2021年3月24日水曜日

湯ったり

 ものすごく久しぶりに、「おろち湯ったり館」へ行った。
 島根県に住むようになったら、「おろち湯ったり館」へも頻繁に行けるようになるな、と思い描いていたのだけど、蓋を開けてみたらぜんぜんそうはならなかった。なぜそんなに行かなかったのかという原因については、説明をしようとすると、かなりプライベートな部分をさらけ出すことになるので、明かせない。現世の誰も読んでいないお前のブログが、いったい誰に対してなにを秘匿するというのか、という話ではあるが、であればこそ、自分が書きたくないことを書く理由もまた、一個もないはずである。
 前回に行ったのは12月のはじめのことで、これはファルマンの実家に僕だけが居候していた、あの(暗黒混沌)時期の序盤を指す。ただでさえ精神的にだいぶ来ていたこの時期の、平日の仕事が終わったあとで、救われるために僕は「おろち湯ったり館」へと参ったのだ。そうしたら、初めての平日夜の「おろち湯ったり館」はそれなりに混んでいて、「おろち湯ったり館」は閑散としていてのびのびできるところに魅力を感じていた僕は、それだけで少しショックを受けた。さらには、サウナに入ろうとしたところ、サウナ内にいた老人に、「ちゃんと体を拭いて入って!」と少し強い口調で窘められる、という出来事も重なって、すっかり心が折れてしまった。行かなくなった理由は、それだけではなくて、もっと根深いものがあるのだけど、このたびそういった諸々のことが、季節の移ろいとともに、ようやく僕の中で解消された感があり、満を持して平日の身が空いた日中に、3ヶ月以上ぶりに赴くことができた。移住を経て、岡山では日常的にしていたことが、こちらでは余裕がなくてなかなかできずにいて、でもひとつひとつ、項目にチェックを入れるように、日常生活が回復していく流れの中で、このようやくの「おろち湯ったり館」行きは、自分の中でなかなか感慨深いものがあった。やっとここまで整ったかと。
 平日の日中の「おろち湯ったり館」は、やはりとても空いていた。運営会社の事情も考えない勝手な理屈だが、「おろち湯ったり館」は人口密度が低くないといけない。繁盛していたらダメなのだ。
 温浴の前に、まずはプールゾーンへ進んだ。15メートルほどのプールなのだが、何度も往復し、思う存分に泳いだ。12月のあの日は、慣れない仕事終わりだったこともあり、プールへは行かなかった。なのでこれが、今年初泳ぎであり、島根移住後の初泳ぎだった。なのでざっと約4ヶ月ぶりにもなる水泳は、全身がピキピキと覚醒するような感覚があった。窓になっている天井から、青空と光が水面へと注ぎ込まれ、いろんな意味で本当につらかった冬が終わったことを、しみじみと感じさせた。
 そのあと温浴ゾーンへ。体を洗ったあと、あの日以来のサウナに入った。入る前、もちろん体はきちんと拭く。基本的にいつでも拭くのだ。あの日はたまたま、いろいろ戸惑っていただけなのだ。そんなときに少し強い口調で男の人に注意されたのだ。あの日の僕は本当にかわいそうだったと思う。サウナに10分ほど入ったあと、水風呂。外気浴さえできれば、水風呂って実は必要ないんじゃないかと思っていた時期もあったが、今はふたたび水風呂に価値を見出している。水風呂のあとは2階の露天に上がり、外気浴。この2階が、「おろち湯ったり館」では冬の間、雪や凍結のために閉鎖される。それが12月から3月中旬のことで、つい先日、ホームページに「2階再開」の知らせが出たことが、そのまま春のお告げであり、僕の心の雪解けでもあった。かくしてこうして来る気になった。そして青空の下、ベンチに全裸で横たわった。この心地よさたるや。陽射しを浴びて、全身からセロトニンが放出されているのが手に取るように分かる。時おりそよ風が吹き、陰嚢を撫ぜる。外壁の上から少し覗ける桜は、4分咲きといったところ。ウグイスの鳴き声は、まだあまりこなれていない。精神的にも肉体的にも、強張っていた部分が、ほぐされ、浄化されていくのを感じた。暮しの中で、こんなにも浄化を実感することはそうそうない。大抵はそんな「気がする」程度のことを繰り返して、ごまかしごまかし日々をやり過ごしている。しかしここはそうではない。目に見えての回復がある。やっぱり「おろち湯ったり館」のヒーリング力は半端ないな、と思いを新たにした。
 そんなわけで存分に堪能した「おろち湯ったり館」だった。次はこんなに間を空けずに行きたい。今回は4ヶ月分の「癒されポイント」が貯まっていたので余計に感動が大きかった。しかし今後こんなにポイントが貯まっている状態はなかなか発生しない気もする。それならそれでいいと思う。ほぐされる余地が少ない日々に、越したことはない。