2021年3月12日金曜日

ハンドメイド漫談

 売るのは作品ではなく理念だ、と不織布マスク風布マスクを出品したという記事の中で書いた。なるほど理念なだけあって、売れない。理念というのは、購われないから理念として高潔なのであって、購われたらその時点で理念ではない。だから売れなくて正解だ、とも思うが、その一方で、お前はminneに登録して一体なにをいっているんだ、とも思う。
 理念を売る、ということで思いついたのだけど、マスクは顔が隠れるのが欠点で、それの打開策としてフェイスガードなんかも試みられているけれど、しかしマスクに較べると感染防止の効果が低いとか、そういう問題があるわけだが、その解決方法として、「透明の布で作ったマスク」があればいいのではないだろうか。透明の布なんてこの世にないだろうと思うかもしれないが、実はあるのだ。ただしこの透明の布が透明に見えるのは、新型コロナウイルスに感染していない人だけで、感染している人が見ると、ドブみたいな色が浮かび上がる。だからこの透明マスクが透明に見えている間は感染していないということになり、一種の検査にもなる。……いや、違うか。それをいうなら「新型コロナウイルスに感染していない人にしか見えないマスク」か。minneの商品ページには、なにも載っていないただのテーブルが写し出され、注文すると空っぽの封筒が届く。でも実はあるんです。新型コロナウイルスに感染していない人にしか見えないマスクが。えっ、あなた、このマスクが見えないっていうんですか。まさかね。さあみなさん、健康な人だけに見えて、着けることができるこのマスクを着け、春の陽気に誘われ、どこへでも出掛けちゃいましょうよ。……という、これを本当にやったらminne出禁になるんだろうな。
 ハンドメイドといえば、2月にわれわれ一家と義母と義妹で出雲大社に参拝に行ったのだけど、そのとき義母から指摘されてハッとしたこととして、われわれ一家4人はそのとき、全員が僕のハンドメイドのバッグを持っていたのだった。客観的にそのことに気づかされ、「ちょっと変な一家!」と思った。そしてそのとき引いたおみくじの、「人に交はるには、和譲・恭敬・寛恕を旨とすべし。仮にも驕慢の態をなすべからず。」というフレーズは、よほど定着力が低いのか、本当にすぐ心から剝がれそうになるのだけど、心に刻み付けるために、おみくじそのものを壁に画鋲で貼って、ことあるごとに眺めている。和譲・恭敬・寛恕。驕慢ダメ。和譲・恭敬・寛恕。驕慢ダメ。そして僕はminne文法を放棄し、理念を売る。もしかするとこのおみくじは、馬鹿にしか見えないのかもしれない。