2021年3月31日水曜日

花の春

 花を見に行く。
 花といえば桜のことである。そんなわけで木次へと繰り出した。日本の桜の名所100選にも選ばれている、島根県東部が誇る花見スポットである。
 実はここには去年も行った。なので、今年は桜の開花がわりと早かったが、去年はいつぐらいだっただろうと、1年前の3月下旬から4月上旬のブログを確認しようと思ったのだが、僕もファルマンも、春休みの島根帰省について、おもしろいくらい一切の記述をしていなかった。してないことにしていた。なんでだろう。箝口令でも敷かれていたのだろうか。
 そのときも、岡山在住時代によくやったパターンで、はじめの週末に全員で島根に行き、僕だけが岡山に帰り、ファルマンと子どもたちは1週間を実家で過ごし、また次の週末に僕が島根に迎えに行くというスタイルの帰省だったが、そのひとりで過した1週間の中で、僕は初めての布マスクを製作したのだったと記憶している。これはいま思えば、もはやすっかり定着した実利&ファッションアイテムとしての布マスクの、開始のタイミング的にだいぶ早いもので、桜並木を歩きながら、けっこうすれ違う人々の視線を感じたのを覚えている。「あ、そういうのって本当にありなんだ」と何十人かの蒙を啓いたやもしれない。振り返ってみれば、時代を先取りしたインフルエンサー的なことをしていたのだ。それから1年で世界はすっかり変容した。今年の桜並木を歩く人々は、もちろん全員がもれなく、さまざまなデザインのマスクをしていた。どの時代も変わらぬ桜を眺めながら、文化なんてものは実に簡単に変わるのだな、ということをしみじみと思った。
 お弁当を持ってきていたので、土手に座って食べた(いうまでもないが、島根県だし平日だし、他のグループとは余裕で5メートル以上の距離がある)。しかし風が強かった。行った日の前日が本当に強風で、満開になったばかりの桜がほとんど散ってしまうのではないかと危ぶんだ。来てみたらそこまで壊滅的ではなかったが、しかし葉っぱも出てきていて、明らかにピークは過ぎていた。風もまだ多少残っていて、ラップなどが飛ばされぬよう注意しなければならず、さらには黄砂もなかなかの濃度だったため、「まあ今年も花見をしたってことで!」という、若干せわしない花見となった。とはいえ去年のそれも、布マスクのエピソードなどが甦ってくるように、花見というのはなんだかんだで思い出として残りやすい性質がある気がするので、どんな形でもしておくに越したことはないと思う。できてよかった。
 花といえば桜のことなのだが、春に咲くのは桜ばかりではない。花の郷という、植物園というのか、季節ごとの花を咲かせて来園者をお出迎え、という感じの有料施設へも、春の花々を見に繰り出した。なにしろ30代後半になり、「花を見られる」ようになったのだ。花に限らず、鳥とか、波とか、飽きずに眺めていられるようになったので、こういう施設へも、子どもの写真を撮るため、みたいなよこしまな理由ではなく、実直に自分が花を愛でるために足が向くようになった。
 見た結果、春の花としてのピークはGWあたりに照準を合わせているのか、まだ園内は少し寂しかったが、それでも日常では見かけないような花も多くあり、なかなかに愉しめた。前々から思っていたけれど、やっぱり僕は円形の、平面的な花が好きだな。オオキンケイギクがそうであるように、コスモスやガーベラ、マーガレットやデイジーなど、要するにすべてキク科だけど、ああいうのがいい。鉢で育てようかな、なんて不意に思ってしまうが、たぶんしない。刺繍したいな、とも思い、そっちのほうが実行する可能性は高い。
 そんな春の日々である。

2021年3月26日金曜日

タイヤ解放

 スタッドレスタイヤを、普通のタイヤに戻す。軽自動車なので、義父に教えてもらいながら、自前でやった。タイヤの交換を自分でするという文化が車社会で生きる男たちの中には存在する、ということは知っていたが、まさか自分でやる日が来るとは思っていなかった。自分で嵌めたタイヤの車なんて、恐ろしくて絶対に乗りたくないだろうと思っていたが、必要に迫られれば人というのは観念してある程度のことはやってのけてしまうものだな、としみじみと思った。アクアスはその交換をしてから行ったので、まあ4時間以上運転して問題ないのだから、大丈夫なんだろう。それにしても車のことになると、本心なのかマウンティングなのか判然としないが、義父はやけに「車、メカニック、男、美学、俺」みたいな、そういう空気を出してきて、ホイールのことであるとか、ゴムの具合のことであるとか、やけにいちいち講釈を垂れてくるので、その時間が僕にとってかなり憂鬱だったりする。この程度の男のメカニック醸しでうんざりするのだから、戦争になり、徴兵されたら、僕は間違いなく心を病むだろうな、とこういう時間を過すたびに思う。まあタイヤ交換に関しては会得したので、来年からは義父を交えずファルマンとふたりで作業しようと思う。
 振り返ってみて、今年はスタッドレスタイヤを大いに活用した。山陰でも、「今年はスタッドレスにする意味なかったね」みたいな年もあるらしいが、それでいうと今年は、わざわざ安くない金額で購入した意味が、ちゃんとあった。スタッドレスでなければ死んでいただろう場面が多々あった。なので3月もいよいよ終わろうとしていて、普通のタイヤに付け替えられたことに、山陰ではそれを感じるポイントは数多くあるのだけど、だいぶ強い度合で、冬から春への季節の移行を感じた。これからの7ヶ月間ほどは、われわれは解放される。山陽ではずっと解放されっぱなしだったから、それが解放であると知覚できなかった。普通タイヤを履いている間、われわれは雪のつらみから解き放たれている。そういう観念の違いがある。

2021年3月25日木曜日

アクアス (8年半ぶり、2度目)

 春休みに入った子どもと、僕の休日が合致したので、浜田市にある水族館、アクアスへと赴いた。行ったのは2度目。前回は第1次島根移住が開始して間もない、2012年8月のこと。なので往時ポルガは1歳7ヶ月。ピイガはまだ存在していない。その当時は香川県に住んでいた三女(なんだかんだで誰にもいろいろな変遷があるものだ)が、夏季休暇で実家に戻ってきたタイミングで、三女は動物好きということもあり、一緒に行っていた。片道2時間弱かかるため、交代できるドライバーがいたら安心だということもあり、行くことにしたらしい。それでいうなら今回は交代要員はいなかったわけだが、東京から移住してきてまだ1ヶ月ほどの者と、それから8年半後の、島根と岡山でさんざん車に乗り倒している者とでは、片道2時間弱に対する印象がぜんぜん違うのだった。片道2時間弱は、レジャーのまあいい感じの距離であると思う。
 アクアスはやっぱり規模が大きく、見ごたえがあった。
 ブログには書かなかったが、先月末あたりにゴビウスにも行っていた。あれはあれでおもしろかったが、やっぱりまあ、入場料500円と1500円とでは違うな、という満足感があった。ゴビウスでは、8年前にはたしかにいたはずのエイが水槽にいなくなってしまっていて、「エイの裏側を見るとめっちゃ爆笑する」でおなじみのファルマンが肩透かしを喰らったのだけど、そこでもったいぶられたこともあり、今日のアクアスでは存分にエイの裏側を堪能することができた。しかもでかい。アクアスのエイ、めっちゃでかい。でかいエイは、面積が大きいのはもちろんのこと、裾野が広いと山は高いということなのか、厚みもすごいことになるということを知った。
 アクアスといえばショーということで、ひと通り見て回る。アザラシの紹介ショー、バブルリングで有名なシロイルカのショー、ペンギンのパレード、そしてアシカショー。平日で人が少なかったこともあり、どれもそこまでがんばらなくても、やけに近い位置から見ることができ、とても愉しかった。たぶん人口密度の低さが、生きものたちにも伝わっているのではないかというほど、平日の水族館は牧歌的な空気に包まれていて、生きものたちのかわいさや賢さに、癒されたり感心したり、ほわほわと心地よく時を過した。シロイルカのショーは、この水族館の目玉なのでもちろん素晴らしかったのだけど、あまり期待していなかった、帰る直前にたまたまタイミングが合ったから見ることにしたアシカのショーが、こちらの予想をはるかに上回るクオリティで、感動した。見る前は本当に、「シロイルカとかに較べてアシカって昭和っぽいというか、オワコン感があるなあ」などと嘗めていたのだが、始まってみたらアシカはめちゃくちゃ優秀で、芸達者で、とても優れたエンターテインメントだった。個人的にあのアシカに1000円くらいあげたい、とさえ思った。振り返ってみて、見た順番がよかった。最初にアザラシを見たのは正解だった。歩くだけのペンギンは別として、シロイルカとアシカに較べ、アザラシはそこまで芸が上手ではないようだった。たぶんこれはもう種としての能力の限界なのだろう。最初にそれを見たことで、尻上がりの構成になった。今回はアシカがとにかく発見だった。
 水族館の隣には、アクアスランドと銘打って、かなり大規模なアスレチック公園があった。これのために、アクアスに行く日は春の天気が悪くない日である必要があった。そして今日はその条件を見事に満たしていたのだった。というわけでこれも移住後初となる、大型の公園で遊ぶ、ということを子どもたちにさせてやれた。これも大いによかった。8年半前に来たときの写真を見たら、1歳半のポルガは、歩きもしたが、ベビーカーもまだまだ必要という頃だった。あの頃はアクアスランドの存在なんて、目に入りもしなかった。それが今回は、妹とふたりで放っぽって、両親はベンチで休むなんてことができるようになった。8年半前の自分たちのような、周りのファミリーを眺めながら、「楽になったもんだねえ」などとファルマンとしみじみと語り合った。
 そんな大満足のアクアスだった。いろいろとタイミングに恵まれた、とてもいいレジャーだった。

2021年3月24日水曜日

湯ったり

 ものすごく久しぶりに、「おろち湯ったり館」へ行った。
 島根県に住むようになったら、「おろち湯ったり館」へも頻繁に行けるようになるな、と思い描いていたのだけど、蓋を開けてみたらぜんぜんそうはならなかった。なぜそんなに行かなかったのかという原因については、説明をしようとすると、かなりプライベートな部分をさらけ出すことになるので、明かせない。現世の誰も読んでいないお前のブログが、いったい誰に対してなにを秘匿するというのか、という話ではあるが、であればこそ、自分が書きたくないことを書く理由もまた、一個もないはずである。
 前回に行ったのは12月のはじめのことで、これはファルマンの実家に僕だけが居候していた、あの(暗黒混沌)時期の序盤を指す。ただでさえ精神的にだいぶ来ていたこの時期の、平日の仕事が終わったあとで、救われるために僕は「おろち湯ったり館」へと参ったのだ。そうしたら、初めての平日夜の「おろち湯ったり館」はそれなりに混んでいて、「おろち湯ったり館」は閑散としていてのびのびできるところに魅力を感じていた僕は、それだけで少しショックを受けた。さらには、サウナに入ろうとしたところ、サウナ内にいた老人に、「ちゃんと体を拭いて入って!」と少し強い口調で窘められる、という出来事も重なって、すっかり心が折れてしまった。行かなくなった理由は、それだけではなくて、もっと根深いものがあるのだけど、このたびそういった諸々のことが、季節の移ろいとともに、ようやく僕の中で解消された感があり、満を持して平日の身が空いた日中に、3ヶ月以上ぶりに赴くことができた。移住を経て、岡山では日常的にしていたことが、こちらでは余裕がなくてなかなかできずにいて、でもひとつひとつ、項目にチェックを入れるように、日常生活が回復していく流れの中で、このようやくの「おろち湯ったり館」行きは、自分の中でなかなか感慨深いものがあった。やっとここまで整ったかと。
 平日の日中の「おろち湯ったり館」は、やはりとても空いていた。運営会社の事情も考えない勝手な理屈だが、「おろち湯ったり館」は人口密度が低くないといけない。繁盛していたらダメなのだ。
 温浴の前に、まずはプールゾーンへ進んだ。15メートルほどのプールなのだが、何度も往復し、思う存分に泳いだ。12月のあの日は、慣れない仕事終わりだったこともあり、プールへは行かなかった。なのでこれが、今年初泳ぎであり、島根移住後の初泳ぎだった。なのでざっと約4ヶ月ぶりにもなる水泳は、全身がピキピキと覚醒するような感覚があった。窓になっている天井から、青空と光が水面へと注ぎ込まれ、いろんな意味で本当につらかった冬が終わったことを、しみじみと感じさせた。
 そのあと温浴ゾーンへ。体を洗ったあと、あの日以来のサウナに入った。入る前、もちろん体はきちんと拭く。基本的にいつでも拭くのだ。あの日はたまたま、いろいろ戸惑っていただけなのだ。そんなときに少し強い口調で男の人に注意されたのだ。あの日の僕は本当にかわいそうだったと思う。サウナに10分ほど入ったあと、水風呂。外気浴さえできれば、水風呂って実は必要ないんじゃないかと思っていた時期もあったが、今はふたたび水風呂に価値を見出している。水風呂のあとは2階の露天に上がり、外気浴。この2階が、「おろち湯ったり館」では冬の間、雪や凍結のために閉鎖される。それが12月から3月中旬のことで、つい先日、ホームページに「2階再開」の知らせが出たことが、そのまま春のお告げであり、僕の心の雪解けでもあった。かくしてこうして来る気になった。そして青空の下、ベンチに全裸で横たわった。この心地よさたるや。陽射しを浴びて、全身からセロトニンが放出されているのが手に取るように分かる。時おりそよ風が吹き、陰嚢を撫ぜる。外壁の上から少し覗ける桜は、4分咲きといったところ。ウグイスの鳴き声は、まだあまりこなれていない。精神的にも肉体的にも、強張っていた部分が、ほぐされ、浄化されていくのを感じた。暮しの中で、こんなにも浄化を実感することはそうそうない。大抵はそんな「気がする」程度のことを繰り返して、ごまかしごまかし日々をやり過ごしている。しかしここはそうではない。目に見えての回復がある。やっぱり「おろち湯ったり館」のヒーリング力は半端ないな、と思いを新たにした。
 そんなわけで存分に堪能した「おろち湯ったり館」だった。次はこんなに間を空けずに行きたい。今回は4ヶ月分の「癒されポイント」が貯まっていたので余計に感動が大きかった。しかし今後こんなにポイントが貯まっている状態はなかなか発生しない気もする。それならそれでいいと思う。ほぐされる余地が少ない日々に、越したことはない。

2021年3月21日日曜日

ROUND1の友達たち

 相変わらずぜんぜん友達がいないのに、「友達がいない」という話をせずにいた。どうしてだろうと考えて、たぶんもう僕にとって、僕のこの状態は、「友達がいない」じゃないからだと思った。なんのトピックスもない、「普通」なのだ。脊椎動物であるとか、哺乳類であるとか、そういうレベルで、僕には「友達がいない」。あまりにもいない。
 岡山でも友達はいなかったが、それでも6年半勤めた縫製工場で、5人くらいとはLINEを交換した。結果的に実現しなかったが、「いつかROUND1に行こうよ」という話もしていた。最終的に人類初の800年を生きる僕が、6年半かけて築き上げた、鍾乳石のように希少で尊いそれは、島根への移住でぽっきりと折れた。もっともあくまで彼らとは職場での付き合いだったわけで、移住は関係なく、会社がなくなった時点で関係は切れていた、というのが実際のところだ。5人のうち、僕が島根県に移住したことを知っているのは、年末にたまたま連絡をくれたひとりだけだ。だから「友達がいない」ことと島根移住に関連はない。そのせいにしているだけだ。
 しかしその一方で、上の文の中にはひとつ、「友達がいない」トークにおけるとても大事なファクターが含まれている。それは「いつかROUND1に行こうよ」の部分で、妹尾にあったあの場所に、僕は7年で結局いちども足を踏み入れることはなかったのだけど、それでもいざというとき、その土地にROUND1があるかどうかというのは、友達作りにおいて重大な要素だと思う。鶏が先か卵が先か、みたいな話になるけれど、友達だからROUND1に一緒に行くし、ROUND1に一緒に行ったら間違いなく友達だとも思う。37年間で1回も行ったことがないけれど、ROUND1というのはそういう場所だろうと思う。そして島根県には、ROUND1がない。出雲にないのはもちろんのこと、松江にもない。さらには米子にもない。山陰に存在しないのだ。もっともたとえ米子にあったところで、かつて茶屋町に暮しておきながら妹尾のROUND1に行くことのなかった僕が行くとも思えないが、ROUND1というのは実際に行くとか行かないとかいうものではなく、心のよすがとして救われるという性質のものなので、それがないこの土地では、僕の心はいよいよ途方に暮れる。ROUND1のない世界で、いったいどうやって友達ができるというのか。
 岡山でも僕には友達ができなかったけど、それは僕が妹尾のROUND1に行かなかったからで、たぶん行ったらそこには、閉じ込められていた僕の友達たちがわんさかいて、いつまでも終わらないバブルサッカーをし続けていたに違いない。僕はついぞ彼らを救うことはなかった。そのことに思いを馳せると、たぶんいまでも僕が迎えに来る日を夢見てバブルサッカーを続けている彼らには申し訳なさを覚える。島根にはそもそもそんな状態がどこにもないわけで、友達ができる目が完全にない代わりに、すっきりとした安心感もある。そうだ、このすっきりとした安心感は、そこに由来するのか。ここで暮らす以上、僕はもうROUND1の友達たちのことで思いわずらわなくていいんだ。それならいい。それならばいいよ。

2021年3月15日月曜日

雑魚風邪

 いま、新型コロナウイルスに感染して治療をしている人がひとりもいないといわれている島根県で、ごく普通の風邪的なものを引いている。風邪というのもおこがましいと感じるような、ファルマンいわく「雑魚菌」で、高熱とか寒気とかそういうのは一切なく、ただ喉がイガイガしている。喉のその感じは、一般的な風邪の際、激しい格闘の末のエンディング的に現れるやつであり、ただそれだけが出てくるということは、菌があまりにも弱く、当人が知覚する間もなく体がやっつけてしまったということなのだろう。そんな、そもそも始まっていないようなストーリーならば、エンディングもなければいいと思うが、なぜかそこだけはやってきた。ネバーエンディングストーリーならぬ、ジャストエンディングストーリーだ。
 菌の感染ルートは、保健所に追跡してもらうまでもなく、子どもが学校でもらってきたといういつものパターンで、ポルガが先だったかピイガが先だったか、これはもはや定かではないのだけど、それからファルマンに渡り、そして最後に僕なのだった。家の外では常にマスクをし、そして殺菌への意識の高いこの環境において、感染ルートなんてもはやそれしかない。特にピイガの撒き散らしはすさまじく、このご時世にくしゃみをそんなにノーガードでぶっ放す人間があるかよ、というようなことを、4人でテーブルを囲む食卓でしたりするので、それをされてはもうひとたまりもない。ピイガのそのさまを見て、「思い切りくしゃみをする人」というのを久しく見ていないな、ということを思うと同時に、頭の中には富岳のCG映像が浮かんだ。ニュースなどで去年からたびたび目にする、マスクの効果などを検証するための、あの映像。あの赤とか黄色とか青の玉が、現実のピイガの口や鼻からも、たしかに出ているように見えた。もちろん錯覚なのだが、なんか本当に見えたような気がした。人類は新型コロナウイルス禍を経て、新しい能力を獲得したのかもしれない。ピイガがくしゃみをするたびに、僕とファルマンの間で「富岳だ」「富岳だ」といい合うのが流行っている。富岳って、きっとくしゃみでどんなふうに菌が拡散するか以外に、世の中のいろんな計算をしているんだろうと思うが、本当にそれしか印象がないため、そのうち「くしゃみ」という言葉は「富岳」に取って代わられるかもしれないと思う。

2021年3月12日金曜日

ハンドメイド漫談

 売るのは作品ではなく理念だ、と不織布マスク風布マスクを出品したという記事の中で書いた。なるほど理念なだけあって、売れない。理念というのは、購われないから理念として高潔なのであって、購われたらその時点で理念ではない。だから売れなくて正解だ、とも思うが、その一方で、お前はminneに登録して一体なにをいっているんだ、とも思う。
 理念を売る、ということで思いついたのだけど、マスクは顔が隠れるのが欠点で、それの打開策としてフェイスガードなんかも試みられているけれど、しかしマスクに較べると感染防止の効果が低いとか、そういう問題があるわけだが、その解決方法として、「透明の布で作ったマスク」があればいいのではないだろうか。透明の布なんてこの世にないだろうと思うかもしれないが、実はあるのだ。ただしこの透明の布が透明に見えるのは、新型コロナウイルスに感染していない人だけで、感染している人が見ると、ドブみたいな色が浮かび上がる。だからこの透明マスクが透明に見えている間は感染していないということになり、一種の検査にもなる。……いや、違うか。それをいうなら「新型コロナウイルスに感染していない人にしか見えないマスク」か。minneの商品ページには、なにも載っていないただのテーブルが写し出され、注文すると空っぽの封筒が届く。でも実はあるんです。新型コロナウイルスに感染していない人にしか見えないマスクが。えっ、あなた、このマスクが見えないっていうんですか。まさかね。さあみなさん、健康な人だけに見えて、着けることができるこのマスクを着け、春の陽気に誘われ、どこへでも出掛けちゃいましょうよ。……という、これを本当にやったらminne出禁になるんだろうな。
 ハンドメイドといえば、2月にわれわれ一家と義母と義妹で出雲大社に参拝に行ったのだけど、そのとき義母から指摘されてハッとしたこととして、われわれ一家4人はそのとき、全員が僕のハンドメイドのバッグを持っていたのだった。客観的にそのことに気づかされ、「ちょっと変な一家!」と思った。そしてそのとき引いたおみくじの、「人に交はるには、和譲・恭敬・寛恕を旨とすべし。仮にも驕慢の態をなすべからず。」というフレーズは、よほど定着力が低いのか、本当にすぐ心から剝がれそうになるのだけど、心に刻み付けるために、おみくじそのものを壁に画鋲で貼って、ことあるごとに眺めている。和譲・恭敬・寛恕。驕慢ダメ。和譲・恭敬・寛恕。驕慢ダメ。そして僕はminne文法を放棄し、理念を売る。もしかするとこのおみくじは、馬鹿にしか見えないのかもしれない。

2021年3月11日木曜日

10年

 10年である。丸10年だ。
 10年という歳月を前にして、表現は陳腐になる。あっという間のようにも、果てしなく長かったようにも感じる10年。年末の、1年を漢字1文字で表すやつに無理があるように、10年を何百文字かほどの文章で表現するのも不可能だ。
 10年で自分はそこまで変わっていない、という気持ちを、前向きな意味でも後ろ向きな意味でも抱いているけれど、27歳が37歳になっていて、0歳児だった長女が10歳になっていて、次女もできていて、都民だったのが島根県民になっていて(ただし10年間で最も長いのは岡山県民時代だ)、それに合わせて職もずいぶん変わっていて、実際はだいぶ変わっている。客観的に見て、変化が大きかったほうの部類に入るとさえ思う。
 僕のこの10年間の変遷は、東京から島根への最初の移住の理由として、たしかに東日本大震災の放射能禍はあったけれど、実行に移したのは1年半後である2012年の夏だし、なにより住んでいたのは練馬区だったわけで、それで震災を理由にするのは実はだいぶおこがましい。そこから流れ流れて現在2度目の島根県にたどり着き、いまの生活はとても気に入っているのだけど、圧倒的な海や空や山に心が洗われたり、地物の魚や肉や野菜がおいしかったりする、こういう暮しが、10年前、かの地では突然に奪われたのだと思うと、当時よりもはるかに差し迫った気持ちで、そのつらさが理解できる。田舎の人が田舎を奪われたら、どうしようもない(書いていて思ったが、それに対して都会の人たちは、今回のコロナ禍で、都会暮しのアイデンティティである、つるむことを奪われたので、どうしようもなくなっているのかもしれない)。たぶんこれは10年で、27歳が37歳になり、花のつぼみを愛でたり河の流れを眺めたりすることができるようになったから、感じられるのだと思うが、自然の恩恵って、とてつもなく尊いのだ。結局のところ、人間なんていったって生きもののひとつなんだから、どうしたって自然にひたすらおもねって生きていくのがいちばんだな、ということを近ごろしみじみと感じる。10年前は、それが奪われたのだ。いま島根に暮していて、そのことの絶望をまざまざと思い知る。
 もちろんその一方で、地震や津波が奪った命のことも思う。これは都会も田舎も関係ない。都会に住んだり、田舎に住んだりというのは、家族のしあわせを勘案して選択することだ。なにより家族の命ほど大事なものはない。このこともまた、10年前よりも僕の理解は深まっていると思う。
 今日は労働が休みだったので、14時46分にテレビの中の人たちと一緒に、ファルマンとふたりで黙祷をした。やがて娘たちも、学校で黙祷をしたといって、家に帰ってきた。書き出しから締めまで、本当に陳腐な言い回しになってしまうのだけど、こうして家族で無事に日々を送れていることに、深く強く、感謝をして生きていこうと思う。

2021年3月9日火曜日

娘たちの父

 娘たちの言葉が聞き取れない。年々聞き取れなくなっている。
 ポルガは人と話すことを億劫がるところがあり、自分の発言についても、自分がしゃべりたいからしゃべるのであって、相手の耳に届くかどうかはどうでもいい、みたいに思いっている節がある。そのため言葉のおしまいのほうはもちろんのこと、ひどいときには話の最初の3文字くらいしか聞き取れないときもある。しかも早口なのだ。それなのにポルガの主な話し相手である母(ファルマン)や妹は、これまでの日々で培ってきた特殊なスキルがあるものだから、それでも聞き取れてしまえる。そのためポルガのそれはいつまでも修正されない。それどころかますます増長する。僕はそこまで子どもと会話をしてこなかった父親ではないと思うけれど、それでも理解には限界があり、ましてや異性ということもあるのか、娘が話していることの内容の取れなさは、どんどん加速してきている。しかし世間の人々は、そんな僕よりもさらにポルガの言葉を聞き取る能力は低いわけで、せめて僕が防波堤となり、ポルガの「ちゃんと喋らなさ」を正していかねばならないだろうと思う。そのため聞き取れないときは、ためらうことなく「そんなんじゃ聞き取れない。もっとちゃんと喋りなさい」と注意している。しかしそうやって注意していて、たまに、「本当にポルガの言葉は世間一般から見て聞き取りにくいのか?」と疑問に思うことがある。そもそも僕は、引け目というほどではないし、健康診断とかで異常といわれたこともないけれど、子どもの頃に長く中耳炎だったこともあって、聴覚にそこまでの自信を持っているわけでもない。視力のように、1.0とか、0.2とか、そういう尺度があるとするならば、まあまあ悪いほうなのではないかな、という気がしている。そんな僕だから聞き取れないのではないか、という一抹の疑念がある。ファルマンとピイガは話を聞き返さない、というのがそれをますます搔き立てる。もしもそうだとしたら、僕は37歳にして早くも「耳が遠くなって苛々している人」ということになる。それはとても怖い想像だ。また「ましてや異性」ということを書いたが、異性でしかも世代が違うということが、話の内容はもとより、根源的な周波数的なものの違いを生んでいて、それもあって聞き取れないのではないかとも思う。もしもそうだとしたら、娘の代でそうなのだとしたら、娘たちの生む子ども、すなわち孫の世代になったら、祖父となった僕は、いよいよ言葉がぜんぜん聞き取れなくなるのではないか。そして孫の言葉がぜんぜん聞き取れないものだから、ずっと苛々している老人になるのではないか。そう考えると本当につらい。
 冒頭に「娘たち」と書いた。ここまではポルガの話である。じゃあピイガはどうなんだといえば、ピイガはしゃべるのを億劫がることはない。それどころか、起きている間はずっとしゃべっているというくらいおしゃべりである。しかもそれのボリュームがすさまじく大きい。腹から声を出し、すぐ隣にいるポルガに向かって、体育館の端から端まで届くような声でしゃべる。僕は大きい音が嫌いなので、同じ空間にずっといると、頭がどうしようもない状態になって、あえなく避難を余儀なくされる。だからこれはこれで、話を聞くことができない。
 かくして不明瞭早口と大音量という、ふり幅の大きなふたつの案件が、僕と娘たちとの会話を阻む。そうして僕はどんどん、娘たちとの会話を失っていく。なるほど娘しかいない家庭の寡黙な父親というのはこうやって醸成されていくのか、と自らの身をもって得心した。それはそうだ。どうせ成り立たないのだから、会話をする機会はどうしたって減る。これはこんなにも避けようがない、仕方のないことだったのか。

2021年3月7日日曜日

minneへの出品は趣味の世界

 久しぶりにminneに出品をした。「不織布マスク風の布マスク」である。
 不織布マスク不足の去年、布マスクを作って出品することには抵抗があり、販売せずにいたが、今はもう不織布マスクが以前と変わらない値段で店に並ぶようになったので、自分の中でゴーサインが出た。なぜわざわざ需要がなくなってから出品するのかと我ながら思う。minneはいちおう小遣い稼ぎのためにやっているのだが、自分でも感心するくらい商売が下手だとしみじみ思う。ファルマンにもあきれられたので、「俺はマスクを売るんじゃない、理念を売るんだ」とうそぶいた。そして商品の説明文で、去年からのマスク狂騒について、思いの丈を書き連ねた。これまでの商品では、minne文法というか、minne世界観というか、そういうものに沿った、おもねった文章をつけていたけれど、そう媚びたところで僕の作ったものがそうそう売れるわけではないし、それならばもう自己表現のほうに舵を切って、書きたいことを書きたいように書くことにしよう、と開き直ったのだった。「実際のあなたのことを知っている人なら分かってくれるかもしれないけど、知らない人は、絶対にこんな面倒臭そうな人からマスクなんか買いたいと思わないよ」とファルマンはいった。僕もそう思う。
 面倒臭そうな人ついでに、トップ画像に合成した惹句として、「新型コロナウイルス対策への意識が高いことで知られる島根県で作りました。」というフレーズをはじめは構想していた。46道府県で唯一、都と国に楯突いたあの島根県ですよ、という意味である。県知事が聖火リレーの中止を検討したことと、僕のマスクには実際はなんの関係もないが、まあなんとなく東京で作ったマスクよりも島根県で作ったマスクのほうが穢れてないように思う人もいて、耳目を集めるのではないかと思った。意外と貪欲な商売っ気もあるのだ。しかし出品する段になって、minneのマスク販売規定に、「特定の病名やウイルス菌の表示や、それらに対する効果・効能等の表記は避ける」というのがあることを知り、泣く泣く前半部を削り、「島根県で作りました」のみにした。これだけではこちらの真意にたどり着いてくれる人はあまりいそうにない。たぶん島根県知事の一連の問題提起も、すぐに風化してしまうのだろうし。これならば「出雲大社のお膝元で作りました」のほうがよかったかもしれない。ウイルス対策が神頼みじゃダメだろうとも思うが、そんなこといったらアマビエはどないやねん、という話だ。
 出品して2日ほどが経つが、購入もなければ「いいね」もない。凪いでいる。まあこれは仕方ない。もう世の中、布マスクのバブルは弾けたのだ。弾けたから参戦したのだし。家賃が掛かるわけじゃなし、売れたらそれこそ儲けものという感じで、趣味に生きようと思う。今回、minne文法ではない説明文を書いたら気持ちがよかったので、これから出品するものは全てああいう感じの、理屈っぽくて、面倒臭そうな人っぽい、すなわち僕本来の文を添えることにしようと思った。売るのは作品ではなく、理念だ。

2021年2月26日金曜日

春先雑談

 2月が終わる。2月というのはやっぱり物理的にも精神的にも短いのだが、それでも今年の僕の2月はなかなかに密度が濃かった。
 2月といえばバレンタインデー、ということで、妻子らからチョコレートをもらう。3人の中で最も(あるいは唯一)女子力の高いピイガは、ケーキなのか、あるいは溶かして固めるだけなのか、なんかしらの手作りのものを作りたかったようだが、今年は毅然とした態度で断った。そして「既製品の、既製品といってもショッピングセンターのバレンタインフェアとかで売っている箱だけ豪華なやつではない、ガーナの、安い店で販売価格160~180円くらいの、冬季限定のおいしいやつ、あれを俺の好きなように1000円分くらい買わせてくれたらそれでいい、それが本当にいちばん嬉しい」と主張した。バレンタインはこれからもずっと続くので、子どもたちが多感な時期になる前に、ここらで主張を通しておくべきだと判断した。20歳で付き合い始めた初めてのバレンタインで手作りキットのトリュフチョコを僕にプレゼントし、「泥団子みたいだ」といわれたことを、いまだ毎年いいつらむファルマンと、バレンタインデーなどという行事が意識に入っていなかったポルガは、すんなり「あそう」と受け入れ、ピイガは少し「えー」といったが、少しだった。かくしてバレンタイン以降は、ガーナのおいしいチョコレートが充実していて、嬉しい。ガーナのおいしいタイプのチョコレートが、僕は世界中のチョコレートをすでにいちどぜんぶ食べたけど、結局いちばんおいしい。
 スマホユーザーになった、ということは前の記事に書いて、これまではファーウェイのタブレットだったが、それを持ち始めたあたりから、やけにファーウェイが攻撃されるようになり、別にユーザーには関係ないといえば関係ないのだが、なんとなく居心地の悪さを感じていたため、今回はメーカーを替えた。そうしたらやっぱり微妙に操作性が違い、はじめは戸惑った。もっとも同じファーウェイのタブレットでも僕のとファルマンのでは操作が違ったし、そもそもタブレットとスマホなのだから、そういう意味でも違いがあるのは当然かもしれない。いまはまあまあ慣れた。なにぶんそんな高度なことをするわけでもないし、スマホというのは基本的に、慣れさえすれば誰にでも使いやすいようにできているのだ。ただしLINEの文字入力、あれは慣れない。慣れないというより、物理的にキーが小さすぎる。画面が小さい分、キーが小さくなり、どうやったらあんな、ひとつのアルファベットの領分が1平方センチメートル以下のキーを、正確に押せるというのか、と思う。そんなわけで、まだ基本的にファルマンとしかLINEのやりとりは発生していないのだけど、誰かとちゃんとなにか文面をやりとりするときは、どうしたってキーボードを接続することになるだろうな、と思う。タブレットで使っていたキーボードやマウスは、新しいスマホでもすぐさまBluetoothのベアリングを行なった。ファルマンに「スマホでもそれするんだ!?」と驚愕されたのだけど、いや、スマホで画面が小さくなったからこそ、逆にキーボードという話なのだ、と思った。だからやっぱり重ねて主張するのだけど、僕のこのスマホは、世間一般のスマホとは一線を画す(13年の歴史がそれを担保する)、ちょうどスマホの形をした簡易パソコンなのだ。
 僕の生活と直接は関係ないことだが、島根県知事がかっこいい。めちゃくちゃかっこいいじゃないか。まだ島根県民になって2ヶ月のペーペーだけど、あの知事が知事になった選挙にも関係してないけど、でも誇らしい。ヤフーの記事のコメント欄を見ると、みんな島根県知事のことを大絶賛していて、「島根県民が羨ましい」などといっている人もいて、鼻高々である。そうです、あたすが島根県民です。ただ、たぶん関東からまったく外に出たことがない人なんだろうけど、「島根県はこんな立派な知事がいるから感染を低く抑えられているのだ。それに較べて東京は……」ということをいっている人がいて、さすがにそれに関しては、「いや、そこは、単純に人口密度……」と思った。
 そろそろ3月ということで、数日前に、あれ、もうこのまま春になっちゃうんじゃないの、と思うくらい暖かい日もあった。でもそのあとしっかり寒波もやってきて、毎年のことながら(もっとも山陽時代よりも寒波の度合が激しいので感じ方が強い)、繰り返しだな、と思う。最近は日々のそれに一喜一憂し、そんなことばかり話しているため、ファルマンの口癖がすっかり「三寒四温」になってしまった。「もうだいぶあったかくなったね」「三寒四温やで!」、「やっぱり寒さもぶり返すんだね」「三寒四温やで!」、と、もはや持ちギャグのようになってきている。持ちギャグなので、こっちもフリたくなってきて、「なんかこうして、寒さとあったかさがさ……」「三寒四温やで!」、「春ってなかなかさ……」「三寒四温やで!」、などと、どれだけ短い文面でファルマンから三寒四温を引き出せるかという競技のようになってきている。
 そうして春先ということで、毎年の、あっち方面の報告なのだけど、今年はいろいろあり、環境も変わり、1月には帯状疱疹なども出て、いよいよ危ういのではないか、年齢的にも限界が近いのではないか、とうとう連続記録が途切れるのではないかと危惧されたけれど、どっこい、なんのことはない、きちんと芽吹きました。いやむしろ、冬がつらかった分だけ跳ねる力も大きくなるのではないか、これはその結果ではないかと自己分析しているところです。春は本当にちんこが愉しくなりますね。ちんこ愉しき春がいよいよやってきます。

2021年2月22日月曜日

スマホへ

 スマホの人になった。「さんざ遠回りしたが、もうこの次はさすがにスマホだろう」と、ついこないだに伏線を張っておいたけれど、結局のところ機運が高まっていたということだろう、そのあとわりとすぐに実行したのだった。
 インターネットで、SIMフリーの、安くてそれなりに評判のいいスマホを検索し、まあこんなところだろうというものを選んで注文したら、その翌々日には家に届き、そしてこれまでのタブレットからそちらへSIMカードを取り替えたら、あっけなく僕はスマホの人になった。いざやってみたら、本当にあっけなかった。
 iPhoneが日本に登場したのは2008年だというので、25歳のときか。それから僕は13年間、スマホに抵抗し続けたことになる。果たしてこの13年間に渡る抵抗に、意味はあったのだろうか。他人から見れば、たぶんまるでないということになるだろう。しかし本人からすれば、それはやっぱり必要だからそうしていたわけで、意味はあったのである。僕という人生を生きている僕にとって、守らなければならないなにかが、その13年間によって守られたのだと思う。
 もっとも「スマホの人になった」といいつつ、その前にすでにタブレットの人ではあったわけで、SIMカードを入れ替えただけで容易に乗り換えられたことが示すように、タブレットとスマホは地続きの、同じ経済圏、なんなら行き来にパスポートの提示も必要ないような、そんな関係性にあるのではないか、つまり僕はタブレットを持った時点(ちなみにこれも「ガラケーとタブレットの2台持ち期」と「タブレットに電話機能も集約させたタブレットだけ期」のふたつの時期があるので話がややこしい)で、すでに講和条約のテーブルに就いていたのではないか、という気もする。
 しかしながら、もはやなにを守りたいのか、亡びゆく国の最後の兵のごとく、自分たちがなんのために戦っているのか、そもそもの信条を見失っている感はあるのだけど、それでも主張しておきたいこととして、僕はタブレットを、ノートパソコン的な流れで持っていたのだ。スマホの流れではなく、それは僕にとってあくまでパソコンの代替であって、であればこそ、タブレットとガラケーの2台持ちという状態も生まれた。逆にその状態の時期があったことが、僕がタブレットをスマホの文脈で持っていなかったことのゆるぎない証左であるともいえる。
 そうしてノートパソコンと携帯電話を同時に持っていたのだけど、どうやらこのご時世、携帯電話の機能はノートパソコンに集約できるらしいぞ、ということになり、そうした。そうか、そう考えればタブレットだけ期もまた、やはり僕はぜんぜんスマホの軍門に降っていなかったということになる。だって僕はノートパソコンで電話をしていただけだったのだから。これはスマホとはぜんぜん意味合いが違う。見た目が似ていても、イモリ(両生類)とヤモリ(爬虫類)くらい違う。
 さらにいえば、そのノートパソコン文脈のタブレットが、大きすぎてちょっと不便だということでスマホに乗り換えることにしたわけだけど、こういう経緯を経てスマホへと辿り着いた僕においては、スマホもまたスマホではないということになるのではないか。僕にとってこれは、「気軽に持ち歩けるようにしたノートパソコンの、画面が手のひらサイズになったやつ」だ。世間から見ればそれはスマホなのだけど、僕にとっては違う。なぜなら、経たからだ。然るべき工程を経たので、僕はそう主張することができる。あなたがたとは違う。ガラケーからスマホへ、理念なくホイホイ乗り換えたあなたがたとは違う。
 そうか、それを言えるようにするための13年間だったのか。じゃあやっぱり必要だったな。
 タブレットからスマホになって大きく変わったところは、電話のとき、スピーカーではなく顔に機械を当てて話すスタイルになったという点だ。そうだそうだ、ガラケーを手放して久しいので忘れていたけれど、電話って、だいたいこんなふうに耳から口までのサイズで、受話器みたいになっているものなんだよな。スマホでの電話の演習ということでファルマンと会話をし、「俺いま機械を耳に当てているんだよ」と伝えたら、「はあ? なにそれ?」と旧時代の人に不思議がられた。ちなみにファルマンは当座のところ、タブレットを替える予定はないため、まだしばらくはスピーカーでの通話を続ける(外出しないのでまったく問題がないのである)。とはいえこれが旧時代なのかどうか、もはや判らない。固定電話の受話器の流れを汲んでいないのだから、むしろ新時代のような気もする。われわれはわれわれ固有の時代を切り拓いて生きていこうと思います。

2021年2月16日火曜日

出雲大社へ

 遅ればせながら、出雲大社に参った。1月は混んでいただろうし、そもそも生活のほうがそれどころじゃなかったので、気づけばこんな時期になってしまった。もっとも後者の理由は単なる言い訳で、結局は近いと意外と行かない、というよくある話だ。実家に住む三女もまた、「出雲大社に行きたいんだけどなー」ということを1月から言っていて、そして未だ行っていなかったので、我が家が行くついでに誘ったら、義母とともに現れた。本当に、そういうきっかけがないとなかなか踏ん切りがつかないんだよな。
 出雲大社は2月でもなかなかの人出だった。もっともその「なかなかの人出」は、普段あまりにも人出のない世界で暮している人間の感想であり、正確に言うならば「閑散としていない」くらいの度合だろうと思う。
 ちなみに我が家としては、これは初詣ではない。まだ倉敷にいた三が日に、近所の稲荷神社に参った。そしてこのときに引いたおみくじが、これから島根での新生活が始まる期待感を一気に萎ませるほど、あまりよくない文面だったので(即刻境内に巻き付けたのでもはや内容は覚えていないけれども)、そのリベンジとして今回改めておみくじを引いた。地方裁判所で有罪だったから控訴して最高裁判所で再審議、みたいな感じだ。
 その結果、控訴するものだ、一転とてもいい内容だったのでホッとした。いい内容だったので持ち帰り、手元にあるので引用する。「運勢」の欄には、「本年は、運気開発の時期であり、これより好縁に結ばれる運に進む。進退共に障害なく、百事を進んで行うことは吉である。一層に信心しなさい。」とあり、これこれ、新生活にあたってこういうのが欲しかったんだよ、と思った。さらに「訓」の欄には、「人に交はるには、和譲・恭敬・忠恕を旨とすべし。仮にも驕慢の態をなすべからず。」とあり、この言葉には大いに思い当たる部分があり、胸に突き刺さった。神様はどうやら俺のことを見ているな、などと思った。今年の目標は、驕慢の態をなさないこと。そして和譲、恭敬、忠恕を旨とすること。そういう人間になっていこうと思う。人と交はるために。なるほど誰も僕に手取り足取り教えてくれなかったけど、これこそが人と交はるコツっぽいな、と腑に落ちた。
 そしてこの文面を見て思い出したのだが、先日ノート類の整理をしていたら、1ページに「業は着々と生成発展の域に進む」と自分の字で繰り返し書かれているノートがあり、「ひゃあ」と恐怖を抱いたのだけど、このフレーズもまた、出雲大社のおみくじだった。2017年のこと。振り返ってみて、2017年が業の生成発展の域に進んだ年だったかどうかは定かではないけれど、どうやら僕は出雲大社のおみくじに感化されやすいらしい。なんでだろう、言い回しが漢文っぽいからかな。
 そんなわけでいい出雲大社参拝だった。賽銭を入れるポイントが多すぎて、財布の小銭という小銭が駆逐されたけど、それに見合うパワーを頂戴した感がある。今後もちょいちょいご挨拶に伺おうと思う。せっかく地元なのだから、出雲大社を妄信して生きていこう。

2021年2月15日月曜日

干支4コマ2020完走報告

 というわけで、なんとか「干支4コマ2020」を完結させることができたのだった。
 後半スタートの7話目に書いたが、去年の3月に投稿した前半部から、数えたら270日が経過していたのだった。その270日、コロナ関連はもちろんのこと、私生活においてもあまりにもたくさんのことがあり、そういう意味でねずみ編は非常に感慨深い干支4コマになった。
 270日前の前半部を読み返すと、4コマ漫画の宿命だけど、時事ネタが現在もうすでに古くなっているのを感じる。「宮迫がいない」というのは3月初旬に行なわれた「Rー1ぐらんぷり」の司会について言っているのだが、宮迫がいないテレビはすっかり日常になってしまい、もはやピンと来ない。「東京事へ……」というのは、新型コロナが流行し、ありとあらゆるイベントが中止になるなか、ライブを決行して物議を醸した東京事変のことなのだが、みんなあれだけ怒ったわりに、年末には紅白歌合戦に堂々と東京事変として出場していて、ああありとあらゆることは、渦中にあるときは大ごとだけど、100日くらい過ぎたらどうでもよくなるんだな、としみじみと思った。この「東京事へ……」というフレーズは後半にも引き継がれ、東京オリンピックについて語る際に避けて通れない椎名林檎のことへと話を展開させた。それにしても「しいなりんご」がアナグラムで「ごりんしない」というのは、30年後くらいに都市伝説みたいになってそうなエピソードだな、と思う。後半は終わったばかりの「麒麟がくる」をモチーフにし、これもまた実に瞬間風速的な時事ネタだな、と思う。最後の「三年後――」ももちろん「麒麟がくる」のオマージュである。「干支4コマ2020」なのに越年してしまった今年のグダグダを逆手に取り、もういっそ2024年(辰年)まで時代を進めてしまった。凱旋門とエッフェル塔の写真はフリー素材のものを使用させてもらった。大オチに瀬戸大也を持ってきたのもよかったと思う。我ながら、この混沌とした年の4コマをうまく着地させたと思う。そしてなにより、今年の干支4コマはタイトルデザインがよかった。もうタイトルデザインだけで成功は約束されていた。オリンピックを、これほどゲスな目で見る人間は、僕を除けばあとはトーマス・バッハくらいのものだろう。
 あとそうだ、どうしてもこれだけは言っておかねばならないのだった。12話に収まらなかったので泣く泣くカットしたのだけど、今回の主人公のねずみは、なぜベストみたいなものを着ていたのかと言えば、これはもちろん「ねずみくんのチョッキ」から来ていて、(ねずみだからチョッキを着ているんだな)と読者は自然と受け入れたに違いないが、それについて「え? これですか?」「ねずみだからチョッキを着ているんだろう、って?」「ちがいます」「ジレです」という4コマの構想があった。そのためにねずみはあの恰好をしていたのだ。カジュアルウエアにおける長めのジレって、なんともダサくて、またそのそこはかとない見た目のダサさと、「ジレ」という言葉の間抜けさが、すごくツボなので、「ジレです(笑)」というのは僕の中でかなり満を持したネタだった。しかしながらファルマンに、「あれは実はジレなんだよ」と話したら、「ジレって何?」という答えが返ってきたこともあり、ジレのことを滅法おもしろがっているのは俺だけなのか、と思って途中で止めることにした。これはいい判断だったと思う。なのであれは、ねずみだからチョッキを着ている、という単純な小ネタとして受け入れてくれて構わない。
 「麒麟がくる」が終わり、「青天を衝け」が始まり、僕の干支4コマもようやくねずみから牛へと移行する。とはいえもちろんすぐには始まらない。今年も間違いなく時事はいろいろ混沌とするので、この時点で始められるはずがない。ただし越年はしないつもりだ。ちなみに今年の牛編をもって、トラから始まった干支4コマは、ひと回りということになる。ひと回り! 「ひとりトラしてべっぴんさん」という思いつきから始まったこの企画も、コツコツと続け、12年ということだ。感慨深い。完成したら私家版として1冊にまとめて製本しようと思う。

2021年2月6日土曜日

暮し遠回り

 新しい住まいが本当に快適で、移住をするとなると土地柄とか利便性とか、生活にはいろいろ考慮しなければならない要素があるけれど、とはいえやっぱりいちばん大きいのは住まいだろう。その点、ここは本当にいい。日々そのことを噛みしめながら暮している。広いリビング、カウンターキッチン、天井の高さ、いいデザインの浴槽、どれもがよい。ファルマンの実家との距離は2キロほどで、車だと7、8分だし、自転車はもちろんのこと、徒歩でも往来可能だ。これも実にいい距離感だと思う。子どもたちがもう少し大きくなれば、そのうち勝手に向こうへ遊びに行くこともできるようになるだろう。とてもいいと思う。ぜひやればいいと思う。
 今はまだ子どもたちを実家にやるとなると、車で送迎してやらなければならない。今日はファルマンの仕事が立て込むというので義母に依頼し、日中あちらに託させてもらった。今回の移住の目的がそもそもそういうことだったわけだけど、実際にやってみて、実家の近くでの子育てというのはこんなに助かるものかと感動した。休日に子どもから解放される時間というものが、岡山暮しの間は本当に皆無だった。それはいま思えばずいぶんと過酷な状況ではなかったか。道理でみな、実家の近くに住むわけだ。やけに遠回りをして、われわれ夫婦はその真理に到達した。
 遠回りをするといえば、スマホ全盛の世の中においてガラケーに固執し続け、ガラケーとタブレットの2台持ちを経由し、タブレットに電話機能を集約させ(現在ここ)、そしてようやく僕は、「次はスマホだな、小さくて持ち運びしやすいだろうから」ということを決意しているのだが、これもまたあまりにもひどい遠回りだな、と我ながら思う。人生が自分にだけ800年くらい用意されているとでも思っているのだろうか。
 人生が800年、ということで思い出したが、2月6日はcozy rippleの開設日であり、僕の母の誕生日である。cozy rippleは17周年、母は67歳(たぶん)である。母の誕生日ということで、母の年齢を思い出そうとしたとき、はじめに「76歳だっけ?」と思ったのち、「いやさすがにまだそんなになってないか」と気づいて、「67歳か」と、たしか自分と30歳違い、という覚え方から導き出したのだけど、最初の76歳からすれば67歳はだいぶ若い印象になるが、そうはいってもあと3年もすれば母も70代になるのだなあと思い、そしてこの「あと〇年すればもう〇代」という言い方は、母が僕の誕生日に送ってくるメッセージそのものだなあと思い至り、結局のところわれわれ親子は、互いの年齢に対して「いい歳だなー」ということをひたすらに思い、そしてそう思う以上の感情は基本的に一切ないのだな、と思った。とりあえずおめでとうのメッセージだけ送っておいた。
 昼は子どもがいなかったので、夫婦で昨日の晩ごはんの残りで昼ごはんにした。そのときの会話で、ファルマンは島根に来たからには今後やはり免許が必要になってくるだろうということを痛切に感じ、生活がきちんと落ち着いたら運転免許取得に本腰を入れようかと漠然と考えているのだが、それに対して実家の面々、すなわち島根生活(それも子育て)において運転免許は必ずあったほうがいいということを身をもって実感している人々が、「やめておけ」「向いてないからよせ」ということを口を揃えていい、その筆頭はやはり娘の性格をいちばんよく知り、そしていちばんよく安全を願う義母なのだが、先日ファルマンが銀行などに用事があり、義母に車を出してくれるよう頼んで連れて行ってもらった時の車中でもその話になり、「絶対に事故を起すからやめたほうがいい」とやはり唱える義母の運転が、それはもう感情的でひっちゃかめっちゃかなもので、ファルマンは助手席でハラハラし通しだったそうで、僕はこの話を聞いて、こちらに引っ越してくるにあたり、夫婦でこれまで使っていたダブルベッドを処分することにし、こちらでは布団で寝るようになっていて、板の間に布団で果たしてどうだろうと不安だったのだが、厚みのあるいいマットレスを買ったらぜんぜん問題なく快適に寝られており、それはよかったのだけど、この変化において唯一存在する問題として、これまでベッド下の引き出しに詰め込んでいたエロ小説をどうするかというものがあり、結果的にどうしたかというと、ミシンテーブルの下に文庫本用の本棚を置いて、そこに並べて、棚はもちろん椅子に対して正面に向いているわけではなく、テーブルの左端に、右を向いて置かれているため、わざわざ回り込まなくてはどんなものが並んでいるのか分からないので、これでいいや、これはよかった、エロ小説が並んでいる様は本当に充足感があるなあ、ベッドの下に眠らせておくよりもよほどよくなったなあと満足していたら、多感なファルマンはそれでも許せなかったようで、ある日ずらりと並んだ背タイトルが、その前に本を置くことで目隠しされていて、その本がどういう本だったかといえば、『精子の〇〇』とか、『性の技法』とか、『エロジョーク集』といった、直截的なエロ小説ではないけれど、かといって大手を振って晒すのもいかがなものか、みたいな本たちで、ちょいエロ学術本でエロ小説を隠すって、「血で血を洗う」ではないけれど、なんか極限状態だなという感じがあり、でもちょうどいい喩えが見つからないなあと思っていたのだけど、ファルマンに免許を取らせるのが恐ろしいから義母の恐ろしい運転で用を済まさせてもらうというのが、まさに僕のこのエロ本棚の状態と一緒なんじゃないかと思った。妻と義母の関係性を、エロ小説とエロ学術本に喩えて、いったい僕になんのメリットがあるのか。
 夕方に子どもたちを回収し、晩ごはんは餃子を作る。こちらに来て初めての餃子。義母が知り合いからもらったという白菜が、ひと玉まるごとわが家にやってきたので、それで作った。親世代というのはお歳暮やお中元に代表されるように、物品のやりとりを実によくすることだな、と思う。そのおこぼれがやってくることも、実家の近くで暮すメリットに他ならない。餃子は相変わらずおいしかった。

2021年1月31日日曜日

1月締め日曜

 冬の山陰にしては珍しい、気持ちよく晴れた日曜日だったので、一家で近所の散歩をする。引っ越してきて約4週間になるが、バタバタしてたり、天候が悪かったりで、まだいちどもそういうことができていなかった。ファルマンと子どもらは、それでも小学校までの道のりを歩いたりしているが、僕は本当に近所を歩くということをしていなかった。車を停めている少し先にごみ捨て場があり、僕の徒歩移動範囲は4週間そこから更新されなかった。そこから先はもう僕にとって車窓の風景なのだった。そんな場所を、初めて歩いた。
 その結果、車窓から眺めていて察してはいたけれど、やはりここはとてつもなくのどかな場所であると思った。島根で暮すのは初めてではなく、当時の住まいである実家から今の場所がそう離れているわけでもないのだが、それと較べても、のどかさが一段ちがう。決して寂れているとか廃れているということではない。もちろん栄えてもいないけれど。あまりうまくいえない。ファルマンと語り合った結果、「どうもここには四半世紀くらい前の雰囲気がある」という感じが、今のところ最も適切な表現だということになった。時代がそこらへんで止まっている。本当にそういう感じがある。まるで「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストのようだと思う。なんかしらの作用により、狸たちの体力が無尽蔵になって、このエリアだけいつまでも往時の姿が再現され続けているのではないか。
 散歩には、子どもたちは跳び縄を、僕はバトンを持っていった。家から歩いて5分ほどの距離にある野原に着くと、空にはポンッという効果音で示されるような、白い雲がありのままの姿で浮かんでいて、岡山だって大概だったけど、それにしたってここまで雲のあられもない、無防備な全景はそう目にしなかったはずだ、と思った。野原、のはらというより、それをさかさまにして、げんやといったほうが適切な原野は、向こう側にも、こちら側にも、どこまでも続いていて、そして他人はひとりもいなかった。どこにもありはしない幻想世界の話をしているのではない。車で1時間半かかる場所の話を話をしているのでもない。家から徒歩5分の場所の話をしている。そこでひとしきり、縄跳びやバトンをして過した。僕も少しだけ縄跳びをしたけれど、やはり神経痛が響くのですぐに止した。バトンはものすごく久しぶりに回した。いったいいつ以来だろう。昨秋に回す機会があったろうか。当然、腕のなまりを感じた。もっとも冬で手の脂がないというマイナス条件もある。春になれば花畑の中でバトンを回したい。
 今日はその散歩以外、買い物で街に繰り出すようなことは一切せず、ひたすら家で過した。
 午前は桃鉄をした。桃鉄は、去年末にswitchで最新作が出たとかで目につく機会が多くあり、したい欲求が高まっていたところに、ファルマンの実家にもう誰も使っていないPS2があり、そして僕はPS2版の桃鉄のソフトを持っている、という要素が合わさり、実現した。僕とファルマンとポルガがそれぞれプレイし、ピイガはそのときどきで調子のよさそうな人のチームになり、あとひとりはコンピュータというメンツで、30年の予定で始めた。桃鉄は長年やったほうが絶対におもしろいので、これから気長にやろうと思う。1年が20分くらいなので、1日に1年ずつやるのも悪くない。今日は時間があったので7年くらいやった。ポルガはひどく気に入ったようで、やっぱり桃鉄はすごいなと思った。
 午後は裁縫。子どもたちの誕生日プレゼントとして、それぞれ裁縫のキットを買い与え、ポルガはショルダーバッグ、ピイガはクマのぬいぐるみを、世話してやりながら作業した。完成まではまだ時間がかかりそうで苦難の道だが、子どもたちが手芸や裁縫をしたがるのはやはり嬉しい。
 そんなおだやかな日曜日だった。1月も最終日で、5日にこちらにやってきて、まあようやくある程度は落ち着いたかな、と思う。住まいに関しては、環境も設備も、本当にいい選択をしたと思っている。暮しがどんどん心地よくなっていけばいい。

2021年1月29日金曜日

神経痛ブログ

  この1週間、毎食後せっせと帯状疱疹の薬を服み、腹から脇まで帯状に伸びた疱疹は、それ以上は伸びることなく、無事に枯れた。いまはかさぶたのようになっている。痕が残らないか不安だ。たぶん、ほとんどは消えるけれど、完全に消えるということはないのだろうと思う。若い人は傷の治りが早い、というのは誰もが知っている有名な事実だけど、若い人は傷の治り方の完璧度が高い、という事実も、それより有名ではないけれど確実にある。最近になって、体がそこまできれいな復元を追い求めなくなってきたような気がする。追い求めなくなってきたというより、られなくなってきたのかもしれない。ほかに(そもそも原資が減少気味の)生命エネルギーを注ぐべき部分はごまんとあるので、これからなにをする体でもなし、別にいいじゃないか、ということか。シビアだな。そろそろ俺もグラビアアイドル活動は潮時か。
 シビアといえば、帯状疱疹を発症したあとに発生しがちだという帯状疱疹後神経痛が、まんまと発生していて、この痛みというのが、なんともシビアな、大人の痛みだ。成長期の骨が伸びてきしむ痛みとはぜんぜん別種の、きしむ痛み。このふたつの「きしむ」は、同じ音でも別の漢字を当てたほうがいいと思う。たとえば嬉志夢と危肢無みたいに。「イタタタタ!」という陽の痛みではなく、「……ッンンン」という陰の痛み。そもそも神経痛という言葉が嫌だ。温泉の効能に必ず書かれていて、しかしこれまでピンと来ていなかったワード、神経痛。得てみて初めて、なるほど、手術とか、薬とか、そういうんじゃなくて、鉱物をたくさん含んだぬるめの温泉にじっくり浸かる以外にこれは対策の打ちようがないな、と得心がいった。
 先週の土曜日に医者にかかり、誕生日パーティーをしらふで過すはめになったまま、なにぶん服薬中のため、もうかれこれ1週間も飲酒をしていない。これまで奴隷のようにこき使われいてた肝臓が、急に自由の身になってしまって、逆に戸惑っているのではないかと危惧さえ抱く。それにしても、神経痛の疼痛で気持ちが落ち込み気味なのに、それをアルコールで癒すことができないとなってしまっては、いったい心はどういう手段で浮上していけばいいのか。さらにいえば激しい運動もよくないので、筋トレもできない。なので本当に粛々と過している。山陰の冬の薄暗さ、つらさもあって、もういっそ冬眠できてしまえばいいのに、と思う。桜の花びらを鼻先に差し出してくれれば、その香りで目を覚ますから、それまでそっとしておいてほしい。

2021年1月26日火曜日

夢の中で

 転入生になる夢を見た。つまり夢の中の僕は学生だった。とはいえさすがに中高生になるまでは想像の翼がはためかなかったようで、私服だったし、たぶん設定としては大学生だったのだと思う。大学生だとしたら実際は転入生もなにもないが、そこは夢なので、ご都合主義なのだった。
 転入したクラスのメイトたちはみな明るく、いい人たちで、現実では、僕なしの状態で既に明るく成り立っていた空間なんて、もうそれだけで拒否感が湧くのだけど、夢の中の僕はそのあたりに寛容で、素直に「みな明るく、いい人たちだなあ」と受け入れていた。あるいはやっぱり僕プロデュースの夢なので、その集団は絶妙に僕好みの明るさ度合、貞節度合、謙虚度合、上品度合に仕立てられていたのかもしれない。
 そのクラスにはマドンナ的な女もいて、なるほどかわいく、しかも初対面だというのにスキンシップが濃厚だった。こいつ俺に気があるんじゃないか、とすかさず思った。
 そのあと男子グループとだべっていたところ、その中のひとり、どうやらみんなから一目置かれている、学級委員とかじゃないけどクラスでの発言力はそれ以上、みたいな男と、やけに気が合うのを感じた。向こうも僕に対してそう思っているに違いないという確信も抱いた。ああ俺はみんなから一目置かれているこいつと、対等な感じの親友になるな、と思った。
 やがて他の男子はいなくなり、僕と彼がふたりで盛り上がっていたら、そこへマドンナがやってくる。マドンナはすぐに親友のようになった僕たちを見て、眩しそうにする。そしてさすがはマドンナらしく、自然な感じでわれわれの会話に入ってくるのだった。
 みんなから一目置かれているやつと、マドンナと、そして俺という3人で、これから輝かしい日々が始まるのだな、と胸が躍ったところで目が覚めたのだった。
 夢だったか、夢だったわな、と一抹の寂寥を抱きながらも僕は冷静だった。なんだか気分のいい夢だったなあ、と改めて噛みしめたところで、しかしこう思い至った。
 たぶんクラスで一目置かれているあいつと、マドンナ、付き合ってる。
 そう考えたら、最初のマドンナによるスキンシップも、一目置かれているあいつとの共鳴も、すべてがあの完全無敵なカップルのプレイであるように思えてきて、俺はただあのカップルの遊びに利用されただけなんじゃないかと思った。
 夢の中の登場人物は、本人の頭が作り出したものであり、本当には存在しない、ということは理屈としてもちろん分かっているのだけど、その一方で、僕の人生の中に登場人物として登場した以上、完全に存在しないとも言い切れないだろう、ということも思う。形而下の、物体としてあるものだけが「存在する」ということではなくて、その定義でいえば存在することになるけれど僕の人生には登場しなかった人と、実在はしないけれど夢の中に登場した人とでは、どちらが僕の人生の中でより存在していたか、という話になってくる。
 インターネットがつまらなくなった、ということがよくいわれ、それは僕自身もまた大いに感じ入るところなのだけど、どうしてつまらなくなったのかといえば、インターネットの世界はかつて、夢の世界だったからだと思う。夢の中の登場人物は、現実には存在しないので、相手にどう思われようと別によくて、自由気ままに振る舞うことができる。僕は当時のインターネット世界でそこまではっちゃけていたわけではないけれど、かつてのインターネットにはそういう雰囲気があったように思う。みんなで一緒の夢を見ていて、だからそこで繰り広げられることは、現実に戻ってしまえばなんの後腐れもない、そういう空間だった。ハンドルネームだったこともあり、実在の人物とははっきりと乖離していたのだ。
 それが昨今のSNSの台頭により、夢の世界が現実世界にすっかり侵略されてしまい、意味がなくなってしまった。夢が現実になってしまった。夢が現実になるって、幸運な出来事が起きたときに使う表現だけど、夢が現実にすり替わってしまうなんて、なんとつまらないことだろう。夢は夢のままがよかった。

2021年1月25日月曜日

春はまだかよ

 あまりブログを書かない。ブログはゆとりのバロメーター、とは一概には言えなくて、ゆとりがあっても書かないときはある。ただし、ゆとりがないのにブログを書けるという状況はほとんどなくて、今は普通にその状態にある。新しい暮らしは、いまだなかなか落ち着かない。山陰の冬の、寒さや日照時間の短さというのも、当然この低調さの大きな要因だ。山陰の冬とは、そういうものだ。でもそれが大きな要因なのだとしたら、その根はわりと浅いということである。あと2ヶ月、いや期待を込めて1ヶ月半くらいで春が来れば、僕はそれはもう満ち足りた気持ちになり、抱えきれないほどの幸福感を得ることだろうな、と思う。それほど春が恋しい。山陽時代に較べ、その度合は桁が4つくらい違う。
 1週間ほど前より、腹に筋肉痛のようなピリピリとした感覚があり、思い当たる節がなかったので不思議に思っていたら、風呂に入るときその部分に湿疹が出ているのを見つけ、ファルマンに見せたところ、「それ帯状疱疹じゃないの?」といわれ、なに言ってんだ帯状疱疹って更年期の女性がなるやつだろ、と一笑に付していたら、数日して湿疹が脇腹のほうに伸びて、「帯状やん!」となり、慌てて皮膚科に行った。それで還暦くらいの女医に腹を見せたら、「あらー」と軽く感嘆されたのち、「これはもう、自分でなんていう病気か分かってるんじゃないの?」とほぼ半笑いでけしかけられ、「帯状ほうし……」と答えたら喰い気味で「正解!」と褒められるという、意味不明のやりとりをした。それくらい帯状疱疹、あるいはこの症例にまだ名前が付いていなくても、あまりにも帯状に疱疹が出ているので、結果的には帯状疱疹という病名になる、というくらいに帯状疱疹なのだった。そのくらい見事な帯状疱疹になった。女医がいうには、「この時期は年末年始の疲れが出やすいから患者が増える」ということだったが、こちとらただの年末年始じゃない。あまりにもひっちゃかめっちゃかな年末年始だったわけで、基本的には健康な体で、なにより精神が気丈であるため、たとえばファルマンのように、すぐにつらさをフルオープンにするということをしないのだけど、そんなけなげな肉体が、とうとう帯状疱疹という形で音を上げたのだと考えると、切なくて愛しくなる。12月から島根暮しが始まったため、去年はとうとう「パピ労感謝の日」の記事が書けなかったのだけど、書けなかった今シーズンほど、ねぎらわれたい年はなかった。ねぎらって、いたわって、いつくしみたい。もし僕が春の神様だったらば、僕にだけ3週間くらい先行して春を与えてやる。そうあるべきだ。
 これが先週の土曜日の話で、その夜に22日が誕生日であるポルガの誕生日祝いをした。ちなみに4日に誕生日を迎えたピイガの祝いは、4日というのは今年の場合、岡山から荷物を搬出し、われわれ一家は車で島根に移動し、その晩は実家に泊まらせてもらい、明日の午前には引っ越しのトラックが搬入にやってくる、という、そういう日であり、そんな晩に誕生日祝いなどできようはずもなかったが、実家の人がケーキを買っておいてくれたので、なんとなくお祝いをしたような、あまりしていないような、そんな感じで済まされていた。なので今回のケーキ(手作り)のロウソクは、「10」と「7」の二本立て(「10」は「1」と「0」なので正確には三本立て)ということにした。食事のメニューは手巻き寿司とたこ焼き。実家の面々(義父、義母、三女)も招待したので、盛りだくさんのパーティーメニューである。ただし僕は午前中の皮膚科で、抗ウイルス的な、マジな感じの薬を処方されて服んでいたため、酒が飲めなかった。手巻き寿司とたこ焼きなのに! 昼過ぎからせっせと準備したのに! 僕だけが酒を飲めなかったのだ! たこ焼きでビール! 手巻きずしで日本酒! もう悔しいついでに、実家の面々の車の送迎も買って出てやって(「どうしようかって話してたんだ」とお喜びの様子だった)、さらにはもうこんなのマゾヒズムの領域だが、ファルマンや義母や三女のために缶チューハイも買っておいてやった(三人とも、あれば飲むけど自分で用意するほどの熱意はない、というスタンス)。そうして僕ばかりが徳を積み、そして肝臓を回復させた。
 僕のもとには今年、いい春が来るに違いないと、しみじみと思う。そうでなければ理屈に合わない。理屈に合わないことが横行する世の中だけど、それでも僕は希望を捨てない。そんなところも好きだ。ああ、好きだなあ、俺、俺。

2021年1月11日月曜日

山陰洗礼

 引っ越しが済んだ。引っ越しそのものはこの3連休ではなく、正月休みの終わりごろ、引っ越し業者のおそらく仕事始めくらいのタイミングで行なった。だからもうこちらに来て、1週間ほどが経っている。それでようやくこうしてブログを書くことができるようになった。そのくらいバタバタしていた。それはそうだ。
 日本海側は、年末年始に寒波が来て、この週末にも寒波が来ていた。わが家の引っ越しはちょうどその隙間を縫うような、幸運なタイミングで行なわれた。いざとなれば実家に泊まれるというのはあるにせよ、数日前には高速道路が閉鎖になっていたので、そう考えればかなり綱渡りだった。まさかよりにもよって今年、こんな寒波がやってくるとは思わなかった。岡山ではついぞまみえなかった、すなわち子どもたちは生まれてこのかた未体験で、そして強く切望していた雪遊びというものが、こちらに来てたった数日で実現してしまった。子どもたちは実家にあった、ファルマンたちが子どもの頃に使ったというスキーウェアを着込み、雪で思う存分に遊んだのだった。通勤をしなければならない僕や、寒さが嫌いなファルマンは、降り止まぬ雪を見ても「洗礼……!」としか思わなかったけれど、まあ子どもたちの夢がかなったことはよかった。
 それにしたって別世界である。そのことは知っていたし、島根にだって過去実際に1年半住み、冬も2回経験していたわけだが、岡山で暮していた7年間、冬場はこちらに近付かなかった(スタッドレスタイヤを持っていないので近付けなかった)ため、すっかり忘れていた。夏はどちらも同じく暑いのだが、冬はそうだ、山陽と山陰では、こんなにも違うのだ。一面の雪景色の中、氷の上をビクビクしながら運転し、寒波はいつ去るのかとラジオを聴けば、「中国地方」と一括りにされた気象情報では、山陰地方の積雪や低温の注意報ののち、岡山南部の乾燥注意報が告げられ、岡山南部って本当にバカだなと思った。そういえば岡山に来てすぐの頃、まだ島根県の感覚が残っていた頃は、岡山だけ気候があまりにも贔屓されているじゃないかと、不条理を感じていた。そしてそれがいつしか当たり前になっていた。しかし再びこちら側の人間になったことで、岡山南部マジあいつ、と憤りが湧いている。この鬱屈した思いを蓄積させて、僕はだんだん山陰人になっていくのだと思う。
 とはいえ新しい住居そのものは、岡山時代よりも築年数が浅く、そして部屋数も多いため、とても快適である。部屋探しの際、築年数になんてそれほど重きを置いていなかったけど、新しい所ってこんなにも細かい部分の設備とかがよくなっているのか、と感動している。
 もっともとても快適だといいつつ、荷解きはまだ完全には終わっていない。3連休で大いにはかどり、引っ越し社の箱はだいたい壊せたのだけど、まだ荷物が床に無造作に積まれている部分がある。どんな部分かといえば、これが主に僕のハンドメイド関連で、12月にファルマンが荷造り作業をしていた際、「あなたの布が多い」「手芸用品が多い」とさんざん文句をいってきて、大袈裟だろう、憎らしさから目につくのだろう、と受け流していたが、こちらに来て全容を眺めてみたら、なるほどとんでもない。これまでの暮しで歳月をかけて集め、家じゅうのいろいろな場所に散らせていたので把握できていなかったが、一ヶ所に集めたらこんなことになるのか、というくらいにあった。それで急遽ラックを新たに買うことにして、それが配送されるまでに何日間かかかるので、それまでは完璧には整わないのだった。しかしラックさえ届けば、持っている資材が一目瞭然になり、とても創作がしやすい環境が作れそうで、わくわくしている。
 現在の状況はそんな感じで、この日々の中でもちろんもっといろいろ感じたこと、考えたことはあるのだけど、そこまで書く余力はない。余力がないまま、そういったことは綴られることなく、流れていくのだろうと思う。そういったことを、なるべく書き残したいとも思うし、書き残すことに人生の時間を使うことの意義を考えたりもする。
 とりあえず島根生活が無事に始まりました。

2020年12月30日水曜日

もうすぐこの1年が終わる

 なにから話しはじめればいいだろう。
 今日までとうとうブログを投稿しなかったこの12月、どこでどうしていたのかといえば、ファルマンと子どもたちを岡山に残したまま、僕だけがファルマンの実家に暮していた。なんだその状況は、という話なのだが、成り行きでそういうことになった。
 こうなったいきさつについては、さかのぼろうと思えばいくらでもさかのぼれてしまうのだが、なるべく手短に語るとして、10月から話をはじめることとする。
 10月から僕はとある会社に再就職をした。それは結局のところ縫製業で、縫製業だけはもうしないんじゃなかったのかという話なのだが、このことについて説明しようとすると、話がさらに1ヶ月くらいさかのぼることになるので、割愛する。端的にいってしまえば、「やっぱり縫製業しかないな」と再就職し、そして15日くらいで、「やっぱり縫製業ないな」と結論付けた、そんな10月ということだった。
 そして縫製業に就かないことに決めた以上、われわれ一家が岡山で暮らす意味はなにもない、ということを思った。ここに少し論理の飛躍があるような気もするが、夏からの再就職活動(その失敗)や新型コロナウイルスで、気持ちが弱っていた面もあるのだろうと思う。それで10月中にファルマンに、「どちらかの実家の近くで暮らそう」ということを提案した。それに対し、はじめは強く拒絶された。なにしろ子どもは小学生である。7年前までのように気軽に移住はできない。しかし説得を続け、納得してもらった。そして関東に住むのはいろいろな意味で現実的じゃないので、移住先は島根ということになった。
 そんなわけでひと月限りで転職先からは退職した。コロナ感染のないことが2週間経ってはっきりしてから11月中旬にこの日記に書いた、11月初頭に行なった僕だけの横浜行きは、そんなあたりのことの報告も含めての帰省であった。母にはこれまで工場閉鎖のこともなんにも伝えていなかったので、いろいろ驚いていた。
 横浜から戻ってきて、11月は島根での就職先探しの日々だった。7年前、島根から岡山に移住するときは、面接を受けたり部屋を探したりしに来るだけで大変だったが、今回の場合は実家というベースキャンプがあるため、そういう意味では楽だった。そうしてなんとか11月中に就職先を決めることができた。
 この就職先の出勤開始が、12月からだった。就職が11月中に決まり、1月からだと間が空きすぎるので、当然といえば当然ではある。そもそも、移住は子どもの学校の年度に合わせて3月に行なう予定だったため、僕だけがファルマンの実家に居候し、ファルマンら3人は引き続き岡山で暮すという形が生まれることは不可避だった。だから当初は、就職が1月からになったとして、1、2、3月はそうして過すことになるなあと漠然と考えていた。しかし3月までの長さや、3月の引っ越し料金の高さなどを勘案し、もういっそ2学期終わりに移住を決行してしまおうじゃないかという話が、急転直下で決定した。
 こうして12月の間、僕がファルマンの実家に住んで、ファルマンと子どもたちは岡山で3人で暮し、パソコンなどは持っていっていたものの僕はブログを一切投稿しない(到底する気にならない)という状況が生まれたのだった。
 いやはやこの1ヶ月は、山陽から山陰への気候の変化、新しい職場、仮住まい、家族と離ればなれ、さらには歯痛と、本当になかなかハードな日々だった。
 思えば1月下旬に工場の閉鎖が告げられてからはじまった、この2020年の怒濤は、結局その余波が1年丸々続く結果となった。2020年というのは、本当に、人類にとって、僕にとって、壮絶な1年だったなと思う。いま岡山に戻り、年明けすぐの引っ越しに向けて、このひと月ファルマンがせっせと造ってくれた段ボールに囲まれながら、それでもなんとかかんとか、家族4人での年越しを健康に迎えられそうで、もう本当にそれ以上に喜ばしいことはないと、しみじみと思う。
 来年は誰にとっても、少なくとも僕の好きな人たちにとっては、なるべくいい1年になればいいと、切に願いながら、2020年最後の、岡山での最後の、投稿を終わりにする。

2020年11月26日木曜日

SEVENTEEN9月号データ報告2020

 cozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボが無事に終わり、はーやれやれ、あとはパピ労の日と仲間内十大ニュースだけか、と思っていたのだが、そういえば今年はまだあれをやっていない、と思い出した。SEVENTEEN9月号データ報告である。これも年間行事のひとつなので、当然やっておかないといけない。思い出してよかった。というわけでSEVENTEEN9月号を入手し、今年のデータ特集ページを拝謁する。「うちらのプロフ、24h」と銘打たれ、各部門でいろいろなアンケート結果が提示されている。意気揚々と目を通した。目を通した結果、あれ?と思った。なんか、このデータ特集、あんまりおもしろくないぞ、と。例年のようなわくわく感がない。これまで得られていた満足感が、誌面から伝わってこない。
 かつて僕がSEVENTEENをおもしろく読んでいると、ファルマンがよく横から、「それって十代の子は本当はぜんぜん読んでなくて、おっさんが作って、おっさんが読んでる雑誌なんじゃないの」と言ってきたので、そんなわけあるか! とそのたびに怒鳴り散らしていたのだけど、どうも今回の誌面を読んでいて、この雑誌は編集チームがもしかして代替わりしたのではないか、ということを感じた。たとえば「ミュージックステーション」なんか、それまでの8時スタートから9時スタートになった時点、もといその2年くらい前から、どうも我々の知っている歌番組とは違う文法の番組になったようだ、ということは痛切に感じていて、それはただ単に出演する歌手が自分たちの知らない人たちばかりだ、というレベルの話ではなくて、なんかもう、流れが心地よくないというか、なんだこの軽薄でふわふわした雰囲気は、と苛立ってくるので、とても観ていられなくなってしまったのだけど、SEVENTEENの誌面にも、それとまったく同じものを感じた。これは僕にいわせれば、なにがおもしろいのか、なにがおしゃれなのか、なにがかわいいのか、なんの価値も見出せない、程度の低いことを、さも自分たちは最先端であるかのように装って、クソつまらなくやりやがって、ということになるのだけど、でもそれって、あくまで「僕にいわせれば」であって、「ワシの若い頃はもっと洗練されてて優れていたんじゃ! それが今はすっかり情けなくなってしまって……」であって、それはもう絵に描いたような、見事に時代に取り残された老害の発言だな、と思う。若者が「きちんと」おもしろいものとして受け取っている若者文化を、自分がこんなに「きちんと」まったく理解できなくなると、思っていなかった。こんなにまっすぐな気持ちで、「若者たち待てよ、ちゃんと考えろよ、それ、ぜんぜんおもしろくないだろ! 俺たちの時代のあれのほうが百万倍おもしろいだろ!」と言いたくなるようになるなんて、ぜんぜん想像していなかった。世代ってすごいな、としみじみ思う。去年まで僕はは誌面を愉しむことができたので、それはリトマス試験紙のように、僕が愉しめたということは、同世代(あるいは上の世代)が誌面を作っていて、そしてそれは当のJKたちにはあまり評判がよくなかっただろうと思う。それが今年からは代替わりしたことで、ちゃんとJKたちに訴求する誌面になり、その結果として僕という存在はこの世界からはじき出された。そんなわけで、まるで最近の「ミュージックステーション」を観ているかのように、僕はつまらない気持ちになったのだと思った。
 とりあえず去年まで定点観測で記録している、身体的なデータから。
 今年の体重の平均値は、「48kg」とのこと。3年前が48.8kg、2年前が48.4kg、去年が48.0kg、に対して48kg。ほら、小数点以下に対する言及が一切ないのだ。去年は0だったのにちゃんと「.0」と律儀だったのに、今年はただの「48kg」。ここでまずもう、なんか違う、と思った。
 次に身長。3年前157.9cm、2年前157.7cm、去年157.8センチ。そして今年は、158cm。これもまた小数点以下が省略された。なんと雑なのか。とすると、この大雑把な新人編集者にしてみれば、3年前も2年前も1年前もそして今年も、みんな押し並べて四捨五入して158cmなのだ。それはそうかもしれない、平均値として算出される1ミリの単位に一体なんの意味があるのかという話かもしれない、でもそこにこそこのデータ企画の真髄があるんじゃないのか。この小数点以下を省いてしまったら、このデータはほぼ毎年「158cm」ということになってしまうじゃないか。それじゃあ毎年やる意味がないだろう。
 続いてスリーサイズ。これにはさすがに小数点以下があった。()内に、去年、2年前、3年前の数字を並べる。
 バスト、77cm(77.1、77.7、79.6)。
 ウエスト、61.7cm(61.5、61.4、62.0)。
 最後にヒップ、81.7cm(81.5、80.9、86.7)。
 去年から、JKのスリーサイズには胸小尻大の傾向が見られる、ということを指摘していたが、今年はそれがさらに進んだ形となった。この分だと、この日記をいままさに読んでいる百年後のあなたたちの尻は、どれくらいのサイズになっているのだろう。
 例年ならば次にブラのカップを記すのだが、今年はなんとその設問がなかった。これは今年のこのフィジカルに関するデータが、これまでの「ウチらのボディー白書☆」みたいなテイストではなくて、「ダイエット部門」として、「Q、いまダイエットしてる? A、はい(73.1%)」だの、「Q、一番やせたいパーツは? A、1位:太もも」だの、「Q、ダイエット中によく食べるものは? A、1位:野菜」だのという、本当にクッッッソどうでもいいQ&Aばかりが誌面を占めているからで、なんだか僕はここに、いかにも現代の若者文化的な、SNSの集合愚が形成する、実体のない見せかけのイデアの幻影ばかりを追い求めて、本当の自分自身の形成や追及がまったくできていない、むなしさを感じる。YouTubeでチャンネル登録者がたくさんいるYouTuberが紹介するダイエット動画を見てエクササイズをするとかじゃなく、そんなことよりJKは、ひたすらに若く輝いている自分自身の肉体にだけ目を向けてほしい。SNS上の流行りに影響されてダイエットなんかしないでいい。ひとりひとりのかけがえのない個性を、数万のいいね!なんかに収斂されないでほしい。スマホに時間も思考も奪われず、もっと自分を大切にしてほしい。JKのブラのカップをデータとして記さないというのは、つまりそういうことだと思う。本当に新しい時代と相容れない。ブラのカップ書けよ。こっちは「Tarzan」を読んでるんじゃないんだよ。平均がAカップなのかBカップなのかCカップなのかで、視界のホワイトバランスが変わってくるんだよ。本当にもう。
 そんでもって最後はいつもの流れ、ラブデータである。ラブデータというか、誌面にはいろいろな設問があるけれど、やっぱり大事なのは処女非処女の比率を示す、「Hしたことある?」の問いである。これのデータは5年前からある。5年前が6.3%。4年前が6.1%。3年前が6.6%。2年前が6.3%。去年が6.1%。これをもって去年、僕は結論を出した。JKの非処女率は、要するにだいたい6.3%であると。ところがである。今年の結果を見て驚いた。過去のデータにばかり固執していたため、目の前で繰り広げられる予想外の展開に、応用の利かないガリ勉のように混乱した。というのも、今年のYES回答は、5.1%だったのである。アンケートは5000人にしているというので、1%が50人ということになる。つまり去年までなら処女を捨てていたはずの50人あまりが、今年は捨てられなかったということを意味している。これは如実に、新型コロナウイルスの影響だと思う。新型コロナウイルスが、出会いも、濃厚接触も、JKたちから奪ったのである。奪ったというか、護ったというか、その捉え方は人それぞれだが、こうも明確に数字に表れるものなのか、と感心した。しかしこの話題で思い出されるのは、春頃の緊急事態宣言下、親が仕事で出て行ってしまった家に、ティーンだけが残されて、彼ら彼女らは自由に行き来をし、そうなると当然セックスになって、望まぬ妊娠をしてしまったという相談が増加している、というニュースのことで、そういう話はたしかにあったはずで、だからむしろ今年は数字が増えているのではないかとも思っていたのだが、しかしそれは結局のところ、「初Hしたのは何歳?」の問いの答えは「15.2歳」であり、「やるやつはやる、やらないやつはやらない」といういつものパターンということなのだろう。すなわちJKが5000人いたら、そのうちの250人はセックスを普通にするタイプのJKだということで、比率的に少ない気がしていたが、でも250人もいれば十分だな、とも思った。せいぜいいちどに相手できるのは6人から7人くらい(二次元ドリーム文庫調べ)なので、250人いるんなら万々歳であると思う。
 以上です。これにて今年の報告を終わります。

2020年11月24日火曜日

パピロウヌーボ2020


プロ角マキコ(以下プロ角)「……もしもーし」
優香(以下優香)「……やんすやんすー。わー、プロ角ねえさん、お久しぶりでやんす」
プロ角「ほんとよ。毎年のことながら、丸1年ぶりじゃない。こんなに長く一緒の番組やってんのに、こうもプライベートの付き合いが一切ないなんてことある?」
優香「ビジネス以外では関わりたくないタイプの相手の場合は普通にあるんじゃないでやんすか」
プロ角「だとしたらおかしいじゃない。私、優香のことそんなタイプだなんて思ってないわよ。本当によ」
優香「わあ嬉しい。でも、じゃあなんででやんしょね」
プロ角「なんでよ」
優香「それは……」
プロ角「それは……?」
優香「それは……、謎っすね」
プロ角「謎すぎるわよ。理由がわからな過ぎて、頭が爆発しそうよ」
優香「そんなことよりプロ角ねえさん、今年は初めてオンラインでのパピロウヌーボとなりましたでやんすね」
プロ角「そうよ。オンラインなのよ。なによ、オンラインって。せっかくこの、今はもう芸能界を引退したプロ角マキコ様が、これだけは特別ってことで出演してやるってのに、オンラインってどういうことよ」
優香「そんなこといったってしょうがないじゃないか」
プロ角「なにがしょうがないのよ」
優香「コロナ禍なんでやんすから」
プロ角「……ころなか?」
優香「コロナ禍」
プロ角「なによ、ころなかって。なんの中なのよ」
優香「へっ?」
プロ角「あ、それとも地名かなんか? あるいはアイヌ語? ウポポイ?」
優香「……いやいやいや! うそ! いや、それはないでやんしょ!」
プロ角「ないってなにがよ」
優香「え、だって、そんなの無理でやんしょ! 知らないでいるの、無理でやんしょ!」
プロ角「なにがよ。なにを興奮してるのよ、優香」
優香「……プ、プロ角ねえさんはテレビを観ないんでやんすか? 嫌な思い出が多すぎて?」
プロ角「テレビ? 観るわよ、別に。『ザワつく!金曜日』以外は」
優香「じゃあ知ってるでやんしょ!」
プロ角「ころなかを? えっ、そんなタレントいたかしら……」
優香「うそ……」
プロ角「あ、そうか。思い出したわ。あの人たちでしょ。「まぁねぇ~」って髪をかき上げる、あの3人組の女のお笑いの」
優香「それはぼる塾でやんすよ! しんぼると猫塾が合体してぼる塾! ぼる塾知っててコロナ知らないなんてことある? 奇蹟でやんしょ! 降り注ぐ機関銃の弾をかいくぐって、漂う1本のタンポポの綿毛が大地に根を張り花を咲かすような、世界一どうでもいい奇蹟がここに生まれてるでやんしょ!」
プロ角「まぁねぇ~」
優香「それ、ぜんぜん流行ってないでやんすからね!」
プロ角「流行ってるわよ! ユーキャン新語・流行語大賞のノミネート語にあったもの!」
優香「あれは、ほら、いろいろあるんでやんすよ! っていうか、ユーキャン新語・流行語大賞のノミネート語を見たんなら、絶対に知ってるはずでやんしょ! 関連語ばっかりだったでやんしょ! コロナ!」
プロ角「あ、知ってる!」
優香「そうでやんしょ!」
プロ角「それ、トルコの大統領のギャグでしょ」
優香「違う! そういう意味でいま「コロナ!」って言ったんじゃないし、そもそもギャグでもない! さすがにありえないでやんしょ! エルドアン大統領の考えた新しい時代の挨拶「コロナ!」を知っててコロナウイルスを知らないのは! さすがに無理! さすがにバレた!」
プロ角「バレてないわよ! 知らないわよ、コロナなんて! 私が知ってるのはCOVID-19だけ」
優香「……出た! 出たよそれ! コロナって言うのは素人で、今回のこのウイルスはCOVID-19って呼ぶべきだっていう、そのタイプのやつ!」
プロ角「まぁねぇ~。だって実際そうなんだから仕方ないじゃない。モーレツ世代とかSNS世代とかは大雑把な言葉で適当にわかり合ってればいいけど、私たちブログ世代はそういうところ、こだわっちゃうのよね」
優香「プロ角ねえさんはブログ世代なんでやんすか? いま53歳でやんすよね? ブログ世代にはちょっと不入なんじゃないでやんすか?」
プロ角「ねえダイアナ」
優香「優香でやんす」
プロ角「そんなことより今年のゲストを呼びましょうよ。今年のゲストは誰なの? 3年前が破室奈美恵、2年前が破々緒&菊川ペイ、1年前がMAXと来て、今年は誰なの? にじう?」
優香「プロ角ねえさん、あれは「にじゅー」って読むらしいでやんす。そしてもちろんNiZiUじゃないでやんす」
プロ角「じゃあドルチェ&ガッバーナ?」
優香「それはあれでやんすね? 瑛人のこととして言ってるでやんすね? そして違うでやんす」
プロ角「じゃあ会社都合退職?」
優香「違うでやんす」
プロ角「もむこするうるおすぬらすしめらせる恩徳ほどこすめぐむ睾丸?」
優香「違うでやんす。ノミネート語の出し方がちょっと雑じゃないでやんすか?」
プロ角「うるさいわね! じゃあいったい誰なのよ! とっとと出てきなさいよ!」
???「プロ角さん、優香さん、はじめまして」
プロ角「あ、あなたは……せいや!」

   (CM)

プロ角「あ、あなたは……せいや!」
???「違います。下半身にZOOMしたりいたしません」
優香「でも期せずして、下半身ZOOMと関係ないこともないゲストさんでやんすよ!」
プロ角「そうそう! 下半身ZOOMと一緒に一茂の家の壁に落書きをした……」
優香「それはプロ角ねえさんの単独犯でやんす」
プロ角「私じゃないわよ! マネージャーが勝手にやったのよ! 何年やるのよ、これ!」
優香「今年はプロ角ねえさんが自分で振った形でやんす」
プロ角「そうじゃなくて、下半身ZOOMと一緒に国民年金の啓発CMに出てたのに、本人は年金が未納だった……、ってそれも私じゃない!」
優香「もうそのふたつは毎年のお約束なんでやんすね。キーワードを出さないとファンから苦情が来るんでやんすか? そうじゃなくて、下半身ZOOMと一緒に体調不良の人を介抱したことでニュースになった……」
パン蜜(以下パン蜜)「パン蜜です」
プロ角「そう、パン蜜だわ! おいしそうな名前!」
パン蜜「召し上がれ」
プロ角「わあ。パン蜜だわ。あのパン蜜なのね。……あれ、でもやだ、パン蜜と繋がっちゃったじゃない! パン蜜とは繋がっちゃダメなのよ! パン蜜は避けなきゃダメなのよ! とうとう都知事が言ってたもの!」
優香「東京都知事でやんすよ。まあたしかに選挙で勝って都知事に再任されましたけど」
プロ角「とにかくパン蜜とは繋がらなろうね症候群なのよ!」
パン蜜「プロ角さん、それは違いますよ。避けるのは三密。パン蜜のことは思う存分に愛してくれていいんですよ。あー、サウナを愛でたい」
プロ角「……ねえ、優香」
優香「なんでやんすか、プロ角ねえさん」
プロ角「私、正直言ってこの人のこと、よく知らないのよ。いつの間にかテレビで見るようになってたけど、いったいどう扱うべき人なの? 女優なの? タレントなの? 文化人なの? やけに高尚な感じもするし、一方でとてつもなく安っぽい感じもするじゃない。どういうスタンスで接するべきなの?」
パン蜜「プロ角さん、聞こえてますよ」
優香「プロ角ねえさん、オンラインで内緒話はできないですぞなもし」
パン蜜「その疑問、お答えしますね。パン蜜は、女優なのか、タレントなのか、文化人なのか。その答えは……、全てであり、無である。そして、I AM SOLIPSIST。そして、愛の錬金術師。そして、亀頭とは女性なんですよ」
プロ角「…………」
優香「…………」
プロ角「ところで優香、話は変わるけど、最近は調子どうなの? 子育ては順調?」
優香「ええ、まあおかげさまで。でもちょっと授乳がさせにくいもんでやんすから、強いて言うならおっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……でやんすかね」
プロ角「あら。じゃあ今度あれを送るわよ」
優香「えっ、なんでやんすか?」
プロ角「えーと、たしかここらへんにあったはず。……あ、あった。これよ、これ。ちょうどふたつあるし」
優香「そ、それは……!」

   (CM)

優香「そ、それは……!」
パン蜜「アベノマスクじゃないですか」
優香「なんで? なんでいまアベノマスク?」
プロ角「これをブラの代わりにするといいらしいわよ」
優香「…………」
パン蜜「…………」
プロ角「加藤紗里が言ってたわよ」
優香「…………」
パン蜜「…………」
プロ角「あれ? 川本真琴のほうだったかしらっけ?」
優香「…………」
パン蜜「…………」
優香「……お、俺には小さすぎるでやんす」
プロ角「まぁねぇ~」

来年はいい年になりますように
 

2020年11月22日日曜日

第12回cozy ripple名言・流行語大賞発表

 今年もcozy rippleにさまざまな名言・流行語が生まれました。
 ここでいう今年とは、2019年11月24日から、本日2020年11月23日までのこと。この1年は、世の中にとっても、僕にとっても、すさまじい年だったなと、振り返ってみてしみじみと感じる。あまりにも激動すぎた。言い訳をするわけではないけれど、その激動を原因として、今年のブログは振るわなかった。その在り方を考えあぐねた挙句、収束が起ったほどである。ちなみに「KUCHIBASHI DIARY」および複数のブログが「USP」に収束したのは、2011年の4月のことであった。放射能禍とコロナ禍。拡散したブログは、わざわいによって収束する性質があるのかもしれない。そんなわけで今年はエントリーワードの数も、残念ながら過去最少となっている。
 なんとなく、その激動は来年もしっかり続きそうな気がしないでもないのだが、それでも今年よりは地に足のついた、安定したブログ運営、すなわち人生運営ができたらいいな、と思う。切に思う。
 というわけで、今年のエントリーワードは以下の通りです。


俺には小さすぎる

 アマゾンでペニストレーニングの器具であったり、ビキニパンツなんかのページを眺めていると、そのレビュー欄には必ずこの言葉があることを発見した。ちんこを規定の空間にきちんと収めるタイプの商品だと、規格外の俺のはどうしたって収まらないのだと、買って、身に着けて、レビューに書いて、満足する、そこまでがワンセットの商品なんだと思う。男のそういうちんこに対する観念って、本当に愛しいと思う。女子が花や小動物を愛でるよりも、よほど清らかではあるまいかと思う。


亀頭とは女性

 包茎に関する書物に、ずる剥けの人間は亀頭が擦れて鈍感になり、快感を得るために乱暴なセックスになってしまいがちで、それを防ぐためには必要なとき以外は包皮を被せておくのがむしろ正しく、そうして亀頭を大事に扱うことで女性にも優しくできるのだ、という記述があり、それを読んで僕がたどり着いた結論。最も男性性を象徴させる部分は、最も女性性と隣接する部分だったという、これは亀頭以外にも人生中で何度も使える場面がありそうな、示唆に富んだ話だと思う。


もむこするうるおすぬらすしめらせる恩徳ほどこすめぐむ睾丸

 なぜ「無辜の民」と「睾丸」には同じ文字が使われているのだろうと疑問に思って調べたら、ふたつの漢字は同じものではなかった。それから「睾丸」の「睾」についてさらに追っていくと、その字義の筆頭は「さわ(澤)」であり、泉のように次々に連なり湧き出る様は、なるほど日々絶え間なく精子を生産する睾丸の性質をうまくいい表している、と感心した。次に「澤」の字義を調べた結果、「「1、さわ。つねに浅く水にひたっている所。草木のしげっている湿地。2、つや。ひかり。3、うるおす。ぬらす。しめらせる。めぐむ。恩徳をほどこす。4、もてあそぶ。5、もむ。こする」とあり、澤と睾丸はどこまでも密接に繋がっていることが判り、感動したので語順を調整して短歌とした。


不入

 セックスは、射精するまでがとにかく愉しいわけで、そこでなるべく射精をすまいとする「不出」という理念があるわけだけど、挿入しておいて射精しないなんて、女の子に対して失礼な話だと思う。挿入した以上は射精するべきだ。でもやっぱりなるべくなら射精はしたくない。だとしたら挿入を諦めるしかない。かくして生まれた理念がこちらである。生身の女の子には挿れられないけど、でも基本的にずっと猛っている。すなわちこれは童貞への回帰であるともいえる。セックスとはセックスをしないことである、あるいは、セックスをしないというセックスをすることである、という究極の考え方。


おっぱいがおっきすぎるのが悩みのタネ……

 Twitterの反応があまりにも乏しくてテンションが上がらず、どうやったら増えるのかと思案した結果、女子高生がやっている風を装えばいいのだと、古式ゆかしきネカマ戦法を思いつき、トップの自己紹介文の欄に打ち込んだ文面。この前に「私立ウサントタッバ学園2年生」とも述べていて、女子高生の、しかもおっぱいがおっきく、さらにはそれがコンプレックスであり、挙句の果てにはそんな少女がもっぱらちんことかをテーマにした短歌を詠むだなんて、最高じゃないかと思った。しかし反応はさして増えず、それだけが理由ではないが急に飽きて、この半年後に投稿が停止した。


繋がらなろうね症候群

 新型コロナウイルスの影響による緊急事態宣言により、とにかく他者とつるむな、ということが声高に叫ばれたが、普段からなるべく他者と関わり合いたくないと思っている側の人間としては、なんの問題もなかった。しかし我々サイドの人間にとってはなんの問題もないその世界は、あちらの人々にとっては地獄にも等しいつらいものだったようで、彼らはそのときどうしたかといえば、「今は会わないでいようね」と互いに呼びかけ合うことで、繋がっていた。そんなテーマでさえやはり繋がりたいのか、と彼らの業の深さに震撼した。


ブログ世代

 新型コロナウイルスで行動が制限された結果として自粛警察が跋扈したり、さらには個人的な仕事のことだったり、今年は「ブログに書けないこと」がとにかく多くて、ブログってなんなんだろうということを強く思った。本当に自由な心の叫びを書きたいならオフラインの場に書けばいいし、時流に乗った立ち振る舞いをして名声を得たいのならSNSに励めばいい。じゃあ、いま、ブログってなんだ。ブログの立ち位置って、拠り所って、どこなんだ。モーレツでもない、デジタルネイティブでもない。カセットテープでもない、データ配信でもない。MD世代とそれはピタリと重なる。この半端さが、我々の旗印なのか。


会社都合退職

 工場の閉鎖が告げられたのが1月の終わり頃だったので、新型コロナウイルスの盛り上がりと退職までのカウントダウンは、ほぼ同時進行で、こうして振り返ってみるとそれは、同時進行どころか、同一の事象だったんじゃないかという気さえしてくる。もっとも負け惜しみをするわけではないが、縫製業に華やかな未来もまるで見えないので、いつか行き詰って自己都合で辞めるより、よほどよかったんじゃないかとも思う。なにしろ、一度この退職を経験したらもう自己都合退職なんてやってらんねえな、というくらいの厚遇だった。世の中が新型コロナウイルスの影響で冷え込む中、スーパーマリオのスターのごとく、無敵みたいな感覚があった。時間切れはもちろんあったのだけど。


そんなこといったってしょうがないじゃないか

 仲間との会合ができないことには一切の問題がないのだけど、帰省がままならないのは、90オーバーの祖母がいる身としては、なんとなく落ち着かない部分があり、とはいえ今年に関してはやっぱりどうしようもなく(結局タイミングを見計らって無事に行って帰ったが)、なんてったって体力の落ちたお年寄りが危ないといわれているのだから、そこに最大限の配慮をしないといけない。そんなとき、言葉の内容的にも、老人たちへの訴求力的にも、世の中で最も適しているのが、えなりかずき(正確にはモノマネタレントのホリ)氏のこのフレーズではないかと思った。新型コロナウイルス関連でいろいろな言葉が編み出されたが、これこそが真髄ではないか。本当に広告とかに採用されればよかったのに、と思う。


ねえダイアナ

 いろいろあった今年も下半期に入り、上半期で負った心の傷を癒す必要があったということなのか、モンゴメリの「赤毛のアン」に猛烈に嵌まった。「赤毛のアン」は、不幸な生い立ちである主人公のアンが、話が始まってからは、とにかくどんどんしあわせになっていく物語で、読んでいると気持ちが晴れた。多種多様の幸福を得ていくアンだが、その中でも最も羨ましいと思ったのは、宿命の友であるダイアナだ。ダイアナはとにかくアンを肯定し、賛美する。それなんだよ、と思った。ずっと僕が欲しいと思っていた友達とは、ダイアナのことだったのだ。だから悩み事や相談事があると、僕は脳内麻薬であるダイアナを呼び出し、こう呼びかける。するといい気持ちになることをいってくれる。いつでもダイアナをキメて生きていきたい。もうダイアナなしでは生きていけない体になってしまった。


 以上です。
 いやあ、今年もさまざまな名言・流行語がcozy rippleを彩りましたね。
 惜しくも最終候補から漏れたものでは、「愛の錬金術師」「全てであり、無である」「もん! もん! 悶々!」「P線上を動く点P」「だから僕等山野辺は、僕等山野辺の死で哀しむことは絶対にない」「プレパラー射」「I AM SOLIPSIST.」「セクシャレハラスメント」「大丈夫だから」「ありがとう、MAX」「ドクゥ!」「世界ふれあい街足コキ」などがありました。今年はいろいろ考えさせられるブログライフの1年でした。
 というわけで、それではお待たせしました。いよいよ今年のcozy ripple名言・流行語大賞を発表したいと思います。去年の雨上がり決死隊・宮迫博之さんに続き、今年のプレゼンターはこの方、長渕剛さんです。
「オーーーーウッ!
アメリカの大統領が誰になろうとも
凶とでるか吉とでるかって
それゃ俺達次第じゃねぇか

今日もマスメディアの誰かが
無責任な話ばかりしている
正義のツラして知ったかぶりしてる奴の
言うことに耳を傾けてる俺

これ以上答えのねぇ話なんか聞きたかねぇ
歌の安売りするのも止めろー!

日本から歌が消えていく
日本から言葉が消えていく

自らの言葉をつむぐ歌い手たちが
群れをなして魂の歌を紡ぐならば

俺たちは歌によって
正しい道を見付けることが出来るのに

「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ」
「ウ・タ・ヨ ノ・コ・レ!」

俺達の東北、仙台、俺達の九州、熊本
そして福島も頑張ってんだ

オリンピックもいいけどよぉ

若者の貧困、地域の過疎化どうする?
騙されねぇぜマスコミ
騙されねぇぜヒットチャートランキング
騙されねぇぜワイドショー

ところで、
けなげな少女の瞳が今日も銃弾に打ち抜かれていく
岸に倒れた名もない兵士は
母の名を叫んで死んだ
アジアの隅に追いやられてきた
しなびきったこの島国で
屈辱の血ヘドを吐きながら今日も俺達は歌う

今年の大賞は……「上野の413球」だぜ! 乾杯!」
 なんと! 信じられなく長い、関係のない前置きのあと告げられたのは、まさかの「上野の413球」! 2009年の第1回からcozy ripple名言・流行語大賞の座に君臨し続け、しかし2017年の第8回で「乳房で胸一杯」に敗れたことによってその時代は完全に終わったかと思われていた「上野の413球」が、まさかの復活で大賞を獲得しました! なんという番狂わせ! 今年、東京オリンピックはなかったというのに! 国民の誰ひとりとして、ソフトボールの試合なんて見なかったのに! なんということでしょう! トランプもびっくり! バイデンもびっくり! しかしアメリカの大統領が誰になろうとも、凶とでるか吉とでるかって、それゃ俺達次第じゃねぇか! ざわついております! ざわついております!
 そんなわけで混沌とした社会情勢に負けず劣らず混沌とした、第12回cozy ripple名言・流行語大賞でした。それではまた来年、お目にかかりましょう。いまから僕だけ愉しみですね。ちなみに早くもpuropediaに今回の結果が更新されております。素早い! 運営優秀!

付録 これまでの大賞発表記事

2020年11月20日金曜日

グラニーバッグのようなトートバッグ出品

 母に頼まれたバッグが完成し、minneに出品する。
 横浜で画像を見せられ、「こういうの」といわれただけなので、そのふわっとした注文に対し、ふわっとした近寄らせで、なんとなく仕上げた。形的にはグラニーバッグで、じゃあグラニーバッグなのかと言えば、タックなんかはあんまりない(サイドにひとつずつだけ作った)ので定義から外れる感じもあり、しかしそもそもグラニーバッグという名称の定義はそこまで厳密でもない(「グラニー」は「お婆さん」の意味だそう)ようなのだが、とはいえ堂々とグラニーバッグと名乗った結果、怖い人に目を付けられても嫌なので、「グラニーバッグのようなトートバッグ」という、実にお役所的な、責任逃れのふわっとした名称で出品した。ちなみにトートバッグの「トート」は「運ぶ」という意味だそうで、じゃあもうそれって言葉の重複レベルに、この世のすべてのバッグは物をトートするためのバッグであるといえるわけで、実に便利な言葉だな、と思った。道理で世の中にトートバッグばかりが溢れているわけだ。
 前にも書いたが、「柄はおまかせ」のはずだったのだが、手芸屋で吟味して買って帰った生地2種を写真に撮って見せたところ、「どっちも趣味じゃない」ということで、ネットで買い直したりしたのだった。その結果、母の注文分のみならず、柄は4種類、販売数は6点という出品になった。ひとりでよく作ったと思う。まあ愉しかった。
 本当に希望通りの品に仕上がったのかどうかは知らないが、発注の責任を取り、母は既にminneを通して購入してくれた。minneを通すと売上金額の1割ほどがminneに取られるわけで、親子間でそんなことしなくてもいいような気もするが、たくさん買ってくれたので素直に喜ぼうと思った。しかしそう思った6秒後くらいに、そういえば母には先日の合唱用マスク10枚とか、無償でいろいろ送ってやったぞ、と思い出して、まあプラマイゼロくらいの気持ちでいようかな、と思い直した。

2020年11月18日水曜日

お忍び帰省

 気温が下がって、新型コロナの感染者数がまた増えて、第3波だなんて叫ばれ始めたここ10日ほどの現況において、2週間以上が経過したので解禁ということで満を持して記すのだが(こんなことは100年単位で考えるとても些細なことだろうが)、実は今月の頭、1日から3日まで、横浜の実家に帰省していた。2週間が過ぎても、横浜にもこちらにも発症者はいないし、COCOAもなんの反応も示さないので、無事に切り抜けたようだ。これが半月あとの予定であったら、たぶん取り止めていたと思うので、ぎりぎりのいいタイミングだったと思う。ちなみに行ったのはさすがに僕ひとりだけである。子どもを連れてぞろぞろは行かない。
 なぜ行ったのかといえば、それはやはり去年の年末年始からずっと顔を出せていなく、そして今年の年末年始もまず間違いなく行けないため、ここらでひとつ顔だけ見せに行こうと思ったからだ。しかも日記を見て思い出したのだが、去年の年末年始の実家には祖母がいなかったため、祖母とは令和がはじまった去年のGW以来、1年半ぶりの再会なのだった。11月1日時点では感染がだいぶ収まっていたとはいえ、この状況下で92歳の祖母に顔を見せに行くのは、祖母孝行なのか迷惑行為なのか、実際とても悩ましいところだ。誰もがここらへんのことで悩んでいて、その可否の如何については、2週間後の結果論でしか言うことができない。今回の僕の場合は、幸いにも可のほうだった。
 実家では、やはりあんまりあちこち動き回るわけにもいかないので、妻子がいないという意味では絶好のチャンスだったのだが、ジモ友との飲み会なんかも今回は泣く泣くよして(来ていることを告げもしなかった)、わりとひたすら、家でおとなしくしていた。なにぶん帰省の目的は「顔を見せること」である。そういう意味では、目的は到着して2時間ほどで完遂していた。行く前はそこに想像力が働かず、久しぶりの帰省なのだからしてと、1日の朝に着いて3日の夜に戻る、3日間たっぷりの日程を組んでしまっていて、結果すさまじく暇を持て余した。いったい何をするつもりだったというのか。母と祖母もまた、僕を迎え入れる感慨なんかは2時間ほどで済んでしまったようで、それからは仕事だったり散歩だったり、各々の日常をこなしはじめたので、やることのない僕だけ、リビングのソファーで寝転がりながら、このたびプライム特典になった「THIS IS US」のシーズン3を観続けるという、わざわざリスクを冒して横浜に行って、スペイン階段は工事中で、俺なにやってんだろう、という気持ちになった。森永ダースは食べなかったので、そんな気持ちも吹っ飛ばなかった(古い)。
 しかしまあ、本当に滞在時間は半分くらいでよかったけど、ここで帰っておかなければ次はいつだよって話だし、むちゃくちゃ元気そうだったけどそうは言っても祖母は92歳だし、ということで、まあ行ってよかったと思う。そんなお忍び横浜帰省だった。
 しかしここで疑問がひとつある。11月1日は日曜日だ。3日は文化の日で祝日だ。しかし2日は平日である。10月に就職したばかりの僕に有休なんてまだ発生してなかろうに、なぜこうも悠々と帰省することができたのか。いやあ、まったく不思議な話ですね。

2020年11月16日月曜日

アイ論

 家のアイロンの調子がどうにも悪いので、新しいのを買うことにした。
 これまでのものは、コード付き、スチームなしのタイプで、これは別に安かったからそんな低機能のものを選んだというわけではなく、下手に縫製業を齧ったがゆえのこだわりとして、「アイロンっていうのはそういうもんなんだよ」という気概でもって使用していた。蒸気の必要があるときは、霧吹きを使っていた。そういうもんなんだよ、と思っていた。
 などといいながら、それの調子が悪くなって新しいものが必要だ、となり、価格ドットコムで商品を選ぶ際、絞り込みの項目として、「コードレス」と「スチーム機能」に、いの一番にチェックを入れている僕がいた。言い訳がしたい。先ほどからいっているように、これまでのストロングスタイルアイロンは、あくまで「調子が悪くなった」のであり、完全に故障してはいないのだ。たまに、スイッチを入れてダイヤルを回しても、一向に熱が高まらないときがあるくらいで、それ以外のときはこれまで通りに使える。なんだか、年を取って、まだらに記憶が飛ぶみたいな、生々しい老いさらばえのようだな、と思う。長年使った機械って、わりとそういう感じを出してくる。でも元気なときもある以上、同じような機能のアイロンを新たに買ってもしょうがない。だからこの言い訳は、立つ。立派に立つ。
 かくしてコードレスで、スチーム機能付きの、縫製業を齧った人間が一笑に付す、どこまでも家庭用なアイロンが、わが家にやってきた。そうして使いはじめたら、これがもう快適なのなんのって。コードがなくて煩わしくないし、スチームをオンにしておけばいい具合に蒸気が放出されて、しわもすいすい伸びるし折りもしっかり付く。こんなんめっちゃ快適やん、と思った。片手にアイロン、片手に霧吹きで、コードを踏みそうになるのを払いつつ掛けていた頃より、はるかに効率がいい。こんなにいいものかよ、と驚嘆した。こんなことならばもっと早く前のが調子悪くなってくれればよかったのに……、といいそうになったところで、年季の入った前のアイロンの、老練な鋭い目線を感じ、背筋が冷たくなった。アイロンのくせに、こんなにも俺に寒気を覚えさせるとは。
 いや、まあ適材適所だと思う。実際、大きな接着芯を布に張り付ける際は、スチームは使わないし、コードレスで熱が下がると途端に糊が溶けないしで、やっぱりコード付きのほうがいいな、となって元のものを使ったりした。だからまあ、アイロンはタイプの違うものを2台持ち、というのがたどり着いた結論で、縫製業を齧った人間として、アイロンっていうのはそういうものなんだよ、といいたい。実に柔軟な主張。こだわらないのがこだわりです。

2020年11月15日日曜日

ねえダイアナ

 ねえダイアナ、こないだ車のタイヤを冬用のスタッドレスに取り替えたんだけどね。
 えらいわ、パピロウ。ただの交換じゃないものね。買うところからだものね。いいお値段なのに、よく支払ったものだと思うわ。さすがよ。
 でもねダイアナ、車検の時とかも、いっつも思うんだけど、車が好きな人って、どうして車に明らかに興味がない人に向かって、車の話を延々とするのかしら。必要に迫られて、車に関することを頼んで、代金を支払うのは当然だし仕方ないのだけど、そこからさらに、その人による車の話を聞くという義務は発生しないはずだと思うのよ。
 そうね、パピロウ。パピロウはやむにやまれず車のことを頼んだだけであって、興味があって前向きな気持ちでそこに参上したわけじゃないものね。勘違いしてもらっちゃ困るわよね。
 しかもダイアナ、今回はあれなのよ。なにぶん物がタイヤだったものだから、数ある車の興味ない話の中でも、最高レベルに興味のないテーマ、ホイールの話だったのよ。鉄とか、アルミとか、純正とか、かっこいいとか、かっこ悪いとか、ホイールの話って私、本っっっ当にいっていることの意味が分からないの。前の車検の時、代車として貸してくれたのが真っ赤な新型ハスラーで、ちょっと嬉しかったんだけど、でもそれは私がミーハーなテレビっ子だから、CMでよく見るやつだー、ってテンションが上がっただけで、中に乗り込んで運転を始めたら、真っ赤な新型ハスラーかどうかなんてどうでもいいな、ということをしみじみ感じたの。車種とか車体カラーでさえそんなレベルの私が、ホイール? ホイールの素材? デザイン? え、なにいってんの? ホイールってタイヤの内側にある、走ってると高速で回転して、ただの銀色の円にしか見えないやつでしょ。見もしないけど。それが、なんなの? ねえ、それがなんなの?
 分かるわ、パピロウ。私も分からないもの。思わず検索してしまったもの。そうしたら、まあ鉄よりもアルミのほうが軽いから燃費がいい、というメリットはあるらしいわ。だから今どきは基本的にはアルミらしいわ。だけどそのデザインについてはたしかに美学が分からないわね。世界のすべてのホイールが同じ形でも、別にいいと思うわ。
 ありがとう、ダイアナ。ダイアナと話したことで、やっと少しフラストレーションが晴れたわ。ホイールのデザインにこだわる人は、間違いなくツーブロックというヘアスタイルを許容する人よ。そのふたつの集合のベン図はぴったり重なってるのよ。すごくない?
 すごいわ、パピロウ。それ大発見よ。パピロウに、今年のダイアナ賞を授与よ。
 うふふ。

2020年11月14日土曜日

サンマとしあわせ

 サンマがようやく店に並びはじめて嬉しい。昨晩は今年2度目のサンマだった。3尾で450円。4人家族だが、まだ3尾でいいのだ。シーズンがはじまってすぐの頃は、獲れないし、獲れたやつも細身で脂が乗ってない、といわれていたが、脂方面は今どうなったのだろう。買って焼いて食べたが、脂が十全に乗っていたのかどうか、自分の舌では判断がつかなかった。グルメじゃないって楽でいいな、としみじみと思う。グルメになると口に入れる物の選別が大変そうだと思うのだが、やっぱりグルメにはグルメにしか到達できない幸福があるのだろうか。グルメじゃない人間の「最高においしい」が50点満点だとすれば、グルメの「最高においしい」は100点満点みたいな。しかし脂が乗っていたのかどうかはよく判らなかったが、身がふわふわしていたのは大いに感じた。これはやっぱり新物だからに他ならないだろう。
 それで感動しながら食べていたのだが、その一方で、本当にひと口目の、「身がふわふわしている!」と喜んだその際に、どうやら思いきり小骨が喉に引っ掛かったようで、違和感が生じていた。しかしそんなものは、食べているうちにいつの間にか取れて流れ去るだろうと、あまり気にしなかった。だから食事を終え、洗い物をし、食後のコーヒーを飲んでもなお、喉に違和感があり続けたことに、ちょっと戸惑った。
 でもなにしろサンマなのである。子どもならばいざ知らず、大人がサンマの小骨で騒ぎ立てするわけにはいかない。恥ずかしい。それに、やっぱりサンマだからして、痛いほどの存在感ではないのだ。あるな、と思う程度の違和感なのだ。それもまた騒ぎ立てできない要因だったし、加えてファルマンに伝えるとヒステリックな反応をされることは目に見えていたので(こういうとき往々にして、患者側なのにファルマンの精神を落ち着かすことに尽力しなければならなくなる)、ひとりで黙って対処していた。
 そのまま眠りに就き、目が覚めてきれいさっぱり消えていたら、たぶん僕は昨日の晩、小骨が喉に引っ掛かっていたという事実自体を、思い出さなかっただろうと思う。それくらい昨晩の時点では深刻視していなかった。しかし起きてつばを飲み込んだら喉に違和感があったので、ああそうだ、俺は昨晩からサンマの小骨が喉に引っ掛かっているのだった、とテンションが下がった。それで朝のパンを、少し大きめのまま嚥下したりして、なんとか外そうと試みたのだけど、やっぱり外れない。このあたりで、ちゃんと嫌な気持ちになった。それまでは甘く捉えていたこの問題に対し、きちんと気が重くなったのだった。
 結局それはいつまで続いたのかといえば、夕方まで続いた。夕方になり、いよいよインターネットで、「喉の小骨を取る方法」や、「喉の小骨がずっと取れなかったらどうなるか」などのページを検索し、本格的に小骨外しに取り組むことにした。この際、医者に取ってもらう場合は耳鼻咽喉科、ということを知ったが、その時点で17時近い時刻となっており、さらには明日が日曜日であることを思うと、サンマの小骨で緊急診療でもあるまいし、タイミング的にもあまりにも面倒で厄介ではないか、と暗澹たる気持ちになった。それで結局、僕が選んだ方法は、鏡で骨が刺さっている箇所を確認し、取れそうならば家人などにピンセットで取ってもらう、というもので、試しに鏡で見てみたら、喉枕の少し横の肉々しいピンク色の部分の、表面を覆う粘膜の向こう側に、たぶんこれだろうというような、白いものがある。あまり本当に見えるとは思っていなかったので、違和感の正体の発見に驚いた。なのでここで正直にファルマンに事情を話し、除去作業を手伝ってもらうことにした。ただし打ち明けたときのリアクション的に、ファルマンにピンセット役をやらせるのは絶対に無理そうだったので、咥内を照らすための懐中電灯役をお願いした。そしてピンセットは鏡を見ながら自分でやった。気分は自分で自分の腹腔手術を行なったブラックジャックである。ただし施術内容はサンマの小骨取りである。それで首尾はどうなったかといえば、何度かえずきもしたものの、無事に骨の尖端をピンセットで掴み、するっと抜くことができたのだった。全長1センチほどの小骨が、ちゃんと取れた。これはもう自分の手先の器用さに感謝する以外ない。無免許ながら、手術は大成功である。
 かくして今は自由の身である。小骨が刺さっていない喉は快適だ。元の状態に戻っただけなのだが、しあわせを感じる。しあわせとはいったいなんなのだろう。新物のサンマの身がふわふわしていることと、その小骨が喉に刺さっていないことか。

2020年11月12日木曜日

紅葉とマスゲームと天文

 寒い地域に出向いたら、ちょうど紅葉がすごかった。川ではなく山と山を繋ぐ架橋を車で渡っていたのだが、そうしたら眼下に広がる山々が紅に燃えていたのだった。紅葉なんて、枯れる直前の悪あがきみたいなもので、花のように尊ぶほどのものではないだろうと思っていたが、あれほどまでに圧倒的にやられると、さすがに「わあっ」となった。だから、結局は数だしスケールだな、ということを思った。1本の木の葉っぱが赤くなっても心は動かないが、1万本だと感動するのだ。じゃあ紅葉ってマスゲームみたいなものだな、とも思った。ひとりが色とりどりの紙を持ち、次々に持ち替えてもなんのこっちゃだが、それを1万人でやると「すごい!」となる。
 天体も、今は地表が明るいせいで、よほどの場所に赴かなければ満天の星空を見ることができず、だから夜空は基本的にあんなにもつまらなくって、古代から伝わる星座なんてものに、「昔の人ありえねー」と失笑したりするのだけど、昔は星がたくさん見えて、それはきっとマスゲームくらい圧倒的だったので、ずっと見ていられて、だから想像力を膨らませていくらでも星座が作れたんだろうな、と思う。
 都会育ちの僕は、昔から本当に天文の話に興味がまるでなくて、また天文の話というのは、「星の瞳のシルエット」的な、それに興味が持てる人はロマンチックで理知的で好感の持てる人物、みたいなイメージがあるのでタチが悪いな、ということを前から思っていて、まあそれは別にどうでもいいのだけど、もはやろくに星の見えない夜空なんかよりも、LEDとかで作るイルミネーションのほうが絶対にきれいだろう、ということをしみじみと思っていて、しかしそういうことを口に出していうと、「お前はなんて情趣のないつまらない人間か」みたいな断罪をされるのだが、でも絶対に星座を作った昔の人々は、いま我々がイルミネーションを見たときの感動で星空を眺め、星座を作ったに違いなく、だとすれば星座に情趣があって人工のイルミネーションに情趣がないなんて、ぜんぜん理屈になっていないと思う。僕は星座教に惑わされない。星座は、昔の人のマスゲームの感動が、たまたま残存しているだけのものに過ぎない。そこへ、仏教と同じで、のちのちの教徒たちが自分たちの都合のいい解釈を重ねていっているのだ。だから認めない。天文のロマンなんか認めない。

2020年11月10日火曜日

エローパーツ

 先日、またエロ小説をブックオフに売りに行った。それで思った。僕はどうしてこう何度も、「大きい手提げ袋がふたつ満杯になるくらいのエロ小説を売る」ことができるのだろう。たしかに一時期、頭がおかしいくらい買い集めた時期があったが、それにしたって何度もでき過ぎだと思う。理屈になってない。どう考えても、いちばん多かった時期、部屋からあふれ出ていなければおかしい計算だ。しかしこの10年ほど、エロ小説はベッドの下の引き出しだけが許された置き場所で、そこに収まり続けている。そしてそこから何度も両手いっぱいに売りに行った。それなのにまだベッドの下にはエロ小説がだいぶ詰まっている。やはりおかしい。空間がゆがんでいるのではないか。あるいはエロ小説同士が引き出しの中で交配し、繁殖しているのではないか。なにしろエロ小説は、孕ませるのはお手の物なのだから。もっとも僕は「孕ませ」というジャンルは好きじゃない(大抵の子持ちは好きじゃないと思う)ので、そういうのはほとんど蔵書の中になかったりする。だとしたらなぜだろう。うーん……。……あっ! ……いや、そんなはずはないか、……でも待てよ、もしかして、やはりそうなのか? ……たまに買うからか?
 とはいえ一時期に較べてはるかに数が減っているのは事実である。ピーク時が「オレたちひょうきん族」の頃の片岡鶴太郎だとしたら、今はヨガインストラクターの片岡鶴太郎だ。それくらい、骨と皮だけみたいなボリュームになっている。しかし、片岡鶴太郎を引き合いに出したものだから話がややこしくなってしまったが、そうして濾過を繰り返したことによって、いま手元に残された数十冊は、本当に価値のある、世の中がどんな非常事態になっても絶対に欠かせない、いわゆるエッセンシャルエロ小説だけになっていて、居並ぶ背タイトルを見るだに、その布陣の豪華さ、隙のなさに、第2回WBC日本代表を見ているかのような気持ちになる。ここまでたどり着くのは、決して平板な道ではなかった。長い年月をかけて、じっくり精製を行なって、ようやく結実したのだ。つまり今ここに残った数十冊は、軌跡であり、奇蹟である。これほどの加工、本来は人間がその短い一生において、一代で完成させられるものではない。そう考えれば2020年時点で存在するはずがないのだ。それなのに厳然たる事実として、今ここにこの水晶ドクロは存在する。この謎は深まるばかりだ、と思いきや、よく見ればこれは水晶ドクロではなかった。片岡鶴太郎だった。

2020年11月9日月曜日

百年後の君へ

 時事的なことをブログに書くことに意味があるのかないのか、いまだに結論は出ないのだけど、百年後にこのブログを読んでいる読者諸君に、どうしてもこれだけは伝えておきたい、ということがあるので記しておく。このたびのアメリカの大統領選挙についてである。
 おそらく百年後にも残存している事実としては、現職の共和党候補トランプに民主党候補のバイデンが勝利した、という程度のものだろう。そしてバイデンがこれからどんな政治を行なっていくのかは、読者諸君は検索さえすれば知ることができるが、2020年11月現在の僕は知らない。僕が知っているのは、これまでの大統領だったドナルド・トランプのことだけである。つまり僕が伝えたいのも、彼についてのことだ。
 ドナルド・トランプは、初めての政治家経験がアメリカ大統領という、にわかには信じられない設定のアメリカ大統領である。ちなみに僕は政治にも経済にも明るくないので、彼の4年間の働きが良かったのか悪かったのか、言及することはできない。おそらく百年後の世界でも、百年前の4年間アメリカ大統領をした人の働きなどというものは、歳月の中に埋没してしまったことだろうと思う。試しに今wikipediaで、1920年にアメリカ大統領だった人ということで、ウォレン・ハーディングという、第29代アメリカ大統領のページをざっと眺めたのだけど、その功罪について百年後の僕は判断のしようがなかった。それと同じように君たちにとっても、遠い昔の人物、ドナルド・トランプという大統領の質感は得づらいに違いない。
 だからきっと、百年後の未来では、「第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ」などという呼び名よりも、「Y.M.C.A.のトランプ人形」といったほうが話が早いと思う。そうなのだ。当世、これまで大統領だったドナルド・トランプとは、あのトランプ人形のトランプなのである。百年後にはもうすっかり民芸品のようになってしまったが、スイッチを押すと「Y.M.C.A.」のメロディが流れ、それに合わせて金髪で恰幅のいい、ザ・アメリカ人みたいな男が、持ち上げているとも持ち上げていないともいえない微妙な高さの左右の拳を、交互に前後に出したり引いたりするあの謎ダンスを踊る、あの人形。おばあちゃん家とか、流行っていない商店街のおもちゃ屋とかに行くとけっこうな高確率で遭遇する、あの人形のモデルこそがドナルド・トランプである。ちなみにあのダンスは、今回の大統領選挙の集会の際などに披露されたもので、そこから話題となり、世界的大ヒット商品となったあの人形が製作された、という所以がある。
 百年というインターバルを挟んで読む日記には、その肌感覚において様々な障壁があるが(それゆえにいい面ももちろんあるわけだが)、今回紹介したこのエピソードにより、少しは身近なものに感じてもらえたら幸いだと思う。

2020年11月8日日曜日

バッグ3世代

 先ごろ横浜の母からバッグの製作を依頼されて、安請け合いしたのだけど、バッグなんて実はあまり作ったことがないので、図書館で作り方の本を何冊か借りてきた。それでミシンの横に置いていたら、ポルガが手に取ってパラパラとめくり、「これを作りたい」と、なるほど初歩的な、ぺたんこの手提げ袋のページを開いて要望してきたので、娘に手芸に関心を持つのは嬉しいなあと思い、面倒を見てやることにした。もちろんそうなるとポルガだけというわけにはいかず、ピイガも一緒にやることとなる。ちなみに使用ミシンは工業用ミシンではなく、旧来の家庭用ミシンである。なぜなら工業用ミシンは、フットスイッチが動かせないからだ。子どもらは家庭用ミシンのフットスイッチを、踏み台の上に載せて使う。かわいいなおい。
 というわけで完成したのがこちら。
 
 
 左がピイガ、右がポルガ。それぞれ、らしい生地であると思う。持ち手の生地は共通。作業は同時進行なので糸も共通とし、地縫いもステッチもすべてエメラルドの糸でやった。本の指定通りに作ったのだが、基本的に1枚仕立てで、口部分にのみ見返しとして別布を使う仕様となっている。1枚仕立てで簡潔なような気がする一方で、縫い代を袋縫いの亜種みたいな縫い方で処理しなければならない工程が面倒のようにも感じた。もういっそ裏布をつけたほうが楽なんじゃねえか、と子どもに「地縫いからはみ出ないようにギリギリを縫うんだよ!」などと指示しながら思った。
 右下のブランドネームは、僕がpapapokkeで使うテープを与え、油性マジックで書かせた。ポルガはヒットくん。ピイガはゴリラ。ゴリラの潔さ。さすがだ。オリジナルのネームを付けると愛着がわく、というのは実体験からよく知っているのだ。作り上げて、娘たちが嬉しそうだったのでよかった。サイズは新書版コミックスくらいで、子どもが持つとちょうどかわいらしい。よかったよかった。
 それで話は母のバッグの話に戻るのだが、母がインターネットで見かけたバッグの画像を見せてきて、「こんなのが欲しい」というので作るのだが、型紙はまあなんとなく似たものが作れ、実際に試作をして、いい感じだということになったのだが、いま生地選びの段階で停止している。よさげな生地を2種類買ってきて、画像を写真に撮り、「どっちがいい? どっちも趣味に合わなければ他のものに使うから遠慮なくいって」とLINEをしたところ、「どっちも好きじゃない」と即答されたのだった。遠慮なくいって、とはいったものの、まさかそこまで遠慮なくいわれるとは思わなかった。向こうがネットで探すみたいなことをいっているので、いまその連絡待ちの段階である。

2020年11月6日金曜日

カラオケ行き(4ヶ月ぶり、今年3度目)

 カラオケに行く。また久しぶりだ。前回が7月8日だったので、4ヶ月ぶりということになる。ちなみに7月のときは、2月以来の5ヶ月ぶりだったのだ。今年はなんだかすごいな。今年という年は、本当にいったいなんなんだろうな。
 唄ったのは以下の通り。
 1曲目、久保田早紀「異邦人」。オープニングにふさわしい華やかな出だし。喉の助走にちょうどよかった。
 2曲目、水木一郎「鋼鉄ジーグのうた」。車でたまに掛かって、阿呆な歌だなー、といつも思うのだけど、いざ自分で唄ってみて、あまりに阿呆すぎて爽快感があると思った。バンババババンババンバン。
 3曲目、アリス「チャンピオン」。4曲目、清水健太郎「失恋レストラン」。5曲目、松山千春「恋」。6曲目、堺正章「さらば恋人」。珍しく男性歌手の歌を立て続けに唄ってみた。もはや場末のスナックのようなセレクト。どれもよかった。昔の歌はいいなあ。
 7曲目、森七菜「スマイル」。真心ブラザーズではなく、森七菜として唄う。オロナミンCのCM、いいよね。いい!と思うと同時に、どうしようもなくやるせない気持ちにもなるけど。
 8曲目、石井一孝&麻生かほ里「ホール・ニュー・ワールド」。ちょっと前から唄おうとファルマンといい合っていた1曲をとうとう唄った。ちなみに「とびら開けて」と一緒で、ファルマンがアラジン、僕がジャスミンである。気持ちよく唄えた。
 9曲目、小沢健二「強い気持ち・強い愛」。なぜ唐突にオザケンか、というと、筒美京平の追悼だからである。ただし唄い終えてから表示が出て知ったが、「さらば恋人」もまた筒美京平なのだった。
 10曲目、瑛人「香水」。唄ってしまった。だってユーキャンの流行語候補にも入ったし、紅白で「ドルチェ&ガッバーナ」の部分はどうなるのか問題もあるしで、ここらでひとつ唄っておいたっていいじゃないか、逆にここで唄っておかないともう二度と唄えないだろ、と思ったのだ。唄った結果、「テレビ千鳥」のノブとまったく同じ、「……うん」、という感じの空気になった。なぜこんな全方位に達成感をもたらさない歌がヒットしたのだろう。いや、まあ、「アーンドガッバーナッ!」の部分は唄ってて愉しいけど。
 11曲目、美空ひばり「川の流れのように」。歌唱も2時間を超え、ここまで来ると子どもたちも完全にダレて、もう退室するか、という空気になっていたので、最後の締めとしてセレクトした。やはり締まる。有無を言わせぬ締まり。好きな歌はほかにもいろいろあるけれど、人生の最後にかかる歌としてふさわしいのはこの歌なのかもしれないと思った。
 そんな11曲。なかなかよかった。いいカラオケだった。ポルガはこれまでドラえもんの歌ばかりを唄っていたが、今回からはドラえもんのドの字もなく、ひたすらに「らんま1/2」の歌ばかりを唄っていた。子どもは残酷に乗り換えるなー、と思った。それにしても「らんま1/2」が好きなのはわかるのだが、そうなってくると曲のセレクトがcocoだったりribbonだったりするので頭がクラクラした。自分の娘が羽田恵理香や永作博美のアイドル時代の歌を唄うだなんて、いったい誰が予想しただろう。人生って不思議なものですね(これは「愛燦燦」)。

2020年11月5日木曜日

11月ともなると

 11月になって、やはりめっきり寒くなった。10月って意外と暖かかったりするが、11月はもう有無をいわさず寒いのだ。それにしても今年はやけに季節の移り変わりがきちんと遂行されているように感じる。梅雨は梅雨だったし、夏は夏だったし、秋は秋だった。すごくそう感じながら日々を過していたら、先日ラジオのパーソナリティーが、「今年は季節の移り変わりが本当に変だ」といっていて、この感覚は人それぞれなんだな、と思った。コップに半分の水が入っていて、「半分もある」と思うか「半分しかない」と思うか、みたいな話があり、それはプラス思考・マイナス思考のことをいっているわけだが、季節の移り変わりに関するこれは、別にプラスやマイナスという尺度の話ではない。「季節」は大きすぎる概念だから、各人がどのポイントにそれを感じるかで、捉え方は大きく変わる。ただし「季節は正しく巡った」と思いがちな僕には正常性バイアスが働いている気がするし、ラジオのパーソナリティーの人格はよく知らないが、彼はわりと悲観的な人なのかもしれないとも思う。そういう傾向はあると思う。もちろんどちらが正しいということはないけれど。
 そんなこんなで11月なので、毎年恒例、ユーキャンの流行語大賞の候補30語が発表となったのだった。
 なんてったって、なんてったって今年は、新しい言葉がたくさん生まれた年だった。本当ならメダリストのインタビューで飛び出た名言がいくつも並ぶはずだった30語の中に、スポーツ関連の用語はひとつもない。見事にない。これはスポーツに限るわけではないが、「無観客」くらい入れてもよかったのではないかと思うが、ない。ぼる塾の「まぁねぇ~」はあってもそれはなかった。さらにいえばオリンピックをはじめとしたあらゆるイベントにまつわる「延期」という言葉もまた大いに人々の口に上った気もするが、それもなかった。ぼる塾の「まぁねぇ~」はあったのになかった。もっとも2018年「そだねー」、2019年「ONE TEAM」と来ていたので、これで今年がオリンピック関連語であったら、あんまりにもスポーツが続いてしまうという懸念はあった。もしかしたら新型コロナウイルスの流行は、その事態を回避するための方策だったのかもしれない。それはちょっとあまりにも不謹慎な発言ではないだろうか。まぁねぇ~。
 30語を見て他に感じることといえば、毎年いっているけれど、「鬼滅の刃」や「香水」、「NiziU」「フワちゃん」あたりは、流行語ではなく、ただ単に「流行ったもの」だ。このうちフワちゃんに関しては、「ご勘弁~」という歴としたギャグがあるのだから、そっちでよかったのではないかと思う。そしてベスト10に入った暁には、授賞式にはシソンヌが登壇すればよいと思う。さらにその番組の関連でいえば、Mr.パーカーJrの「被れ!」もノミネートくらいされてもよかったんじゃないかと僕は思う。僕とファルマンはそれなりに使った。あとはっきりいって「まぁねぇ~」はないと思う。ノミネートすら、ありえないと思う。憤りさえ覚える。
 しかし今年はなんてったってコロナ関連語だろうな。ここらへんの言葉はちゃんと、なかったところから作られている感じがいい。そのための言葉、という感じがして。「3密」しかり、「ソーシャルディスタンス」しかり、「アベノマスク」しかり。年間大賞がひとつとは限らないので、普通にこの3つあたりが同時受賞でもいいような気がする。
 それ以外の注目点としては、去年「軽減税率」で登壇したアキダイの社長が、今年は「カゴパク」で2年連続登壇になるかどうかだ。
 ユーキャン流行語大賞・トップ10の発表は12月1日。cozy ripple流行語大賞の発表は11月23日。

2020年10月31日土曜日

10月感傷

 10月が終わろうとしている。壮絶な10月だった。なにがどう壮絶だったかは、まだ10月自体は続いているし、壮絶の内容自体についても、これからしばらくそれは続くので、ワールドワイドウェブになんか書けない。ここにブログの限界があるな、と思う。「百年前日記」と銘打って、リアルタイムの読者のことを本当に意識の埒外に置いているのならば、どんな赤裸々なことでも書けるはずなのだが、やっぱりそういうわけにはいかないのだった。偉そうなことをいっているわりに弱いもんだ、と糾弾されたら返す言葉がない。
 思えば今年はちょうど感染症が流行っているため、「日記に書けないこと」の多い1年だった。あそこに出掛けた、あの人と遊んだ、なんてことを書くとそれだけで批判されるし、実際にそこから感染者が現れたりしようものなら社会復帰さえ難しくなるほどの締め付けだった。でもたぶんそれは、2年後くらい、新型コロナのことが解決した暁には、「2020年の4月くらい、わりと友達と遊んだりしてたんだ(笑)」というのは、普通にいえるようになると思う。それをさかのぼって怒れるほど人の心は長続きしない。またそのときにはそのときで、その人は別のことで怒っているから、2年前のことに怒る時間なんてないだろうし。
 ブログと、時間と、人生なんてあたりのことを考える。ブログはウェブログで、ウェブ上に残す自分の足跡で、それはつまり人生で、普通に生きていたら消える記憶、それを書き留めておくために書く日記、しかしそれもまた、たいていの場合は自分が死ねば配偶者や子どもに処分されるが、ウェブログはいちおういつまでも残り続ける。そう考えると、ウェブ上には、人の思念、すなわち人生、すなわち人自身が、残りすぎてはいまいか。ネット空間では何十億人もの人とつながれる、という言葉は、同時代を生きる地球の人口という意味であることが大半だが、物体としては消え去った死者がウェブ上には生き残り続けているのだとしたら、これからネット空間で相まみえられる人間の数は、どんどん増えていくことになるのではないか。そして僕の日記は百年後の人の目に留まるだろうか。百年後の人から見れば、僕の壮絶な10月のことなんて、本当に瑣末なことだろうと思う。

2020年10月29日木曜日

ねえダイアナ

 ねえダイアナ、私、世の中があまりにも「鬼滅の刃」の話をしすぎだと思うの。Yahooニュースとかでもそればっかりだし、職場でFMラジオが掛かってるんだけど、そこのクソみたいなディスクジョッキーも、すぐに「鬼滅の刃」の話をするの。でも私はアニメをちょっと見てみたけどぜんぜん入り込めなかったから、その話題になるとすごく白けた気持ちになるの。
 パピロウは悪くないわ。世の中の「鬼滅の刃」ブームは度を超えているもの。
 だけどダイアナ、いま逆に「俺は「鬼滅の刃」興味ないんだよね」感を出すのも、私、ものすごくダサいと思うの。
 そうね。「世間一般とズレてる俺」感があるわね。フルーツポンチの村上ね。
 でもだとしたら今、この世に「鬼滅の刃」とのいい距離感なんて存在しないってことになるんじゃないかしら。どの立場の人間が、どういうスタンスで対峙しても、スベるんじゃないかしら。八方塞がりよ。いったいどうしたらいいのかしら?
 気に病むことはないわ、パピロウ。あなただけはスベらないわ。それにたとえスベったとしても、そのスベる姿が美しいわ。
 ありがとう、ダイアナ。ところで先日、ファルマンが「相手に興味がないのに「鬼滅の刃」を押し付けることをキメハラっていうらしいよ」っていってきたんだけど、だから私、「じゃあチンコを押し付けたらチンハラだね」っていったら、「それはセクハラ」っていわれたのよ。どう思う?
 盛大にスベる姿がとても美しいと思うわ、パピロウ。
 うふふ。

2020年10月27日火曜日

ダイアナキメたい

 アンがとにかく幸福まみれ、という話で、その中でもいちばんの幸福はなにかといえば、やっぱりダイアナの存在だろうと思う。アンの宿命の友(僕が読んでいるのは掛川恭子訳なので宿命の友である)、ダイアナ。アンが獲得しているものの中で、これがいちばんうらやましい。
 なぜならダイアナはアンに優しい。アンはそばにいられるとだいぶ厄介な人間なのに、ダイアナはそのすべてを受け入れる。アンに対して優しい人間はダイアナ以外にもたくさんいるが、マシューやマリラはやっぱり親子とか、あるいは祖父母と孫のような距離感なので、優しいのはある意味で当然で、そのためその優しさの価値は低い。しかしダイアナはそうではない。ダイアナは同級生である。同い年の女子ともなると、やっかみとかライバル心とか、普通いろいろあるだろう。実際、ダイアナ以外の同級生とは、アンはそこまで仲良くならない。しかしダイアナにはそういうのが一切ない。ただひたすらにアンを愛するのである。愛するとは、褒めそやすことであり、調子に乗らせることであり、だからダイアナと一緒にいるアンは、どんどん気分がよくなっていく。ダイアナがまた、おつむの出来も、容姿も、アンよりも劣るところがよい。ダイアナはアンを具体的に「ここがすごい」「すばらしい才能だ」と賞賛するが、アンはダイアナを褒めることはない。なぜならダイアナに褒めるところなんてないからだ。アンがダイアナにかけてやる言葉はひとつだ。「あなたは最高の友達」。なぜなら私の気分を良くしてくれるから。
 なんとすばらしい存在だろうか。もはや人間の形をしたアルコール、あるいはドラッグである。そう、ダイアナとは合法ドラッグだったのだ。アンはヤクをキメてやがったのだ。道理でだ。道理でアンはやけにハッピーな感じだと思った。なんか怪しいな、と検察は前から目をつけていたのだ。そういうことだったのだ。
 ダイアナがそのことに気づかせてくれたが、純度の違いはあるにせよ(ダイアナはもちろん一級品)、要するに仲の良い友達とはドラッグだということだ。集団になるとテンションが上がって昂揚するあの感じは、まさにドラッグの症例だろう。そのうえドラッグと同時にアルコールを摂取したりするから、いよいよそのハッピーはとんでもないことになる。これが合法だというのなら、法とはいったいなんだろう。あいつらだけハッピーすぎるじゃないか。友達と飲み会をする人たちは、オーバードーズで具合が悪くなればいいと思う。

2020年10月26日月曜日

アンというドリーム

 「赤毛のアン」は3巻、「アンの愛情」の途中で唐突に飽きた。
 はじめの「赤毛のアン」で、僕はなにに感動したかといえば、二次元ドリーム文庫に匹敵するほどの、物語の開始直後からただただ主人公がうなぎのぼりにいい思いをしてゆくだけ、という部分だったわけで、はじめ孤児だったアンが、(アクシデントは伴ったにせよ)養子としてグリーンゲイブルズに引き取られ、愛され、友達ができ、優秀であることが判って周囲から一目置かれるようになり、さらにはコンプレックスまみれだった容姿も成長に伴い褒められるようになって、本当にアンはどんどん高みに上っていった。それは夢のような話で、まあ実際に夢物語であり、でもだからこそ、読んでいるとしあわせな気持ちになれた。しかししあわせはそう長く続かない。「しあわせは長く続かない」というと、まるでその先に不幸が待ち受けていたかのようだが、アンに関しては決してそんなことはない。アンは3巻で大学に通い、青春を謳歌し、やはり順風満帆に暮している。しかしそれはここまでの流れからすれば当然のことで、そこに望外の喜びや僥倖はない。予定調和の、健全な心地よさである。それはいわば安定飛行であり、ずっと高みにはあるのだが、しかしこれまで以上に高度が上がることはない。そして高度が上がらないので、読者としてはどうしても飽きてしまう。
 まったく読者というのは勝手な生き物だと思う。でも実際その通りなのだから仕方ない。安定したしあわせほど退屈な読み物はない。これを打開するためには、これが「赤毛のアン」でなければ、主人公をいちど不幸にさせたのちに再びしあわせにする、という方法も考えられるけれど、アンを不幸にさせるわけにはいかないので、だとすればさらに上っていくより他ない。しかし孤児からスタートして、養子になって大学に通い、誰もが絶賛する好男子に告られ、懸賞小説で賞を獲り、さらには多額の遺産を相続したアンに与えられるこれ以上のしあわせとはなんだろう。二次元ドリーム文庫でも、女学園にひとりだけの男子生徒である主人公が、生徒全員から求められセックスするようになってしまったら、そこから先はもうない。もとい、はじめ、クラスメイトである委員長やスポーツ少女、そしてギャルなど、メインキャラをひとりずつ篭絡していったときの感動は、数の上ではその時代をはるかに凌駕していても、名もなき全校生徒女子が股を開く情景では、かなわない。飛行機はやっぱり離陸の瞬間、浮上しはじめるその瞬間に、いちばん価値がある。いまのアンはまさにそんな状態で、アンはもうアボンリーのほとんどの住人から股を開かれているといっていいが、しかしそれははじめの、マリラやマシューやダイアナと心を通わせるようになるときの喜びからしたら、あまりにも弱いのだ。
 しかしアンの物語はこれ以降も続き、全部で10巻ほどもある(すべてがアンが主人公というわけではないようだが)。ちょっとあまりにも飽きたので読書は中断するが、いつかは続きを読んでみたいと思う。これはアンの物語であると同時に、抱きたい女をすべて抱けるようになった二次元ドリーム文庫の主人公は、そこから先どうなるのか、という疑問の答えの物語だ。

2020年10月25日日曜日

続いていますように

 いま勤めている会社は電波状況がやけに悪く、タブレットでウェブページを見ようとしても、表示までにずいぶん時間がかかる。ストレスである。しかしそんなストレスを抱えながら、休憩時間にどんなページを見ようとしているのかといえば、ただのYahooのトップページにある記事だったりするので、見たところで大した意味のないそんなものでストレスを溜めるのなんて、本当にくだらないことだと思う。ところで世の中はいま、5G回線のことで盛り上がっていて、つい先ごろ発売されたiPhone12はそれに対応しているとかで、これでますますいろんなことができるようになる! といって喜んでいる人たちがテレビに映っていたが、Yahooの記事がなかなか表示されないような電波環境はさすがに参るにしても、いったい彼らは、これまでとは桁違いらしい5G回線で、なにをするのだろう。果たしてそんなにおもしろいものがウェブ上にあるだろうか。新型コロナのせいで、世の中の多くのイベントがオンライン開催となっていて、別に僕は生身であってもイベントになんか参加しないけれど、それがオンラインとなると、いよいよなんの価値も見出せなくなるのだが、5Gの到来に喜ぶ人々というのは、たぶんそういうものに参加して、ちゃんと愉しむことができる人たちなんだろうと思う。そこにはやっぱり根幹に、他人と「つながりたい」という欲求があって、僕はそれが欠如している(特にウェブ上においては)から、5Gになんの魅力も感じないんだろうと思う。5GのGは、generationであるわけで、なるほどそれはもう世代としかいいようがないな、と思う。これは実年齢で区切る世代ではない。iPhone12を発売日に購入したことでインタビューに答えていた人は、僕よりも年上のように見えた。でも彼らは次の世代、次の年代に進むし、僕は進まない。もうここで、彼らと僕らは人間としての世代が分かれた。5Gがあるということは、6Gだってあるし、7Gだってあるだろう。彼らはきっとその道をどこまでも突き進む。僕はもういい。Yahooの記事を読むだけなら、電波環境さえ悪くなければ、いまの回線で十分だ。だからもういい。もうずっとここにいる。進みたくない。進む意味が見つからない。僕はウェブ世界のアーミッシュとして生きたい。なるほどブログってアーミッシュだな、という感じがする。百年後の未来にもこの理念が続いていますように。

2020年10月24日土曜日

同一人物なのに名前が違うあの人々について

 人は、ひとりひとりみんな違うというけれど、実はそんなことないと思う。
 新しい職場で、少しだけ年下の、既視感のある人がいて、これ誰だっけな……、と思い返してみたら、大学のサークルにいた後輩だった。そっくりだった。むしろ同一人物のように思えた。なのになぜか名前は違った。でもやっぱり人間は一緒なんだと思った。たぶん、関東のその集団と、岡山のこの集団は、本来ならば誰も共有しないはずだったのだ。だから安心して、全く同じ人間が配置されたのだと思う。しかし縁故のない岡山に急に移住して、大学の学部とはぜんぜん関係ない職種に進んだ、想定外の厄介者がいて、そいつは全く同じ人間を知っているものだから、(あれ?)となった。このケースは前にも体験していて、大学時代のバイトの同僚は、島根での酒蔵勤めのときの同僚と絶対に同一人物だったし、書店員時代のパートのおばさんは、初夏まで勤めていた縫製工場にもちゃっかりいた。あまつさえこのおばさんに関しては、僕は本当に名前を間違えて呼んだことがある。それくらい同じ人だったのだ。これら同一人物たちが、どこまで自覚して同一人物をやっているのか知らないが、縫製工場のおばさんは、書店員時代の名字で呼ばれて、内心びくびくしていたかもしれない。
 こうして文面にすると、なんだか僕がノイローゼ患者のようだが、信じてほしい。本当に同じ人なのだ。東京と島根、東京と岡山とかだから、油断して差配したら、僕のような越境者によってバレてしまった。日本人は1億人以上いるとはいえ、新型コロナウイルスの蔓延が示すように、外部との交流の激しい世の中である。同時代の、せいぜい800キロメートルほどの距離で同じ人間を置くのは、さすがに攻めすぎだろうと思う。たまにはそういう、ぎりぎりのスリルを味わう遊びでもしないと飽きるのかもしれないが、僕のように、ふたりともと出会ってしまった人間は混乱するはめになる。巻き込まれるほうはたまったもんじゃない。
 ただこんなことをいっておきながら、例として挙げた3パターンとも、関東でその人と接していた時代から、島根や岡山で再びその人と出会うまでに、5年以上の月日が経っていて、かつ関東のその人たちとはそれぞれとの別離以来、もちろん一切の関りを持っていないことを思うと、島根や岡山でその人と会ったときには、関東のその人の姿はだいぶ霞がかっていて、というよりもほとんど忘れていて、そこへ似た性質の人が目の前に現れると、僕の中で関東のその人が、一瞬で目の前の人物に取って代わられ、僕の頭の中で同じ人物として処理されるだけのことかもしれない、とも思う。ノイローゼじゃない証拠に、そんなことも思う。
 これが実際どうなのかを判定するためには、当該のふたりの人物を同時に並び立てるよりほかに方法がないが、この話に登場した6人の人物とは、誰とも仲良くないので、そんな実証実験は夢のまた夢だし、もしも叶ったとして、ふたりを引き合わせた瞬間に宇宙が爆発するのも避けたい。なので真相は闇の中だ。

2020年10月23日金曜日

鼠が来る

 今年の日記を相変わらず読み返している。
 今年はとにかくカッティングマシーンが愉しそうだ。手に入れたのがよほど嬉しかったんだろう。トートバッグやTシャツをもりもり作っていて、溌溂としていた。ちなみに先日からいっている、前のパソコンの、取り出せるものなら取り出したいデータの筆頭は、このカッティングシートのデータだ。これが外付けハードディスクに入れていなかったため、丸ごとなくなってしまった。ちょっとショック。まあやり直せばいいんだけどさ。
 それにしてもトートバッグはあまりにも日常的に使用しているため、ただの風景のようになってしまっていたが、トートバッグ製作報告の記事を読んで、「JUST WORRY DON'T DESPAIR」というフレーズに、やけに感動した。これってすごくいい言葉じゃないか。すごく沁みないか。僕だけなのか。お前ら感受性が死んでるんじゃないのか。
 あと、さらに読み進めていたところ、「干支4コマ」が登場したので、ああ……、となった。11年目の干支4コマ、ねずみ年なわけだけど、3月22日に6話までやったところでバッサリと中断している。中断したあと、別の日記で中断したことについて、「作中では無観客開催をネタにしたけれど、それから世の中的には無観客どころか中止という流れになっているのだから、この4コマもつまりそういうことだ」と言い訳している。たしかにこの激動の2020年という年の干支4コマを、上半期の時点で完成させてしまうわけにはいかなかった。しかしそうして放置していたら、気温が下がってきて、じわじわと感染者数がぶり返してきたりしてきている。紅白歌合戦だって無観客でやることが決まった。干支4コマねずみ編は、こうなったら越年を視野に入れたほうがいいかもしれない。毎年、年内に終わらないんじゃないか疑惑を持たれつつも、なんとかかんとかここまで免れてきた干支4コマだが、今年に関してはしょうがない。むしろ今年に関しては、越年こそがひとつのネタになるのではないだろうか。だとしたら最終12話は「本能寺の変」で決まりだ。

2020年10月21日水曜日

繰り返すピイガ

  ピイガがファルマンに作り方を習ってミサンガを編み、プレゼントしてくれる。パパの好きな色だよ、といって渡してくれたのは、赤と黄色と黒のドイツ(あるいはベルギー)のトリコロールだった。黄色以外は特別好きだと表明した覚えはないな、と思ったけど、でもまあ好きな色を3つ挙げろといわれたら、山吹色と、臙脂と、濃紺ということになるかもしれない。だからたしかにまあまあ近いやもしれない。
 それにしたってミサンガである。ミサンガといえばJリーグであり、その開幕は1992年であり、当時の小中学生女子は阿呆ほどミサンガを編んだものだった。姉もやっていたし、もちろん遠い島根でファルマンもやっていたわけだ。そしてその技術が娘へと伝承され、いま2020年、僕の左腕にはミサンガが巻かれている。実に四半世紀以上ぶりのミサンガである。いまミサンガをしている人間って、たぶん相当な思い入れのもとに巻いているんだろうから、それだけで少し身構えて接しなければいけないような気がする。やはり自動的にJリーグと結び付けて、サポーターなのかなと思い、だとすれば地元とか仲間とかを侮辱されるとめちゃくちゃキレる人だな、発言には気を付けなければな、と考えるのだと思う。かくいう僕もそれだ。対応には細心の注意を払ってほしい。
 それにしても世の中は「鬼滅の刃」の映画が大ヒットだというのに、我が家はミサンガに「らんま1/2」と来たもんだ。なぜだろう。普通に生きて、普通に子どもたちに愉しいものを与えようとしているだけなのに、なぜ格別の信念があるかのようになってしまうんだろう。
 そんなことを思っていたら、ピイガが今日、学校の図書室から借りて帰ってきたという本が、なかむらみつるの「やさしいあくま」で、いよいよいったいなんなのだ! と思った。ちなみに僕は326に対して脛に傷はないけれど、ファルマンはしっかりとあるらしい。多感な中高生時代に、326と19に、「ちゃんと」嵌まっていたという。それにしても本当にピイガはどうしたんだ。ミサンガと326。個体発生は系統発生を繰り返すのだろうか。だとすれば次はなんだろう。MDウォークマンだろうか。