2021年4月22日木曜日

百年前日記 6

 作るとなったら、資材を買いに行かねばならない。妻が使ったように、家には資材があったといえばあったのだけど、それは決して布マスクを作るために買ったものではなかった。布マスクを作るには、そのための生地を買わなければならない。そしてそうやって目的買いしたものは、完全に使い切るわけではないので、結果的に家には資材がどんどん増えることとなる。これまではそのことに対していくらか自制心も働いていたのだが、最近では娘たちが手芸をしたりするようになってきたため、娘が使うかもしれないし……、という言い訳が立つようになって、いよいよ歯止めがかからなくなった。
 そんなわけで赴いた手芸屋だったのだけど、普段と様子が違っていた。まず駐車場が空いていない。こんなことは初めてだった。それでもなんとか車を停めて入店すると、店内は大勢のおばさんたちで殺気立っていた。僕も含めて、ここにいる人たちはみな、布マスクの資材を買いに来ているらしかった。三月下旬、どの家でもインフルエンザ用に昨年末あたりに買っておいたマスクの残量が心許なくなり、しかしながら不織布マスクの店頭価格は法外で、布マスク作りへの重い腰を上げるタイミングなのであった。
 普段は手芸屋に来ないような層も多くいるようで、店員に質問をしたいが、感染対策として店員に質問するのは控えてくれとポスターで告知されているし、そもそも店員はみな大行列の裁断やレジ業務でそれどころではない。その結果として、店内にはフラストレーションが横溢していた。
 これは後日、この当時よりはいくらか落ち着いた時期に手芸屋に行ったときのことだが、接着芯の売り場に、これまでにはなかった「これは接着芯です!」という注意が掲示されていた。どういうことかというと、たぶん薄手の接着芯をガーゼと誤解して買った者がいたのだろう。その手芸初心者のことを思うと、胸が痛む。なんとか材料を買い揃え、慣れないミシンをして、いよいよ完成という段階で、アイロンをかけたらくっついてしまったのだ。接着が溶けて裏表の生地がくっついたマスクは、その接着芯本来の機能性ゆえ、呼吸がままならなかったことだろう。切なすぎる。
 斯様な手芸屋狂騒の風景もまた、戦中戦後らしい感じがあったし、さらに遡って文明開化の時代のようでもあった。誰もが手探りで、受け入れることにしたものと受け入れないことにしたものを取捨選択していた。「新しい生活様式」というフレーズが唱えられはじめるのはここからもう少しだけ先だが、いまから約一五〇年前、江戸から明治へと時代が移り変わるときの人々の気持ちが、少しだけ解ったような気がした。

(結局のところ、人間という生き物そのものは、ライオンやウサギが変わらないように、いつの時代も変わっていないということでしょう。文明の進歩やそれに見合う社会常識は、体にまとわりついている程度のもので、文明開化や戦争やパンデミックといった強い風が吹くと、簡単に吹き飛んでしまうのだと思います)

 そんな狂乱の手芸屋で、僕はなんとかマスクの資材を手に入れた。ダブルガーゼは棚にはなく、裁断場でひとり一メートルに限っての販売だった。配給のようだ、とやはりそんなことを思った。
 そうして満を持して作ったマスクは、すばらしい出来映えだった。マスクそのものは、ウェブ上に作り方が公開されていたオーソドックスなプリーツ型なのだが、なんといっても表地のセレクトがよかった。五種類ほど選んだのだが、どれもかなり派手でありながら品もあり、さすがだ、さすがは僕だ、と思った。家にあったガーゼ生地も使い、三〇枚ほど作れたので、自分たち一家で使うほか、両方の実家にも送ってやった。それに対して「助かる! すごくいいね!」という反応が返ってくるのは当然のことなので当てにはならないが、作ったものを職場に着けていったら、同僚のおばさんたちから大絶賛を浴びたので、やはり傑出した仕上がりだったことは間違いなかった。
 実はこの春先から、ウェブ上でハンドメイド作品を販売するサイトに登録をしていて、オリジナルキャラクターをアイロンプリントでバッグにデザインしたものなどを出品していたのだが、そこで布マスクも出品したらどうだろうかと一瞬考えた。でも実行には移さなかった。布マスクの出品は禁止ではなかったのだが、いちおう衛生関係なので無責任に販売していいものかという思いがあったのと、あとはなにより、この時期にマスクで金儲けを目論んだら駄目だろうと思ったのだった。不織布マスクの高値販売にあぐねて布マスクを作ったのに、布マスクで商売をはじめたらミイラ取りがミイラそのままである。
 加えてこの数週間前に、山梨県の女子中学生が新型コロナウイルスの流行を受け、貯めていたお小遣いで資材を購入して大量の布マスクを作り、すべて福祉施設に寄付したというニュースがあったので、そのことを思ってもやはり販売はためらわれた。
 もっとも世の中は布マスクの販売が大ブームで、いろんなお店のレジ横に、お店の人が作ったのだろう布マスクが売られていた。衛生観念や倫理観などはなぎ倒し、新しく着けなければならなくなったこの装飾具をみんなで愉しもうじゃないかという、商売人のたくましさを見た。これは正しいことだ。コロナ禍を通して、経済を回すことの大切さを思い知った。しかし一方で山梨の女子中学生の行動もまた、もちろん正しい。
 マスクで儲けるのはいかがなものかと逡巡するだけだった僕ばかりが、正しくなかった。