2021年4月7日水曜日

百年前日記 1

 思い返してみると、工場の閉鎖を告げた本社の役員は、マスクを着けていなかった。
 一月下旬、たしかにあの当時はまだ、マスクは必須のものではなかった。囁かれはじめた新型コロナウイルスの蔓延は、あくまでも対岸の出来事であり、数年前にその状態のまま収束したSARSやMARSといった伝染病と同じように、今回もどうせ解決するのだろうという認識だった。
 工員を、狭い会議室に入れる人数分だけ呼び出して伝えていくというスタイルは、のちの時代から見れば絵に描いたような三密であり、それでマスクを着けないなんてことはあり得ない。しかしそれまでの世界の価値観では、大事な内容のことを伝えるときにマスクを着けていることこそ、誠意の表明としてあり得ないことだったのだ。
 だから無数の工員の目に囲まれながらそのことを宣告する、役員の後ろめたそうな顔を、僕はきちんと見た。
 以前の世界では、こんな表情も、きちんと外界にさらさなければならなかったのだ。
 ちょっと人として生々しすぎないか、と今の僕ならば思う。

(私もそう思います。というより、この年からはじまったその感覚が、今も続いているのかもしれません)

 経営不振のために地方の工場を切るという本社の決定、そこに感情の入り込む隙はないが、しかしそれを工員に伝えにくる人間はその限りではない。この役員の立場になって想像すれば、あまりに過酷な役回りだ。こんなにも希望のない出張もそうそうないだろう。
 すべての工員に伝えるために、十数人ずつ、五回ぐらいに分けてこの宣告の儀はなされたはずで、そのたびに会議室の空気は張りつめ、乱れ、沈んだことだろう。どういう順序だったのかは知る由もないが、僕はたぶん四番目の回だった。そのためすでに三度のそれを経た役員の顔は、すっかり土のような色になっていた。
 この役員を、僕はそれまでに二度見たことがあった。本社の役員が来るからと、みんなで工場内を念入りに掃除して出迎えた。そのときの役員は、ちゃんと本社の役員らしく、傲岸な雰囲気をまとっていた。君たちの生殺与奪は私次第なのだから、私にちゃんといい印象を持たれるように励みたまえよ、というプレッシャーを放っていた。結局そのプレッシャーにわれわれの工場は応えることができなかったわけで、そう考えたら彼はこの段になっても別に堂々としていてもよかったような気もしてくるが、要するにきっと、悪い人じゃなかったんだろう。そして、だからこの役回りをするはめになったのだと思う。

(昔の人たちは、家族でもない相手に、そんなに感情をあらわにして生きていたんですね。野性的だなあ)

 かくして約五ヶ月後、六月いっぱいでの退職が決定したのだった。