かくして約五ヶ月後、六月いっぱいでの退職が決定したのだった。
この五ヶ月後というのが曲者だった。これが一ヶ月後であれば心置きなく大騒ぎできるのだが、五ヶ月後のことに今から右往左往することもできず、明日からも納期に追われる生産は続くわけで、えらいことになったという思いは抱えつつも、工員たちはわりと淡々としていた。
僕自身は宣告をどう受け止めていたかというと、実はかなり華やいだ気持ちになっていた。実はちょうど、このままここで縫製工を続けていても、あまりいい未来は待っていないような気がして、悩んでいたところだった。かといって自発的に転職するほどの熱情もなかったため、身動きが取れずにいた。だからこれはチャンスだと思った。
実は三年前にも、この縫製工場は身売りを経験していた。もともとは工場はひとつの会社で、そこには社長と呼ばれる人もいた。その経営が立ち行かなくなって、今回われわれを見放すことにした大きな会社に買われたのだった。その際、工員としては勤務する会社が替わるわけで、新しい会社に入社しますかしませんか、という意思調査がなされた。このとき後者を選んでいたら、会社都合の退職ということになり、違う未来があったかもしれないという思いが、この三年間ずっと心の中でくすぶっていた。
(縫製業のことはぜんぜん詳しくないですけど、今だってもちろんファッションブランドはありますし、どうすればいい着こなしになるかは若者にとって大きなテーマです。ただしよほどの伝統工芸品みたいなハイブランドでない限り、あまり衣類を人間が作ってるイメージはありませんね)
だから今度のチャンスは逃すまいと思った。工場としては、ふたたびどこかの会社が工場を買ってくれることを期待しているようだったが、もしも三年前と同じ状況になったら今度は入社しない選択をしようと僕は心に決めた。
そのような意識だったので、妻に工場の閉鎖を告げるときも、僕はまるで悲愴なムードを出さなかった。
「えええ」
と妻はまず驚きの声を上げたが、最近の僕が今の勤めに不満を抱いていたことを、妻はもちろん愚痴という形で聞かされていたため、「まあたしかに逆によかったかもね」と前向きに受け入れてくれた。
そして、
「無職まで五ヶ月間もあるのなら、この間になにか資格の勉強でもしたら?」という提案もしてきた。
思えばどこまでも現実的でまっとうな提言である。
妻という人間は、どんなときも正しいことを言う。だから妻の言うことをひたむきに聞いていれば、人間として大きく道から外れるということは決してないのである。しかしなかなか僕が、ひたむきに聞くということができないがために、ことはそううまく運ばない。この点に関しては、夫として申し訳なさしかない。