2021年5月18日火曜日

百年前日記 16

 かくして家にやってきた工業用ミシンは、工場で見ていた頃よりも巨大だった。占有スペースとしては、アップライトピアノとほぼ同一だろう。しかしミシンの左に伸びるテーブル部分に僕のパソコン一式を置けたので、ミシンとパソコンの合同の作業スペースと思えば、そこまで大袈裟に場所を取っているわけでもない。そんなふうに言い訳をして、工業用ミシンはリビングに置かれた。
 その工業用ミシンで、練習のブラウスのほか、夏用のマスク、子どもたちのセーラーブラウスとワンピース、マスクを入れるための移動ポケットなど、いろいろなものを作った。堂々と無職をすればいいのに、そんな胆力はないので、どうしても「生産」をして、救われようとしてしまうのだった。
 毎日が日曜日になったらプールやサウナに行き放題だなあとわくわくしていたが、考えてみたらプールもサウナも、日曜日にわざわざは行っていなかった。仕事の帰りに行っていた。それらの目的でわざわざ車を出し、さらにプールはまだしもサウナとなれば八百円ほどの代金が掛かってくるわけで、そんなことを思うと無職の身としてはなかなか繰り出す気にならないのだった。先立つものがないと、行動や思考がどんどん消極的になっていくような感じがあり、そのことにじっとりとした哀しみを覚えた。

(サウナは私も好きで、よく行きます。もっともこの頃のサウナと今のサウナは、だいぶ違うものかもしれません。先日は調子に乗って踊りすぎたため、猫が怒っていました)
 
 初めて再就職のための面接をしたのは、七月の終わりだった。