2021年3月26日金曜日

タイヤ解放

 スタッドレスタイヤを、普通のタイヤに戻す。軽自動車なので、義父に教えてもらいながら、自前でやった。タイヤの交換を自分でするという文化が車社会で生きる男たちの中には存在する、ということは知っていたが、まさか自分でやる日が来るとは思っていなかった。自分で嵌めたタイヤの車なんて、恐ろしくて絶対に乗りたくないだろうと思っていたが、必要に迫られれば人というのは観念してある程度のことはやってのけてしまうものだな、としみじみと思った。アクアスはその交換をしてから行ったので、まあ4時間以上運転して問題ないのだから、大丈夫なんだろう。それにしても車のことになると、本心なのかマウンティングなのか判然としないが、義父はやけに「車、メカニック、男、美学、俺」みたいな、そういう空気を出してきて、ホイールのことであるとか、ゴムの具合のことであるとか、やけにいちいち講釈を垂れてくるので、その時間が僕にとってかなり憂鬱だったりする。この程度の男のメカニック醸しでうんざりするのだから、戦争になり、徴兵されたら、僕は間違いなく心を病むだろうな、とこういう時間を過すたびに思う。まあタイヤ交換に関しては会得したので、来年からは義父を交えずファルマンとふたりで作業しようと思う。
 振り返ってみて、今年はスタッドレスタイヤを大いに活用した。山陰でも、「今年はスタッドレスにする意味なかったね」みたいな年もあるらしいが、それでいうと今年は、わざわざ安くない金額で購入した意味が、ちゃんとあった。スタッドレスでなければ死んでいただろう場面が多々あった。なので3月もいよいよ終わろうとしていて、普通のタイヤに付け替えられたことに、山陰ではそれを感じるポイントは数多くあるのだけど、だいぶ強い度合で、冬から春への季節の移行を感じた。これからの7ヶ月間ほどは、われわれは解放される。山陽ではずっと解放されっぱなしだったから、それが解放であると知覚できなかった。普通タイヤを履いている間、われわれは雪のつらみから解き放たれている。そういう観念の違いがある。