2021年5月17日月曜日

百年前日記 15

 それでパターンの勉強は結局どうなったかといえば、それなりにやった。襟や袖や前開きのさまざまな形状のものを組み合わせ、好みのブラウスを作るという本で、何着か実際に作ってみた。製作を通して、なるほどなあと思う部分もあったが、知りたいことの本質的な勉強にはなっていないような気もした。
 そもそも僕は服を作りたいのか? ということも思った。絵に描いたようなジタバタである。
 社会からほっぽり出されて、確たるもののなさをしみじみと感じた。しかし確たるものなんて、いったいどれほどの人間が持っているだろう。暮らしが安定的に続く限りは、それは感じなくてもいい懸案である。
 いまどきのレトリックでいうならば、武器というやつだ。我々は、弱肉強食の世界で、生き残りのために、武器を持たなければならないのだ。これのどこが文明社会なのか。
 百年後や二百年後の世界では、こんな仕組みから人類は解放されているのだろうか。

(少なくとも百年後は解放されていません。おそらく二百年後も無理でしょう。原資は有限なので、どうしたって奪い合いは起ります。そこからは永遠に逃れられないのだと思います)

 八年前の無職の夏は、小説を書いた。もうどんな小説だったか、あまりよく覚えていない。いちおう書き上げて、どこかへ応募した記憶はある。箸にも棒にも引っ掛からなかった。今回は小説を書く気にはならなかった。それでいていまになってこうして長い話をし始めている。だとすればこの行為もまた、ジタバタに他ならないのだと思う。

(しかしそのおかげで私はこうしてこの文章を読めています)

 七月はそれでも、はじまったばかりの無職生活を前向きに過せた。
 七月に入ってすぐは長引いた梅雨によって雨が続き、それが途絶えたところでようやく工業用ミシンが我が家に届けられた。工場長とミシン屋が、軽トラックで運んできてくれた。
「就活はしとるんか」
 僕が勤めはじめたときから工場長で、工場長としか呼んだことのない元工場長が、荷台からミシンを降ろしながら訊ねてきた。
「いちおう書類を送ったりはしてますよ」
 と僕は答えた。嘘ではなかった。よほどのことがない限り、すぐに再就職するつもりはさらさらなかったが、それでも急き立てられる部分はあり、ウェブ上での応募など、完全にしていないわけではなかった。
「そうか。偉いな。決まったら連絡くれ」
 五十代後半の元工場長は、かなり技術のある人だったこともあり、他の会社からの誘いもあるといつか話していたが、それもまた状況は変わっているかもしれないと思った。もっとも子どもは既に社会人だし、何十年も勤めた上での雇用保険は僕の条件よりもはるかに手厚いだろうから、余裕はあるはずだった。
 もうこの人と会うことはきっとないんだろうな、と思いながら見送った。