2021年3月11日木曜日

10年

 10年である。丸10年だ。
 10年という歳月を前にして、表現は陳腐になる。あっという間のようにも、果てしなく長かったようにも感じる10年。年末の、1年を漢字1文字で表すやつに無理があるように、10年を何百文字かほどの文章で表現するのも不可能だ。
 10年で自分はそこまで変わっていない、という気持ちを、前向きな意味でも後ろ向きな意味でも抱いているけれど、27歳が37歳になっていて、0歳児だった長女が10歳になっていて、次女もできていて、都民だったのが島根県民になっていて(ただし10年間で最も長いのは岡山県民時代だ)、それに合わせて職もずいぶん変わっていて、実際はだいぶ変わっている。客観的に見て、変化が大きかったほうの部類に入るとさえ思う。
 僕のこの10年間の変遷は、東京から島根への最初の移住の理由として、たしかに東日本大震災の放射能禍はあったけれど、実行に移したのは1年半後である2012年の夏だし、なにより住んでいたのは練馬区だったわけで、それで震災を理由にするのは実はだいぶおこがましい。そこから流れ流れて現在2度目の島根県にたどり着き、いまの生活はとても気に入っているのだけど、圧倒的な海や空や山に心が洗われたり、地物の魚や肉や野菜がおいしかったりする、こういう暮しが、10年前、かの地では突然に奪われたのだと思うと、当時よりもはるかに差し迫った気持ちで、そのつらさが理解できる。田舎の人が田舎を奪われたら、どうしようもない(書いていて思ったが、それに対して都会の人たちは、今回のコロナ禍で、都会暮しのアイデンティティである、つるむことを奪われたので、どうしようもなくなっているのかもしれない)。たぶんこれは10年で、27歳が37歳になり、花のつぼみを愛でたり河の流れを眺めたりすることができるようになったから、感じられるのだと思うが、自然の恩恵って、とてつもなく尊いのだ。結局のところ、人間なんていったって生きもののひとつなんだから、どうしたって自然にひたすらおもねって生きていくのがいちばんだな、ということを近ごろしみじみと感じる。10年前は、それが奪われたのだ。いま島根に暮していて、そのことの絶望をまざまざと思い知る。
 もちろんその一方で、地震や津波が奪った命のことも思う。これは都会も田舎も関係ない。都会に住んだり、田舎に住んだりというのは、家族のしあわせを勘案して選択することだ。なにより家族の命ほど大事なものはない。このこともまた、10年前よりも僕の理解は深まっていると思う。
 今日は労働が休みだったので、14時46分にテレビの中の人たちと一緒に、ファルマンとふたりで黙祷をした。やがて娘たちも、学校で黙祷をしたといって、家に帰ってきた。書き出しから締めまで、本当に陳腐な言い回しになってしまうのだけど、こうして家族で無事に日々を送れていることに、深く強く、感謝をして生きていこうと思う。