は、波風立てずにひたすら受給すれば、ほぼ年内いっぱいもらい続けられる計算だった。もっともさすがにそれはできないし、するつもりもなかった。一日の受給金額はせいぜい六千円足らずであり、それで家族を養って暮せるはずもなかった。
 そもそも間が持たない、とも思った。それでも七月と八月くらいは就職せずに暮せたらいいな、ということを漠然と思っていて、それなりにしたいこともたくさんあったが、大人の男のしたいことなんて、そこまで長い期間を埋められるほどではない。真夏の二ヶ月間が関の山だろう、と思っていた。ちょうど雇用保険には、「受給期間の三分の二以上を残して再就職を決定した場合には、残りの受給額の七〇%を一括支給する」という制度があり、だとすれば八月いっぱいまで六〇日あまり無職で過ごし、九月から再就職をすれば、ずいぶんな金額をせしめることができるぞ、と算段した。
 したいことの筆頭は裁縫で、仕事をしながらだと気力が湧かなくてなかなか取り組めない、本に書かれた作り方通りに作るのではない、パターンへの理解を深める勉強をしようと思った。それでハローワークの帰りに図書館に寄って、そういう本を借りて帰った。
 僕の無職の夏はこうして始まったのだった。