2021年4月10日土曜日

百年前日記 3

 ただしこのときの提案は素直に受け入れることにした。インターネットで、就職に有利な資格というキーワードで検索をする。すると待ってましたと言わんばかりの体裁の整ったサイトが次々に出てきて、さまざまな資格が紹介された。しかし簿記もファイナンシャルプランナーも宅建士も、あまり自分と結びつく気がしなかった。
 そもそも僕は、縫製業に見切りを付けて、じゃあそれからなにをするか、なんの考えもなかったのである。
 そのためしばらく吟味した結果、まあこれならば職種を限定せずに広く通用するだろうと、TOEICの勉強をすることにした。語学ということで、他のものよりはいくらか興味も抱けるだろうと思った。

(いったいなんだろうと思って調べたら、ビジネス英語の試験とのこと。なるほど、この頃にはまだ言葉の壁なんてものが存在したわけですね。話し相手がぜんぜん理解できない言葉で喋るだなんて、想像がつきません。そんなの不便すぎるじゃないですか)

 しかし即座に事の顛末を明かしてしまうが、結果として僕はTOEICの試験を受けずに終わった。勉強は、テキストを買ったりアプリを利用したりして、一時期それなりにやったのだが、新型コロナウイルスの影響により、この春からしばらく検定試験そのものが開催されなかったのである。なんともやるせない結末ではないか。
 新型コロナウイルスの流行はそれほどに加速していて、二月の終わりには政府の方針により一斉休校が要請され、娘たちが小学校と幼稚園に行けなくなってしまった。上の子は三年生なので特別どうということはないが、下の子に関しては幼稚園の年長である。すなわちこの春は、卒園と入学の春だったのだ。
 もっとも休校に伴う我が家の葛藤はその程度のもので、世の中の共働き世帯にとっては、子どもたちを家に残して出勤しなければならないということで、大変由々しき事態であったらしい。政府はこれまで女性活躍と銘打って、専業主婦という存在をなるべくこの世から抹殺せんと施策を次々と繰り出していたが、いざとなったら「家には母親がいる」という固定観念があったことが判明したので、むちゃくちゃな話ではないかと思った。

(政府のすることというのは、どの時代でもむちゃくちゃなのですね。時代が違うといろいろなことが様変わりするなあとここまでの文章を読んで感じていましたが、そこだけは不変なのですね。不思議なことです)

 結局、下の子の卒園式と入園式は、なんとか執り行なわれた。参列者は両親のみ、来賓なども一切なしの簡潔なものだったが、かえってよかったという声が多く聞かれた。地元の名士なのかなんなのか知らないが、来賓などという得体の知れない存在は、本当にただの無駄だったのだなと、自分の学生時代のことも含めてしみじみと思った。