2021年4月24日土曜日

百年前日記 8

 三月の中旬ごろ、まだ人々が抱くべき絶望感のスケールを見定めることができずにいた時期、スーパーの棚から保存のきく食品が消えるということがあった。それはほんの一時期のことだったし、完全に食材が手に入らなくなったわけではなかったが、それでもお店に行ったのに食べ物が置いていないということに、すさまじい衝撃を受けた。はるか昔、狩猟で食べ物を手に入れていた時代に比べ、自分はとても安定した時代に生まれ育っていると思っていて、たしかにそれは真実ではあるのだけど、しかし結局のところスーパーへの安定供給が止まってしまったら、狩猟時代となんの違いもなく、我々は飢えてしまう。子どもに食べさせるものがなくなってしまう。
 この地面、実は薄氷なんじゃないか、と僕はそのとき悟った。

(人類の歴史とは、その薄氷をなるべく厚くする歴史であるともいえます。ただしそれはきわめて難しい。なぜならその薄氷とは、すなわち生老病死だからです。生老病死を克服するということは、生命体として存在しないということです。結局のところ我々は生きている以上、薄氷の上にしか立っていられないのだと思います)

 緊急事態宣言により人が動かないことが求められた結果、テレワークという働き方が一気に推奨されるようになった。これまでも理想論としては語られてはいたものの、一向に実現する気配はなかったのが、戦争が科学技術を躍進させるように、必要に迫られたら物事はすさまじいスピードで進展するものらしかった。
 これは実際のオフィスに出勤することなく、自宅のパソコンで仕事を行なうという働き方のことで、それが可能な職業はなるべくそうしていただきたい、と政府は要請した。
 もちろん製造業である僕にそんな話はまるで関係なく、むしろこの時期は工場として集大成となる生産がいちばん忙しい時期だった。もっとも感染の拡大というのも、東京や大阪の繁華街が中心の話で、岡山県の片田舎で人の出入りもなく作業をする人間たちにとってはどこまでも縁遠い話だった。工場の周りに駅はなく、公共の乗り物を利用して通勤する人間はひとりもいなかった。
 そのためすぐには関係のない話だったのだが、七月以降は別の仕事に就かなければならない立場からすれば、そういう社会の動向は、無関係な話ではもちろんなかった。次の就職先として、縫製業は先行きの不安から除外するとして、今度はいわゆるオフィスワーカーになりたいと思っていた。ただしオフィスワーカーとはなにか、と問われたら明確な答えは持っていない。そもそも僕は、大人が会社でどんな仕事をしているのか、いまだによく判っていないのだった。作る人と、売る人と、事務的なことをする人という、だいたいその三つくらいでありとあらゆる会社というのはできていて、じゃあいざとなったら通勤せずにパソコンだけで仕事ができてしまう人間というのは、そのうちのどれなのか。そもそもそれって本当に世界にとって必要な仕事なのか。これまで現場での労働にばかり従事していたので、そういう本当に必要なのか怪しい立場の仕事に限って、やけに報酬が高そうだという悪い印象もあった。
 テレワークの推進によってそのあたりの矜持が刺激され、パソコンで完結してしまう仕事なんて幻のようで空しいではないか、と思うようになった。仕事というのは、やっぱり実際に手掛けてなんぼのものだろう、と。

(この選択は正しいと思いますよ。コンピュータで完結できることを人間がする意味はまるでないですからね)